私が初めて精神科を受診したのは1999年、38歳の時だった。近所の診療内科を受診し、躁うつ病の躁状態と言われ、会社を休むように言われた。リチウムを飲まされたのは覚えているが、他に何を飲んだか覚えていない。

私は高校時代から、時々精神状態がおかしくなる時があった。病院に行けば病気だと言われると思っていた。だから、隠し続けた。それでもいつかは発狂するのではないか。そんな悪い予感があった。そして、現実は予感通りになった。

つまり、正常な時期はあったものの、高校時代以降ずっと病気を抱えていたのだと思う。無感情であったり、突然怒ったり、妄想が現れたり。やや異常な行動もあった。

それを思えば今は正常だ。現実を冷静に見ることができる。自らの肉体的、精神的、知的能力が冷静に評価できる。昔は妄想的に高い自己評価と、絶望的な自己卑下を往復していた。精神的な消耗を勢いだけでカバーしていたようだ。とにかく普通で、普通以上であることが最低限の欲求だった。

上司との相性も極端だった。極端に低く評価されるか、高く評価されるか、どちらかだった。昇進の遅れも大きなストレスだった。発病時はラストチャンスだと思っていた。しかし、昇進に失敗した。これが爆発の、躁転の原因かもしれない。敗北感でいっぱいだった。当分、働きたくないと思った。発病は渡りに船だとも思った。

初診の半年前には完全に発病していたと思う。躁状態になっていた。それでも周囲が気がつかなかったのは、理性が強かったからだ。感情は完全に崩壊していた。饒舌であり、贅沢の限りを尽くしていた。金銭感覚がおかしくなっていた。

では、早期に発見していれば良かったのか。私はそうは思わない。この病気の患者になるということは、社会的に厳しい立場に立たされるということだ。早期発見が治療に有効だとは言えない。少なくとも私は、38歳までマトモに生きることが出来た。もし、20歳で病院に行っていたならば、就職すら不可能だっただろう。騙したというと言葉は悪いが、よく38歳まで騙せたと思う。これで、プライドさえ高くなければ、もう少し延命できただろう。しかし、後悔はない。

家族には本当に悪いことをした。どう謝って良いのかすら分からない。妻にはただ、ありがとうと言うしかない。結婚の時、きっと私は軽躁状態だったのだ。それを、明るくて有能でおもしろい人だと、妻は誤解したのだ。まだ、バブルの余韻があったあの頃、私は結婚して3ケ月で家を買った。その家も今は無い。

家を失い、仕事を失い、家族を失った。友達も多く失った。お金も失った。これだけたくさん失ったんだ。得るものは大きいに決まっている?(笑)