c0ceb79a.bmp 京都府のプロテスタント・キリスト教教会、聖神中央教会の牧師、金保(パウロ永田保・韓国人)が逮捕された。少女への性的わいせつ行為や暴行行為によるものである。昨年の12月末、こうした性的わいせつ行為が日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の京都教会牧師である村上密に相談され、彼が被害者の会をつくって刑事告発に向けて身柄拘束というここまでの展開に至っている。 

 この金という男、救いがたい牧師であるが、注意していただきたいのは、彼はいわゆる「異端キリスト教」とは見なされてこなかったということ。統一教会ものみの塔エホバの証人ニューエイジ運動モルモン教などは全て「異端キリスト教」としてカトリックからもプロテスタント各派からもはじき出されているが、この聖神中央教会はそうではない。それが証拠にあちこちのキリスト教徒関連のウェブサイトにリンクが今もなお張られている。(*24時間たった今はリンクが削除された。) 
 
 以下、ごく普通にキリスト教のことを知っている人間であれば、例えキリスト教徒でなくともたった4行のこの教会に関する情報を一瞥するだけで、この教会が異常な教会である可能性が濃厚とすぐに読みとることが出来るものである。

 日本イエスキリスト長老会 聖神中央教会
 PAUL永田保・神学博士 (金保)
 京都府 久世郡 久御山町 森村東 232-1 
 http://www.holy-god.com/ 

 なぜ、今までこれを「異端のカルト」として見抜けなかったのだろうか。私はこのこと自体が日本のプロテスタントが持つ非常に情けない側面であると思う。もし私がそうしたリンクを繋ぐかどうかを判断する立場にあったら、

 1.「聖神・・・」という名前を教会名につけている事自体で完全におかしいと直感する。まるでオタク向けの気持ち悪い奇天烈なゲームソフトのような名前だ。
 
 2.「パウロ永田保」という牧師名をつけているが、カトリックでも聖公会でもないのに洗礼名、ホーリーネームをつけることはありえない。正統派プロテスタントだと自称するが、この名前でおかしいと怪しんで当然。加えて自身で「神学博士」だと強調しているが、通常、牧師が自分の紹介で「パウロ永田保・神学博士」などと記載することはありえない。しかも韓国の教会では彼が除名されていたとわかっている。

 3.ウェブサイトにはセミナーの案内が出ていて、入会金15000円、月謝・・・といった記述がある。無害な教会であればこういうことはありえない。聖歌隊の制服代とか、英会話教室の講師謝礼といったものでもないかぎりそのようなことはない。
 
 なぜ、これらをみて怪しまなかったのだろうか???

 この聖神中央教会、集会の様子が若干ニュースで報道されていたが、その雰囲気はまさに「ペンテコステ派」そのもの。「ペンテコステ派」とは「福音主義派」のスタイルに加えて、さらに「聖霊降臨=ペンテコステ」を重要視する理解を持っている人たちであり、何度も私がコラムに書いたようにちょっと普通の人が見たらぞっとするような異様な雰囲気がある。「異言」を話したり、感情が高ぶってくると身体が揺れ、手を掲げ、頭を上げ、涙を流して礼拝をする。ごく普通の一般人の方の目を通してその光景を目の当たりにすれば、

 「これ、カルトじゃないの?」

 と思われることだろう。
 
 聖神中央教会の周囲に暮らす人たちも、この教会の連中は迷惑この上ないと怒り、テレビインタビューに応じていて、

 「夜に何だかウォーっていってるんですよ。何かの言葉を喋っているんでしょうけれども、ウォーとしか聞こえないんですよ。」

 と答えていた。それを見て私は、

 「ああ、異言のお祈りだな・・・。」

 とすぐに分かった。

 カルトと非カルトの境界線は非常に曖昧で、明快に区別しにくい。聖神中央教会も最初は拝金主義的なカルト教団ではなかったらしいが、徐々にカルトになっていった。無謀な億単位の新会堂建築を決めたり、最後は代表牧師自ら破廉恥罪で逮捕されるのだから末期的である。だが、実はこのようにプロテスタント教会においては、ペンテコステ派、メソジスト派、バプテスト派、福音主義派などを問わず、教会の牧師、伝道師らが性犯罪を犯す例は決して珍しいことではない。本家本元のアメリカではこれで失脚、逮捕された牧師は枚挙にいとまがない。私の所属する日本基督教団でもつい1年ほど前、性犯罪ではなく刑事事件にこそならなかったが、成人女性に対するセクハラで失脚した牧師(熊本県・日本基督教団白川教会)がいる。情けない男だ・・・。決してお勧めはしないし、それを善とは間違ってもいえなかろうが、極端な例示として言えば、そのような身内の教会員に対する破廉恥に走るくらいならば、メガネ、マスクで変装でもしてから風俗歓楽街に札束握りしめて気晴らしに出かければ遙かにましではないかい?
 
 プロテスタントだけではない。アメリカのカトリック教会も被害者4000人超の児童へのわいせつ行為被害が明るみに出てこの数年はてんやわんや。性的虐待で逮捕、起訴され、実刑を科せられた司祭も出て、司祭を罷免された人間が3桁で続出する異常事態を経験したばかりである。
 
 もともと宗教的指導者はこうした犯罪に手を染めやすいポジションにある。何となれば相手の運命、世界観、生命観など全てを操るほどに影響力を持ちうる地位があるからだ。マインドコントロール、ブレインウォッシングは状況と相手によってはたやすいことだろう。全てのカルト宗教の教祖が経験した暴走と何ら変わるところがない。
 
 オウム真理教は極限形態としても、宗教の種類を問わず、カルトという要素は多くに含まれている。実際に私は見たことがあるが、創価学会のお経や、日蓮宗の仏教の読経にも限りなくトランス状態に近づく性質がある。多くの宗教に、多かれ少なかれ、そうした感情の極みに達する精神的な側面が見受けられる。
    
 感情的、情熱的、陶酔的、官能的、変態的・・・。言葉の意味はかなり違うが、共通のポイントが含まれてはいないか?カルトとは明らかに人間の異常心理状態であるが、人間はその魅力に引き込まれると抜けられなくなるものである。ロックのコンサートやディスコやクラブでの徹夜ダンスなどにも同じ要素があると私は思う。ヒップホップやヘビーメタルなどは言うに及ばない。以前、招待券をもらったので物見遊山でチャゲ&飛鳥のコンサートを原宿に聴きに行った時の女性の観客の熱狂には本当に度肝を抜かれた。阪神タイガースやリバプール、マンチェスターユナイテッド、バルセロナなどのスポーツファンにもちょっとどうかしているとしか思えないカルト的熱狂が感じられることがある。

 幼少時に牧師から性的に陵辱を受けるという、こうした経験をしてしまった人たちはいったい、どれほどのトラウマを今後引きずることか、気の毒でならない。私など、あの「異言」や「祈りの細胞」、「Devotion」などを幼少期から青少年期にかけて、ろくに客観的な説明もされずに目の当たりにさせられたことでものすごい打撃を食らっている。カルトといわれてもやむを得ない面を、紛れもなくペンテコステ派や福音主義派は持っているのである。
 
 彼らのスタイルを絶対に認めないとはいわない。しかし、子どもに対する接し方、あるいは女の子や女性に対する働きかけに知恵と配慮があって当然である。それが全然ないという場合が少なくない。はっきり言って連中はばかじゃないかと思う。だから、今持って彼らに対する不信感と軽蔑の感情が私の脳裏から消えてくれない。今のままのスタイルを一切の見直しなしに進めていったとしたら、やがてまたこうしたカルト的軋轢や性的なスキャンダル(牧師だけでなく、教会員どうしのそれも含めて)を生んでしまうだろうと私は思う。

 日本のプロテスタント教会はおそろしいほどたくさんあるのであるが、大雑把にいって以下のような特徴に注意すべし。(もちろん、多くの例外があるから全てに当てはまる物差しではない。うんざりするほど早合点した取り違えのクレームがくるのでこの点、特に強調しておきたい。)特に、いずれの教団にも所属していない単立の教会には注意されたい。問題のある教会が飛躍的に増える傾向がある。

 1.アメリカ風の横文字を用いた教会名を持つところ
  (例を挙げれば、チャーチ、シオン、エルサレム、バイブル、ミニストリー、チャペル、ミッション、ゴスペル、フェローシップ、アガペーなどの言葉が教団や教会名に入っているもの)
 
 2.普通の人間の感覚から見て「気持ち悪い」と感じる要素があるところ
  (雰囲気、話し方、建物の様子、服装など)

 3.「リバイバル」という言葉を使うところ

 には気をつけるべきだ。全てが悪くはないが、割合が飛躍的に上がっている。
 
 私が非常に違和感を感じる教会はいくらもあるが、例えば一例を挙げると、ハレルヤコミュニティチャーチも相当におかしい。リゾート施設まで経営し、宿泊・ウェディングも積極的にPR。埼玉県の西武園ゆうえんちからトロッコ列車まで買ってきて、海外展開も積極的。何より牧師のストリーミング放送を聴いただけですぐにわかる。 

 ここ吉祥寺にもどうもと思われる教会が一つある。吉祥寺純福音エルサレム教会という教会で、成蹊大の正門から五日市街道にぶつかったところ、コンビニエンスストアの真上を借りて伝道活動を始めたばかりのようだ。だが、その様子が全く見えてこない。非常に怪しい雰囲気である。純福音エルサレム教会とは韓国系でやはり存在し、ホノルルなどでも展開しているものがあるが、やはり非常にカルトっぽい雰囲気を感じさせるもの。ただ今、情報収集をしているところである。