2005年09月

10月1日(土) 18時30分 吉祥寺教会にて音楽の集い テゼ

d09adda9.JPG 辿り着くことさえなかなか難儀なフランスの片田舎、テゼの村におよそ半世紀前入った修道士、ロジェ。彼が始めた輪唱形式の音楽の集いをテゼと呼ぶ。地名がそのまま名前になった。これで一躍、テゼ村は世界にその名を知られるようになっていく。
 
 美しい旋律のラテン語曲、素人でも容易に歌うことが出来る様式性、静謐で荘厳な空気感、キリスト教の諸派はおろか、キリスト教徒でない人や異教徒でさえ参加することができることで「こころの時代」の現代人の琴線に触れる魅力を発揮したことで人気を呼び、徐々に世界に広がって参加する人たちの数を増やしていった。

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 このロジェ氏、惜しくもつい先日、精神疾患を抱えたとされる旧共産圏ルーマニアからやってきた若い女性参加者にナイフで刺されて死亡。テゼの祈りの真っ最中であった。テゼをそのまま続けることを言い残して病院に搬送されたが逝去。享年90歳。

 日本でもテゼの集いは各地で行われている。東京を中心にした首都圏では、 「黙想と祈りの集い準備会」があり、何百人かの人たちが登録して年数回テゼの集いを行っている。有名で規模も大きいものは四谷駅、イグナチオ教会・中聖堂で行われるもの。奇数月つまり、1,3,5,7,9,11月の第一金曜日、夕方7時から行われる。もちろん、その他にも首都圏全域で多くのテゼがある。

 テゼの音楽の集いについては好みが分かれる。好きな人はかなりのめり込んではまってしまうが、逆に嫌いだという人は気が滅入るので近づきたくないものであるらしい。カトリック教徒で「あんとに庵」という人がいるが、テゼについてこの共同体の人々がいつもにこにこしていたり、hand-in-handの感じがどうも合わない、彼らの単調な歌を聞くとしばらく脳裏を離れてくれないので気が狂いそうになるといった理由で非常に苦手だそうである
 
 確かにテゼにはそういう面が場合によってはある。単調な歌の繰り返しを輪唱で行うのでじれったい、頭に曲がこびりついてしまうということはあろうし、参加者の歌唱レベル、奏楽奉仕者の演奏水準によっては中学校の「学芸会」のようになってしまうこともある。
 
 だが、セミプロ並の実力者たちだけで行うのであれば間口が狭まる。敷居を低く保ち、心の平穏を作るために行っているのであるからそれはそれで悪くない割り切りであろう。また、やりたくなければ、握手についてはただ作り笑顔をせずにいれば良いだけ(私はいつも「主の平和」の挨拶においてそうしている)である。ちなみに吉祥寺のテゼでは、ハンドインハンドといったことはやらない。
 
 明らかに精神的に鬱屈した引きこもりのような人であっても、テゼの活動には生き生きとして出かける人もいる。音痴はずれで歌われたとしても、思いあまって自殺されるよりは遙かにましである。このような様式性と雰囲気を必要とする人々もいて、気持ちの支えに望ましい働きをしていることも多いようだ。
 
 ちなみにこの「あんとに庵」氏、私は面識はないが、電脳空間を通じて若干の意見交換らしきものをしたことがある。私とは考えも人格も著しく異なる人のようであり、お世辞にも仲良くなれそうな印象はない。自身のウェブログにもリンクとして設定している「 * 園丁日記 *」、「金田一輝のWaby-Saby」、「アジアの真実」、「愛・蔵太の気ままな日記」など、私は間違っても好印象を持てないあちこちのコラムにもかなり精力的にせっせとコメントを書き込んでいる。それらを読み、この人の投稿内容と照らし合わせて読み取ると、なるほど確かにテゼを好きになれそうにないなと思われた。

「まぁ近づかない程度に評価はしていた。」 
 
 と言うのであるが、あれこれぶつぶつ文句を言っていないでもっと前向きに体験してみると良かろう。もしかしたら、目を見張るようなきれいな若い女性が隣に座って美しく歌ってくれる僥倖に与れるかもしれない。
 
 ということで、昨年に引き続き吉祥寺教会にて1日の夕方6時半からテゼの集いがある。どなたであっても無料で参加できる。遅刻参加も可能。気にくわなかったら途中で静かに黙って出ていくこともできる。およそ1時間ほどでおしまい。終わった後はホールでお茶会が予定されている。その後はおそらく深夜までの飲み会になろう・・・。心を洗った後に飲んだくれるとは不届きの極みだが。

フルート、ギターなどの奏楽奉仕もあり、ソロを引っ張るのは、ソプラノ宮部さん(元国立音大)とテノール松本くん(元上智大聖歌隊)。まだ2人とも20歳代前半、若さ溢れる「吉祥寺のかおり姫」と「吉祥寺のカッちゃん」が奮闘予定。

 なお、本場フランスのテゼがどういうものかわからない人は、30分でそれをまとめたVHSビデオがある。

 「テゼ−信頼に生きる -信頼に生きる Trust is at hand -」 
  観想修道会 テゼ共同体


 制作と販売ともにサンパウロAVCが行っている。内容的にはあまりに短くあっさりとしているのだが、税込4300円と高い。ばかばかしいので昔、私が古本屋で安く見つけて買ったものを教会に寄付してあるので吉祥寺に来れば見ることができる。

 なお、以下は逝去したロジェ司祭のメッセージを含む、このビデオの裏面に書かれている説明文。ご参考までに。
  
 
 信頼に生きる Trust is at hand.

 テゼ共同体の創始者ブラザー・ロジェが、中央フランスの孤立した小さな村「テゼ」に初めて足を踏み入れたとき、彼はそこがいつの日か世界中から人々が訪れる巡礼の地になろうとは想像していませんでした。

 その初めから、テゼ共同体の中心には模索と確信とがありました。模索とは
 
 「今日という日をいかに神のために生きるのか」

 ということ、また確信とは
 
 「同じ招きによって集められたキリスト者が、復員のために生涯を捧げきることができたなら、無関心という山さえも動かすことができる」

 ということです。

 現在テゼは、観想修道会のひとつとして、また一年を通して数え切れないほどの青年たちが訪れるところとして知られています。またテゼは、世界各地の都市で大会を準備します。そして、そこに集う何万人もの青年たちにとって、その大会は新しい出発への機会となっています。
 
 ローマ、プラハ、マドラス、ロンドン、マニラ、また北アメリカの都市で、青年たちがテゼの大会に集まってきます。青年たちはそこで「内に息づく生命」と「人びととの連帯」を探し求めます。また、彼らはこの二つを一つにして生きていくこと、そして共に捧げる祈りの美しさと活力、人類の苦悩のただ中にみずからを捧げていくことを探し求めるのです。
  
 「あなたのすぐ近くに信頼の道があります。
    その信頼のうちにこそ喜びがあるのです。」
                    (ブラザー・ロジェ)

吉祥寺北コミセン 文化祭 15日Sat、16日Sun

f9ff0589.JPG 吉祥寺には、ムーバス北西循環で数分、バス停の名前もそのまま「北町コミセン」となっている吉祥寺北町コミュニティセンターがある。私も随分幼少時から利用したものである。

 このコミセンで、小さいながら文化祭が行われる予定。来月の15日Sat、16日Sunの2日間である。お近くの方は足をお運び下さい。
 
 さて、このコミセン、先日の首都圏を襲って杉並区上荻などでも水没家屋を出した大雨によって地下一階部分に水が入り込み冠水。水浸しどころか泥水で満々と満たされてしまった。1F,2Fは通常通り使用されているものの、地下は今も使用不可能状態。
 
 元々この北町コミセンの前の道は急な下り坂になっており、隣接する吉祥寺北町保育園の前あたりを最深部としてすり鉢状になっている。だから、かつてはしばしば冠水することがあり、救援ボートがでたりしたこともあった。だが、「かつて」といってもそれは40年ほど前の話。私の知る限りこの30年ほどこれほどひどい冠水は記憶にない。下水道を道路の両端にかなりがっちり掘り抜いて整備し、冠水を防ぐように対策がとられていたからである。

 ところが、その排水能力を上回って水が流れ込み、手の施しようがなかった。事務室や視聴覚室が道路からさらに一段1mほど低い位置に建設されたこともあって土嚢を積むなどといったことではとても追いつかない。まさかこれほどの集中豪雨は予想していなかったはずである。

 この数年、ヒートアイランド現象がひどくなり、首都圏の地表近くの温度はおそろしい高温となっている。そこへ夕方などに冷え込んだ海からの風が入り込み、横浜方面、東京湾、鹿島灘、九十九里などからの風が何かの拍子に首都圏中心部で交わってしまう局面が出てくると、秒速20−30mというとてつもない上昇気流が発生。一挙に積乱雲ができあがり、100mmを超える大雨になってしまう。いわば、これも温暖化、地球環境問題の一つである。

 クーラーの使いすぎが明らかに悪影響を与えている。

あぁ、麗しの深夜急行、「能登」

4814b24a.JPG 夜行の急行列車、「能登」をご存じだろうか。深夜23時半に上野駅を出発し、高崎、直江津、糸魚川、富山と経由して、金沢まで走っている急行列車である。かつてはそのまま福井駅まで走っていたのであるが、2001年春以降、ダイヤ改正で金沢止まりとなった。私は福井行きに一回と、金沢行きに一回、乗ったことがある。

 車両には寝台はない。全て通常の座席車。だが、夜間走行であるので、高崎を過ぎたあたりから、車掌の車内放送の後、車内の照明がぐっと暗くされて眠りやすくなる。自由席、指定席、グリーン車がある。1号車はレディースカー=女性専用車。女性でも安心して乗車できる。
 
 車両は何と今なおあのボンネットタイプを利用している。非常に古い車両であり、日本全国でこのボンネットタイプ車両が現役で運行に供されている路線は、今はこの「能登」を残すのみとなった。ただ、座席など内部のシートなどは改装されている。もちろん、傾けられるし、方向を変えて4つの座席を一つの箱形にも変形可能なリクライニングシート。
 
 あまりに珍しい車両であるので、わざわざこの「能登」を撮影しに早朝からカメラを構える鉄道マニアも数多い。今年のおわら風の盆の帰路、富山駅においても滑り込んできた金沢行きの車両に向けて数人がホームの先端から必死にシャッターを切っていた。
 
 この「能登」がもし、青春18切符でも乗車可能な「快速列車化」されたら空前の大人気となろう。経済的にどん底に沈む日本海沿岸の各地域に大きな追い風となるはずである。私は従前からなぜ、福井、石川、富山、新潟といった自治体がJRに働きかけてこの「能登号」の快速化を努力しようとしないのか、不思議で仕方なかった。ある程度自治体負担があったとしても大きな効果が望めるはずである。
 
 これほどロマン溢れる車両を用いた魅惑の路線であるのに、年末年始やお盆などは混雑するも、いつも能登号はがらがら。理由は簡単、運賃が高いから。東京都区内から金沢までは、通常の運賃が7980円、加えて急行券が1260円。合計で9240円。これが最安値である。指定席はさらに510円プラス、グリーンの場合もう5000円以上かかる。往復すれば2万円弱。やはり高すぎるのである。

 金沢や富山に行くということは、金沢城下町は言うに及ばず、能登半島や立山・黒部、飛騨高山までが観光地として訪れうる範囲に入る。抜群の経済効果を生もう。能登号が「ムーンライト能登」となる日が来れば良いのにと願う。

木乃花 一軒家の隠れ家的フレンチレストラン

7799910b.JPG 吉祥寺から北へ。大きく広がる吉祥寺北町の4丁目、5丁目には高級住宅街が広がるが、吉祥寺保育園のすぐ横、武蔵野陸上競技場を見上げる平静な場所にこのフランス料理レストラン、「木乃花」はある。これまではずっと駅に近い吉祥寺本町にて18年間営業してきたもの。和の様式や味覚をとり入れたフランス料理として固定客があった。シェフの岡本氏は、
 
 「お箸で食べられるフランス料理」

 を目指してきた。このたび、自宅兼レストラン店舗として瀟洒な焦げ茶の一軒家を購入。新規開店したばかりである。私の叔父、「やさい畑」から食材の野菜配達をずっと行ってきた店でもある。目の前にはまだ、畑が広がる静かな地域である。

「どうしてこんなところにレストランが?」
 
 という場所にある。道路も入り組んでおり、よほど地元の人でないとこのルートを自動車では通らない。
 
 立地は全く繁華街ではない。公共交通機関を乗り継ぐと、吉祥寺駅からムーバスの北西循環線で「けやきコミセン前」歩5分。あるいは関東バスで武蔵野市役所前、歩5分といったところ。駐車場はあるし、予約すれば送迎もある。

 客単価は高い。お昼が、5千円、7千円、1万円、ディナーは6千円、8千円、1万2千円の3つ。適宜、細かいリクエストも可能である。予約制であるので店内は人数が制限されており、非常にこぢんまりとしており、喧騒から離れて食事ができる。婚約期間中の2人とか、中年夫婦の結婚記念日などに良さそうである。ムーバスは20時前に完全にダイヤが終わってしまうため、関東バスを利用するようにしなければならない。交通の便がその点で限られている。
 
 シェフの岡本氏は、料理教室や陶芸教室も不定期に行っている。

木乃花 
武蔵野市 吉祥寺北町 5−3−12
Tel & Fax 0422−55−1440
ランチ   12:00〜15:00
ディナー 17:00〜22:00
定休日なし
営業時間は目安に。ある程度客の都合に合わせて対応している。
利用可能クレジットカード  VISA、ダイナース、JCB、AMEX。Masterが使えない。

何でもすぐに結果を求める人たち

251136a5.bmp 楽天ゴールデンイーグルスの田尾監督が解任された。数週間前、野村監督への要請があったらしく、田尾解任かと騒がれていたが、野村監督との条件面が合わなかったとかなんとかでその後、「続投決定」と報じられていたのに再びひっくり返った。
 
 思うに、今年の楽天が弱かったのは田尾のせいではない。あのメンバーでソフトバンクやロッテ、西武と戦えと言うのが無理な話。エース岩隈が肩痛で絶不調。最多勝争いに絡むどころの話ではなく二桁さえ届かない。ルーキー一場も崩壊。磯部、山崎、ロペス、吉岡らの中軸打線も3割を打てない。投打が弱いのだから100敗しなかっただけでもラッキーだと思って良いと思う。しかも東北のファンも、日本のプロ野球ファンも楽天の記録的な連敗をなじったりしていない。みなやむを得ないとわかっているから。

 エース岩隈のウェブがある。彼も田尾監督解任には相当に頭に来ているようである。
 
 「大阪も良かったですが、仙台に来て本当に良かったです。嫁がいつも「フルスタでヤジを聞いたことが一度もなくて、打たれてベンチに下がる事があっても「岩隈次頑張れー!」って言ってくれたりして、いつも本当に感謝で涙が出そうになる」と言ってるんです」

 「何よりも自分にとって1番辛いのは、監督の解任です・・・。言葉がないです。まだ1年目ですよ?・・・1年で解任ですよ?・・・自分が必死になって騒動まで起こして行った楽天という所はこういうところだったんでしょうか。きっと田尾監督じゃなくても、誰でも1年でクビにされてたと思います。これだけは「悔しい」です。」


 と。
 
 岩隈は新婚さん。妻の父、かつてライオンズなどでも活躍した広橋公寿が楽天のコーチをしていることもあり、オリックスではなく楽天でのプレイを熱望して入った経緯がある。期待が重圧になったのだろうと思うが、結果を出せなくてしょげている姿には気の毒だなと思ったことがあった。 
 
 だが、東北のファンは鷹揚。やじったりしない。何より紳士的でファンを丁寧に扱い接し方に定評があったので田尾は人気があった。その田尾をこういう形で首を飛ばしたのだから怒りが収まらない。公認イメージソング「夢のつばさ」を作曲、広告塔的、応援団長的な役割を務めてきた「杜の都」仙台市出身のシンガー・ソングライター、さとう宗幸もかんかんに怒っている。

 「1年で手腕を評価していいのか。全く解せない。・・・寄せ集めのチームで、監督も未経験者。ゼロからプラスの方向へ向かっていくチームのはず。だからわが子のように可愛いんです。あまりにも解せない。」

 今後は球場にもいかず、年間シートも買わず、イメージソングも歌わずという。三木谷をMオーナーといっているあたり、さとうには珍しく満腔の怒りなのだろうと思われる。

 そもそも三木谷は、堀江が参入表明した近鉄買収に横から割って入り強引に奪い取った立場。それなのに選手補強などについてもかなり渋いことで有名で、同じように球団を買ったソフトバンクの孫とは比較にならない。企業の収益性に差があるのでとても同じようには出来なかろうが、彼自身が楽天を球団名につけたことで飛躍的に知名度が高まり、営業マンが外に出ても営業しやすくなったと喜んでいた。

 「『楽天?知ってるよ。100敗すんの?』なんて良く聞かれるようになった。前よりずっと話がしやすくなった。」

 と。
 
 さとうの歌にもあるように勝敗で一喜一憂しないで長くチームを見守ってはいかがだったのだろうか。野村克也は確かに名将だが、すでに70歳代後半。長くて2、3年だろう。70歳の仰木監督も寄る年波から来る体調不良で来期続投を熱望されながら、あえなく引退になった。

 かつて阪神がどん底の弱いチームだった時、「ダメ虎」といわれた。今の楽天は「ダメ鷲」である。だが、それでファンに受け入れられているならばそれはそれで良いではないか。今のプロ野球はメジャーへの選手流出が止まらない。日本プロ野球がメジャーと互角に戦えるわけがない。一番大切なことはむしろファンとの交流。楽天はそういう点でむしろ「成功」していた。

 IT業界は確かに変化が早い。結果がすぐに求められる。オーナーのその感覚がそのまま野球に反映されてしまったのではないか。野球は金融やITではない。何でもすぐに結果を求めるやり方は、一定の領域には非常にフィットするが、全くそぐわないこともある。何より楽天選手、コーチ陣の士気が下がる。
 
 「どうせ俺たちは使い捨て。」

 という感覚を強く持ってしまうから。今の楽天に広島カープ的な雰囲気は醸成されないだろう。三木谷はかなり痛い選択をしたのではないかと思う。

丸石楽器店

e168d600.JPG 吉祥寺駅北口からまっすぐ伸びるサンロード。その北のはずれ、五日市街道とぶつかるところに丸石楽器店はある。老舗の楽器屋さん。ただ、楽器や楽譜の販売で収益を上げているわけではない。もっぱら音楽教室が営業の中心である。
 
 1階が非常に狭い店舗と事務室になっているが、その上、2階以上のフロアに多く音楽練習室が設置されている。これまた極端に中は狭いところがある。私はかつてここでクラリネットを習わせてもらっていたことがあるが、ものすごく狭かったことを今もありありと思い出す。2人同時に教わっていたものの講師と併せて3人、室内が独特の「人いきれ」で変なにおいが籠もってしまっていた。私のいっていたコースはとても人数の少ないコースだったのでなおのことそうだったのだろうと思われる。

 今、あらゆる産業で同じであるように、狙いは団塊の世代とキッズ。中高年のピアノ教室や、子ども向けのリトミックなどに至るまで多くのコースがある。ポップスやジャズの教室などかつては設定されていなかったコースも多く揃っている。

 吉祥寺には毎年、音楽祭がある。クラシックではなくジャズ、ポップスがメインであるが、その様な理由もあってストリートミュージシャンが激増し何となく音楽の街という雰囲気を醸し出すようになってきた。実際、サムタイム、赤いカラス、曼荼羅、スターパインズカフェなどライブハウスやジャズ喫茶も多い。
  
 私としてはドイツのビール酒場のようにアコーディオンの演奏が聴けるところとか、バイオリンの演奏があるような場所があると良いのにと感じることはある。ジャズやポップス、ロックの音楽にはあまり興味がないという人も多かろうし。
 
 丸石楽器店の話に戻ると、私はクラリネットを昔、買ってもらったのだが、結局途中で辞めてしまった。高い買い物であったのに途中で投げ出し、今は何の役にも立たずしまわれていること、申し訳ない気持ちである。 

 年間通じてあれこれ音楽の才能のあるアルバイト講師を募集している。

 (株)丸石楽器店
 吉祥寺駅 歩5分
 〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-12-5
 問合せ  TEL 0422-22-1261

無原罪のマリア -聖母マリアについて-

eb40034b.bmp キリスト教に登場する数多くの人物においとらえ方の大きな違いがあるのがイエス・キリストの母、マリア。マリアのとらえ方は、同じキリスト教世界の中においてでさえ著しく異なる。
 
 西方教会であるローマ・カトリックにおいては、マリアは「聖母マリア」、「聖マリア」、「神の母マリア」などといわれる。マリアは圧倒的な存在感を持ち崇敬される人物である。
 
 他方で、ロシアやギリシャ、セルビアなど東側に広がっていった東方教会において、マリアが「至潔」な人として崇敬されつつも、カトリックの認識と異なる。「無原罪」であるとは考えられていない。正教会は、多くの点で言葉遣いがカトリックと異なっているが、マリアの呼び方についても同様であり、彼らは多く「至聖女マリヤ」、「生神女マリア」といった呼称を用いる。

 プロテスタント諸派においてはそうしたことは全くなく、他の多くの登場人物と同列に扱われる。単なるヨセフの妻、イエスの母以上の積極的な意味は薄い。むしろ使徒パウロなど弟子たちの方が強く尊敬されることが多い。
 
 カトリックのマリア観については、イエス・キリストを出産したマリアが他の人間と異なり、原罪を背負わない「無原罪」であると考えるところに著しい特徴がある。、「無原罪のマリアの騎士会」など修道会、修女会の名前などにも用いられる。「無原罪の御宿り」といわれるように、マリアは処女でありながら大天使ガブリエルのお告げを受け、それを虚心坦懐に信仰心厚く受け入れ、後に実際イエス・キリストを妊娠し、出産した、と考えるわけである。これを「処女懐胎」という。ちなみに「処女懐胎」については、マリアを「無原罪の聖母」ではないと考えるプロテスタントらも、歴史的にカトリックと同じように考えてきた。

 もともと、こうした概念を大きく発展させた原動力になったのは厳しい戒律と自己抑制で知られるフランシスコ修道会。ドゥンス・スコトゥスらが理論的に発展させていったものである。当初はこの教義については反発も多かったようであり、フランシスコ会を激しく衝突した他の修道会も多かった。とりわけ、宗教改革後の文明復興期、ドミニコ会との間では強烈な論争を見た。 

 特にルネサンス期以降、カトリックはその後、世界宗教を目指し、世界に次々と開拓伝道に出かけていった。イエズス会はその命知らずの積極性において最も有名であり、この日本も1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによって初めてキリスト教がもたらされたことはあまりにも有名である。この1549年という年は、北米大陸に欧州英国からやってきた清教徒、ピルグリムファーザーズが到着した時よりも前のこと。日本はかのアメリカ合衆国よりキリスト教国としての歴史においては長いのである。
 
 こうした開拓伝道において、とりわけラテン語を用いた布教を行った地域においては、「聖母マリア」への崇敬観念、「無原罪の御宿り」の概念はわかりやすく、親近感を持ってとらえられていったため、伝道活動に大きな追い風となった。続々と信者を増やしていったのである。

 しかし、意外なことにこの「聖母マリアが無原罪である」という概念が公式にバチカンで認められたのは非常に歴史が浅い。なんと19世紀になってから。1854年12月8日、大勅書「 Ineffabilis Deus」によって初めて公認したのはローマ教皇ピオ9世

 元々、カトリック教会が成立する前の古代教会時代、何人かの「古代教父」といわれる人々がいた。彼らの書物の中にも「聖母マリアの無原罪」の概念、すなわち、マリアがお告げを信じてイエス・キリストを懐胎したまさにその瞬間から、人間に不可避の原罪から免れたという教義は散見されていた。
 
 しばしば非常に多くプロテスタントの人間において勘違いされていることであるが、カトリック教会、東方正教会では「聖母マリア」を「信仰」しているわけではない。そのように概していわれているが、厳密に言えば「信仰」の対象になっていない。だから、「マリア崇敬」はあっても、「マリア信仰」はない。
 
 彼らはただ単純に「神へのとりなし」を求めてマリアに祈っているに過ぎない。これを「ロザリオの祈り」とか「聖母マリアの祈り」という。カトリックでは十字架の形をした首からかけるロザリオがあるが、あれにはこういう意味が込められている。ロザリオを手にその数を数えながら祈祷を行っている。
 
 東方正教会においては若干ふれたように、生母マリアは崇敬されつつも、また一般の人間と同じく原罪を背負った存在者として認識されており、神の母(これをテオトコスという。)になる運命を信じて受け入れた時に初めて潔められるに至ったと考える。ちなみに東方正教会では「原罪」を「陥罪」という。また、マリアのとりなしの力について「天国へのはしご」といった言い方をすることがある。

 カトリックや東方教会では、マリアについて、イエス・キリストと同じようにその誕生から死まで全生涯の場面が物語化されている。ステンドグラスに描かれたり、修道会の壁面の絵画や彫刻などにも多く作品化されている。彼女の逝去(これを「被昇天」、「就寝」といった言い方をする)を祭日にしている。(聖母被昇天の祝日、生神女就寝祭)。

 こうしたマリア崇敬の念が最もよく現れているのが、いわゆる「聖母マリアの祈り」である。「Ave Maria」として有名な聖歌にもなっている。私も次回の聖歌隊奉唱でラフマニノフの作曲した有名な「Ave Maria」を歌う予定である。やや古い映画になるが、ロバート・デニーロ主演の告白 Confessionにもあるように、カトリックの信者はこれを告解の時に10回ほど連続して唱えたりするし、ミサが始まる数分前から司祭が礼拝堂に入ってくるまでの間、この祈りを10回程度繰り返してからミサが始まる。
 
 私は個人的には、生母マリアに対する特別の思い入れ、感慨は持っていないし、カトリックにおいて考えられている「無原罪」という考えにはついていけないが、しかし、この祈祷文について味わってみると、自らの深い原罪を見つめ、その赦しを請うているしんみりとした心情が伝わってくるので、嫌いな曲、文ではない。
 
 ただ、これを本気で歌いきるには大変な肺活量が必要で、毎回、うまく歌いきったとしても頭がくらついて酸欠寸前になるのであるが・・・。

「アヴェ・マリアの祈祷文、聖母マリアの祈り」

 ラテン語
 Ave Maria, gratia plena,
 Dominus tecum,
 benedicta tu in mulieribus,
 et benedictus fructus ventris tui Iesus.
 Sancta Maria mater Dei,
 ora pro nobis peccatoribus, nunc, et in hora mortis nostrae.
 Amen

 英語
 Hail Mary, full of grace,
 our Lord is with thee,
 blessed art thou among women,
 and blessed is the fruit of thy womb, Jesus.
 Holy Mary, mother of God,
 pray for us sinners, now, and in
 the hour of our death.
 Amen.

 日本語
 恵み溢れる聖マリア、主はあなたとともにおられます
 主はあなたを選び、祝福し、あなたの子イエスも祝福されました
 神の母、聖マリア、罪深い私たちのために
 今も、死を迎える時も祈ってください 
 アーメン。

想像以上の勢い イラク戦争反戦デモ

b689eabe.bmp 先週末、首都ワシントンD.C.、サンフランシスコなど全米各地で一斉に行われたイラク戦争反戦デモ。息子を戦死させられた母、シンディ・シーハン女史がワシントンの行進に合流したことで想像を遙かに超える反戦デモ参加者となった。10万人を軽く突破。警察発表では15万人以上だといわれる。もちろん、サンフランシスコなど各地でも大いに人が集まった。各地で10万人オーバーというデモ参加者。こうしたことはこれまでにない。 
 
 シンディ女史、初めは小さな抵抗だった。テキサス州クロフォード、ブッシュJr.の邸宅前で小さくキャンプテントで野営し、ブッシュJr.への面会を求め始めたのはブッシュJr.が休暇に入って直後。その後、徐々に賛同者が増え、カトリーナ被災救援の惨めな失敗が次々に報じられると連鎖反応を起こし、燎原の炎のように広がっていった。

 シンディさんたちはホワイトハウス近くで座り込み。警察の退去命令を意図的に無視して従わず逮捕された。腕を引っ張ってどかせただけならばともかく、逮捕したということはシンディ女史たちの狙い通り。ブッシュ政権としては逆効果だと思われる。火に油を注ぎ、ますます反発を食らうだろう。ブッシュが彼女たちからの書簡の受け取りすら拒否しているのだから。

 ホワイトハウスの目の前、ペンシルベニア通りを隔てたラファイエット公園に数百人が、ホワイトハウス前の道路にシーハン女史ら200人が円陣を組んで座り込んだ。ホワイトハウス周辺では毎日のように小規模な反対デモ、座り込みは行われていたが、いよいよ勢いづいてきた。
 
 きっとブッシュJr.は今、テキサスの牧場で呑気に休暇を満喫していた時にシーハン女史の面会要求を無碍にはねつけ、あからさまにぞんざいな扱いをしたことを強く後悔していることであろう。よもや彼女がこれほどの存在感を持って自分にぶつかってくるとは思わなかっただろうから。シーハンさんに当初から面会し、
 
 「ご子息を死なせてしまったことを誠に申し訳なく存じます。お詫び申し上げます。しかし、テロリストとの戦いは続ける必要があります。その点、なにとぞご理解いただきたいのです。」
 
 とでも言っておけばこれほど彼女たちの怒りの炎は燃え上がらなかった。要するに、ブッシュJr.たちホワイトハウスの閣僚は、嘘ばかりでまるで誠意が無く、一から十まで傲慢であると受け取られているのである。

 傲り、高ぶり、思い上がり。その高い代償をこれからブッシュJr.は払っていくことになる。身から出た錆、存分に思い知るが良いと思う。

会津若松への快速列車を

4403e1c0.JPG 先日、仕事柄、郡山へ出かけてきた。で郡山から磐越西線会津若松の方角へ。磐梯熱海駅というところであった。温泉街としてかつては賑わったこともあるようだが、今は寂れた街になっていた。日本の地方はどこもこうしたところが圧倒的に多い。つまり、首都圏からたどり着くのが高くつき、面倒だからである。新幹線と特急を乗り継げばそれは早かろうがべらぼうに高い。今の日本国民はそれほど経済的に国内旅行への散財ができる余裕はない。

 帰路、どうやって帰ろうかと思案した。できれば、会津若松から西若松へ。そこから芦ノ牧温泉などをかすめながら、会津鉄道野岩鉄道東武線を経由して浅草まで帰ってきたかったのだが、夕方5時前の段階で乗り継ぎダイヤが完全に終わっており断念。JRで帰ってきた。休日だったので、土休日のみ運転している特急会津に乗車。運悪く、全席指定券が売り切れており立ち席特急券となってしまった。
 
 乗車したところ、キャンセルがたくさんあったらしく、あちこちにずいぶんと空席が目立つ。切符を見に来た車掌に座っても良いのかと聞くと差額を払わなければならないといわれた。実にけちくさいと思いつつも、黙って座ってしまってもばれなかったろうが、なんだか思うところがありずっと立ったまま車窓の風景を眺めていた。

 私は初めて乗車する路線では必ず線路の構造、つながり方などをチェックする。今回も郡山駅から磐越西線に乗車した時、単線ではあったがしっかり電化されていた区間だった。本線からそのまま首都圏からの東北線がスムースに入っていけることを確認。しかも途中の区間には部分的に複線化したり、待避線を設定できる場所がいくらもあることを確かめた。てっきり郡山から会津若松まではスムースに入っていけない線路のつながり方をしているものとばかり思っていたので新鮮な発見であった。

 思うに、首都圏に暮らす人で会津若松へ旅行に行ってみたいと思う人は莫大な数に上るのでは無かろうか。会津若松が没落してしまっているのはひとえに列車がつながっていないからに他ならない。会津若松から首都圏までは特急、快速の様なダイヤで列車を走らせればおよそ4時間程度か。十分に乗っていられる時間の範囲内である。
 
 なぜ、JR東日本は会津若松行きの快速列車を走らせないのだろうか。往復数千円程度でいけるのであれば大人気になること請け合い。18000円もかけて何度も乗り継ぎながら出かける物好きは少ない。
 
 「乗り換え回数が少ないこと。」
 
 観光路線にとってこれは決定的に重要な点である。乗りっぱなしということはつまり、眠っていても、読書をしていても、友人と談笑していても良いと言うこと。そういう列車を日本人は望んでいる。

 アルプスにつながる中央線にも、越後湯沢や水上温泉につながる上越線にもいえることだが、JRは特急の整備ばかり進めて在来線を完全に軽視している。しかもその特急がそれほど大人気の混雑になっているわけでもない。空席のままで走っている特急がなんと多いことか。これでは資源とエネルギーの無駄遣い。「環境に優しい鉄道」と胸を張れない。
 
 けちけちせず、在来線で長距離優等列車を増強すべきである。もとより特急列車への乗客数は減って収益がその点では落ちようが、列車を利用する絶対数が飛躍的に増えるはずである。鉄道が戦わなければならない競争相手は、高速道路バスやもはや一人に一台時代に近いマイカーに他ならない。出し惜しみをしている場合ではない。
 
 連結決算の収支を見てみると、JRは各社どこもわずかながら増収となっているが、それは乗客数が増えてのことではない。新規に開発した駅ビル事業などが好調だからである。乗客数はこの十数年ほどどのJR各社も緩やかに微減が続く。このままでは10年後のJRは非常に危ういと思われる。 
  
 特にJR東日本の英断を期待したい。

JR中央線 女性専用車を導入

f54d3ef4.JPG * 写真は吉祥寺駅ホーム4番線のマーク。

 全国的に女性専用車両の導入が進んでいる。ここ吉祥寺があるJR中央線の車両にも今月上旬からついに導入された。東京方面へ向かう上り線の先頭車両が専用化された。
 
 この女性専用車、元々は私鉄の京王線から始まったようだが、ものすごく古くまで遡ると、なんと戦前の国鉄時代の中央線が最初だったらしい。1912年1月31日、朝夕のラッシュ時、「婦人専用電車」というものが始まった。すぐにこれは廃止されたらしい。
 
 その後、戦後の経済復興期、1947年5月に再び中央線で「婦人子供専用車」が復活。朝のみラッシュ時間帯に1973年9月14日まで運行されたという。1947年9月には、京浜東北線でも一時的に導入されるも短期で廃止された。この婦人子供専用車はその後のシルバーシート、優先席の原型となる。
  
 その後はこうした専用車設定がなかったがラッシュ時間帯の混雑とあわせて痴漢被害が多くなり、金をゆすり取るための犯罪ケースや、勘違いによる冤罪事件も生まれるなどしたため、2000年12月、京王線に導入された。深夜、一部下り列車最後部に試験的に繋いでみたものである。テスト運行後のアンケート結果も良かったので、2001年3月、平日の新宿発23時以降の下り優等列車最後部を女性専用化した。
  
 今や関東だけでなく関西でも、私鉄、地下鉄、JRを問わず広く広がった女性専用車。以前、私は恵比寿駅から夜11時過ぎくらいに埼京線に乗ったことがあるが、勘違いして気がつかず乗った瞬間、車掌室から車内に入ってきた車掌に大きな声で乗れないことを指摘され、あわてて一度外に出てから駆け足で隣の車両に移ったことがある。車内はどれもがらがらでとても男女を分離する必要がないような状態だったが、決まりは決まり。気がつかなかった私に責任があるのだろうが、あのように大声で言われる筋合いなどなかったとしか思われず、今でも非常に不愉快な記憶として残っている。

ヒップホップの店 J&B Hip Hop Shop

b6b04c0c.JPG この数年ほど、吉祥寺には黒人の男が佇む姿がちらほら見えるようになってきた。しかも普通にどこかで勉強したり働いたりしているようにはあまり見えない出で立ちと、立ち居振る舞い、時刻にふらついている。10年ほど前までは全く無かった現象である。彼らが頻繁に出没する場所は私の知る限り3カ所。
 
 1. 駅北口から吉祥寺サンロードを歩き、三浦屋の角、エクセルシオールカフェの前に広がる十字路のところ。夕方7時をすぎたあたりから何やらちり紙や小さなチラシを配布したりしている。帽子を目深にかぶり、膝までのパンツ、バスケットボールシューズなどを履いたりしていることが多い。若い女性などに声をかけていることが多い。ヒップホップのギャングかDJのような雰囲気。何十回もすれ違ったことがあるが、あまり良い印象はない。かかずらわずに無視するのが最善だと思われる。

 2. 駅南口のバス進入路=風俗街にて夜8時を過ぎたあたりから。夜になるとバスがこちらに入ってこなくなるため、ランパブやキャバクラの勧誘が激しい。東欧系の女性らが道に出て声を掛けてくることも多い。

 3. サンロードの最も北側の終点、五日市街道とぶつかるところ。ヒップホップの出で立ちをした男が立っている。昼間から夕方に立っていることが多い。身長が非常に高く、肌の色が非常に黒いアフリカ系男であることが多い。彼らは、そこからわずかに十数メートルほど五日市街道を曲がったところに営業しているヒップホップの衣類専門店、「J&B Hip Hop Shop」の路上勧誘店員である。

 3のアパレルショップ、J&Bについていえば、ちょうど有田焼の陶器を売っている有田陶苑の横、非常に狭い階段を登っていった2Fにある。道路にいつもマネキンがおいてあり、製品である衣類が展示されている。帽子、アクセサリー、小物などヒップホップ関連の商品が多い。

 私はヒップホップ、ラップなどの黒人スラム街文化については全く好意的な印象を持っていないので滅多に立ち入らないが、店員の男はあれこれと話しかけてくる。しかも丁寧な言葉遣いではなく相当に無礼な物言いが多い。日本語をあまり知らないことが大きいこともあろうが、ほめられたものではない。
 
 狭い階段を登っていった狭い店内。窓ガラスもなく外光が入らない。お世辞にも落ち着いた雰囲気ではない。ぜひ一度お立ち寄られてはいかがでしょうか、と他人に推薦できる印象はない。

 黒人がヒップホップやラップのスタイルをとってそれこそが自分たちの音楽性、文化的様式、アイデンティティの確認や自己実現の方法であるかのように振る舞っているのは見るにつけ、いつも非常に見苦しいという印象を持つ。あれは白人といわず、有色人種といわず、他人にさわやかな好印象を与えようがない。自分たちで自分たちへの差別意識、反感を増幅させているのではないかとしか思われない。

 ヒップホップショップ J&B Hip Hop Shop 
 180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11

それならば、いったいいつまで?

3702b406.bmp にやついたその笑顔は「悪相」。内に秘めた卑しい人格が浮かび上がっているように思われる。

 後ろに、「Mr.軍産複合体」の副大統領チェイニー、自称「信仰深いキリスト教徒」、コンドリーザ・ライスの姿が見える。国務長官ライスは、カトリーナ被害直後に休暇を取り、ニューヨークでブロードウェイ観劇、フェラガモの高級靴買いあさり。人々を唖然とさせた。
 
 全米15紙に大きく広告を出されて嘘つき呼ばわりされたブッシュJr.の閣僚たち。その張本人がペンタゴン=国防総省で記者会見。仮にイラク暫定政権が適切に主権国家の統治機構として動き始め、治安担当のため訓練中のイラク人によるイラク政府部隊が自立した後も、アメリカ軍のテロリスト捕捉作戦は継続すると明言。イラク駐留米軍の早期完全撤退はしないということ。
 
 すでにラムズフェルド、ケージーらは駐留米軍の規模を縮小し、派兵兵士を大きく削減したいという意向を発表済み。事態の泥沼で物理的にその計画を実行できそうにないという状況だが、月7000億円強、年間10兆円弱もの巨費が流れ出るイラク戦争。財政的にも限界で、その事を認識しているペンタゴンは何とか緩やかに駐留を萎めていきたいと考えている。

 だが、ブッシュJr.は、戦争、ハリケーン被害、原油高という3つを合わせて就任後最大の危機にたった今、戦争終結を拒否。南部バスラでイラクの警察署を急襲して2人の英兵を奪還したばかりのイギリス軍と併せ、とても正気とは思われない。

 目下、アメリカ軍が訓練し、育成しているイラク治安部隊。これが自立した後にももくろみ通り彼らはアメリカの操り人形にはなってくれない。彼らは、「武装ゲリラ」になっていないだけで、アメリカ政府やアメリカ人を内心では一切、尊敬、信頼していない。
 
 元々サダム・フセインという男がそういう経緯の人間だった。欧米の石油メジャー支配に不満が募り、ついに怒って79年のシーア派ホメイニのイスラム革命が起こってしまったイラン。これに呼応して石油利権争いが絡みイラン・イラク戦争が始まった。日本では「イライラ戦争」といわれた。

 このとき、イラク、フセインを熱烈に支援した国がアメリカ。「鉄の女、マーガレット・サッチャー」のイギリスら欧州諸国と、旧ソ連なども今は「悪魔の独裁者」とされたサダム・フセインを軍事的、経済的に支援していた。

 特にアメリカとフセインとは初めは蜜月関係。アメリカは旧ソ連の起こしたアフガニスタン戦争で、南側からアフガン・イスラム勢力を軍事支援した。アフガンを共産化させないための旧ソ連との代理冷戦だったから。シルベスタ・スタローン主演の映画「ランボー」にも描かれた物語は決して作り話ばかりでない。
 
 今後もずっと米軍の作戦は継続。イスラム原理主義のテロ指導者の捕捉に全力を挙げる方針と偉そうに言ってのけたはいいが、そこまで開き直るならばいったいいつまで軍隊駐留を続けるおつもりか?イラクが完全なアメリカ傀儡国家になるまでというならば、それは無理な話である。

イラク反戦広告大きく掲載 「彼らがウソをついた」 

aacfe667.bmp 「彼らはうそをつき、兵士が死んだ。」
 
 22日付の全米各紙、合計15紙に、アメリカ国内のイラク戦争に反対する団体
 
 「Win without war (戦争なしの勝利)」
 
 が大々的に見開き2ページ広告を掲載。世界中に配信された。今後さらに100万ドル(1億数千万円)を反戦広告に投入してPRに努める方針。大きなパトロンもいないのにこうした広告で政府を弾劾するというあたり、日本にはありえない現実政治に対する主権者の切り込み方だと感心する。

 今日は、自身の息子がイラクで戦死、以後、テキサスのブッシュJr.自宅大牧場前にテントを張って反戦運動に身を投じて反戦要求の象徴的存在になったシンディ・シーハン女史が参加。ワシントンで大規模な反戦集会が行われた。ホワイトハウスに公開書簡を持参した彼女はホワイトハウス前で鉄の柵を締められてしまい、はじき出された。
 
 ブッシュJr.の支持率は4割を切った。イラク戦争それ自体の支持率はさらに下。ブッシュJr.を支持している人間でさえ、イラク戦争は辞めるべきだと考えはじめた。

 日々、自国兵士の死者が出る緊迫の戦時であるにも関わらず、しかもメガトン級の台風が来て非常事態宣言だったというのに、田舎で休暇を満喫、遊び呆けて窮地に陥ったブッシュJr.。反戦運動については、

 「彼らの立場は間違いだ。」

 と言い返したが、すでに国民の多数派が、自分の支持者たちでさえ

 「アメリカ政府の立場が間違いだ。」

 と判断しはじめてている。
 
 新聞広告には大統領ブッシュJr.、副大統領ディック・チェイニー、国防長官ドナルド・ラムズフェルド、国務長官コンドリーザ・ライスの4枚の写真が並ぶ。直下に彼らのこれまでの大嘘発言を引用。

 ブッシュJr.
 「我々は大量破壊兵器を発見した。」        
 
 ラムズフェルド
 「(大量破壊兵器の)ありかを我々は知っている。」 
 
 ライス
 「我々はイラク、サダム・フセインは今まさに核兵器を開発しているとわかった。」
 
 
 これら全ての発言は全て虚偽だと判明し、アメリカ政府自身がそれを認めている。広告の右半分には戦死した米兵1800人強の名前が小さい文字でつながれて全員分掲載。
 
 「大統領、いったいあと何人?」
 
 と訴える。
 
 だが、この新聞広告戦略について私が考える時、以前と同じ点で私はひっかかる。イラク戦争を中止させようという狙いは良い。だが、その理由は
 
 「ブッシュJr.政権が嘘をついたから。」
 
 ではない。

 「イラクやアフガンに暮らしてきた無辜の民間人を何万人も殺してしまったから。」

 でもない。
 
 実際のところ、ほとんど唯一にして最大の理由は、当初の想定を遙かに超えて

 「多数の、1900人近い若い米兵が死亡してしまったから。」

 大勢の、若い、米兵が死んだからこそ、アメリカ国民は戦争に強く反対し始めた。例えイラク人の死者が100万人に達したとしてもこうはなっていない。何度も私が書いているように、もし、ここまでの米兵戦死者が今の1割ほど、わずかに190人前後だったとすれば、ここまで反戦の気運は高揚していなかったはず。賭けてもいい。

 開戦から3年が経ち、ようやくイラク戦争は間違いだったと舵を切り始めたように見えるアメリカ。だが、それは
 
 「アメリカ国民が良心に目覚めた。」

 わけではなく、
 
 「熱狂が静まり、彼らが正気に戻ってきた。」
 
 わけでもない。ただ単純に、

 「自分たちに突き刺さる痛み、米兵の戦死者数に耐えられなくなった。」

 だけ。私は今もアメリカ国民、アメリカ人のキリスト教徒をほとんど信用しない。

イラク戦争症候群 まもなく深夜番組にて放映予定

 イラク戦争症候群。湾岸戦争症候群と並び、今回のイラク戦争にて米軍兵士などに頻発している疾患である。劣化ウラン弾などの重金属汚染、化学物質や放射能への暴露などによって体調が著しく悪化したり、精神的に大きな打撃を受け、回復不能の精神的傷を引きずったまま社会性が取り戻せないといったシェルショックのケースなどのこと。今回は主にシェルショック、つまり、精神的外傷=PTSDの話題を中心に取り上げられる。

 JNN系列、首都圏で言えば6チャンネルのTBSにて本日の2:55分(23日の26:55分)から、CBSドキュメントとして放映予定。ピーター・バラカンがブロードキャスターを務める番組で私もよく見ている。

 ぜひ、ごらんいただきたいと思います。

バスラでの主権侵害 正気と思えない大英帝国軍

bda0d0d8.bmp 泥沼のイラク戦争。アメリカとともに開戦時に武力攻撃を担当したのが大英帝国の軍隊であった。今なお、アメリカとともに「イラクの民主国家樹立」という穴だらけの大義名分を掲げて駐留を続けている。

 そのイラク、南部地方のバスラ。英軍部隊が現地の地方警察の拘置施設に突如、強引に軍事突入。バスラの州当局が拘束していた英兵2人を拘置所を破壊して脱出させた事件が起こった。

 英国のリード国防相は、2人が武装勢力に引き渡される可能性があったためにやむを得ず行った突入作戦だったと弁明。また、今後もイラク駐留を続けると記者会見した。しかし、何らの客観的根拠もない、とってつけたような言い訳をだれも信用するはずがなく、現地の州政府が武装勢力の手に英兵2人を引き渡すなどということがあり得るはずがない。もしその様なことを本当にしたら、自分たち州政府や警察自身は言うに及ばず、イラクの暫定政権にも大打撃の行為である。
 
 英国国内のメディアも2人の英雄を奪還した軍事突入作戦の成功に有頂天のものが多く、その代償にどれほど多くの米英政府に対する憎悪と不信を残したかを全く考えない愚かな報道が多い。
 
 今回の武装突入作戦は、「テロリスト」に対するものでもなければ、「武装勢力」に対するものでもない。米英が「イラク暫定政府」を樹立した後に、名実共に堂々たる現地の行政権を持った警察組織の拘置所を、何の合法的な理由もなく、その説明も予告もないままにいきなり急襲したもの。自分たちでお墨付きを与えて作り上げた現地の統治機構の無視も甚だしい。「国家主権侵害」の極みである
 
 元イラク駐在の外交官だった、中東調査会大野元裕も言うように、これは対英感情が悪かった現地イスラム教徒、武装勢力たちに格好の攻撃材料を与えてしまった。全くイギリス軍のしでかしたことは後戻りできない傲慢で自己中心的な最悪の愚行である。
 
 いわんこっちゃない、現地ではすでに500人以上が英軍の撤退を要求するデモを開始した。また、バスラ州のワイリ知事は、英政府に謝罪を要求し、それがなければ駐留英軍への協力を停止する予定と発表。

 州評議会も事件に抗議し、駐留英軍への協力停止決議を全会一致で採択。謝罪は当然のこととして、今回の武力突入事件で死亡した住民遺族らに対する賠償、補償も求めた。

 イラク国内の怒りは沸騰。ルバイエ移行政府顧問も、かくも傍若無人で無法な英軍の強硬措置について
 
 「目に余る主権侵害」
 
 とかんかんに怒っている。現地の正当性を持った治安当局が英軍について対決姿勢をとるよう舵を切った。もはや英軍の駐留、治安維持活動は制約される以外にない。テロ攻撃を受ける危険も飛躍的に上がった。実際、事件後、英軍が市内に展開する数は大幅減。危険でとても治安維持など出来る状況ではない。

 トニー・ブレア、今回の突入を許容した責任はあまりに大きい。その選択がいかに愚かな、思い上がりも甚だしい暴挙だったかをこれから数ヶ月掛けて思い知ることになる。

欧州の畜産は美しい

13ff7eca.JPG 私は今までに、特に大学院時代、所属していた山路ゼミの影響でいくつか農村、第一次産業の現場をかなり踏み込んで見ることが出来た。そのとき、いつも感じていたことは、なぜ日本の農業、林業、畜産業などには「美」がないのだろうということであった。

 畑も水田も、豚舎も養鶏場も、ライスセンターも資材置き場も、何から何まで「美しくない」のである。定規で測ったようにして一直線のあぜ道、水路などを方眼紙の上に描いたように作り上げる。見ていて殺風景ですらある。

 豚舎も養鶏場も汚らしい。それが一定の「効率」を生んでいるのだろうが、農村地帯、田園地帯の景観をかなり壊してしまっている。

 そういう点、いたずらに絶賛しっぱなしにはいかないが、欧州の畜産は美しい。なぜこれほど美しいのかが根本的にはわからないが、飼育されている牛、豚、ヤギ、羊、かも、がちょう、鶏。また、それらの小屋や人々の住居。農道、歩いている牧夫の出で立ちや立ち居振る舞いにいたるまでなぜか様になっている。

 例えばこれはフランス、ピレネー山脈地帯の山岳部にある農地。豚が放し飼いになっている。穏やかで美しく、実にいけている。
 
 日本の豚舎は恐ろしく臭いことが多く、それゆえ汚く雑然と散らかった部屋を

 「豚小屋のようだ。」

 と形容することがあるが、そもそも豚はたいへんにきれい好きな動物。日本を含むアジア諸国での豚畜産の環境があまりにひどすぎるためにそういわれているだけの話にすぎない。

 日本の第一次産業には「美」が必要である。そういう意味では「デザイン」のセンス、そういう美意識、感性が要求されている。

 「アグリデザイン」

 といってもいいかもしれない。日本にそうした概念を基礎にした美しい第一次産業の新しい構築期、その様な時代が来ることを願う。

アコウスフィア 日比谷野外音楽堂にて

a5a3a810.bmp 何度かこのコラムでも紹介した、フォークギターデュオの「アコウスフィア」。9月3日に日比谷野外音楽堂でコンサートを開催し、メジャーな活動を始めているが、その様子がウェブサイトで紹介されている。ヤフーのオークション関連の特集記事のようである。

 彼らは惜しげもなく自分たちの演奏技術を公開している。金を払えば個人レッスンもしてもらえる。だが、連中の技術は非常に高い。真似しようと思ってもできるものではない。ギターレッスンカフェというコーナーも設けている。ちょっと真似して見たがいやいや・・・。
 
 
 いわゆる「早弾き」を始めたらその指の動きには驚かされる。よくぞあそこまで動くものだと感心することしきり。幼少時からクラシックピアノの手ほどきを受けていた清水敏貴はともかくとして、奥沢茂幸は音楽の英才教育を受けたわけでもなく、20歳を過ぎてからギターを始めたというのにここまで上達するというのは
 
 「好きこそものの上手なれ」
 
 という諺そのもの。
 
 また、近いうちに吉祥寺のスターパインズカフェなどで演奏してくれそうな気がする。

聖グレゴリオの家、オルガン

 かつて西武池袋線、東久留米駅北口から歩10分ほどの静かな丘の上にある聖グレゴリオの家について、ちらっとご紹介した次第だが、ここには聖堂にすばらしいオルガンがある。このパイプオルガンの音を聴くことが出来るチャンスがある。「日曜ミニ・コンサートシリーズ」である。今回は二台のオルガンで華やかに演奏される予定。オルガニストの一人、浅井寛子さんは名手として有名らしく、私の大学時代の同窓生、若槻くんの奥さんがやはりオルガニストであるが、彼女一押しの演奏家だそうだ。わずかに30分のコンサートであるが、入場無料。
 
日時:2005年10月2日(日) 12:00から12:30
場所:聖グレゴリオの家 聖堂
入場無料
出演:浅井寛子、吉田恵(オルガン)
曲目:L.G.ヴィアダーナ 「ベルガマスカ」
   W.A.モーツァルト 「ファンタジー ヘ短調 KV608」 他

チェンバロのポリフォニー奏楽

 ポリフォニーという演奏法がある。ホモフォニー、あるいはモノフォニーと反対の奏法。今の近代的な音楽世界とは違った楽譜、演奏法、概念で行われていた中世の音楽様式である。あのモーツァルトもK387第四楽章などでホモフォニーとポリフォニーを架橋した、半音階を多用する作品を作り上げたことは有名である。

 ポリフォニーは、ソプラノ、アルト、テノール、バスなど複数の異なった高さの声部が協和しあって進む音楽のこと。輪唱なども広い意味ではこれに含まれるといってもいいかもしれない。中世西洋音楽に欠かせないもので、その後、中世の桎梏から脱却しようとしたルネサンスの時代にも多く行われた。主旋律や伴奏という区分けがない。いずれの声部も同じように主たる役割を果たして用いられる。各声部の流れそれ自体に重点がおかれる。

 私は音楽史の専門家ではないが、立教大在学中、学部生の一般教養科目で皆川達夫がこうした「音楽史」の授業を講義していた。彼は日本に西洋宗教音楽を伝えた第一人者。経済的には恵まれなかったものの、アメリカ、欧州への宗教音楽のための留学経験という極めて当時としては恵まれた若い時代を過ごした。ポリフォニーを輸入した人物と言っても良い。
 
 帰国後、主に長崎の五島列島などに伝わるキリスト教曲、「おらしょ(御誦)」、「ぐるりおざ(O gloriosa Domina )」など、隠れキリシタン、離れキリシタンらの口伝答唱を詳細にフィールドワークで記録し続け、ついにその内容、意味、旋律などを記録としてまとめた偉業を達成した。これはもちろん趣味や気まぐれでやったわけではなく、学術活動として行ったのであるが、その体験、経験があまりに劇的であったため、還暦をすぎてから洗礼を受けたという異色の人生を辿った。
 
 彼は今も毎週、火曜の夜に東中野駅近くの新生教会でポリフォニーの倍音を用いたグレゴリオ聖歌の指導を行っている。アンサンブル風音とも時々、一緒に練習しているようである。
 
 さて、チェンバロにもポリフォニーがある。この秋、明日から、保谷駅南口から歩いていける保谷街道沿いにある保谷こもれびホールで5回連続のコンサートが行われる予定。1回1000円。
 
 チェンバロの音というものは、何かこう、非常に印象的な音色であり、私は昔から好きだった。

 チェンバロ講座 〜ルネサンス バロック そして古典派〜

 5回連続講座 毎週木曜 18:30開場 19:00開演
 場所:保谷こもれびホール メインホール

 第1回 ガンバコンソート
 日時:2005年9月22日(木) 
 出演:神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団

 第2回 バロック再考
 日時:2005年9月29日(木)
 出演:坂由理(チェンバロ)

カンボジアの外資導入政策

 長きに渡り、クメール・ルージュポルポト派の大虐殺による内戦で苦しんだカンボジア。ようやく治安が安定しつつあり、どん底に沈んだ経済を復興させるべく政府は今、外資の導入政策に力を入れている。

 カンボジア開発協議会チャ・ヴィッティー局長は、カンボジアの人件費は中国はおろか、ベトナムと比較してもさらに安い。ぜひ積極的に工場建設などをしてもらいたいと熱が入る。

 中国の衣服縫製工場がカンボジアにすでに出来ている。中国の方式を持ち込み、従業員を競わせながらノルマを達成させていくやり方を採用。成果を上げつつある。

 日本のユニクロや家電メーカーは中国の安い人件費、将来性豊かな市場として中国進出を早めたが、段階は次に移っている。今後、ベトナムに次いでカンボジアは安い人件費を強みに、労働力の供給拠点として伸びていくだろうと思うが、カンボジアらしさを失わずにあり続けてほしいと願う。

東京大学検見川グランドにて

065fd5cc.JPG 昨日、敬老の日、建設業リーグの試合が千葉県の東京大学検見川グランドにて行われた。総武線の新検見川駅から歩いて10分。ゴルフ場、サッカー場、アメフト場、野球場、クロスカントリーコース、テニスコート、職員宿舎、クラブハウスなどが点在する広大な敷地のうちの一つ、松林や笹林に囲まれた天然芝、第3グランドが会場であった。いつもの試合はのんびりとした楽しみの試合だが、今回は珍しく業界リーグとはいえ公式戦。けがをしない程度に本気モードであった。

 相手は太平洋セメント。前半終了間際、GKがオフサイドと勘違いしてペナルティエリア外にて手を使ってしまいハンドをとられる。そのフリーキックを直接蹴り込まれて先制された。ハーフタイムには少々気落ちしたような雰囲気が漂う。
 
 が、GKを落ち込ませないためにも明るく気を取り直して士気を高める。35分ハーフの後半。すでにばてきったベテランは交代となり、ややざる気味だった守備を固め、前線に身長の高いヘディングに強いメンバーを配置。二人のボランチに
 
 「この試合、2点目を取られたらもう終わり。決して不用意に上がらないで。残り10分を切ったら危険を冒して攻撃をする。合図するから。」

 と約束し、最小限度に守備的にしながら虎視眈々と得点を狙った。

 しかし、苦戦。前半のように押されっぱなしではなかったものの、こちらが押し込まれる場面もしばしば。敗色濃厚となってきた。遅刻してきたので後半に入ってから投入されたメンバーが疲れてきて動きが悪い。オフサイドに何度か引っかかるなど精彩を欠き、自分で強く希望してFWをというのでそこに配置したが、ゴール前に詰める動きがなく、たらたら歩き腰に手を当ててくたびれている様子が見て取れた。これはだめだと見切りをつけ、残り10分で交代。交代枠が最後の一枚で全員使い切っていたので、最後の一人、私が入った。

 ちょうど良くメンバーを使い切れたので今日は僕の出番はなしもありうるなと思っていたので張り切って芝の上へ駆けだした。雰囲気を楽しんでいる余裕はない。追いつかなければならない。全員必死だった。私は守備的にポジションをとり、別の味方を前線に待たせた。ボランチも攻め上がり始めた。私は守備の方が自分の能力がいきる。攻めたかったが、やや引き気味に耐えた。
 
 残り時間5分。左サイドバックをしていた私の高校時代の先輩、笠原が敵からボールを奪う。そのまま味方とワンツーでつないで前へ攻め入っていった。私は彼が上がった後ろを埋めながら敵をつぶして守備を補強。彼は前にふわっとしたボールを供給し、それを38歳の俊足FWがうまく受け取れた。FWはそのまま前へ持ち込み、左足でセンタリングに成功。ゴール前の元マリノスユースのたかしにつながった。考え得る最高の絶好機。彼は落ち着いて敵のGKの逆に押し込んだ。 
 
 同点。メンバーはみな芝の上で両手を天に向けて喜ぶ。その後のタイムアップまではあっという間だったが、もう1,2回ほどチャンスがあり、非常に惜しい展開だった。

 九分九厘負けを覚悟して途中交代してから試合が動き、追いついて終了。価値に等しい引き分けであった。終わった後はみな上機嫌。楽しいひとときであった。シャワーを浴びて浴槽で体をほぐして談笑した時は久しぶりにくつろいだ雰囲気を味わった。

 こんな試合は一生忘れない試合になりそうな、その様な気がする。

映画NANA 吉祥寺プラザも行列に

ff36d54a.JPG 矢沢あいが原作の人気漫画がそのまま実写フィルム映画化された「NANA」。公開されたばかり。昨日は五日市街道に面した小さな古い映画館、吉祥寺プラザも行列になっていた。

最も罪深き一族

4da91427.bmp 
 油田に狂奔する戦争中毒にして、拝金主義の偽物キリスト教徒。
 余暇の遊びに呆けて災害被害者を見殺しにした無責任大統領。
 彼を世に送り出したブッシュ一族


中央に
アメリカ合衆国第43代大統領   George W. Bush Jr.
妻 現ファーストレディ      Laura Bush
母 かつてのファーストレディ   Barbara Bush
父 アメリカ合衆国第41代大統領 George H.W. Bush.

左から
Georgia Grace Koch
Margaret Bush
Walker Bush
Marvin Bush
Jenna Bush    ブッシュJr.の娘。バーバラとの二卵性双生児。未成年時の飲酒で摘発されたことがある。
Doro Koch
Barbara Bush   ブッシュJr.の娘。ジェンナとの二卵性双生児。未成年時の飲酒で摘発されたことがある。
Robert P. Koch
Pierce M. Bush
Maria Bush
Neil Bush
Ashley Bush
Sam LeBlond
Robert Koch
Nancy Ellis LeBlond
John Ellis Bush. Jr.   ジェブ・ブッシュの息子
John Ellis 'Jeb' Bush  現フロリダ州知事、愛称「ジェブ・ブッシュ」
Mandi Bush
George P. Bush
Columba Bush

何でも「まんじゅう」にするお国

455ea5bc.JPG どこの観光地に行っても見かけるお土産の一つがまんじゅう。
 
 「○○まんじゅう」
  
 と名前がついているものの、特別ご当地で饅頭が名産であるわけでもなく、ただただ他に名付けて売り出すものもないという実に消極的な理由でまんじゅう化されて店先に並ぶ。形や焼き印などに多少の工夫はするものの、中身は至って平凡なあんが入っているだけなど、別段、おいしくもなんともない。要するに、これらの場合それなりに売れてくれれば何でも良いということ。かつて秩父に「秩父原人」がいたとかいないとか騒がれた時(結局あれはでっち上げ発掘だったとされた)、「秩父原人チプーまんじゅう」が。情けなくて溜息しか出ない。

 この、何でも「まんじゅう」にするお国、日本というものは相当に情けない想像力を自ら証明しているようなものではないかとずっと思っていたが、内閣総理大臣もおまんじゅうに。

 「小泉まんじゅう」、正確には「純ちゃんの黒糖改革まんじゅう」が衆院選の自民圧勝をきっかけに一度生産が止まっていたが再発売された。
 
 東京の荒川区、土産物お菓子卸売りの大藤が企画、販売している。靖国神社、都内あちこちの土産物店で圧勝が決まった12日から売っている。

 このまんじゅうは、小泉政権が成立してブームが巻き起こった2001年に企画された。1年で7万個。他の製品の7倍の売れ行きだったらしい。一度は見切り時が大事だということで生産を1年で打ち切ったが、衆院選での圧勝フィーバーに鑑み、復活。決め手は「刺客」という言葉で大騒ぎだった候補者のぶつけ合い擁立劇にあったという。
 
 日本の観光産業とは、なぜかくも発想が貧困であるのだろう?

全国ヤギサミット 第1日目が終了

3d198a9f.JPG 全国ヤギサミット。今年は福島県郡山市にて。郡山駅から磐越西線に乗って20分ほど、磐梯熱海駅で降りて歩10分、ユラックス熱海にて開催され、第1日目が終了した。参加者はやや少な目であった。懇親会はホテル華の湯にて。
 
 2日目の19日・敬老の日は、実際にヤギ畜産が行われている牧場などを会場にして明日の午前に行われる。お昼には解散予定。

月窓寺 薪能

7c4487fd.JPG 写真は、月窓寺の東門。ちょうどサンロードに面した西友百貨店の前にある。

 吉祥寺最大の寺院、月窓寺。東京都でも浅草寺に次いで二番目の資産を誇る非常に大きな寺である。吉祥寺の超一等地を占める広大な商業街の多くを所有。大地主である。

 この月窓寺では、毎年、名物の「薪能」が開催される。境内で薪を燃やしながら幻想的な能の舞が。詳細はこちらへ。
 
 
 ● 10月14日(金)  午後6時 開演
 ● 吉祥寺 月窓寺境内
  
  (雨天の場合は武蔵野市民文化会館で蝋燭能)

前原誠司

b88b4bc3.JPG 前原誠司。ここ吉祥寺がある武蔵野市や三鷹市、府中市を含む小選挙区の代表として当選したばかりの菅直人を2票差で崩して民主党の新代表に決定した。私にとっては意外であった。事前には菅直人を支持する人間が多いと予想されていたからである。
 
 なぜ、彼が選出されたか。それは代表選での演説にあったらしい。私は聴いていないが、鳩山由起夫をして

 「前原さんの演説は素晴らしかったですよ。あれで(票を投じる候補について)変わった人が相当いるんじゃないかな。」

 といわしめる堂々たるものだったといわれる。労組に引っ張られて郵政民営化反対の判断をしてしまったことを決定的な失敗だったと断じ、民主党を闘う集団に変えることを強く訴えた。今の民主党の崖っぷちを考えれば、知名度、若さなどで大きく頼りない面がある彼であるが、それでもなおその清新な可能性に賭けようと判断した人間が多かったのだろう。菅直人はややしゃがれてもいる声の質が悪く、この十年ほどはもたもたと話す印象が目に付く。女性問題での傷もある。お世辞にも人の心を揺らすような演説の巧者とは言えない。薬害エイズでの奮闘は確かに素晴らしかったが、今、多くの国民はあの事件の事自体が記憶からかすれてしまっている。

 そこで若手の前原。若手リーダー格の1人だったらしいが、端正な顔立ちでも人気があるという。私は全く人の顔のことをどうこういえた立場ではないが、しおしおと良く眺めると、目の輝き、口元の引き締まり具合などから見てとれる彼の人格が読みとれ、それほどハンサムだとは思えないのだが・・・。

 しかもこれは民主党にとって大きな地雷原にもなりうる。彼は、外交・安全保障政策通だとされ、「影の内閣」での防衛庁長官。自衛隊制服組や自民党国防族とも繋がりが深い。憲法9条改正による軍隊の保有を強く訴える政策観を持つ。京都大時代は、あの高坂正尭ゼミ出身。彼を尊敬しているというあたりからもその影響も強いようだ。ちなみに私は高坂など全く優れた研究者だと思わない。
 
 日本が軍隊を持ち、兵士を抱える国となり、陸軍大将や海軍中将がイラク戦争などの最前線へ出向きうる体制を持ち、首相や防衛大臣がそれを切り盛りするという国に大きく変貌することは、その様に望む人間もかなり多く存在するものの、依然、日本国民の総意とは到底いえない。前原の理念型では、「自民党の亜流」どころか、石破茂ら国防族とほとんど見分けがつかない状態となり、逆に強い反感やアレルギーを生み出す原因になりかねない可能性がある。
 
 さらに、彼は小沢一郎らと仲が悪い。日本新党の衆院議員だった1994年、当時の細川護煕が小沢と連携を強めた時に、立党の原点と違うと争って離党した経緯がある。小沢と仲が悪いということは、自民党員時代から小沢と行動を共にして自民党から割って出た時代から一緒だった岡田克也ともそりが悪いということ。当然、菅直人とも近い距離にはいない。政策としては西村真悟などと親和性がある。しかし、西村のように攻撃的で品のない男と近いことは何のプラス要素にもならない。
 
 前原は細川とともに日本新党から政界へ。元々、細川護煕が作った日本新党から政界に打って出た人間は、状況に応じて離合集散を重ねる傾向が強い。当時は細川とともに一緒だった小池百合子らもそうであるが、結局最後は自民党に入るというケースもある。もっとも高市早苗のように選挙前から当選後、自民党に鞍替えすることを決めていながら選挙時には一切言わず、当選後にぬけぬけと移籍するほどは厚顔ではないと思うが。

 前原は、京セラを創業した稲盛和夫らが後援者である。また、あの松下政経塾(8期生)出身。ちなみに私は松下政経塾出身の政治家で尊敬、信頼、評価に値する人物は、現段階ではこれまでに一人も存在していないと思う。私が素晴らしいと思う政治家は、長野県栄村村長、高橋彦芳。あるいは太田市長の清水聖義。前三重県知事の北川正恭なども悪くない。

 さて、これで民主党は本当の「戦う政策集団」になれるか。前原がそうした指導性を発揮できるか。私は逆効果だと思う。このままではかなりの確率で民主党は変貌した自民党に取り込まれ、押し切られ、凋落していくしかないだろう、と思う。

全国ヤギサミット  福島県郡山にて開催

7f7136c2.JPG * 写真はフランス、ピレネー山脈沿いの放牧されているヒツジたち。美しい。

 いよいよ明後日18日、19日と連続で、全国ヤギサミットが福島県郡山にて開催される。以前に17日と間違えて記載してしまった。申し訳ありません。

 「持続可能性のある農業、林業、畜産業」にとって欠かせない今世紀期待のライブストックであるヤギとヒツジ。偶蹄目コンビが人類を救ってくれるかもしれない。

 皆様もぜひどうぞ。詳細は、こちらのヤギネットワークウェブサイト


“第8回全国山羊サミット 郡山大会” 開催のご案内


期日 平成17年9月18日 (Sun) 19日(Mon・敬老の日)

場所 9月18日 郡山ユラックス熱海  TEL:024-984-5377
   9月19日 郡山石筵ふれあい牧場 TEL:024-984-1000

  山羊関連のパネル展示、山羊関連産品の試食、展示、販売、地元物産品の展示・販売などがある。

ヤギ乳の粉末化機械や山羊乳機能性チーズの開発談。ヤギミルクを使ったお菓子の専門店の話。ヤギを用いた水田畦畔除草の試み。情操教育、子育てにヤギを活用したさくらんぼ保育園の事例。フィリピンのヤギ事情の紹介。工場や牧場見学など。

 参加料    テキスト代 1,000円 
 懇親会費(希望者の方)  5,000円

 参加申込みは当日、可能です。

 〒963−1301 福島県郡山市熱海町石筵字萩岡2−2 郡山石筵ふれあい牧場
 TEL:024-984-1000 FAX:024-984-1002

主催 (社)畜産技術協会・全国山羊ネットワーク・(財)郡山市観光交流振興公社
後援 福島県・郡山市・(独)家畜改良センター・(社)福島県獣医師会・(社)福島県畜産振興協会・JA全農福島県本部・福島県山羊協会・ゼノアック 日本全薬工業株式会社

江川卓 巨人監督は興味深い

4fb8cb20.bmp 私は巨人ファンではない。もし、巨人のオーナーがナベツネでさえなければある程度事情は変わっていたかもしれないが。典型的な老害オーナー、渡辺恒雄。この世で最悪の部類に属する人物だと思う。日本の野球界だけでなく、相撲界、マスコミ、政界など全てを腐らせてしまった。日本の著名人の中で、最も旧ソ連のスターリン的な人物ではなかろうかと思う。
 
 私が軽蔑してやまないあの元毎日新聞政治部番記者、岩見隆夫が聞き手になり、中曽根康弘とナベツネがゲストになって収録された最新の放談番組で、ナベツネは、新監督は9月下旬くらいまでには決まるだろう、若手を育てて勝つチームを作れる監督であることが一番だとのたまわっていた。読売新聞にとっても、巨人軍にとってもナベツネがさっさと引退すること以上の「若手育成特効薬」は他に存在しないのだが、ご本人のみそれがわからないらしい。 
 
 しきりに岩見が「H監督」ですかと探りの質問をしていた通り、原辰徳が巨人の監督に復帰するかという話が出ているが、彼は断る可能性が高いらしい。真偽のほどは定かでないが、それが賢明だと思う。「読売内部の人事異動だ」とまでいわれ、あれだけナベツネにコケにされたのだから、原はナベツネが完全引退するまでは復帰しないで力を貯めておいた方が良い。彼がいるうちはあれこれ制約が多すぎてできることもできない。どうせあの男は読売の会長を引退するどころか、寿命そのものがあと何年かで引退である。
 
 私は江川卓のファンでもない。だが、彼が巨人監督に前向きだという話は興味深い。「江川監督」というのは見てみたいと思う。話題にもなるだろうし、今の巨人の投手崩壊状態をテコ入れできる可能性が高い。彼が母校、法政大で臨時コーチになって教えていたのを見たことがあるが、非常に具体的、実践的、合理的、実質的なコーチングだったので感心したことがある。

 江川の子どもと私にはちょっとした偶然がある。彼は吉祥寺と縁が深い。彼の子どもは二人いるが、そのどちらも吉祥寺の産婦人科で生まれたらしい。今はもうなくなったが、駅の南口、丸井百貨店のちょうど裏手あたりに「吉田病院」という評判の病院があった。何を隠そう私が生まれたのもこの病院である。
 
 江川の子供達は、名前が(さき)と(あと)。ふざけて付けた名前ではなく、「日の出=サンライズ」という意味があるのを込めてこのように命名したと本人が言っていた。

 全盛期の江川。松坂、伊良部、五十嵐、クルーンのような「剛速球」というような重い球には見えなかったが、「快速球」というにふさわしい伸びのある、跳ね上がるような球が魅力だった。そして何よりカーブ。すっぽ抜けたように放り投げた球がベースの上でワンバウンドするような低さで届き、それに打者がくるくるとバットを振る姿を良く覚えている。

 饒舌で弁が立った。それゆえ、引退後は完全にタレント。一時はかなりの借金を作ったことがあったが、ものの数年で完済してしまった。視聴率が稼げるお茶の間の人気者である。

 「どうしても巨人に入りたい。」

 その一念からドラフト制度盤石の時期にあえてルール踏み外しすれすれの「空白の一日」作戦で巨人入り。代わりに生け贄になった小林繁と交換で阪神・巨人間のトレードという形式にて入った経緯がある。それゆえマスコミにべらぼうに叩かれた。江川をどちらかというと嫌いだった少年時代の私も、なぜ彼がこれほどまでにリンチを食わなければならないのかがよく解らなかった。今考えればあれもまた極めて「日本的な現象」であった。

 ピッチャーとは守備の要どころか守備そのもの。投手力がないと野球にならないということは、巨人、楽天、ヤンキースに至るまでを概観しても明らかだと思われる。十数年に渡って野球の現場経験が欠落している江川が、栄光の巨人軍監督になれるとすれば、現在のように実力、人気ともに危機的な状況にあり、狙った人材がどれも難色を示したり不適格だったりしているような今を除いては今後、ずっとないだろうと私は思う。
 
 巨人の監督を切り盛りする江川卓を見てみたいと思う。

トレド(Tredo)

0c26c3c3.bmp トレドには世界有数の歴史建築物である、カトリックの大聖堂がある。聖堂装飾には際だった特徴がある。幾何学模様草花模様が多い。これはイスラム文化の影響を強く受けたからである。イスラムでは偶像崇拝を厳しく禁ずる。それはキリスト教も同じであるが、イスラム教のそれはキリスト教よりも徹底している。キリスト教には聖画イコンがあったり、聖母マリア像があったりするが、イスラムには何もない。そのかわりに幾何学的な模様や草花の模様で装飾をするのである。

 トレドはキリスト教とイスラム教との間で何度かその覇権争いがあり、奪還しあってきた歴史がある。だが、当時のカスティーリヤの王は、イスラムの文化を積極的に用いた。

 例えば、ナイフや剣。トレドにはこうした刀剣店が多い。良質な鉄の産地だったトレドは鉄の産業が栄えた。伝統的なトレドナイフは観光客にも人気がある。持ち帰りに苦労するらしいが。薄い鋼を重ねてたたき合わせて刃こぼれをしないように鍛造していくのであるが、これもイスラムの職人が作り出したもの。
 
 きっかけは8世紀。イスラム教徒たちがトレドを支配して、彼ら独自の技術で豊かな鉄を背景に剣を作り出していった。やがて11世紀、アルフォンソ6世がカスティリヤ王国を建国。キリスト教が悲願のトレド奪還を果たした。さて、イスラム教徒の職人を粛清するかと思いきや、逆に彼はそのまま職人達を取り込んで勢力を強めたのだった。アルフォンソ6世は自分の剣を試しに作らせたりもしている。

 また、地下室の雨水を貯水しておくための井戸。これもイスラムの知恵である。今のイラク、バビロン地方など乾燥地域に多く暮らしていたイスラム教徒達は、水についての技術が進んでいた。利水、治水、貯水、灌漑などである。彼らがトレドに灌漑農業の知恵を持ち込んだのである。乾燥地に河から水を引き込んで潤いを与え、豊かな実りをもたらした。

 さらに、数学。ユークリッドの数学書などが残る。そもそも数学は、古代ギリシャ時代、2500年前に学問として生まれたが、その後世界へ広がる。イスラム世界もこれを継承した。イスラム教徒は数学を学ぶため、数学の本をギリシャ語からアラビア語へ翻訳。これがスペインのトレドへ逆輸入されたことでトレドは数学の最先端概念との邂逅を果たす。

 しかし、アラビア語はわからなかった。そこで、カトリック国の共通語、学術用語であるラテン語に翻訳しなければならない。ところが、これがたいへん難しい翻訳だった。ここで活躍した民族がいる。ユダヤ人である。今でもユダヤ人や数学や各種言語に非常に精通している人が多いが、当時もそうだった。基本的に差別された祖国を持たない流浪の民だったから、卑しい職業とされた金貸しなど金融の仕事をしていたことと、商人として欧州各地を行き来していたためにあちこちの言語を習得したからである。彼らは短期間に絶滅寸前だったヘブライ語を復活させるほどの能力がある。

 言語に精通し商人として経済力もあったユダヤ人、その語学力を買われてアラビア語からラテン語への翻訳を担当した。翻訳はこのようだったらしい。ユダヤ人が、まずアラビア語からスペイン語へ翻訳する。そして、それをキリスト教徒がラテン語へ変換するという具合。慎重にチェックしながらやっていったようである。トレドには今もユダヤ教の礼拝堂である当時のシナゴーグが残る。

 こうして数学が伸びた影響もあり、目覚ましい進歩が天文学で見られた。当時、欧州最先端の精度であったとされている。そのため、欧州あちこちから人がトレドにわざわざ文献を求めて集まってきた。トレドは「学問の都」だったのである。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教と多様な宗教が互いを攻撃せずに文化面の吸収に努めた結果花開いた栄華であった。 

 ところが、こうしたトレドの繁栄は、15世紀末、崩れ始める。カスティリヤ王国が1479年、スペイン王国として再編成されてまとまった。時の国王は、1492年、ユダヤ教徒を弾圧。強制的に改宗命令が下り、隠れていると摘発されていくようになった。ユダヤ人達は続々とカトリックに「改宗」。しかし、密かにユダヤ教徒の習慣を守っていた。例えば、金曜の夜に明かりをともすこと。これはユダヤ教のしきたりだった。今もスペインのカトリック教徒達はこれを行っている人が多い。ユダヤ教徒でなくなってもなお、こうして様式性のいくつかは残っているのである。

 やがて、ユダヤ人だけでなくイスラム教徒へも改宗命令が出た。イスラム教徒達は激しく反発。戦争になっていく。ここから激しい争いが延々と今に至るまで続いている。スペインは、16世紀半ば、首都がマドリードへ移ったため、トレドは静かな町に変貌。その影響で今もなお、数百年の時間を経て、歴史的建造物が壊されずに伝えられたことは幸運であった。

 トレドに暮らしている男子学生で、ダビッド・デル・コソさん(24歳)が言うには、彼の先祖はユダヤ教徒だったのだが、そうした残滓を幼少時に覚えているという。彼の祖母はいつもひっそりと祈っていた。金曜日の夜に明かりをともして。ユダヤ教徒の習慣を守っていたのであるが、その祖母は

 「何かを恐れているのだと思う。昔のことを何度聞いてもあまり話そうとしない。迫害の記憶はそれほど生々しく残っているのです。」

 という。

 私はユダヤ教やイスラム教について、「個人的には」好感を持たない面が多いが、信仰上の弾圧を経験した時代は必ず崩壊するというのが歴史が教える圧倒的に正確な事実である。自分たちの宗教を絶対の価値として他人にも強制的に押しつけるやり方がどだい無理な破滅の引き金だということを知らなければならない。今まさに世界中をわが物顔で従わせようと鼻息の荒いアメリカの福音主義派。彼らはそういういびつな宗教勢力である。
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