昨日、座禅をやってみた。座禅が終わってからいろいろ考えた。躁うつ病に治って欲しいという希望があるわけでもない。就労を希望しているわけでもない。作家も諦めた。社長就任の話も断るつもりだ。毎日スーツで出掛けるなんて考えられない。希望はなに、と聞かれると、特に今のままで良いということになる。躁うつ病がもう少し安定してくれれば、それで良い。

朝は喫茶店でモーニング。就労継続B型に行ってお弁当。夕方は訪問看護かヘルパーさん。あるいは通院。通院の日には、良いキャラお姉さんのいるお好み焼き屋さんで、だしお好み焼きとハイボール。タバコはやめない。昼食、夕食という概念を捨てる。お腹がすいたら、ミンチカツ、コロッケ、食パン、菓子パン、稲荷ずしなどで節約する。楽しみは、お好み焼きとブロぐか。いろいろなことから興味が薄れている。

希望を持ってというと、再起や一発逆転と言われやすいが、そんな道筋はどこにもない。日常の中のささやかな希望で十分だ。鬱だからかもしれないが、そう思う。

今日のある新聞に「決して自信を失うな」という記事があった。読んではいないがビジネス系の記事だ。躁状態になると自信が生まれる。これが曲者だ。一旦は活動的になるのだが、やがて空転し、暴走する。鬱状態だと、あらゆることに自信を失ってしまう。この問題、どう考えて良いのかが分からない。セルフイメージを安定させろとか、一定の自信を保てというのは簡単だ。そんなアドバイスは、躁状態の人に躁を治せと、鬱状態の人に鬱を治せといっているようなもので、無意味である異常に滑稽だ。はて、私はどんな自信を持つべきなのか。

一般世界の言説が障害者世界には通用しない場合がある。決して自信を失うななど、その一例だろう。私はもう一般世界には戻れない。そんな希望も持たないし、そんな自信も持たない。治療は、病状を安定させるのが目的。昔のような回復はないだろう。これは重要なことなので、主治医にも話しておきたい。

希望。寛げる日々。喜びの一時。愛を感じること。心のコミュニケーション。
自信。これは大変だ。私が私であること、と言えない。紳士であること。(浮浪者のような・・・笑)