昨日は、ある人に90分ほど話を聞いてもらった。今日も別の人に90分ほど話を聞いてもらった。詳しくは書かないが、カウンセリングやセラピーの類いとだけ書いておく。

今日は親子関係を取り扱った。その中で、私の心の傷の原点を探り当てることができたように思う。これは大きな収穫だ。私の祖父は東京帝国大学法科卒のエリート。ただし、晩年は反体制的な人だった。私はこの祖父と同じ敷地の別棟に住んでいた。母は、この祖父と私を比較した。幼児の頃から漢字や英語に親しんだため、まわりは神童と冷やかしたが、母はこれを真に受けた。

「頭が良い」これが母の私に対する口癖だった。小学生になり私は漠然と自分も東大に行くのだろうと夢想していた。しかし、中学になり私は自分の頭が良くないことを知る。上には上がいる。当然のことだ。

しかし、母の頭の中では、私は頭が良くなければならなかった。そこで私は、頭が良くても成績が悪い理由として、喘息という病気を選んだ。持病だったが、これが言い訳に使えることは子供でもわかることだ。私は、喘息が治らないことを願っていた。そして、発作を意識的に利用し、学校を休んだりした。

病気で成績は悪くても頭は良い。母はそう思いたかったし、きっと今もそう思っている。実際に、都合が悪くなると母は「貴方は頭が良いから」と言う。これは、私にとっては嫌味でしかないのだが、母にそのつもりはないのだろう。そういう幻想を大事にしたいのだ。

そして、私も知らず知らずのうちに、その期待に応えようとした。何とか就職し、転職もせず、結婚もし、子供も生まれ、家も買った。サラリーマンにしかなれなかった落ちこぼれかもしれないが、そこそこの世間体は保てていた。普通以上であること。それが私の目標であり、支えだった。今思えば、馬鹿げたことだ。

結局、躁うつ病と診断されたことで全てが終わった。そこからは逆に、この母の期待に対する怨念が生まれ、復讐に転じたのではなかったか。私が障害者に認定されたことは、復讐の第二段階程度かとも思う。

今日、言われたこと。

「復讐する人生を選ぶか、復讐を終わりにするか。今、選ばなくても良い」

また、復讐したいという怨念の裏側にも愛があることを指摘された。

躁うつ病になった原因をいろいろと検討しては、無限ループになっていたのだが、今日はその原点を突き止めることが出来てスッとした感じだ。それで躁うつ病が良くなるとは考えにくいが、生き方は変えられる。答を急ぐ必要はない。

愛されていることを感じること。それが今日のセッションのテーマ。セッションはまだ続く。