2005年04月

だらしのない若者たち

 晴れて学生生活を終え、桜の花とともに勇んで入社した新入社員たち。今や終身雇用、年功序列などどこにもなく、やれ成果主義だの、年俸制だ、リストラだのと、だれもが皆どこかドライに実社会を見ている眼差しが入り込んでいるのではないかと私は思う。今年に限ってはかなり売り手市場の就職戦線に戻った面もあると聞いた。
 
 が、一つ気になったことが。フレッシュマンの4割以上が、
 
 「自分の良心に反しても会社の指示通り行動する。」 

 とアンケートに答えたから。社会経済生産性本部の調査らしい。
 
 「できる限り避ける」
 
 という回答は41%。
 
 リストラが一段落し、好景気とまではいわないものの経済は好転しつつある。だが、依然、厳しい雇用情勢を前に新入社員が極めて保守化している様子が見てとれる。
 
 「自分がなじめない仕事を我慢して続けるのは無意味」
 
 という設問に70%が「そう思わない」と答えてこちらも過去最高。
 
 フレッシュマン諸君、ちょっと待って欲しい。だったら、水俣病のチッソ、ゼネコンの贈賄や談合、旧厚生省や製薬会社の薬害エイズ、三菱自動車・ふそうのリコール隠し、「独裁者」堤義明の西武グループ出鱈目経営、数々の粉飾決算をしでかした企業群など、悪例は枚挙にいとまがないのだが、そういう企業に入ってしまい、そういう悪を悪だと分かっていて手を染めさせられそうになったときにでも唯々諾々と「命令」に従うのかね?例えそれによって無辜の人間が死ぬことがわかっていたとしても。

 バカも休み休み言って欲しい。33歳になったばかりの私でさえまだ人生の残りはそれなりに残されていると感じている。たかが20歳代前半そこそこの皆さんが何を言っている???
 
 あほらしい会社(世の中にいくらでもある)など捨ててしまえば良い。内部告発でも何でもして飛び出してしまえば良いではないか?人生がもったいない。生きていく方法は他に山のように転がっている。過労死、鬱病、自殺、ストレス性内臓疾患・・・。澱んだ水の中から出ようとしない人間は、いつかその泥水を飲み込んで自分自身をおしまいにしてしまうことは決して珍しいことではない。
 
 「倫理」とは人と人とを繋ぎ、分ける心の線のことである。それを失った人間はもはや家畜に近い存在者といえる。そこまでたかが「企業」に恭順の態度をフェイクでなく心から示し続ける若者というのは相当に情けないと思います。

なぜ電車の運転士が追いつめられねばならぬのか

ab10807b.bmp * 遺体安置所の体育館で検死を待つ遺族の人たち。

 高校卒業後、JRに就職して在来線の乗務員として勤務している親しい友人が私にはいる。私が無類の鉄道好きであることからみんなで会って飲んだりするとあれこれと色々聞かせてもらうことが多い。経営陣というのは大卒のエリート。現場を全く知らないキャリア採用であるので、駅員から始める従業員のことをからっきし理解していないということはよく聞かせてもらった。彼はかつてこんな風にいったことがある。

 「いや、俺達、軍隊だから・・・。」

 話を聞いているとその扱いは全くひどいもの。過酷な勤務であることがよく解った。彼の話が若干、尾ひれを付けて脚色していただろうことを差し引いても、大変なんだろうなあと私は話を聞かせてもらってから思っていた。だが、今回、JR西日本の労組のメンバー田村豊氏や、宝塚線の現役同僚、幸運転士らの証言を聞いて私は激しい怒りを禁じ得なかった。「日勤教育」といわれるいじめ、リンチそのものの信じがたい出鱈目従業員管理がなされていたからである。

 詳細はメディアで散々報道されているので書かないが、これ、同じ事を全日空やJALのパイロットにやっていることがばれたらどうなるだろうか?もはや免許剥奪というほどの制裁が科せられるだろう。はっきりいってJR西日本という会社は公共交通網を担うべき事業者としての資格を全く備えていない。単なる愚連隊株式会社ではなかったか。
 
 恥をさらすようであるが、私は鉄道が好きなので大学院を終える時、一通りJRなどに新卒採用に応募したことがある。面接やセミナーなどもあった。結果は全部落ちたのであるが、当時、もっともひどい面接、セミナーだったのがJR西日本だった。有楽町と東京駅との間にある旧東京都庁跡にできた東京国際フォーラムの会議室を借りて行われた。受付担当の若い男が2人。社員だったのであるが、何だかふざけているような男達で、昼間から酒をかっくらっていたわけではないだろうが、異様にはしゃいでいたのである。
 
 「何だ?こいつら。」

 そう思いながらその後の面接に臨んだことを覚えている。
 
 事故当初、あたかも置き石が原因であるかのごとく幹部の安全対策部長、村上恒美が再三記者会見でのたまわっていたが、事故の車両が通過する4分前に別の車両が通過しており、その様なことはほとんど可能性としてなかった。それを知っていてまるで他人事のようにコメントしているその様は、官僚主義的なお役人のようでさえあった。事故調査委員会も「置き石原因説」を事実上否定。全てはJR西日本の責任ということになりそうである。
 
 事故から2日経ち、涙に暮れる遺族の姿が報道されるようになってきた。全くかわいそうで見ていられない。本当にお気の毒だと思う。さあて、人生これからという家族を一挙に失った遺族は黙っていないぞ。怒り火の玉、怒号の雨霰がこれから始まる。鉄道事業を忘れ、駅ビルやテナント、不動産開発にうつつを抜かし、在来線の基礎的な整備について手を抜きまくったJR西日本。そのツケを一挙に払わされることになる。

壊れたパソコンを直すのは・・・

 私はWindows95が出たくらいからパソコンをいじり始めた。当時は本当に高価な物で、一式軽く20万円以上はしたものである。FMVデスクパワーを最初に買ったのだった。
 
 それ以降、かれこれ20数台はパソコンを買ったり、もらったり、組み立てたりしただろうか。10台前後は壊してしまったりした。もちろん、冒険的に挑戦して壊した物もあるし、IBMや富士通のHDDの不具合でリコールになったりならなかったりでそのままデータが消えた物、ショックを与えて壊した物などもある。
 
 壊れたパソコンを直すのはなかなか難しい。が、私は経験があるので直せてしまうことがある。ダメになった物が直るのはやっている方としても嬉しい物である。ゴミにならず生き返ったのだから。
 
 不動産の仕事を一緒に手伝ってもらっている関係で、ある人のパソコンを直した。こういう仕事を金がじゃぶじゃぶ余っている大企業あたりからどしどし受注できないものだろうか・・・。

不屈の男 マイケル・ムーア

e54772f8.bmp マイケル・ムーア。控えめに言っても「恰幅がよい」としか形容する以外にないおでぶさんの映画監督であり、「華氏9・11」でパルムドールを獲得した。

 彼はブッシュJr.を徹底的に扱き下ろしてその欺瞞を指摘し続けており、大変に勇敢で行動力がある人である。アイルランド系の移民の血を引いている。その点ではケネディやレーガンと同じルーツである。元はカトリックの司祭になるために神学院で勉強していたキリスト教徒である。

 彼は容赦ない政権批判をしてきたので散々ぶったたかれているわけだが、昨年10月、ブッシュJr.対ケリーの大統領選挙直前、カリフォルニア州立大サン・マルコス校の学生達が企画してキャンパスでの講演を依頼されていたが、総長のカレン・ヘインズがこれを禁じ、反発した生徒会がキャンパス外で1万人を集める反対集会をになった経緯がある。

 「あまりに政治的すぎる。」

 というのが禁止理由だったが、それならば逆の共和党支持者の行動についても同じ事であり、一切の行動が許されなくなる。自由の空気が最も強いカリフォルニアにふさわしくない事件だった。

 で、マイケル・ムーアは、このキャンパス外演説の時にカレン総長に抗議した学生の勇気をたたえて奨学金を設立する約束をしていた。それがこの度、実現。有言実行の男である。「言論の自由奨学金」という。対象は、
 
 「生徒の権利を守るため、学校側にもっとも抵抗した学生」
 
 受賞者2名には、年間2500ドルを最低4年間支給される。続きを読む

吉祥寺駅前 かわいらしい鼓笛隊が

bfb40a13.JPG 吉祥寺駅前に子供達だけで編成されたかわいらしい鼓笛隊がいました。北口のムーバス乗り場バス停のところでした。
 
 吉祥寺では明日29日からゴールデンウィーク期間中、「吉祥寺音楽祭」が開かれる。ジャズやロック、ポップスが中心で、クラシックはない。
 
 逝去された高田渡さんがバウスシアターで映画公開の初日挨拶や小ライブを予定していたのに、急逝してしまい「追悼イベント」になってしまった。

実践学園高サッカー部の練習

3055d559.JPG * 三鷹大沢総合グランドで練習に励む彼ら

 このお正月、国見や鹿児島実業が国立競技場を賑わした全国高校サッカー選手権大会。東京都A代表になったのは、中野坂上にある実践学園高である。帝京、暁星高ら並みいる強豪に勝っての初代表だった。

 創部14年目で初出場にまで漕ぎ着けたこの実践学園を指導しているのは深町公一。私より4歳年上になる。元は華麗な足技で魅せるセパタクローの日本代表選手。94年広島アジア大会で主将だった。アジア大会6位入賞が最高。26歳で引退した。それまでセパタクローの競技と高校サッカーの指導の二刀流だったのをサッカー指導に集中。その後10年で全国レベルに持ってきた。都選抜が1人もいないのに全国大会へ行けたのはチームワーク力。それと厳しい体力トレーニングだと思う。

 彼らは中野坂上校舎があまりに狭くて八王子市高尾にあるグランドまで出掛けて練習している。野球部などと兼用。100人を超える部員で慢性的に練習場所に困っている。
 
 ということで、物好きなこの私がなぜか練習を兼ねてグランドを用意し、試合や練習をお世話するようになりつつある。いつまで続くかはわからないが、歓迎され喜ばれるようならばやってもいいかなと思っている。高校生ごときに無愛想な礼儀知らずの態度をとられるようならばすぐに辞めてやろうと思っているのでそのつもりでよろしく。

 今日は天気も良かったのだが、気温が上がった。強風があり比較的過ごしやすかったようだが、こうした中ずいぶんと走り込んで鍛えている。あの練習はきつい。高校生時代の私がやれといわれても根を上げるような内容。さすがに全国大会出場校は違う。

誕生日

 昨日は私の誕生日。普段の日と何ら変わることなく過ぎていきました。これで33歳に。だから何だというんでしょう。めでたくも何もありませぬ。

角田光代 声も文章も柔らかい

2a72dc54.bmp 3月にTBS系の毎日放送制作、「情熱大陸」で直木賞作家の角田光代がとりあげられていた。彼女は吉祥寺と縁が深い。吉祥寺にほど近い荻窪に暮らしており、吉祥寺の隣、西荻窪駅の近くにあるボクシングジムに通って練習生になり体を鍛えているからである。教えているのは元世界チャンピオンの輪島功一。運動音痴も良いところだった彼女だが、いわれた基礎的な反復練習をコツコツとこなしていく粘り強さがあり、格段に進歩したという。

 童顔に見える顔とあどけなく癖のない話し方。あれほどの作品を生み出すような筆を持つエネルギーを全然感じられないタイプである。時々、吉祥寺の本屋、ブックス・ルーエなどにやってきてはサイン会をしたりしている。もともと彼女は翻訳家。童話や児童書を多く手がける。早稲田大文学部卒。「書く」ということについての言語感覚が豊かなのだろう。私の身の回りにも作家になりたいという希望を持っている人が数人いるが、どうひいきめに見ても無理だと思われる人ばかり。やはり人の心を打つ文章を書ける人というのは小さい頃から言葉の感覚を研いできた人ではないかと思う。 

 彼女は物書きだが、人と話すことが苦手でコンプレックスでさえあるという。NHKハイビジョン放送でイタリアのアルプス、ドロミテを歩く番組があったときにも 
  
 「すごい!すごーい!すごーい!」

 ばかりでとても直木賞作家とは思えぬボキャブラリー貧困状態だった。話しをする会話は苦手のようだ。対談をすることは好きらしいが、その人とは会いたい、話したいと強く思ってもできれば筆談がいいという。チャット向きかな。だが、ナレーションに吹き込んでいた彼女の声は、その書く文章と同じく非常に柔らかく暖かで繊細。癖のない良い声であった。
 
 彼女はこんな事を言ったことがある。喜びは悲しみを消さず、悲しみが喜びを脅かすこともない。嬉しくて悲しい、相反するそれらは混じり合わずにぽっかりと彼女のうちにあり、それら喜び、悲しみの意味をおそらく書く事を通じて一生かけてわかろうとしていくのだろう、といった内容であった。
 
 私は作家ではないが、書くことで自分がよく解るというのはその通りだと思う。私もきっと人生の喜びや楽しさと、悲しみ、寂しさ、虚無感、沈み込みとが相互に交錯しながらの歩みを続けていくのだろう。 

ローマ教皇もサッカーに熱中するのか・・・

 新しい教皇になったベネディクト16世。彼はドイツの誇る守護神GK、オリバー・カーンが所属するバイエルンミュンヘンのファンだそうだ。バイエルンは教皇に対して会員証を発行するという。

 今の会員数が約9万7500人。きりが良いので10万番を教皇のために用意する方針らしい。

 逝去したばかりの故ヨハネ・パウロ2世は、何とセリエAのローマを本拠地にしているラツィオのファンだったそうだ。これは私も初耳。ラツィオはつい数年前、セリエAでスクデットを獲得。優勝時の大にぎわいは日本でも報道された。
 
 ジェノバ大司教のベルトーニ枢機卿によれば、ベネディクト16世は、イタリア代表監督だったトラパットーニが、FCバイエルン監督時にドイツ語の本を贈ったことがあるという。

 ローマ教皇でもサッカーの試合を見て熱中しているのか・・・。意外だった。別に悪いことではないが案外、庶民と変わらないものだなと感じた。

エイズの前に無力な人類

 後天性免疫不全症候群。AIDSは、私が中学生の頃から社会的話題に上り始め、当初は蜂の巣をつついたようなてんやわんやのパニック状態だったことを良く覚えている。エイズ発生報告制度が始まったのは1984年。日本国内の感染爆発が近いと私は何度もコラムで書いてきたが、日本国内の感染者+患者の累計が1万人を超えてしまった。

 1万人とはどういう数字か?日本国民全体でおよそ1億3000万人。そのうち、エイズの感染とは限りなく無縁の人たち、すなわち高齢者と中学生あたりまでを除けば、残りの人間の数はたかが知れている。しかも最も人口が多い団塊の世代は割合から見ても感染がかなり低い。つまり、かなり大雑把でいい加減な推計だが、およそ15歳以上50歳以下あたりの人間に集中的に分布しているわけである。下手をすると数千人に一人くらいの割合ではないか
 
 年間1000人以上が新感染者となっている。今後ともどんどん増えるだろう。世界的に見れば、感染者数は軽く1億人を突破しているのである。60数億の人間のうちそれだけ感染しているということがいかに緊急であるか。

 カトリックは中絶はおろか、不品行な性的行動が増えるという理由で避妊をも許さない。それがアフリカ、ラテンアメリカ、アジアというカトリック人口が非常に多い地域で爆発的な感染者増加を誘引してしまっている理由である。私が尊敬するヨハネ・パウロ2世だが、彼が在任中とってきた政策の中で、ことエイズ対策についての無知と非協力は許し難い内容だったと今も思う。それを理論面で支えていたのが現在の教皇、ベネディクト16世

 時代錯誤もここまで来れば犯罪的である。エイズのワクチン開発は今のところ全く絶望的な状況。治療も不可能。病気の進行を遅らせるのみである。このままでは「21世紀のペストや天然痘」に匹敵する疾患になるのではないかと私は心配で仕方ない。

大型車の酒気帯び運転は何とかならないのか?

b14b4750.bmp 福知山線の事故で騒然とする中、常磐線でも特急「スーパーひたち」がトレーラーと衝突・脱線した事故があった。原因は何だろうと思っていたが、運転手の男が酒気帯び運転だったとわかった。休憩中に缶ビール数本を飲んで運転していたようだ。大型貨物車の通行禁止区間である狭い町道にトレーラーが入ってしまったため、運転台の車輪が脱輪して事故になった。

 私も大型車を運転できるのでわかるが、大型車よりも更に運転が大変なけん引トレーラーをビールかっくらって運転する人間の神経が全く理解できない。今回、軽い衝突で済んだのは幸運以外の何ものでもなく、弾丸特急のスーパーひたちは普通、時速130km前後を出す。私も乗ったことがあるからわかるが、ものすごく速い。この踏切区間も約125kmで通過しているという。もし、トレーラーの踏切立ち入りがタイミング上、若干遅れていたらもっと激しく衝突していた。
 
 電車は停止までに時間が掛かる。実際、このひたちもトレーラー衝突時の時速は約30km。特急の運転士が踏切内障害物検知装置の作動を認識して約440メートル手前で非常ブレーキをかけたから軽い衝突で済んだもの。福知山に勝るとも劣らない大惨事濃厚の事故だったのである。

 アルコール検知器でも大型車内に据え付けを義務づけて、それに指紋、光彩認証した上でパスしないと運転できないとかしたほうが良いと思う。懲りないトラック野郎が多すぎてたまったものではない。

福知山線事故 在来線軽視の結果だ

004bc698.bmp * 写真は道後温泉駅の操車場区間。脱線防止用のレールが見える。

 JR西日本の福知山線で発生した最悪の事故。死者は最終的には100人弱にまで増えそうである。春の桜とともに大学や高校へ入学して間もない新入生や、新入社員として働き始めたばかりのフレッシュマンなどを多く乗せたまま、尊い人命は散ってしまった。遺族の心情はいかばかりだろうか。はっきりいって私が恋人や親兄弟をこのようにして失ったら発狂寸前。もう立ち直れないと思う。

 一つ申し上げたい。今回の事故は、置き石が原因である可能性がまだかなり濃厚に残っているし、さらにまた、運転士自身が死亡しているようなので原因が明確に特定できるかどうかもわからないものの、本来は防ぐことが出来る事故であった
 
 1.制限70kmのところを、実際は時速100kmに達し、完全に速度超過だったものだが、最新のATC(Auto Train Control・自動列車制御装置)はおろか、ATS(Auto Train Stop・自動列車停止装置)が旧式で止められなかった

 2.車輪のせり上がり脱線防止の補助レールがなかったため、脱線を食い止められなかった。
 
 3.指令からの問いかけに運転士が無反応だったのに列車を直ちに停止、減速できなかった

 何という情けないことだろうか。3は運行上のシステムとその運用の問題であるが、1と2はつまり、設備投資の問題である。もちろん、費用はかかるものであるが、莫大な費用が発生するものではない。それが証拠に今度の6月に新型ATSをこの路線にも投入する予定だったとわかっている。補助レールについては更に安価なもので、製造しているメーカーをちらっと見ても(株)ミツテック社の製品概要からみても全く安いもの。保守点検の手間や費用が増えるとしても、脱線を極めて高い確率で防止できるという効用を考えればなんでもない設備投資である。
 
 もう1ヶ月半後には投入する予定だったということは、その必要性があったということである。だったらなぜもっと早く据え付けなかったのだろうか。直線レールで時速120km区間の直後に曲がるカーブレールだというのに脱線防止の補助レールさえつけていないというのはいったいどういう神経なのだろうか。はっきり言ってJR西日本の経営陣は大馬鹿者である。彼らには予防保全=PM(preventive maintenance)という概念がない。

 乗り比べてみれば分かるが、首都圏と比較して関西は電車の混雑、ダイヤの過密状態はまだ数段ましである。レールも比較的まっすぐな区間が多く、新快速といった在来線ながら120km弱ほどの高速で運行する区間も多い。条件が限られた首都圏ではこうしたダイヤ編成はありえない。そういう面で、JR東日本や首都圏の私鉄と比較して他の各社はかなりのんびりと遅れていると思う。

 かつては東急線で、つい数年前には旧営団地下鉄日比谷線で同じように脱線しての事故があった。いまは旧営団=東京メトロも全てに補助レールを設置済み。これをわかっていて対策をとらなかったJR西日本の責任は大きい。ATS+補助レール。これをやってさえいれば今回の脱線は防げたし、万一脱線したとしても死者少数で止まったはずなのだから。
 
 列車というものは、正面からの衝撃にはかなり強く作ってあるが、側面からの衝撃には極端に弱い。そういう事態を想定していないからである。つまり、「前の列車や駅のホームへの衝突」は想定していても、「脱線による転倒」は想定していない。だからこそ、「脱線による横倒し」は万難を排してでも避けねばならない最悪のシナリオであるわけである。

 私は大学院時代、曽根悟教授の講義を聴いた。鉄道事故が起こるたびに担ぎ出される鉄道工学の専門家である。今は工学院大で教えているが、かつてはダイヤの編成などのチャートを講義してくれたことがある。恥ずかしながらものすごく難しくて私はついていけず、途中で脱落。単位の認定は見送っていただいた。彼も今回の事件については安全面での設備整備が遅れたことを否めないと指摘している。  
 
 私は思う。今回のケースに限らずいえることだし、またJR西日本に限らず見受けられることだが、本業の在来線鉄道事業を軽視した本末転倒の経営がもたらした結果は目も当てられないものになると。

 試しにJR西日本グループがやっている事業を見てみるだけですぐわかる。鉄道の乗降客数は微減ながら着実にこの数年、減っているのである。にもかかわらず収益は向上している。なぜか?駅ビルだの、ホテルだの、マンション開発といった事業が成功しているからである。いつからJRは不動産業者になったのだ???
 
 肝心の鉄道網についてもドル箱の東海道・山陽新幹線へのつぎこみはすごい。また、やれ、サンダーバードだ、オーシャンアローだと下らぬ横文字を並べた豪華なスーパー特急や新型特急の新規車両投入には積極的。しかし、肝心要の毎日利用される在来線の整備は完全に後回しにされた。とんでもないボロ車両や不効率区間がいくらも放置されている。つまり、日常生活に密着した普通列車、在来線を軽視した結果が今回の事故であると私は思う。

 在来線の経営はまだまだいくらでも改良、工夫、知恵の絞りようがある。私ならばすぐにでも着手できるアイデアが数十はあるぞ。日本はこれから少子高齢化時代を迎える。生き生きと元気に動き回れる人間の数が減っていくのである。新幹線はともかく、特急については今後、利用者が大きく増えることなどありえない。もっとも重要なことは格安の在来線をいかにもっと積極的に利用してもらうかにかかっている。敵は「1億総マイカー時代」の自家用車であり、機動性をどしどし発揮しているハイウェイバス小型コミュニティバス網に他ならない。そうしたことを鉄道会社の経営者達はからっきしわかっていない。

 こういう話をし始めると延々とコラムが終わらないのでこの辺りで辞めておくが、「快適」、「安全」、「格安」という鉄道事業にとって最も重要な3要素のうち、ダントツに重要な「安全」を後回しにした結果の悲劇。
 
 JRグループはいずれも共通の課題を抱えているが、こうした鉄道会社の不効率は何とか抜本的な対策をとるべきではなかろうか。西日本は東海か東日本と合併させた方がよい。

芸術的走塁で魅せるイチロー

b9c400aa.bmp 2年前、ちょうど松井秀喜がメジャー初年を終えたばかりのオフに、TBSでマリナーズのイチローとヤンキースの松井が対談する番組があった。録画して何度も見てしまったものである。この中でイチローがとても興味深いことをいっていた。イチローが松井に対して、野球の3要素である 「走・攻・守」のうち、最も難しいものは何かと尋ねた。松井は「攻=打撃」だと答えた。それに対してイチローは、「走塁」だと答えたのである。

 なぜか?走塁というものは、芝生やグランドの状態、相手の外野手の肩の強さ、打球の飛んだ方向など数多くの要素を勘案しながら決定しなければならないが、その成功率が限りなく10割に近くなければならないからだという。多くの要素を考えるとはいえ全ては「瞬間的な判断」となる。だから難しいと。松井も大きく頷きながら賛成していた。
 
 イチロー自身の例え話をそのまま引用すると、マリナーズは足の遅い選手も速い選手もいる。例えて言えば、「のぞみ」もいるけれども「こだま」もいっぱい。もちろん、イチローは「のぞみ」である。観客は途中で止まったりする消極的でだらしのない走塁をしたりすると、許してくれない。途中で止まれない。東京を出たらとりあえず名古屋まで行かなければならない。「止まれないつらさ」がイチローにはあるという。ヤンキースというチームは、その中間の「ひかり」が多いと両者とも言っていた。

 さて、このイチローが先のインディアンス戦でリードオフマンとして指定席の先発。マルチヒットで絶好調である。この試合で素晴らしい走塁を見せた。一回、左前打で出塁。その後、二塁まで進んでからだった。2番打者のレフトフライの時、タッチアップで三塁に行ったのである。レフトの捕球地点はフェンスぎりぎりではない。普通はこの状況でタッチアップなどしない。だが、イチローは思い切って走って成功したものである。

 その理由。球場の位置を考えると、時刻を考えればレフトの目に太陽が入るので、レフトはボールの捕球に集中するはず。しかもそのレフトは左利き。三塁へ送球しにくい。これを瞬間的に見極めて、行けると判断して走ったという。日本はナイターが多いが、メジャーはデーゲームも非常に多い。午後1時開始のこの試合、強い日差しをイチローは事前に計算していた。相手のレフト、ルドウィックとて木偶の坊ではない。矢のようなワンバウンド返球をしたのだが、イチローは三塁にぎりぎり滑り込みセーフ。その次の打者、3番強打者ベルトレがヒットではなく、犠牲フライだったことを考えると先制ホームを踏めた結果に直結する素晴らしい走塁だった。

 イチローが試合後にそう説明したことをびっくりしてコメントしたのが、くだんのレフト、ルドウィック。
 
 「確かにあの時は光が目に入らないように打球に回り込むのに必死だった。イチローは頭のいい選手だ。」

 と敵ながらあっぱれ状態である。イチローはセオリーを壊すことを恐れない。逆にそれが存在意義だとさえいったことがある。スピードスター、イチロー。阪神の赤星とはタイプが違うが、足の速さそれ自体では赤星にやや譲るものの、やはりイチローは総合力でダントツに抜きんでた「走塁のプロ」である。

オートバイが壊れた・・・

仕事にフル回転の業務用スクーターが壊れた・・・。度重なる白バイの「ストーキング」に業を煮やして排気量を上げ、小型二輪の90CC、ヤマハメイトに替えたは良いが、直後に激突自損事故。鼻血を出しながら佇む私のところに、様子を見に来た警察官が

 「大丈夫ですか?救急車呼びましょか?」

 「いえ、大丈夫です!」

 「全然、大丈夫じゃないんじゃないですか?」

 「いえ、大丈夫です!!」

 くだんのやりとりの後からメイトは決定的に調子が悪かったが、クラッチがどうにも滑ってしまう。フロントフォークもやや曲がっているし、ライトも暗い。こりゃ、部品取り車だな、もうだめだ。昼間にのろのろ運転する以外は使えない。買い換えなければ。

 ホンダカブ90は中古でも高い。ああ・・・と思っていたら、何も言っていないのに酔っぱらった父親が
 
 「お前、あのポンコツバイクを捨てて何か気に入ったの買え!あんなの危なっかしくて仕方がない。」
 
 けだし正論である。
 
 33歳になるこんなバカ息子にプレゼントも何もないと思うんだが、そんなわけでいい感じのホンダカブ90を探しております。

「英雄、色を好む」 片山哲と山崎拓の比較

fb4720af.bmp * 写真は、清廉潔癖として有名だったものの短命政権の悲哀に泣いた第46代首相、片山哲。

特に私が尊敬している人物だというわけではないが、かつて戦後の日本に片山哲という非常に地味な総理大臣がいた。第46代首相。戦前、戦中と活躍した人であったが、戦後に吉田茂と芦田均との間に挟まれた時期、ほんのわずかだけ組閣した。戦後の混乱期、連立内閣の悲哀もあってあっけなく短命内閣に終わっている。和歌山県生まれ。東京帝大卒。元弁護士。YMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設したこともあるパワーエリート的要素とは無縁の人物であった。今の社民党の源流になった社会民衆党の結成に参加したメンバーである。

 大学受験で私は日本史を選択したために、日本の歴代内閣総理大臣を順を追って覚えていったことがある。明治維新以降、伊藤博文に始まって当時の宮沢喜一あたりに至るまで、日本の近現代を飾る面々を時系列的に頭にたたき込んだ。ふと、こうした人たちの人となりはどういうものであったか、そんなことに気が向いて調べたことがある。特に女性関係について。すると出てくるわ出てくるわ、いくら男尊女卑の時代背景があるとはいえ、妾、愛人、不倫、浮気、女遊び・・・。その内容たるやひどいものであった。

伊藤博文、原敬、近衛文麿、東条英機、吉田茂、鳩山一郎、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、宇野宗佑、橋本龍太郎森喜朗。総理ではないが、総理待望論がいつも消えない石原慎太郎もかつて40歳代で愛人との間に子供を作ったことがある。

 「英雄、色を好む」

 というが、その通りの下半身事情であった。

 だが、数少ない例外があった。片山哲はそれに当たる。彼は清廉で身きれいな人間だといわれていた。女性関係にも潔癖。周囲も片山のそうした噂、実態は全く見なかったという。ようするに堅物だったわけである。
 
 私は思う。英雄ならば色を好んで良いのかどうかという下らぬ議論を始めるつもりはないが、貪欲に色を好むような人間だけが政治家として大成するといえるかということ。そうではない。確かにそういう人間が政治家に非常に数多くいたことは事実であるが、政治にも情事にも鼻息の荒い人間だけが政治的エネルギーを無尽蔵に生み出し、権力闘争を勝ち抜くなどとは全く言えないし、何らの議論の客観性もない。

 男が女性関係にきれいであることは非常に重要だ。いつの時代も家庭が平安で幸福であるのは、男が女性関係に見苦しい姿を見せない場合が圧倒的に多い。経済的には富裕であっても、その点が崩れていると家庭全体が強烈に軋み始める。最近はごく少数、女性がそれをしでかすケースも増加しつつあるようだが、やはり圧倒して男に原因がある場合が多い。そういう男には私としても全然同情できないが、そういう危険性のある男であると知っていて、また、予測し得ていてそうした男を選んだ女性にもあまり同情できない面をしばしば感じることがある。
 
 こんな話をしたところで何の役にも立たぬだろうと承知した上で敢えて申し上げるが、私の生まれ育った家庭や良く私が出入りする親戚筋や、私の親しい友人達、世話になった恩師たちなどは、私の父も含め女性関係に潔癖な男が多い。だからこそ、あくせくして働きながらもそれなりに幸せそうに暮らしているように私には見える。みな多くが歴史に名を残したり、一代で巨万の財をなすような破壊力は全くないごく普通の庶民であるが、私は彼らのそうした面は決して悪いことではないと考えている。
 
 愛人騒動で物議を醸し続けた戦後有数の政治家であり、「福岡の変質者」、「永田町の変態」とさえいわれたあの山崎拓が、補選で当選を決めた。女性票がどの様に流れたのか知らないが、あいつを国民代表に選びだした有権者の感覚はどうかしていると思う。

若者ファッション Mongobess 吉祥寺店

ba133091.JPG 急速にお洒落な店の新規進出が続く吉祥寺東急百貨店裏の一体。若者の、とりわけ女性に人気がある店がMongobess。癒しとファッションの融合を目指しているらしい。「癒し」という言葉は私はあまり好きではないし、また茶色、黄土色などを基調にした店内からもそういう雰囲気は感じられないのであるが、これがリラックスできるというのが今時のティーンエージャーの感覚なのだろう。店長は茶髪の姉ちゃん。新宮さんというらしい。顧客の心と体のリラクゼーションルームを目指すという。

 この店は東洋紡系列の経営。(株)シンコーエンターテイメントという大阪の会社で、東京は中野に支社がある。モンゴベスの他には、Tシャツ専門の「Cheer」、オリジナル ・オーダーウェア専門の「ゼロワン」がプロダクトブランドとして展開されている。

 Mongobess 吉祥寺店
 東京都 武蔵野市 吉祥寺本町 2-13-7
 TEL: 0422-21-0901

新教皇、ベネディクト16世(ラッツィンガー前首席枢機卿)

5f66608f.bmp 戦後の教皇として2人の偉大な教皇を挙げることができるならば、ヨハネ23世ヨハネ・パウロ2世を私は迷わず挙げる。この2人はこの2000年の中で区切って考えても大きな足跡を残した人物だろうと思う。
 
 そういう観点からすると、やはり私はどうしてもいわなければならない。今回の新しいコンクラーベで選出されたおよそ千年紀ぶり、950年ぶりのゲルマン民族・ドイツ人新教皇、ベネディクト16世(ラッツィンガー前首席枢機卿)は、この選挙で考え得る最も悪い部類に属する結果だった。

 よもや彼が選び出されるとは思わなかった。高齢であるという面だけからそう申し上げているのではない。また、選び出されるべきでもなかった。なぜか?それは短いコラムで書ききれることではないので今後、徐々に少しずつ書いていきたい。
 
 本当は選ばれたばかりのカトリック新教皇をあまりけなしたくはないのであるが、しかし、「使徒ペテロの継承者」として、世界のカトリックを指導していく立場を自ら手を挙げて受け入れて選出されてしまった以上、彼のこれまでの足跡、経歴、発言、態度、見解などは厳しく吟味、批判されて当然。
 
 私は彼を尊敬も信頼もしない。私がカトリックそのものは嫌いではないが、ベネディクト16世については何のしがらみもない。私なりのベネディクト16世に対する不信と批判がある。
 
 少なくとも、

 「新しいパパ様、就任おめでとうございます。」
 
 と喜んでいる場合には思われない。これからベネディクト16世がどの様な舵取り、態度の表し方、発言をしていくかに大きく依存することだろうが、カトリックは決して軽視できない衰退の危機を迎えたといって良い曲がり角に来ている。

楽しかったなあ

 この週末は天気に恵まれ、絶好のスポーツ日和であった。私たちの恒例となった草サッカーを楽しむ集いもいよいよ盛り上がり、一昨日の土曜日には11時から3時まで、フル回転で試合に熱中。とても楽しいひとときであった。
 
 草サッカーというのは不思議なもので、グランドの質、天気、試合相手、集まったメンバー、試合内容、怪我やトラブルの有無などでその日の印象や雰囲気はがらりと変わる。一昨日は稀にみる楽しい一日だった。みんな饒舌で笑顔が絶えず、十二分に堪能できたようだ。結果は2−4での敗戦。最後は体力も限界に近くみんなふらふら。それでも楽しく締めくくれたのは何よりだった。
 
 私は思う。人生とは、

 「今日は楽しかったなあ、おい!」

 といえるようなそういう記憶を数多く持てた人が幸福であると。それが積み重なっていけば、人生を終える場面でも、

 「楽しい人生だったなあ、おい。」
 
 と静かにつぶやくことができるのではなかろうか。

見苦しい「攻撃文化」

a895ee13.bmp アメリカの大統領選挙になると必ずいわれることにアメリカ人の持つ「攻撃文化(agressive culture)」の病理がある。政権奪取を目指し、民主党、共和党の双方が、まずは互いの党の代表指名を得るための候補者レースを、そして、最後は互いの候補どうしが一騎打ちを行うべく激突するわけである。

 この選挙戦の繰り広げられる「敵」への罵り合いたるやすさまじい。ほとんど見ていて空恐ろしくなるほどである。考え得る最悪レベルの罵詈雑言。雨霰のように誹謗と中傷を降り注ぎ、徹底的に相手を扱き下ろすことに全精力を使っていく。人間とはここまであからさまに醜悪になれるものだろうかと感じられてならない。

 しかも、ついこの間まで散々罵っていたその当人が、その当の相手に対して「戦い」が終わるやいなやがらりと態度を変えるのにも全く理解が追いつかない。例えば、民主党候補を選ぶ時にはハワード・ディーン、ジョン・ケリー、ジョン・エドワーズらが最後まで残っていたが、初めはお互いを強烈に非難し合っていたというのに、最後にケリーとエドワーズとがタッグを組むことになったら何とも「強い絆で結ばれた兄弟」かのごとくに振る舞っていた。

 私は今も忘れられない光景がある。かつてブッシュシニア(現大統領の父)が若き日のビル・クリントンと激突して敗北した時のことである。普通は現職大統領とは強い立場にあり、極端に支持が低いとか、健康状態が悪いなどのことがない限り2期4年を務めるのが当たり前。ところが、ブッシュシニアは1期4年で惨敗。その敗北ぶりは誠に惨めでひどいものであり、選挙参謀の戦略も何も杜撰で終盤には完全に崩壊状態。選挙戦後半で劣性に立ったブッシュシニアが最終局面のテレビ演説にて、

"I beg your vote."

 と涙声になりながら訴える一幕もあった。私はあの映像を見たことがあるがびっくりしたものである。ブッシュシニアはロナルド・レーガン政権での副大統領。諜報・公安業務の元CIA長官としてのキャリアを持ち、優秀な経歴を持つ大富豪の「おぼっちゃま」であったため、ことある毎にそれを民主党陣営からからかわれた。

 "Poor George!!(何て惨めなジョージ!!) "

と民主党大会で民主党のとある女性議員が大声で両手を広げながらブッシュシニアを皮肉っていたシーンを私は良く覚えている。
 
 結果は

"It's time to change." (今こそ変わるべき時が来た。) と " It's the economy, stupid."(要は大切なのは経済だよ。おばかさん。)

の2つのスローガンで地滑り的に圧勝したクリントンによるブッシュシニア政権引きずり降ろしが成功したのであった。

そのクリントンの大統領就任演説のこと。クリントンの斜め後ろに座っていたのが、前大統領のブッシュシニアであった。クリントンは生まれながらの、そして憎たらしいほどの "great communicater" であり、演説慣れしていたこともあり、
 
 「さて、皆さん。ここで一人の偉大な政治家をご紹介いたします。前大統領のジョージ・ブッシュ氏です。」

 と演説前に一言叫ぶと身体を反転させてブッシュシニアを見て、自ら拍手を始めた。会場はスタンディングオベーションとなり、それを見たブッシュシニアはふてくされるわけにもいかず仕方なく立ち上がって会場に軽く一礼して答えたものである。勝者クリントンの敗者ブッシュシニアに送った最後のやりとりのシーンだった。私個人の考えだが、あれは非常に余計な計らいだったと思う。
 
 つい先日まで口汚く自分を罵っていたずっと年下の若僧に、敗北が完全に決まった後の相手の勝利セレモニーにて、かくのごとく屈辱的なエールを送られたことをブッシュ家は一家揃って炎のような怒りを感じつつ眺めたといわれる。このシーンを見ていて怒り火の玉のように鬼の形相で立ち上がり、ブッシュ家にぶちまけられたこの屈辱を必ず濯ぐのだと宣言してファミリーを奮い立たせた人こそ、ブッシュシニアの妻、そして、現ブッシュJr.の母、バーバラ・ブッシュである。決して友好的ではなかった兄ブッシュJr.と弟ジェブ・ブッシュ(フロリダ州知事)との対立、仲間割れを母として絶対に許さなかった。今のアメリカと世界を襲っている悪夢は、紐解いていくとこのブッシュシニアの屈辱的敗北に始まる復讐に燃えた憎悪から始まったと見たとすると言い過ぎだろうか。

 互いが互いを限界を超えて攻撃しあう社会。成熟した大人としての人間性も、現代社会に生きる教養も品格もかなぐり捨てたかのごとくに卑しい精神を晒して蹴落とし合う争い。これはアメリカに極めて特徴的、典型的に見られる現象であるが、何もことはアメリカに限った話ではない。世界のどこにも、残念ながら日本にも「上陸」してしまったカルチャーである。私自身も何度と無く見聞きしたし、また、不愉快な思いをさせられたりもした。
 
 「攻撃文化」は人間の心を荒ませ、低劣で品のない、無責任で不誠実な言論空間を止め処もなく拡大させていく。その「攻撃文化」の発熱が人間の心と人格の内側にて無自覚に膨張していく先に待っている結末とは何か。末期的に荒廃し汚れきった人間の姿しかないのである。それは想像するだけで背筋が凍りつくかのような哀れな世界に他ならない。かつて大宅壮一によって「一億総白痴化社会」といわれたが、「一億総小児病患者社会」はもうとっくのとうに始まってしまっているのである。
 
 「攻撃文化」の病理。メディアの範囲が今、紙や音声電波、画像放送を超えて電脳サイバー空間にまで広がった。「攻撃文化」が人間の心を食い荒らし、最後に自分自身を食い破って出てくるような悪夢が現実のものとならぬよう、十分に現代人は警戒して、注意しなければいけないと私は思う。私はいずれ諸々のメディアや技術革新が、こうした「攻撃文化」にいかに直結して人間を破壊しているかについて書いていきたいと思っている。民放テレビ、少年マンガ、ブログの書き込みなど取り扱うべき素材は山のようにある。

吉祥寺東急百貨店裏 Nathan's

ac04e425.JPG 吉祥寺有数の集客力と歴史を誇る東急百貨店。吉祥寺通りに面している。ムーバスの開通でさらにこのデパートは利便性が高まった。

 さて、この裏手にはやや広い空き地があり、かつては自転車置き場だった。ところが、あまりに放置自転車が多いのでこの数年、端の部分を鉄の策で囲って自転車置き場とし、残った部分をスターバックスとNathan'sに賃貸している。
 
 このネイサンズはホットドッグショップ。開放的なテラスがある気持ちよい店である。本家本元のアメリカでは有名なホットドッグチェーン。ザワークラウトやピクルスなどを自分であれこれトッピング調整可能である。

 トレーの上のチラシなども全て英語で記述されており、アメリカンな雰囲気を醸し出している。目の前に広がるのがGAPのきれいなショップだったり、シルバニア森のキッチンなどが入っているテナント館、通りを通る人々の姿だったりするので、のんびりとくつろげる。ただ、これから夏場にかけては紫外線が強烈になりそうだが。
 
 かつてこのスターバックスとネイサンズがテラスを展開しているこの場所は、東急百貨店の火災緊急時避難場所を兼ねた場所で、夏には櫓が組まれ、桃色のぼんぼりが吊されて盆踊りがなされた。少年時の記憶として今も覚えている。あれがなくなったのはそれはそれで少し寂しい気がする。

賀川乙彦と遠藤周作

a64c601b.jpg 
 * 写真は在りし日の遠藤周作
 
 賀川乙彦という精神科医がいる。戦前に東京帝国大学医学部を卒業。医師となってすぐ、当時は非常に珍しかった精神科医として、死刑判決を受け収監中の死刑囚への対応に当たった稀有の経験を持つ。そこで、実に能弁、多弁な死刑囚達の特殊な精神状態を目の当たりにし、多くの著作を残した。

 彼は55歳というかなりの高齢で初めてキリスト教徒になった。カトリックの洗礼を受けたものである。彼は上智大教授であったが、学者の生活に疑問を持ちこれを辞して、残された人生を文筆と精神科の臨床診療に専念しようとした。彼が洗礼を決めた瞬間のエピソードについてはNHK教育テレビで彼自身が語っていたことがあるが、非常に私にとっても印象的な内容であった。詳細はちょっと書く余裕がないが・・・。
 
 ただ一つだけ。彼が信仰問答を行ってくれていた相手の司祭に対して、もはや一言も質問することがなくなり、頭の中をさーっと爽快な風が吹き抜けていくような非常に特殊な気持ちになって、しばらく佇んでしまったのだという。その後、空腹になったということでその問答をしていた場所からやや高原を下に行ったところにあったラーメン屋さん(何でラーメンだったんだ?)で食事をとり、一息ついたところで
 
 「もう、洗礼を受けても良いと思います。」
 
 と司祭が賀川につぶやいて決まったそうだ。

 私はこの賀川乙彦という人を思慮深い人であると尊敬している次第だが、おおらかながら生真面目な人で、
 
 「人間として最も大切なことは魂を守ることである。」
 
 といっている。精神科医として魂の問題を考え、戦前の軍国主義的全体主義の時代経験を持ち、まもなく処刑台の露と消える運命の死刑囚が見つめたいまわの風景を横から同じように眺めた特殊な経験が彼をそのように言わせるのだろう。イラク戦争への態度表明、公立小中学校でさえ強制されるアメリカ星条旗への忠誠(Allegiance To The Flag)、日本では君が代、日の丸への敬礼、天皇制への敬愛など、国籍や民族、居住地を問わずキリスト教徒にとっては「魂を守る」領域の問題として考えられる、あるいは考えるべき課題が現代社会に多い。
 
 賀川乙彦がキリスト教に関心を持ったのはずっと以前のことで、かつて死刑囚の中に一人若い男がいて、彼はキリスト教の信仰を獄中で持つに至り、その彼の居住まいの正しさ、神々しいばかりの存在感に極めて印象的な記憶を持ったことが賀川乙彦をしてキリスト教への関心を抱かしめた始まりだったらしい。
 
 賀川乙彦は後にキリスト教徒を素材に、主人公にして小説を書いたことがある。丁寧に精力を注ぎ込んで書いたものだった。しかし、それを遠藤周作に見せたところ、彼は一言、

 「良く書けている。が、まだ「無免許運転」だな。」
 
 といった。キリスト教の信仰を持っていない人間が、持っている人間の心性を想像し、推測し、共感を持ちつつ慮って書いたとしても、所詮は同じ目で世界を見てはいない「他人」の言葉。キリスト教信仰の「免許」を持っていない人間が書いている面が残ってしまい、それをすぐに見て取った遠藤がそう指摘したのである。賀川はそれに少なからず驚いたという。自分では非常に気を遣って良く書けていると思っていたものだったから。

 しばしば、自身はキリスト教徒で無い人間がキリスト教を語ることがある。肯定、否定、どちらでもないなど何れの立場もある。原罪論、キリスト論、三位一体、十戒、福音論。キリスト教の基本的な教義や、それらの神学的、聖書的な解釈の根拠、歴史、実際などについて、概略はひと通り知っているつもりで語っている。「神学者」ではなく、「宗教学者」のそれや、ジャーナリスト、物書き人間にそれは多い。
 
 もちろん、表現の自由の時代、そのこと自体は全く悪いことでも何でもない。しかしながら、「知っているつもり」はやはり「つもり」でしかない。信仰心を持っていた人間が悩んだ末に「棄教」したというような珍しい場合は当てはまらないだろうが、私がイスラム世界や仏法の世界観をついぞ「理解したつもり」の域を出られないと同じく、キリスト教についても同じ事。私もしばしば多くの媒体でキリスト教についての文章や言及を読むにつけ、

 「よくもまあ、この様にお気楽な出鱈目を・・・。」

 と思わされる陳腐な自称、「わかったつもり」論が少なくない。私はそんなに暇人ではないのであまりムキになって指摘したり、論争したりはしないが。
 
 賀川乙彦は、その後にゆっくり考えて洗礼を受けると決めた時、「洗礼とはどの様な具合に行われるのか」と先輩カトリッククリスチャン、遠藤周作に尋ねたことがある。それに対して遠藤は、カトリック教会には日頃目にすることがない地下室があって、洗礼を受けるときにはそこで逆さにされて頭から水に浸けられるぞ、と大嘘八百を並べて賀川をからかい、彼は本気で心配したそうだ。
 
 何のことはない、洗礼は1,2滴の水を頭につける程度だったことはいうまでもない。遠藤周作にはそういう天の邪鬼の面がある。洗礼を受け「免許」を持ってからの賀川の文章を遠藤がどの様に表したりしたのか、私は興味があるが遠藤はどのような感想を口にしたのだろうか。
 
 ちなみに私は遠藤の文体、文才、内容、世界観、人間観、政治的態度、歴史認識などことごとくぶつかり全く賛成できない「嫌い」な男なのであるが、時々、どういうわけかぴったり私が感じたり、考えたり、腑に落ちないと思っていることと合わさることが書いてあることがあり、驚くことがある。例えば、「深い河」など。医者の吉田豊も患者としての遠藤を本にまとめている。今となってはかなわぬが、かなうならば遠藤氏には四方山話的談笑にお付き合いしてもらいたかったと思うことがある。そのうち私の頭の禿げが進めば彼と見てくれは酷似してきそうで最近、気が滅入っている。

武蔵野市ゆかりの作家 丹羽文雄

d7e14d83.jpg 日本芸術院会員でもあり、かつて文化勲章を受賞したりしたこともある作家の丹羽文雄が逝去したのはつい3日前のことである。肺炎による死去だったそうだ。彼はここ吉祥寺がある武蔵野市ゆかりの人。西久保1丁目に暮らしていた。実に100歳の大往生であった。
 
 早稲田大を出て、「マダムもの」という風俗小説の流行作家となった。この人の日本文芸家協会に所属しており、協会葬となった。現在の理事長を務めていて丹羽と知己があったのが黒井千次。黒井さんは私と同じ都立高を母校にしており、いわば先輩に当たる。その時私が選択科目でとっていた美術の教師、賀川忠が黒井の同級生だったご縁から、賀川忠の招きで一度だけ来校して話を間近で聞いたことがある。失礼ながら大変つまらない話だったことだけを良く覚えている。ただ、一つだけ記憶に残ったエピソードは、黒井千次の書いた文章が大学入試に用いられた時、彼はそれを自ら解いてみたのだったが、しかし、「正解」とはずれていた。

 「だけどそれが・・・間違っているんですねぇ。」

 そう呟いた姿を今も覚えている。同じようなことは作家、遠藤周作にもあったそうだ。かつて遠藤周作の文が現代文の問題として出題されたものに彼は自分で答えようとしたが、いくら考えても答えが見つからなかったぞ、といっていたそうだ。なるほど「お受験」などそんなもんである。

 丹羽は戦後になって「親鸞」、「蓮如」など、個性的な仏教僧侶をモチーフにした作品が続いた。文壇のまとめ役的存在だったとされる。京都嵐山で「寂庵」を結んだ瀬戸内寂聴さんらを世に出す後支えをしたようだ。

 ロナルド・レーガンと同じくアルツハイマー病に悩み、この15年ほどはそのことを家族が公表して認知症介護の社会的負担を知らしめるきっかけの一つにもなった。続きを読む

岡田斗司夫 オタクの王様

371e14ed.jpg よもや「オタク」が学問領域を構成するまでになるとは思わなかったが、「オタキング」と呼ばれ、評論家として活躍しているもち肌男に岡田斗司夫氏がいる。何を隠そう吉祥寺の住人である。静かで日当たりの良い、なかなか良いところに彼自身の会社の看板も掲げて暮らしている。しばしば吉祥寺のあちこちで喫茶店などで見かける。打ち合わせをしていたり、女性と談笑していたりしているのをよく見かける。
 
 「オタク学入門」、「国際おたく大学」、「東大オタキングゼミ」、「東大オタク学講座」など著書多数。実際に東京大で客員講師として講義をしたこともある。

 大阪府出身。1958年7月1日生まれ。もともとはアニメプロデューサーで「王立宇宙軍」製作のため、「ガイナックス」を立ち上げたメンバーであるが、今は退社している。

 最近は、オタク領域を超えて、食玩プロデューサーや離婚評論家などあらゆるメディア、方面で活躍している。

 公式ウェブサイト → http://netcity.or.jp/OTAKU/okada/

超小型バス 日野ポンチョ 電気バスに

5f89f134.bmp 少々以前にコラムで書いた例のかわいいバス、ポンチョ。早稲田大学が実験的にバス停から利用者が携帯で呼びだせるという仕組みを組み込んで、電動バスとしてリリースした。

 バス停から携帯電話で呼ぶことができて、機動的な取り回しが可能な20人乗り。電動マイクロバスに仕立て上げた。床下のコイルとバス停に設置したコイルで充電する。
 
 思うに、日本の社会づくりの決定的な失敗は、自家用車中心に野放図な公共交通を広げたことにある。もはやいくら道路の整備・拡幅を行ったとしても限度を超えている。バスが便利で格安になればそれは鉄道網の整備と合わせて非常に望ましい。

 早稲田大は一緒に会社をやっている私の友人が勤務することもあって、馴染みがある。本庄キャンパスと早稲田キャンパスを無料バスで結んだりもしているが、公共交通に理解を深めるきっかけとしてもこれは英断だと思う。

ジョン・ボルトン

81615b1d.jpg 国務次官のジョン・ボルトン。コンドリーザ・ライスから「John!」と呼ばれて親しげに「ネオ・コンサーバティズム(新保守主義)」を唱える強権的政治家である。
 
 著しく国連を軽視、いや蔑視してきた発言が多すぎて、さすがに言い訳のしようがない状態の彼を国連に送り込もうとする発想がそもそも全然わからないのであるが、政権与党であり、味方のはずの共和党員ボイノビッチでさえ、ボルトンの指名に賛成できないと発言しはじめ、アメリカの次期国連大使に就任するための公聴会が紛糾している。
 
 至極当然の結果だと思うのだが、これを
 
 「民主党の単なる時間稼ぎとの見方も出ています。」
 
 とのうのうとコメントしていたフジテレビ、ニュースジャパンの松本放哉にキャスターの資格は全然ないと私は思う。彼のどこが「アメリカ通」なんだろうか?

吉祥寺の人 漫画家・西原理恵子

4486db9e.bmp ものすごくインパクトのある女性漫画家がいる。西原理恵子さんである。何を隠そうここ吉祥寺の住人である。かつては武蔵野市東町にキャンパスも持っている武蔵野美術大・視覚伝達デザイン科に在籍していた。

 1964年生まれ。高知県は土佐で生まれ育った。イラストレーターや漫画家としての活動を始めて、多くの作品を発表しながら紆余曲折を経て現在に至る。かわいらしい男の子が2人いる。元夫がカメラマン兼物書きの鴨志田穣。が、この旦那と大喧嘩して離婚したりしたエピソードを隠すことなく淡々と話す。新築の家の風呂の作りが気に入らないと元旦那が怒り、壁をけっ飛ばしてそのまま出ていって離婚したそうである。そのへこんだ穴をTBSの「情熱大陸」か何かで見せていた。何でも私生活をばらしてしまうそうしたスタイルを、「生まれながらの露悪主義」とご本人はいっていたが、悲壮感の溢れる雰囲気が微塵もないのはとても面白い人間の魅力だと思う。顔立ちもとてもきれいに私には見える。というか、普通の人から見た基準を当てはめても美人といえるだろう。

 何といってもその圧倒的なユーモアのセンスは他の追随を許さない。絵はお世辞にも上手くないのであるが、迫力と色彩感抜群。げらげら笑えて本当に面白い。破天荒な人生劇場を怒濤の迫力で描いていく。独特の強烈な作風は言葉で説明できない。
 
 取材のために渡航した国が20ヶ国以上。高須クリニックの高須院長(脱税で逮捕されたりしてもゾンビのようにはい上がってくるあたり、彼の生命力と粘りはすさまじい)とインドに出掛けたときのマンガは抱腹絶倒であった。捨て身の取材で破滅をおそれない稀有の漫画家である。

 が、物語性のある漫画では全く異なりとても美しく、ゆったりとたおやかな叙情的な雰囲気を醸し出す。こちらの方こそ西原さんの真骨頂だと私は思う。近時、女性漫画家の活躍が著しい。「だめんずウォーカー」の倉田真由美、SPA!で活躍中のさかもと未明など。
 
 とにかく今は育児と仕事で死ぬほど忙しいらしい。彼女の作品は時々眺めるがいつ見てもおもしろい。ただいまNHKの朝の連続ドラマ小説「ファイト」のイラストを担当している。

原美術館

6bec66c0.bmp サッカーをやっている友人らが誘うので、風邪を引いて薬を飲んでいる体調ながら雨の中、品川まで出掛け、原美術館というところへ行ってきた。

 現在、タピエス ─ スペインの巨人・熱き絵画の挑戦 展覧会 
 
 が5月29日(Sun)まで開催中。私には全く理解不能。何の興味もかき立てられなかった。私は上野の美術館へ古典的、伝統的な芸術を見に行くのがとても好きで、あまり現代美術には関心がない。

 入館料が1000円もかかるのでなかなか高い。だが、展示物はともかくとして建物や庭は美しいので、学期中の土曜日は小中高生無料だそうだから見に行っても良いかも知れない。70歳以上の高齢者は無料だそうだ。原美術館メンバー制度があり、年会費を払うと何度入館しても(するようなところではないが)無料。
 
 ウェブサイトはこちら。だが、プラグインが入りすぎていて見にくいので、概略などは携帯電話用の下のサイトを見ると良い。
 
 http://www.haramuseum.or.jp/
 http://mobile.haramuseum.or.jp/

原美術館 〒140-0001 東京都 品川区 北品川 4-7-25
電話 03-3445-0651 E-mail info@haramuseum.or.jp

品川駅高輪口から歩15分 
都営バス 「御殿山」下車 歩3分。

開館 11:00-17:00
 ※祝日を除く水曜は20:00まで(入館は閉館時刻の30分前)

入館料 一般\1000、大高生\700、小中生\500

休館日 月曜 (祝日の場合は開館。翌日が休館に)

乱れている日本人の書き言葉と話し言葉

346e780f.bmp * 写真はNHKの明石勇アナウンサー。丁寧で美しい日本語の使い方に定評がある。一般視聴者はおろか、NHK局内でも大人気だそうで、慶応ボーイという経歴やその端正な顔立ちとも合わせ、バレンタインデーのチョコレートはすごい数だそうである。
 
 時々、かつてのテレビ番組などが映像資料で出てきたり、かつての番組のアーカイブが放映されていたりすると感じることがある。日本人の言葉がおそろしく乱れてしまったと。昔のテレビ番組はその構成も編成も非常に稚拙であか抜けない印象があるのだが、そこに出てくる人間の言葉は今と比較して遙かにましである。

 乱れているのは日本人の書き言葉、話し言葉の両方。最近は、日本語を全くまともに使えていないのではなかろうかと思われるケースがあまりに多い。かつて私は日本人の日本語が発音面でおかしくなっているとコラムに書いたことがあったが、文体面でも全くその病気は同じ。適切な文章を適切な言葉遣いで書けない人、適切な会話をふさわしい語彙と表現を用いて話せない人が多すぎると思う。私も決していい方ではないかもしれないが、目も当てられない事例があまりに多く、今の20代、10代がそのまま成人になったらどういうことになってしまうのか、かなり懸念される。

 私が思うに民放テレビ局の責任が極めて大きいと思われるが、「一億総表現者時代」、メディアの多様化と爆発的な量的拡大が日本人の美的な言語感覚を粉々に踏みつぶしてしまっている。かつて私は電脳空間、サイバー世界の倫理や礼儀は最悪の状態にあると書いたことがあるが、それは今もその通りだろう。
 
 やや議論の対象からはずれるが、最新号の「週刊文春」にブログのネットストーカーが激増中とあった。「週刊新潮」と「週刊文春」は数ある週刊誌の中でも最も悪質なブラックジャーナリズムの部類に属する媒体だと私は思っている。この記事内容を直截に信用は出来なかろうが、一般論としては、粘着質でしつこい「ネットストーカー」的人間の大幅増加現象はその通りだと私も確かに思う。
 
 今ほどコンピュータが普及するよりもずっと前、ニフティサーブのパソコン通信時代から、「パソコンオタク」という言葉は存在していたが、高速常時接続通信網の拡大とコンピュータソフトウェアの劇的な進化が、こうした「オタク的人間」や「オタク文化」をおそろしい勢いで無法地帯に引きずっていったのではなかろうか。
 
 何の礼儀も倫理もなく、大人の人間としての良識に大きく欠け、一方的に挑発するような言葉で口汚く相手を罵り、子供じみた言い争いを延々としているブログやチャット、掲示板は星の数ほど存在する。ほとんど小児病患者のようである。全く見るに堪えない見苦しい実態だと思えてならない。ネチケットメディアリテラシーを偉そうに説いている人間が真っ先にその点について猛反省しなければならないという場合も多い。
  
 私はコンピュータやインターネットの仕事をしている。技術的に面白いと思っていることもあるし、今後の将来、爆発的な「進化」が続いていく領域だからでもある。コンピュータやインターネットが20世紀を代表する画期的な技術革命であったことは間違いない。だが、技術的にはそうであっても、それが本当に人類に幸福な遺産をもたらしたのかどうか、人間をより望ましい世界に連れて行ってくれたのかどうかについては私は根本的に疑わしい。今後、ますますその傾向は強まっていくだろうが、はっきりいってこんなものはこの人間社会にない方が良かったのではなかろうか、と思うことがある。

野茂英雄 200勝が近い

945f2223.bmp 野茂英雄。アメリカ人にとって「日本人メジャーリーガー」といえばダントツに野茂であるといわれる。「トルネード」といわれた豪快な投法をひっさげ、落差の大きいフォークで三振をとりまくった鮮烈な姿、何度解雇、トレードされても微動だにせず全くめげないタフな精神力、強靱な身体能力などどれをとっても一級品。「ワークホース」野茂英雄は高く評価されている。
 
 松井秀喜のいるニューヨークヤンキースと対戦し、5回ちょっとを投げて勝ち投手に。アメリカ通算120勝目である。日米通算の200勝が近づいてきた。野茂の活躍は、私が一番嬉しく思う日本人メジャーリーガーの活躍である。
 
 「メジャー通算120勝目ですが?」

 とプレスに聞かれて、

 「まあ、10勝ごとに区切られてコメント求められても、こっちも困るんでね。」

 とあっさり答えるあたりが特に格好良いじゃないか。マイナー契約でタンパベイに入り、今やメジャーに再びはい上がった。今やデビルレイズのローテーション投手。野茂英雄はますますかっこよくなっている。

アライ屋 たばこ・駄菓子屋

91838412.JPG 松本平太郎美容室の東急通り店に隣接して、たばこ屋のアライ屋がある。
 
 私の幼少時からずっとここにある。特に趣がある店でも見るべきポイントがあるような店でもないが、煙草の販売種類が非常に多いのであらかたの銘柄が買えるようだ。私は一切、吸わないので立ち寄ることは滅多にないのだが。
 
 なお、ここでも武蔵野市指定のゴミ袋を買うことが出来る。これがないと武蔵野市内の個人も法人も事業者もゴミを出すことができない。ちなみにこのゴミ袋は私の叔父の店でも売っておりますのでどうぞよろしく。

やさい畑・はつざわ(0422−22ー6745、吉祥寺北町1−5−14)です。

たばこ アライ屋 
武蔵野市吉祥寺本町2−14−2
電話 0422−22−1313
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