狂月日誌

旧「実録・躁うつ病」。躁うつ病のリアルを書いていたのだが・・・

入院

精神科救急

去年の夏は最悪だった。睡眠不足が続いていたが、大学病院の主治医は学会で出張中だった。躁状態になり、またもや追われているという妄想が出た。

暑い日だった。私は例によってホテルを転々としていた。スーツケースに発信機が仕掛けられていると思い込み、早朝にホテルを出てスーツケースを捨てた。どこをどう歩いたのか。この時は、タクシーは危険だという思い込みも生じていた。電車を乗り継いだ。新しいスーツケースを買ってホテルに戻りチェックアウトした。一人になるのが怖く、友達を呼び出した。友達は、私の怖い顔に怯えて逃げ帰った。銀行の口座を止めた。理由はわからない。信頼できる内科に行ったが、時間が早すぎて開いていなかった。待てなかった。私は何キロも歩いた。倒れながら歩いた。そしてなぜか実家へ戻った。その日の万歩計は2万8千歩を記録していた。暑い夏の昼間だった。

実家には母がいた。私はほぼ意識を失っていた。単語が少ししか浮かばない。「死ぬ。生きてる意味ない」を繰り返した。言葉を失っていた。鏡をみると少年のような顔になっていた。いや、猿のようだった。母は通院していた病院に電話をしたが、時間外ということで診察を断られた。母は精神科救急に電話をし、見てくれる病院を探した。一件だけあった。私は歩けなかったので母とタクシーでその病院に行った。

男性の医者がいた。即入院だった。署名を求められたが私は字を書けなかった。くるくるくると線を描いただけだった。それでもOKだった。私は保護室に入れられた。「ああ、ここで死ぬのだな」と思った。

翌日、丸坊主の男が部屋に来た。
「殺さないんですか」私は言った。
「ここは、そういう所ではありません」男は言った。その男は看護師だった。

私の意識は急速に回復していた。後で、その時に用いた薬はリスペリドン(リスパダール)だと分かった。医療保護入院の書類には、統合失調感情障害と書かれていた。

入院2日目に気が付いたことがあった。私の財布も携帯電話も何もかもが病院には無かったのだ。私は母の陰謀で財産を取られるのだと思った。そして、この病院で上手く殺されるのだと思った。当時の様子を医師はこう言う。「錯乱状態だった」と。それはそうだろう。そんな状況で錯乱しない人間などいるはずがない。その後、どうなったかは書かないでおこう。ただ、とんでもない恐怖を味わったことだけをお伝えできればそれで良い。

さらに別の妄想もあった。首謀者は母ではなく、なにかの政治的組織なのではないかと。私はどこかで地雷を踏んだのではないかと考えた。

しかし今、冷静に考えて分かることは、私は病気(躁状態)で、母が病院を探して連れて行ったということだけのことだ。この件には他にもいろいろな人が絡み、いろいろな事件が起きるのだが、それは個人的なことなので省略する。そして、こんな経験をして知能が低下しているようにも思うのだ。

「生きてる意味ない」
いまもその悲鳴が時々聞こえてくる。

会社で倒れる

2007年2月。オフィスで仕事をしていた私は、頭を使い過ぎたのだろうか、脳が思考以外に作用しなくなったのだろうか。頭は動いているものの、全身の筋肉に力が入らない。椅子に座っていることすら出来なくなり、机に突っ伏して意味不明のことを喚きだした。「あ、もうすぐ死にます」とか。

あわてた周囲は保健室の保健師を呼びに行った。とりあえず運ぼう。歩けるか。無理だ。私は台車に乗せられてエレベーターで保健室に行った。「薬は持ってないの?」「あ、リスパダールの溶液があります」「すぐに飲んで」リスパダールを飲むと、1時間ほどで歩けるようになった。「今日は帰った方が良い」それはそうだろう、私は定時前に会社を後にした。

翌日病院に行き、そのまま3回目の入院。この時は、明らかに躁状態だった。次の株主総会で私は取締役になるという妄想があった。もちろん、あり得ない話だ。病院から友達に電話をかけまくった。仕事以外の趣味の仲間が5人でお見舞いに来てくれた。1時間ほどゲームをしたり卓球をしたりして遊んだ。精神病院へのお見舞い。優しい友達というか、興味本位だったのかもしれない。

教授回診で、誰かが興奮気味だと言ったために、私はまた保護室に入れられた。4日ほどで通常の閉鎖病棟に戻ったものの相部屋の人と仲良くなれなかった。最初の入院が運が良すぎたのだ。精神病の世界が薔薇色なわけがないではないか。

思えば、希望も無いのに仕事で頑張ったように思う。それは頑張らないと楽しくないからだ。それなりに画期的なシステムをいくつも作った。周りからも感謝されていた。しかし、常識的に考えて、病気をしたら終わりだ。そういう客観的な思考が出来なくなっていた。大逆転を夢見ていたのだろうか。だとすると、それは何故か。

人は誰しも、無意識のうちに自分の人生のシナリオを持っている。私はこの病気のために、何度もシナリオを書き換えないといけなくなったのだ。果たして、今の私のシナリオはどうなっているのだろう。それを追う前に、まだまだ過去の病相を整理する必要がある。なお、この後3回入院することになるが、妻が来てくれたのは、これが最後だった。
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きょうげつ

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