■腐女子の苦悩と百合ブーム

思いつきであまり着地点のないエントリですが、自分なりに考えられる点を羅列してまとめてみようと思います。やおい・BL市場の主な消費者である、腐女子(腐男子)というのはよく批判や揶揄の対象となっているのを見るのに比べて、百合スキーが同じような仕打ちにあっているのをあまり見ないなぁと思ったのが最初のきっかけです。同人のジャンルとしてもBLのほうが歴史が古く、テレビや雑誌などのマスメディアでも取り上げられるようになると、一般人からの声も様々な方向から飛ぶようになってきました。また、腐女子ネタで笑いを取るというスタイルもあり、やはり笑いの種にされがちなところがあるのかなと思う部分もあるなぁと。

一方の百合ですが、いわゆる「空気系(日常系)」作品のブーム(らきすた、けいおん!など)を背景に、いまや人気ジャンルの一つとして確立されつつあるように思います。今季アニメも、「ゆるゆり♪♪」「じょしらく」「トータル・イクリプス」 「輪廻のラグンジェ」「うぽって!!」など、主に女性キャラのみで物語が展開される作品が少なくありません。「百合男子」という漫画さえ存在しているわけですが、ちょうどここ数年で百合ブームが到来、定着しつつあるのではないかなと思っています。

何をもって「百合」なのかという問題もありますが、ここでは既述した、「主に女性キャラのみで物語が展開されて、同性愛的要素が前提とされている作品」とでも言いましょうか。公式が明確に百合路線を打ち出していなくても、「プリキュア」なり「咲」なり、消費者の側でN次創作的に百合的消費をしてしまう作品は多々あり、公式・非公式問わずにそうした要素のある作品群を含むこととします。もちろん「青い花」や「ストパニ」みたいな作品のみが百合なんだという意見もあると思いますが、肉体的恋愛感情がなくても「マリみて」はやはり百合かなと思うので、そういう「強い精神的繋がり」も含みたいと思います。

宇野常寛さんの集英社サイトでの連載、「政治と文学の再設定 5章 「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 6「空気系」とセクシャリティの撹乱」(2011年6月3日)で、以下のような指摘がありました。


”『マジすか学園』の「百合」的な二次創作がボーイズ・ラブの消費者であるオタク系女性に支持されたのだ。(略)彼女たちの大半は概ねヘテロセクシャルだと考えてよいだろう。しかし、彼女たちはAKBメンバーの「百合営業」とその(秋元康自身による)二次創作である『マジすか学園』の喚起する擬似同性愛的なイメージに「萌え」る。”

私は、801ちゃんがAKB萌えなのは知っていましたが、2010年8月開催のコミケ78で、BL愛好家女性を中心に『マジすか学園』の「百合」的な二次創作同人誌が作られていることは知りませんでした。百合同人作家さんでAKB好きな方は見られても、BL好きな人がAKBの関係性の中に男性的関係性を読み込んでいる(?)ような現象が起こっているとはつゆにも思わず。。
もしこういった現象が起きているのなら、百合ブームを下支えしている人の中には、いわゆる腐女子の人たちも含まれていることになります。つまり、腐女子VS百合愛好家という対立ではなく、両者の円は重なる部分が出てくると。


■なぜ腐は叩かれて、百合は叩かれないのか?

そして本題ですが、なぜ腐は叩かれるのに、百合は叩かれないのか。 両者の違いを挙げてみることで比べてみようと思います。(もちろん一枚岩ではないので、ざっくりとした特徴です。個々の反例は当然存在します)

□BL
①主に肉体的繋がり志向
②主な舞台が学校だけでなく、職場などフォーマルな場まで広がる
③主な消費主体が女性
④肉体的接触の描写があるため、主なフィールドは専門誌
⑤公式の範囲で、BLアニメ声優同士の同性愛的想像力は組み込まれていない

おまけ
⑥ジャニーズジュニアなどの三次男性アイドルは、あくまで「理想の恋人」を演じるヘテロセクシャルな存在である
⑦女性集団の男体化、女性的ホモソーシャルの男性的読み替えなどはない

□百合 
①主に精神的繋がり志向
②主な舞台が学校
③主な消費主体は男性?(ただし、マリみてなど、女性誌掲載作品も多い)
④精神的繋がりを重視のため、掲載範囲が一般誌にも広がる
⑤公式の範囲で、百合アニメ声優同士の同性愛的想像力が戦略的に組み込まれている

おまけ
⑥AKB48など、三次アイドルが公式で百合的想像力を組み込んでいる
⑦歴史上の偉人や武将の女体化(「織田信奈の野望」「一騎当千」「恋姫無双」など)で、男性的ホモソーシャル 
が強固な集団を女性的に読み替えている

共通点
-異性のライバルはほとんど現れない

などが挙げられます。

①②で言うと、同性愛的な肉体的繋がりを公の場で公開することが忌避されることは容易く想像されることだと思います。地上波でBL特集なんかをやっていてもモザイクがかかっていたりして、あれは完全に逆効果というか、一般人の差別意識を助長するものでしかないかと。そして、百合作品が主に学校(学園)を舞台にしている点に注目すると、「学校卒業と同時に擬似同性愛的コミュニケーションも卒業する」という暗黙の了解が成立しているのではないかと思います。精神的な繋がり、なおかつ時間的(学生)・空間的(学校)に限定されているからこその濃度の高さが感じられます。職場が舞台となっている「レンアイ女子課」のような作品もありますが、あれはかなりポップなほうであり、もう少し現実感を帯びたものだと、「どちらが稼ぐのか(養うのか)」というかなり生々しい問題も出てきます。ファンタジーを期待する百合愛好家には、そのような生々しさは受け入れられないのではないかと思います。

その一方で、BLは背広のお兄さんやおじさんがよく登場してるイメージがありますが、学校だけでなく職場でも展開されます。男性のホモソーシャルな絆は学校での部活動のような青春の場でも発揮されますが、やはり職場という権威争いが行われる場所でこそそのリアルさが顔を出すのではないかと。私はBL作品をあまり知らないので、「ただ、背広のおじちゃんが好きやねん」とか言われたらそれまでなのですが、舞台装置がBLと百合で異なるのは、そのような現実的なジェンダーの非対称性が存在するのではないかと思います。男性が排除され、女性同士の強固な絆でつながる職場での連帯というのもあまり想像がつかないので。。。(一部の特殊な仕事に限られるかと)


③の消費主体は、百合に関してはやはり男性のほうがやや多いのではないかと思っています。腐女子を叩いたり揶揄したりしている人を見ると男性が多いようですが、百合好きが男性なら、その叩く主体は誰になるのかなと。百合は実際ほとんど叩かれずに今のようなブーム現象が起きているわけですが、そこには消費者のジェンダー非対象性もあるのかなと。男性は自身がBLの消費対象とされることに、アイデンティティの揺らぎや、自身の男性性が脅かされることに脅威を感じる部分もあると思うのですが、百合の場合は脅かされる存在があまり想像できないんですよね。結局精神的な繋がりで、しかも学校の卒業と同時に終わることが予想されているので、血眼になって糾弾するべき対象にすら成り得ないのではないかなと。

あと、消費主体が男性であるということで、結局百合作品がAVのレズビアニズムの延長としてしか認識されず、つまりポルノグラフィとしてみなされている部分が多分にあります。いわゆる「ブヒり系」アニメはその典型ですが、そういった女性の所有欲求がいきつくところまでいった結果が「空気系」なのではないでしょうか。つまり、欲望の主体たる男性(自分自身)の存在すら消してしまうと。こう見ていると、オタク市場には男性中心主義的な側面がまだまだ残っているのかなぁなどと思ったり、思わなかったり。。


最後に⑥に関してですが、AKBに関してはかなり意識的・戦略的に百合的な想像を喚起させるプロモーションをやってきたと思います。ヘビロテのPVなり、ぷっちょのCMなり、SKEの曲なり。。。男性アイドルグループではこのような公式でのホモセクシャルな表現はないわけですが、未熟な女の子同士だと「かわいさ」や「幼さ」といった要素が発生してきます。ただAKBにいたっては、ヘビロテの衣装にしろ、若干性的客体として消費されてる感があるので、ポルノグラフィの延長上に位置づけられてしまうと、それは結局ヘテロセクシャルの構図に回収されてしまうのかなと。


■繋がりの次元と消費主体

タイトルに戻ると、まずやおい・BL愛好家が叩かれる理由として、その消費対象が肉体的繋がりを主としていて、しかも消費主体が女性であるが故に男性叩かれている構図が想像されます。じゃあ腐男子なら叩かれないのかというと、腐男子は「男ではないもの」として男性的ホモソーシャリティからは排除されてしまうので、やはり同じような隘路に陥るのではないかと。自分にとって不都合があるので叩くわけなので、男性の場合は自分が見られる性として認識されることが、女性よりも脅威に感じるのではないでしょうか。
それでは、百合の主な消費主体が女性ならば状況はまた変わっていたのでしょうか。男性の男性性は脅かされない気がするので、叩く人がいるとしたらホモフォビアの女性なのでしょうか。などと考えてみるものの、百合に対する痛烈な大きな声はあまり聞かれないので、よくわからなかったりします。。