一方その頃、社会人男性ならば9割が持っている職というものから一心に逃げていたぼくの財布は数千年に一度の飢餓期に入っていた。
この飢餓状態から脱出すべく、ぼくは一度実家に帰りパチンコ屋さんで働き、小金持ちになってまた札幌に戻ることにした。
なぜ札幌で働かず地元で働こうとしたかというと、ただ万年ホームシックだったからだ。
週2〜3のスタジオの度に札幌まで車を走らせスタジオが終わったらトンボ帰りという、冷静になってみるとガソリン代を考慮すれば苫小牧にまで帰って仕事をした意味はない。むしろマイナスです。
そんなある日のスタジオ、ぼくのいないところでベースのシゲが飯濱さんに「もっとメロディアスな曲と激しい曲が欲しい。」と言ったらしい。
ぼくは内心何言ってんだこのたわけがと少し呆れた。
それに併せて飯濱さんはぼくにもシゲにも曲を書いて欲しい、そして書いた人が歌うバンドにしようと何度か言っていた。
ぼくはその提案に大反対で、飯濱さんが書くからmondaysickであって、ぼくやシゲが書く曲なんか小学校低学年レベルみたいなものだ。そんな曲が入ってしまったら高級フレンチフルコースによっちゃんイカ入れてみました的な実に残念なコースになってしまう。

飯濱さんはシゲの「もっとメロディアスな曲と激しい曲が欲しい。」という要望に応え新しい曲を書いてきた。
まず1曲目は「ブランコ」。
飯濱さんは「これでメロディアスじゃなかったらシゲの言うメロディアスがわからない」と言っていた。激しく同意だ。むしろ今までの曲で十二分にメロディアスだと思うのだが。

それから数日後のスタジオにて、もう1曲飯濱さんが新曲を持ってきた。
ここで事件は起きた。
スタジオマグナムの絨毯張りの約10畳程の部屋。
既存の曲を一通り練習した後、みんなで休憩してる最中に飯濱さんがギターストラップを肩にかけ、新曲を披露し始めた。

あの時の興奮は今でも忘れない。いや、忘れられないのは他に理由があったからなのだ。

飯濱さんが弾き語っている最中、あまりのかっこよさに立ち上がり飯濱さんに近寄って聴き入っていた。
すると飯濱さんは突然演奏をやめてぼくを睨みつけた。
飯濱「ふざけんなよマジで。やめるか?帰るか?」
金子「え?」
飯濱「もういいわ。やる気ないなら帰るぞ。」
新曲のかっこよさに大興奮して舞い上がっていたぼくは天から地に脳天から叩き落された。全盛期のアンドレ・ザ・ジャイアントのブレーンバスター並みの破壊力だった。猪木万歳。
なんなのこの人、誰が連れてきたのこの理不尽プンプン大魔王。意味わかんない。
しかし、シミやシゲが落ち着かせて話を聞くと、飯濱さんが歌っている最中、バカにする様な態度でぼくが聴いていて、それを見て激怒したらしい。全然そんなつもりはなかったのだが。
シミからの情報によるとなんかどっかの民族の舞みたいなのを踊ってたらしい。
まあどちらにせよそれほど興奮してたのだ。いいじゃん。
取り敢えず謝ってみたものの飯濱さんの激怒モードは解除されず、「帰るわ。もうそんな気分じゃない。こんな状態で曲やったって合うはずがない。」の一点張りで、mondaysickの存続自体が危ぶまれる程の空気の重さだ。
しかしそんな中、札幌屈指の空気を読めません野郎こと清水くんが言い放った。
清水「まあまあ、じゃあ1曲だけやりましょ!」
金子「…(やんのかよ…)」
正直ぼくもこんな状態でやっても息が合うはずもないと思っていたし、バラバラの演奏をして余計空気が悪くなるのは目に見えていたので帰りたかった。なんか悲しかったし。
飯濱「1曲やったら帰るからな。」

史上最悪の雰囲気の中、サンタをやってスタジオを上がることになった。絶対合うはずがない。

そのサンタを終えて、
一同「なんかめちゃくちゃ良かったよね!今までで一番良かったんじゃない!?」
確かに当時一番難しい曲で、ミスなく1曲通せたのは初めてだった。
肝心の飯濱さんは…

飯濱「(⌒▽⌒)」

簡単な男だ。

しかし、こんな状態でベストが出せるなんて、人間というのはわからないものだ。

上機嫌になった飯濱さんに再び新曲を歌ってもらい、ドラムとベースはイメージがあるらしく、一通り教えてイントロAメロBメロ辺りまでざっくりとだができて、普段スタジオではほぼギターフレーズを考えないぼくなのだが、笹蜘蛛の巣を破いたら蜘蛛の子が溢れてくるが如くフレーズが湧きて出てきた。おぇ。
それくらいぼくのどストライクな曲だったのだ。ライブ映えすること間違いなし。

シミとサンタと新曲のおかげで、数時間前まで危機的状況だったとは思えない程の好感触でスタジオを終えたが、その日以降ぼくはmondaysickの飯濱壮士起爆剤として厳重にマークされるようになる。
飯濱理不尽伝説と金子歩く地雷伝説の始まりだ。

そしてそのきっかけとなった新曲の曲名は
「ミラー」

続く