今日は正午に起床。12時間以上寝ていたようだ。どうせ起きてもやることはない。1日は短い方が良いのかもしれない。

それにしてもだ。私は発病以降10年以上、会社にへばりついていたのだが、その原動力は何だったのだろう。普通以上の収入あるいは地位。実に恥ずかしいものを支えに頑張っていたように思う。学歴や地位や収入を支えに頑張るなんて恥ずかしいことだ。真面目にそう思った。

しかし、人間なんて聖人君子ではない。そういう世俗の価値を生きる支えに頑張ることが、それほど恥ずかしいことだろうか、と最近思うようになった。少なくとも何の支えも無いよりは良いのかもしれない。だが、そういう価値は時として失われやすい、壊れやすいものだ。私の場合がそうだったから、よく分かる。

家族や子供というのも生きる励みになる。仕事もそうだ。では、家族も仕事も無い人はどうなるのか。支えとまではゆかなくても、何か楽しみがないと生きることは難しくないだろうか。

躁うつ病を患い、服薬を開始するような状態になると、楽しいことにも興味が無くなって行くように思う。音楽にも、映画にも、本にも、ゲームにも、スポーツにも興味が持てなくなる。いや、世間一般に関心がなくなる。自分が社会の一部ではなく、外側の存在に感じられてしまう。

躁うつ病は人間関係を壊して行くと言われる。みんなが離れて行く。私の場合もそうだ。今、遊びに来てくれる友人は片手で数えられる程しかいない。しかし、彼らも仕事をしている。普段の話し相手が、決定的にいない。

さて、私は何を心の支えに、何を楽しみに、これから先を生きようか。それにしても「生きる」とは何なのか。深い問いが、私の前に横たわっている。