今日は、20分の無料カウンセリングに電話をしたが、3分で切った。私の方に、話したいという気持ちがなくなったからだ。なぜか?

それは、カンセラーが私に興味を持っていないと察してしまうから。こういうことは時々ある。誰に対してもそうなのだろう。こういう人はカウンセラーに向いていない。クライアントは敏感なものだ。

そういう私もカウンセラーには向かないと思う。共感性が低いからだ。誰とでも仲良くなれるタイプではない。ストライクゾーンが狭い。だから、ダメなカンセラーと批判したところで、私も同じなのだなと思う。そうすると許せる。

しかし孤独だ。今日、リアルで話をしたのは区役所の職員、飲食店の店員だけだ。虚しい。昨日もいわゆる「寝逃げ」をした。夜の8時から、朝の11時まで寝た。夢を見ている時だけが気持ち良い。起きている時間、何もしない時間が辛い。

カウンセリングの第一歩は「受容」だ。どんなことでも、まずは受容し認める。「それはおかしい」などというカウンセラーはいない。一般的なカウンセリングは計画的に行われるが、電話カウンセリングはその場限り。出来ることと言えば、「受容」と「支持」くらいで、それから先には進めない。とりあえず、行き場の無い声を受け止める。それが役割だと思う。

私も、本格的なカウンセリングを受けたくて何件も行ってみたが、躁うつ病を理由に断られる。決まり文句は「力不足で申し訳ありません」だ。優秀なカウンセラーは「私がお役に立てることは何でしょうか?」とも言う。これは大事なことだ。カウンセリングは躁うつ病の治療ではない。「活き活きとした日常を過ごすためのアドバイスをお願いしたいのです」と言っても良い。嗚呼、まだ私にも健全な欲望が残っているのか?

いま思うのは、私の過去の、どこからどこまでが、そして何が病気だったのかということだ。思い出すと、全部が病気になってしまう。精神疾患かどうかは知らないが、心が病んでいたことは間違いない。逆説的に言えば、病むとは現代社会では正常なことなのだが。

そうだ。精神疾患と、心を病むことは別の事象なのだ。精神疾患は治らないかもしれないが、病んだ心は治るかもしれない。私は、そこに希望を見い出そう。