2006年06月

武蔵野プール & 市立第四中学校プール

 吉祥寺北町の西のはずれ、武蔵野市役所前に広がる総合体育館には通年で営業している温水プールのほかに、夏には屋外の武蔵野プールがオープンする。そして、同じ敷地内に武蔵野市立第四中学校があるが、ここにも設置されている温水屋内プールとあわせて7月1日からこれらが一般人向けにオープン。泳げるようになる。

 かつて私が小学校低学年だった頃、この武蔵野プールは何と10円だった。今は高校生以上は200円と値上がりしたが、小中学生はいまだに10円。安いと思う。決してボロッとした汚らしいプールではない。定員は1400名。土・日の13時頃から16時頃までは混雑で入場制限がありうる。 
 
 雨天時、寒い日は屋内のみになる。

 9月上旬まで間、大人が200円、小・中学生10円で2時間まで泳げる。なお、この季節は隣接する温水プール(25mプール、15mプールのみ)との間にある壁を開けているので、合計で4つのプールを自由に行き来しながら利用できる。小学3年生までは高校生以上の付き添いが必要。責任者1人につき未就学児は2人まで。


 武蔵野プール
 武蔵野市吉祥寺北町5-11-33
 時間  9:00〜18:00 (18時以降は温水プールのみ)

 料金(2時間)
 高校生以上:200円
 小・中学生:10円
 未就学児:無料 (おむつのとれた子どもならば入場可。)

 ※ 市民のゴールドカード・プラチナカードを持っている人は無料。夏季期、市民カードは不要になる。

 必ず水泳用の帽子をかぶること。貸してくれるが、持参すべきであること言うまでもない。

人形劇こぱん

b8689f6d.jpg ここ吉祥寺には、人形劇こぱん、という人形劇を催してくれるグループがある。残念ながら、私自身はその劇そのものを見たことがないし、したがって、どういうものであるのかわからない。案内のポスターを見ると、吉祥寺東町や本宿を中心にして活動しているものと推察される。

 このこぱん、来月7月8日の午後、1時間のみ人形劇をご披露してくださる。もちろん、入場無料。本宿小学校に隣接するコミュニティセンターにて。とてもきれいなコミセンである。真横に大きな送電線の鉄塔があるのですぐわかる。

 吉祥寺駅北口から100円のムーバスに乗ると東循環ルートで10分ほど、本宿小学校で降りてすぐ。
 
 人形劇の内容は、

 ジャックと豆の木
 手遊び

 など

 7月8日 土曜 2時ー3時 本宿コミュニティセンター

引きこもり 団塊世代の父親は外へ出て・・・

b6799119.JPG 斎藤環という精神科医がいる。爽風会佐々木病院の診療部長として日々、臨床診察を行う傍ら、著作やメディアでの活動も多い。端正な顔立ちで流暢にコメントする人で、NHKの番組などでもゲスト解説者として見かける。筋の通った、均衡のとれた解説をする人だと思いながら見ている。オタク文化にもかなり詳しいマニアックな面も持っているそうだ。

 NHKの教育テレビの中で引きこもりの問題についてこのようなことを言っていた。定年退職後、父親が家庭の中で朝から晩までずっと過ごす場合があるが、これは引きこもりの子どもを立ち直らせるのに大きな障害になる。とりわけ、引きこもった子が男の子であった場合には致命的な打撃になる、と。居間で父親が寛いでいるところには息子はよほどのことでもない限り寄り付かない。息子は二階の自室から一階へ降りてくることすらしなくなってしまい、引きこもり治療を行う上で手の施しようがなくなるのだ、と。

 だから、斉藤医師は、面談して引きこもりからの立ち直りの処方箋を考える場合、そうした父親に、図書館でも、喫茶店でも、ドライブでも、釣りでも、パチンコでも、居酒屋でも、とにかくどこでも良いからとにかく朝から夕食までの間、家から出ていてほしい、どこかへ出かけていてほしい、と強く勧めるそうだ。

 現実に圧倒的多数の日本人の男にとって父親とは煙たい存在でしかないのではなかろうか。円滑で親しげな会話など普通は成り立たない。タイガー・ウッズの父親のように父親がかけがえのない親友だ、というようなケースはほとんどない。

 今、日本は空前の退職者続出期。団塊の世代がどっと仕事を辞めて余生を楽しむようになっている。観光も、デパートも、あらゆる産業が、この高い可処分所得を持った、日本最大の太い人口帯に照準を定めて広告宣伝合戦。しかし、多くの団塊の世代の男の人は、特に働き疲れてリタイアしたサラリーマンや公務員の人たちは、第二の仕事を探したり作ったりして挑戦するというよりは、日がなすることもなくぼんやり過ごすことが多いのではなかろうか。

 これは非常に望ましくないことではないかと思われる。50歳代後半というのは急激に脳細胞や体力が衰える時期。何もしないでぼやっとしているとあっという間にどこから見ても老いぼれた「老人」の仲間入り。体力的な面のそれはとりあえずおいておくとして、精神的、人格的な意味の「老人」とはつまり、柔軟性が無く、意固地で頑固になっていき、何につけ物忘れが当たり前になること。こうなってくると周囲がその人をそういう人物だ、とみなして老人扱いして遠ざけるようになるので悪循環に陥り、滑落するかのように人生の潤いやしなやかさ、ふくらみが消えていく。

 鬱病患者に対する処方箋として、

 「心が動かないときには体を動かしなさい。」

 といわれる。もちろん、まだ動かそうと思えば体が動く人にとっての話であるが、例えば、私の好きな元柔道無差別級の篠原信一も一時、重症の燃え尽き症候群になったとき、意図的に体を動かして立ち直ったといわれる。
 
 それと同じで逆のことも当てはまる。

 「体を動かさないと、心も動かなくなる。」

 定年退職期を迎えた世の男の人たちへ衷心から申し上げたいことは、とにかく何でも良いから外へ出ていった方が良いということ。本当にやることが無いのならば、フリーの立場で何か仕事を少しやるだけでも良いのではなかろうか。運転免許を持っているならば、運転代行の会社に登録してみるとかしても良いだろうし、ちょっと思い切って今までやったことが無いことをやってみると良いのではなかろうか。私が非常にお勧めなのが農業の短期アルバイト。日本の農業で大規模に栽培しているところは、通年で忙しくはないが収穫期などは目が回る忙しさになるので必ずアルバイトを募集している。

例えば、長野県川上村。レタスなどの栽培で有名だが、必ずアルバイト募集がある。こういうところに行ってみると良いと思う。あまり期待した金にはならないが、少なくもちょっとしたお小遣いくらいにはなるし、健康にもよく、何よりたいへんフレッシュな経験になる。土をいじるというのはとても良いことで、私もバザー用にと鉢植えにせっせと土を農家から格安で買ってきて詰め込み、種や苗を植えて並べるだけでそれはそれは楽しく、また達成感のある感覚が蘇る。人間はあまり母なる土や海から離れて生きないほうが幸せだ。
 
 全てがそうではないと思われるが、子どもが引きこもり気味、不登校気味という家庭の場合、多くが父親が日中、家を外したほうが良いらしい。団塊の世代の父親の人たち、まだ老いぼれるのも、家に引っ込むのも早すぎると頭を切り替えてみてはいかがでしょう。

吉祥寺西公園

85c5d043.JPG 駅から西へ。中道通りを進む。吉祥寺本町3−7、かつて旧大蔵省が所有していた土地で、外務精励会跡地として武蔵野市が開発をすることになった場所にできたのが吉祥寺西公園である。

 住民参加型の開発を考え、「吉祥寺西公園基本構想策定委員会」が作られた。この委員会が市民参加によるワークショップを開催。周辺に暮らす市民の考え、アイデアを盛り込んで基本構想をまとめ、具体的な設計が行われた。

 そのフォーラムの名前が「樹の下で語ろう」フォーラムといっていたことからもわかるように、2本大きな檜が立っている。これをこのまま残して、その下をほぼそのまま草地にして開放した公園ということになっている。本来、こうした憩いの場にいらない余計なごちゃついた装飾物はいらない。たいへんセンスの良い、落ち着いた公園になって蘇った。防災用品などの収容も可能な役割を持たせている。およそ2100屬箸いΔなり広くまとまった土地だけに開放感がある。目の前は井の頭通りに面した高級スーパー、KINOKUNIYA。

 毎週水曜には軽自動車で「吉ぱん」がパンを売りに来て多くの人が買っている。親子連れでなにやらもしゃもしゃ食べながら座って遊んでいる人たちを非常によく見かける。私はサッカーに行くとき、必ずこの公園の目の前のT字路を曲がっていくので馴染み深い公園。

急行 奥只見

e782bf2d.JPG 東北本線の郡山駅から内陸部に磐越西線で入っていくと会津若松。そこからさらに日本海に抜ける路線が只見線。福島県の会津若松と新潟県の小出、新津などを結ぶ。非常に自然が色濃く残った山岳・渓流地帯を抜けていく。

 かつてここには急行列車の「奥只見」が走っていた。今はなくなってしまっていたが、これが18年ぶりに復活する。新潟県中越地震で2年、復活走行が延期されていた。クリーム色と朱色の二色塗装はかつての「国鉄色」。電化されていない区間を走るのでディーゼルの気動車である。利用者が減ってしまったので1988年3月で終了になっていたが、急峻な豪雪地帯を比較的高速に移動できる列車であり、貴重だった。そもそも急行券が必要な急行ではなく通常の快速で運転すればもっと需要は伸びたはずだと思えるのだが。

 記念復活は7月15、6日の2日間だけ。たった2両編成の44席が指定席。数時間で売り切れたらしい。この車両を撮影する鉄道ファンもどっとやってくるはず。小出のさらに先にある上越線、浦佐駅まで延長運転され、かつてのアナログ式衝突防止装置「タブレット」も使用される。

高井眞 個展 「安曇野・楽」

 ここ吉祥寺のある武蔵野市は「姉妹都市」という結びつきはないが、「交流都市」という自治体相互交流は積極的に行っている。岩手県遠野市山形県酒田市千葉県南房総市などがそれにあたり、長野県安曇野市とは市町村合併前、旧豊科町と1987年から交流都市だったこともあり、今、継続して交流を持っている。そのせいか、安曇野の文字は時々、市報やその他の催しでも見かける。

 その安曇野の風景を描き溜めている画家に府中市在住の高井眞さんがいる。1941年東京生まれ。東京学芸大美術科を卒業。95年から毎年、ここ吉祥寺で個展を開く。今年もただいま開催中。ギャラリー創にて行っている。ちょうど五日市街道に面し、中村法律事務所の隣である。

 テーマは、「安曇野・楽

 咲き競う花の山里(15号)

 などの美しい風景をモチーフにした作品が多い。今日が最終日。ただ、彼の作品について感じたことは、総じて全ての絵の描写が粗い。筆遣いがかなり大雑把であり、細かく丁寧に筆をおいているという印象がない。それはそれでそういう描き方としてありうると思うのだが、全てがその描き方だとどうも物足りないアマチュア的印象が強く残る。

 6月22日(木)〜6月28日(水)
 12:00〜18:00(最終日17:00) 入場料 無料
 リベストギャラリー創  
 東京都武蔵野市吉祥寺東町1-1-19
 0422-22-6615

 高井眞 略歴

 ’76・79・82 ソフィア・トリエンナーレ招待出品
 ’78〜94      毎年6月画廊駱駝館企画個展
 ’94     豊科近代美術館個展
 ’95〜02    6月リベストギャラリー創にて企画個展

 個展回数 39回
 グループ展 39回
 183−0003 
府中市朝日町1−12−3 
042−363−3277

黄金の世代 最後のワールドカップ

b0f8e129.bmp 今回のワールドカップにおいては、世界的な一流サッカー選手を多数輩出した「黄金の世代」が最後の活躍を見せている。それは1972年生まれの人たち。何を隠そう私と同い年の人たちなので非常に思い入れがある。

 ジダン(仏)、フィーゴ(ポルトガル)、ネドベド(チェコ)ら錚々たる顔ぶれ。全員、欧州最優秀選手(バロンドール)受賞経験者である。今年34歳。この年齢でなお世界トップクラスの身体能力を持っていることは誠に賞賛されてしかるべきだ。

 野球といわず、サッカーといわず、スポーツ選手は経験のある一流選手はおよそ30歳前後まで体力的、技術的ピークに達する人が多い。イチロー、井口忠仁(32歳)も、松井秀喜(31)も、中田英(29)もこの前後の年齢でアスリートとしては最終ピークのように思われる。

 だが、ぼやっとしているとここから落ちるのが非常に早い。半年ごとにがくっと体力、筋力が落ちていくのを体感する。向上させるのは限りなく難しく、落とさないようにするのが精一杯。ぼやっとしていると滑落するかのように落ちていく。34歳というと例えば、日ハムの新庄と同じ。新庄も動体視力や、肩の強さ、筋力、脚力などが落ちてしまったことを体感し、今年を最後に引退を決めた。
 
 実際、ジダン、フィーゴ、ネドベドの3人も全盛期の動きと比較すると明らかに落ちている。全員、これを最後に代表から、あるいは一線級のチームから退くと表明済み。ネドベドは残念ながら予選でワールドカップが終わってしまったが、ジダンとフィーゴはまだ残っている。

 ジダンはフランスの主将。前々回は地元開催で優勝、が、前回は無得点で予選負けであった。一度は代表から身を引いたが、仏の大苦戦のため欧州予選途中からマケレレ、テュラムとともに再合流した経緯があり、今回には期するものがある。アンリという超一流トップとの組み合わせもこれが最後になる。両者、人格的にもそれほど仲が良いわけではなく、また、プレイスタイルが全くなじまないのでジダンが出る試合ではアンリがいつも輝かない。スピード重視、強引な突破を身上にしているアンリと、しなやかで華麗なボール操作を生命線にしているジダンでは呼吸がずれてしまう。だが、アンリとて仏チームの惨敗を願っているわけがなく、何が何でも王者ブラジルと準々決勝でぶつかりたいと切望している。ぴたりはまったプレイが見てみたいと思うファンは大勢いる。

 ジダンは芸術家のような風貌、物腰に見えて感情的にもかなり闘争心を燃やす。予選で韓国と対戦した時、試合終了間際、やらなくて良いファールでイエローカードをもらい累積警告でトーゴとの最終予選に出られなくなった。それに憤激し、退場処分を受けた直後にグランドから出てすぐ蹴飛ばしてスタジアムの扉を壊してしまった。ワールドカップのためにぴかぴかにきれいにしたばかりのスタジアム。普通ならば当然、FIFAかフランスチーム、あるいはジダン本人が弁償するところであるが、何とスタジアムの関係者はこの「歴史的な扉」を修理しないでそのまま保存することにしたのだった。

 「熟慮の結果、サッカー史上、最も偉大な選手の1人に蹴られてへこんだ扉は保存することにした。」

 ジダンの存在感がわかるというもの。72年生まれ、英雄たちのワールドカップにおける最後の勇姿をお見逃しなきよう。

華麗なディフェンダーの作り方

e9faa673.bmp ブラジル代表チーム、その名も「セレソン」。カナリア色のユニフォームを身にまとい、国民の羨望を一身に集める英雄たち。日本のJリーグで断トツの得点王に輝いたあの元浦和、エメルソンでさえ、このセレソンには候補選手としてさえ名前が挙がらなかった。それほど水準が高い。

 さて、現在このセレソンが誇る重戦車フォワードにアドリアーノがいる。身長189cm、体重は90kg近いのに動きは俊敏でかつ空中戦にも強く利き足が左足。希少性もあり今はイタリア、インテルミラノのエースストライカーでもある。かつてはスラム街で暮らし、友人が麻薬取引でもめてギャングに目の前で射殺された現場も見たという。

 このアドリアーノ、磊落な性格で夜はドンちゃん騒ぎの常連。チームメートと喧嘩する軋轢も数知れず、何度と無く所属チームからたたき出されたりもした。罰としてフォワードからセンターバックへコンバートされたこともある。2年ほどそれを務めていたが、自ら志願してトップFWに戻してもらったのである。今は熱烈なインテルファン数人が、何日も連続して飲んだくれているアドリアーノを取り囲み、バーの外へ連れ出しては、明日は練習、明後日は試合、期待しているのだから早く帰って休んでほしい、頼むから、と働きかけた。さしもの酒豪アドリアーノもこうした熱意に打たれて異常な豪遊をやめたという。今は子どもも生まれて幸せいっぱい状態である。

 このアドリアーノに限らず、センターバックやサイドバック、守備的ボランチを務める、あるいは務めたことがあるサッカー選手には、かつて、あるいは現在、トップフォワードの人間が多い。井原正巳(元日本代表)、田中マルクストゥーリオ松田福西らがそれに当たる。共通するのは足が速くて、キック力、ジャンプ力があり、空中戦に強いということ。これらは理想的なディフェンダーの素養といえる。

 思うに、若手期待の星、平山相太森本貴幸らも含め、ディフェンダー兼任のフォワードを日本代表にどしどし入れて実験してみてはいかがだろうか。トップFWしかできないという選手は1人か2人でよいはず。例えばそれはロナウドルーニー(英)、シェフチェンコ(ウクライナ)、アンリ(仏)、日本で言うならば大黒のような選手。動物的な身体能力と勘で得点するタイプである。

 複数のポジションをこなせる選手を増やすべきだと思う。そうすれば、けが人や退場者が出た時の緊急対応にも幅が出てくる。中盤選手はなかなか才能が必要であるのでマルチプレーヤーが難しいだろうが、トップとディフェンダーの兼任は十分出来る。もちろん、中田英、小笠原、松井、サントスなど、中盤とトップの兼任などもっと簡単だろう。代表入りさせる専任トップの選手の数を2人くらいまでに減らして良いと思う。
 
 実際、巻には欧州クラブからいくらも話があった。

 「ディフェンダーとして少し鍛えれば、2億、3億の年俸の選手にすぐなれる。」

 結局、本人もそれを断り、話が流れている。もったいなかったのではなかろうか。かつて日本に高木(現FC横浜監督)というヘディングが強いトップFWがいたが、いかんせん、足技が下手だった。だが、彼をもし、井原と並ぶ守備の要においていたらどれほど戦力になっただろうかと思う。

 日本の中盤選手はみな世界一級の実力がある。中田英、中村俊、遠藤、小野、小笠原、松井らそうそうたる顔ぶれ。だが、前と後ろが弱すぎるのである。中澤だけは不動のセンターバックとして固めて良いと思うのだが、巻、平山、トゥーリオ、森本、坪井、松田ら、大きくて俊敏な頼もしいアスリートたちがずらりと日本代表の後ろを飾ってもらえないものだろうか。

本日、19時から テゼ・音楽の集い at カトリック吉祥寺教会

f49ea617.jpg 本日、19時から、フランスのテゼにある共同体(ブラザー・ロジェによって設立された)が世界に広めた超党派の「テゼ・音楽の集い」がここ吉祥寺で行われる。カトリック吉祥寺教会大聖堂にて。青年会、若葉の会が主催。「聖霊降臨=ペンテコステ」を主題に据えて行われる。
 
 ロンドン大学に留学中、国際NGO関連のインターンなどを兼ねて一時帰国しているソプラノのソロ、Mayteさん(本名ではなく、ニックネーム)は美声の持ち主。期待できると思う。

 その他にも、使用予定楽器としてフルート、チェロ、バイオリン、ハープ、ギターなどがある。

 だれでも、無料で参加できる。


 ・歌われる予定の曲一覧

 ♪ 聖なる霊よ愛の火よ(39)

 ♪ イエス内なる光(24)

    詩編 51・9-14 + ♪イエスよあなたは

    朗読 エゼキエル37:1-9

 ♪ 主よ注いでください

 ♪ アレルヤ  朗読 ヨハネ14:16-20

 ♪ ヴェニ・クレアトル・スピリトゥス(18)

   黙想の沈黙 

 ♪ 愛にみたされ

 共同祈願 + ♪キリエ1(60)

 ♪ 主の祈り 歌唱版

   祝福

 ♪ 主こそまことの救い(2)

 ♪ 主をたたえよ(16)

 ♪ 主は種をまく

法政高跡地 地区計画

c567a50b.jpg 法政第一中・高が移転して、三鷹市牟礼の旧東京女子大跡地に移転し、現在存在している吉祥寺東町はマンションになる予定であることはすでに書いたが、この施工主が買い取った長谷川工務店からさらに変わり、この土地にどのような建物が建てられるのかがわからなくなっている。
 
 とりわけ吉祥寺東町の住民たちは強い関心を持っているので、住民がこの地の開発について「地区計画」の提案が出来るように、市議会でその条例化に間に合うよう協議会を作った。明日、24日に本宿コミュニティセンター2F・こぶしの間にて集まりがある。着工までに条例化を間に合わせないと時間切れ。かなり日程的には厳しいが、取り組み始めるようである。

宇宙の音楽

 立教大でかつて教鞭をとっていた皆川達夫さん。今は引退し、ポリフォニークワイヤーの指導などをしながら、執筆研究活動も続けている。毎週月曜、東中野の日本基督教団新生教会で聖歌隊の指導はしてらっしゃるのを何度か見かけた。

 彼から教えてもらったことで、西洋社会の教会音楽は、音楽に3種あると考えていたという。ラテン語で
 
 musica mundana     (宇宙の音楽)
 
 musica humana     (人の音楽)
 
 musica instrumentalis (道具の音楽)
 
 宇宙の音楽というのは、もっとも本質的な音楽をいうそうだ。耳には聴こえない。しかし、規則正しく運動する音楽。

 キリスト教徒だとこの摩訶不思議な概念が何となくわかる人が多いのではなかろうか、と思う。

あじさいの風景

e2fe140a.JPG 梅雨。吉祥寺のあちこちで、お寺や一軒家の軒先からあじさいを見ることが出来る。安養寺のそれをはじめとしてどれもみな見事だ。ある飲み屋の縁側にもあじさいが開いていた。不幸にも私はお酒を飲まないが。

 時に息を呑むような美をふりまくあじさいを見かける。私の自宅近くには白に青紫が混じったとてもきれいなあじさいが民家の塀越しに見える。形容しがたい美しさである。

 あじさいは土の養分によって咲く花の色、色合いが変化するといわれる。全く同じ株が植えられた土によって開く花の色に変化が出るというのは面白い。

 日本が世界を圧倒する技術、研究開発領域にコンピュータの暗号化技術があるが、世界標準になっていたアメリカのDESを解読し、世界をあっといわせた三菱電機の松井充さんも、しばしば研究所近くの鎌倉にあるお寺へ散歩に出かけ、あじさいを見ては発想のリフレッシュを図っているという。

 5年以内の実用化が見えてきた量子暗号化送信は究極の暗号化。盗聴、掠め取り行為そのものがデータの破壊、消滅とイコールなのでハッカーはどうしようもない。よくぞああいう概念で暗号化そのものを捉えなおしたものだと驚かされる。技術革新の進歩にとって、方式、形、内容、アプローチの選択肢はひと色ではない。あじさいの色や花弁の形のように。

ムーンライトえちご

4e900ea9.jpg 夜行快速列車、「ムーンライトえちご」。東海道線を走る「ムーンライトながら」よりも知名度が低いが、高崎線から上越線を走って新潟駅まで行く列車である。青春18切符で乗ることができる。新宿駅を23時8分に出発。新潟駅には早朝に到着する。以前は新潟駅のさらに先、北陸本線を日本海沿いに北上して瀬波温泉で有名な村上駅まで行っていた。だが、現在は新潟到着までに短縮されている。けちらずに酒田駅あたりまで行ってくれればもっとありがたい路線になるのだが・・・。

 その日によって色々な車両が用いられる。比較的新しい車両が使われることが多いが、偶然、新宿駅で見かけたそれは旧式のL特急を用いていた。えんじ色とクリーム色の二色塗装のもので旧国鉄時代からのもの。

 この夜行列車、実際に乗ってみればわかるが、普通席に座ると眠れない。眠りにくいといったほうが良いかもしれないが、背もたれの角度に限界があり、座席が狭いので体の節々が痛んでしまう。かなり疲労困憊のまま現地に着くという状態ではあまり建設的とはいえないかもしれない。

 ムーンライトには一応、グリーン席もある。グリーン席は「準寝台車」くらいに思っても良い。ぐんと背もたれが伸びて倒れてくれる上に、頭の部分を支えるヘッドレストがあるので顔を傾けても楽に眠れる。足を置くフットレストもあるのでかなり快適に眠ることが出来る。ただ、グリーン券は高いのであまり現実的な選択肢にならないかもしれない。

 もし、この列車が秋田駅まで延長して運行したら、首都圏に暮らす人たちが大勢、世界遺産、白神山地を訪れてくれることであろう。実にもったいない、と思う。

「やさしいまちに、なりたい」のならば

 埼玉県戸田市。新宿から埼京線でわずか20分足らずの新興住宅地域。市長は神保国男。夏には荒川沿いの広大な河川敷を活用して戸田橋のところで大花火大会が開催されて有名。その時には空前の人手になり、交通整理もなされる。公式ウェブサイトのトップページには

 やさしいまちに、なりたい

 とある。
 
 しかし、この戸田市、他人の人権に配慮しない、「やさしくない」ことがあった。市立小中学校で3月から4月に行われた卒業式や入学式で、君が代斉唱時に起立しなかった大人の来賓、保護者について教育長の伊藤良一が1週間前の戸田市議会(今月13日)で以下のように答えた。

 「(そのことが事実であれば)はらわたが煮えくり返る。・・・内心の自由という人がいるようだが、生徒たちの前で規律を乱すようなことがあってはならない。」

 市議の保護者、来賓で起立しない人がいたがどう思うかという一般質問に対しての答弁。そして、何と戸田市教育委員会も起立しなかった来賓の氏名や人数の調査を検討していると市教委自身が述べている。

 教育長の伊藤良一、別に選挙で選ばれた自治体の首長でもなければ、提起された行政訴訟の担当裁判官でも、検察官でもない。たかが一役人の一人に過ぎない伊藤が、これほど尊大な発言を堂々と市議会ですることが許されていること自体、異常を極めた前代未聞の人権侵害。

 「規律を乱すようなことがあってはならない。」

 と大の大人に要求するその態度。まるで軍隊の将軍のようである。彼はいったい何様のつもりなのであろうか。

 政教分離も、精神の自由も、人権原理も何も知らぬ、わからぬこうしたおおばか者が教育長をやっていることは笑い話では済まされない。東京都の教育委員会が地方公務員法を理由に起立を拒んだ教員を大量処分したものは有名だが、来賓や保護者に関しては教育委員会に指導権限などない。調査することになれば前代未聞、実際に調査しなくても
 
 「調査を検討している」

 と教育委員会が述べるだけで心理的な圧迫感を与えるに十分すぎること。

 思うに、こういうやつらのほうこそよほど愛国心を履き違え、日本の国の恥となっているならず者と呼ぶにふさわしい。

 君が代斉唱、もちろん私も敬意を表することを強制されたくはない。立憲政治に基づいた民主主義のこの日本が「君(天皇)の代」だと思わないからである。これが、「阿弥陀の代」、「法華の代」、「アッラーの代」、「キリストの代」という歌だったら異常でありとてもついていけないということと同じである。

 「やさしいまちに、なりたい」

 のならばこういう大ばか者の跳ね上がりを抑えることが先決。

 しかし、日の丸、君が代については事前の予想通り、強制はしないという立法時の説明など完全にひっくり返された。正体不明の空虚な中心に向かって無限に奉っていく国、日本という性質は、逆に強まっている。

祝!小湊鉄道の復旧

997ab9af.bmp 房総半島を西から東へ。内房線の五井駅から始まり、養老渓谷を経て、外房線の大原まで抜ける第三セクターの地方路線に小湊鉄道がある。途中、養老渓谷の次の駅、上総中野駅でいすみ鉄道という別の第三セクター路線に接続している。元々かつてはどちらも国鉄だったのだが、不採算路線ということで切り捨ててしまい、それを辛うじて三セクローカル線として存続させているのである。

 さて、この小湊鉄道、大雨でがけ崩れが発生していたため、養老渓谷駅と上総中野駅との間が2ヶ月ほど不通状態で代行バスが走ってしのいでいたが、昨日、晴れて復旧工事が完了。全通した。春の観光シーズンには大打撃であったが、夏のシーズンには間に合った。大変喜ばしい。

 この小湊、いすみの2路線は、慢性的な赤字であるが、涙ぐましい経営努力によって低コストの運行に努めている。NHKの教育テレビ、「未来人」の中でも紹介されたように、橋梁などをこまめにメインテナンスする手法により寿命を倍増させ結果として大規模な架け替え工事などの回数を大幅に減らしていくという元国鉄マン社長の知恵と実践による路線保守管理が実践されている路線でもある。
 
 鉄道路線は利便性と観光路線としてのてこ入れをきちんと行えば、必ずしも赤字になるとは限らない。JR東日本はなぜこのような路線をあっさり切り捨ててしまったのか、もったいないと思われてならない。この路線、大変に美しい渓流、里山、中山間地帯を抜けていく路線で夢のように美しい。幼少時、養老渓谷に連れて行ってもらった記憶とともに私にも思い入れが強い路線、場所。
 
 当時、私はちょうど左手の親指を大怪我していて包帯が巻かれていたためにせっかくの渓流遊びだというのに泳げないということになってしまったのだが、左手にビニール袋をかぶせて輪ゴムでしばり、左手を上げて濡らさないようにしたまま結局はぱしゃぱしゃと養老渓谷を泳いだのだった。

 当時と変わらぬ美しい風景が今も広がっている。皆様もぜひ。車ではなく、電車で行きましょう。温泉もあるよ。


 養老渓谷温泉郷  http://www.yorokeikoku.com

 養老渓谷観光協会 http://www.yo-ro-kadoya.co.jp/kankou.html
 
 小湊鉄道  http://www1.odn.ne.jp/kominatotetsudou 
 いすみ鉄道 http://www.isumirail.co.jp

えこひいき癖

21b5fee0.bmp スポーツの監督に選手起用についてえこひいき癖があると選手が知ってしまった場合、率いているそのチームの団結力、士気に大きな影響を与える。ひいきされていない選手はどうしても心理的に腐ってしまう。いくらそれで高給をもらっているプロ選手とはいえ、公正に実力を評価してもらえないのだからしかたないことだ。
 
 「控え選手の心理」
 
 というものは複雑なもので、非常に屈折した思いを押し込めたままになる。湘南ベルマーレに所属したばかりの時期には出場機会が非常に少なかった中田英。彼でさえ「中田語録」の中で、自分が出ていない試合の勝ち負けにはあまり興味は無い、控え選手の心理なんてそんなもんですよ、と書いていた。

 今だからいえるが、私は高校生時代ずっとベンチの補欠にも入れない下手くそ部員だったので、自分の高校の公式戦など勝ち進むことに興味はなかった。ただ備品の運搬に借り出されるだけ。練習試合と異なり公式戦の後には2軍のための短い練習試合すら組んでもらえない。面白くもなんともなく、せっかくの土休日の時間を空しく無駄に過ごさせられるだけであった。

 何より顧問の体育教師(これが救いがたいどうしようもない幼稚な男で、今はあれが何と副校長=教頭になっているというのだから驚く。)が二軍選手をぞんざいに扱い露骨に手抜きをするのでたまったものではなかった。今思い返すだけでもあれがもっとも腹立たしい憎悪の記憶として蘇る。

 ワールドカップで日本代表を率いるジーコにもえこひいき癖が強い。それはもうあからさまといって良い過ぎではなく、重用される人間とパージされる人間との扱いに天地の違いが。スタッフ面でもそうであり、実兄のエドゥーを入閣させ、子飼いのジュニーニョらも強引に入れて身内でスタッフを固めてしまった。

 選手面でのえこひいきは自身が選手、総監督を務めてきた鹿島アントラーズ関連の選手が多いが、その他にも数人がジーコお気に入りメンバー。柳沢、小笠原、中田浩、宮本、玉田、久保、加地、三都主。逆に有数の実力を持ちながら干されてしまった有力選手(松田、トゥーリオ、平山ら)も多い。辛うじて代表入りはしても小野や遠藤、大黒のように冷遇される選手もいる。
 
 三都主はジーコお気に入り選手の典型であるが、あれほど守備に穴を開けてピンチを招いているのに性懲りも無く起用し続けるのは彼と一緒に心中でもするつもりかと思えてしまう。ワールドカップ予選、クロアチア戦でも辛うじて0−0で引き分けたが内容面では完全に負けた試合。川口が起死回生の読み勝ちで止めたPKを含め、5,6点取られていてもおかしくない。逆に日本はとれていても1,2点だったろうと思う。
 
 サントスの守備手抜き病は重症でどうしようもなく、左サイドを駆け上がってセンタリングした攻撃が失敗で終わった後、たらたら歩いて戻ってきている姿には情けなささえ感じた。その直後に大ピンチを招き何とその守備のカバーにトップFWの高原が入って何とかしのいだ場面さえあった。足が止まって戻りが遅れ中田英のクリアで命拾いした局面も。全く「守れないディフェンダー」という笑い話のような三都主が試合に出ているだけで危険な試合が保障されたようなものである。

 クロアチアの監督、クラニチャルもえこひいき癖が強いので評判が悪い。息子のクラニチャル(背番号19)を代表に起用し、先発出場させている。実力的には代表入りすることさえおかしいといわれる程度であるが、親ばかを超えた究極のえこひいきでチーム内ではそれがかなり怨恨のようになっていると報じられている。まるで息子カツノリをどの球団でも重用する楽天監督、野村克也のようなもの。

 先日、NHKの番組、「プロフェッショナル」で静岡県の強豪、清水市立商業高サッカー部監督、大滝雅良が特集されていた。番組の詳細を描くのは省くが、彼にはお気に入りの選手がいる。番組では実名で出ていたが、S山くんといいトップ下で起用される背番号。清水市商では伝統的に8がエースナンバーだとされているそうで、小野伸二もかつてはこの番号であった。

 S山くん、守備の手抜きを指摘されると

 「わけわかんねえ。何で俺が守備やんなくちゃいけねえんだよ。」
 
 とふてくされる有様でとても見ていられない醜態。腐ってサッカー部を辞めることすら考えていたようであるが、監督の指導で立ち直っていく様子が描かれていた。怪我をしていて試合に出られそうに無い時でも彼の名前はエントリー選手一覧に載せ、しかもその背番号は8番と指定する大滝。エースは彼だということを意味しているのだが、あの映像をみた清水市商サッカー部の他の生徒たちはどう受け取るだろうか?不愉快に思ったはずである。どれほどわがままであっても、怪我をしていて出られなくても特別待遇でひいきされるのだから。

 これがプロチームやユースのようなクラブチームであればまだ事情はわかるも、大滝は税金で運用されている公立高校の教諭という公務員。サッカー部の活動もこの公教育の一環として行われているに過ぎない。明らかに彼のあのようなやり方には問題が含まれており、もろ手を挙げて立派な人だ、と尊敬することはできない。

 私が尊敬する高校スポーツの監督に、兵庫県の駅伝の強豪、西脇工渡辺公二監督がいる。彼は何より控え選手を大切に扱う。控えなしに駅伝を勝ち抜くことはできないとわかっていることもあるが、チームの団結、練習の士気を保つ上でもそれが不可欠だとわかっているから。かつて大怪我をしてアスリートの道を絶たれた彼らしい姿だと思う。優勝した時にも真っ先にしたことは控え選手一人ひとりと握手をし君たちがいたから優勝できた、と声をかけることだという。

 翻ってジーコ。彼の選手起用に首をかしげる人は多いと思うが、たとえ異論があってもえこひいきがない公正な起用でありさえすればまだ理解できる。彼のそれはどうみてもプロらしい鮮やかさが無いように私には見える。

人が減っている

 超高齢化社会に突入し、日本は緩やかに人口減の時代に入っているとされる。実際、劇的に人が減っているわけではないが、しかし、私は体感的には人が非常に減り始めたという印象を強く持つ。なぜかといえば、老年層の人たちはあまり積極的に外に出歩く機会が減るからである。家の中で過ごす機会が増えることは、社会に人が減ったような感覚をもたらす。ここ吉祥寺は全国的に見ても珍しく人口が増えている地域であり子どもの数も激減しているということはないが、それでも若い世代が減っているという印象がぬぐえない。

 私の所属している教会に日曜日やってくる方々もこの数年でがくんと減っている。私がこの教会に移籍してから15年が経つ。私は非常に怠惰でずぼらにしか礼拝に行かないので統計的に正しい客観性があるかどうかはかなり怪しいが、91年から最初の5年ほどは緩やかに人が増えた印象があった。しかし、この数年目に見えて大きく減り始めている。特に日曜学校に通ってくる子どもの数が減ったが、それ以外の一般の人たちも減っている。

 以前は礼拝堂に人が入りきれず、パイプ補助椅子を何脚も出して対応することが普通の日曜日でもいくらもあったのに、今は洗礼式があるクリスマスとかイースターなど節目の行事の時以外、そういうことはなく礼拝堂の後ろ1/3ほどはがら空きの状態。ちょっと雨でも降ろうものならば半分近くががら空きである。非常に隔世の感がある。12,3年前には考えられなかった。

 先日、教会が保有する財産を売却処分するに際し、それが都心に保有するマンションであったため、教団の規則、および教会の規則によって教会員の総会を開いて賛成を取らなければならないということがあった。現住陪餐会員の出席が多数必要で、いつもの総会のように定足数が緩やかではない。通常は教会員総数の1/5だが、財産処分に関する重要議案の場合は1/3が来なければならない。140人ちょっとがその定足数に当たるのだが、当日いらっしゃった人は126人。かなり際どかったが無事、成立した。

 この日は聖霊降臨礼拝の日であり、いつもより多くの人が来られるであろうという予測を立てた日であり、しかも、「万障繰り合わせの上ご出席ください」と再三、事前に周知に努力したため集まったようだ。私もその一人で前日の仕事が遅くまでありとんでもなく眠たかったが、無理してふらつきながら出かけた。この日は天気も良かったのだが、それでも120人強の出席者。座席には後部にまだ十分余裕があった。

 若くて活力があり、行動性に富んだ世代の人が日本から減っている。これは社会全体がやせ細っていくようなもの。もう20年後を予想すると空恐ろしくなる。

そば処 丸屋

e5d060da.JPG 吉祥寺駅北口からサンロードをまっすぐ。そのアーケードが終わるところに五日市街道がある。ここを左に曲がると小店舗がチョコチョコとならんでいるが、その中におそば屋さん、そば処・丸屋がある。「そばどころ まるや」と読む。私の叔父が食材を納品している店でもある。私もここへ注文品を持っていったことがあった。

 うどんやそばを出すごく普通のお店。地元で大評判ということもないが、アーケードから外れたところにあることもあって、お昼時でもごった返しているということがあまりない。

 左隣がとんこつラーメン屋さん、右隣が古本屋、藤井書店。
 

 そば処 丸屋
〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11
 電話 0422-22-4710

でたらめ金融 にっぽん

c66c325e.bmp 日本銀行。「銀行の銀行」であり、公定歩合や通貨の供給量などを決める権限がある絶大な金融当局。内閣からも一定の独立性がある(と実際はともかく形式上はされている)。そのトップは日銀総裁。アメリカで言えばFRB(連邦準備制度理事会)議長であり、あのグリーンスパンバーナンキと同じことである。

 歴代の日銀総裁にはバブルを大爆発させた三重野を始めとしておそろしく無能な男がぞろぞろ名前を連ねるが、現在の総裁は先の速水優を継承した福井俊彦。元々、かつて一度は日銀の副総裁だったが、日銀不祥事で責任をとって辞任。その後、98年に富士通総研の理事長になったりして今に至る。凡庸でさしたる能力もない男であるが、彼が渦中の村上ファンドに1000万円を投資していたことをあっさり国会で認めたため、話題になっている。

 「めちゃめちゃ儲けましたよ。」

 と豪語していた村上に1000万円預けていれば、相場からみても2500-3000万円くらいにまで膨らんでいるはずである。個人のファンドマネージャーとして出発したばかりの村上に、軽く1000万円を投資するというのは福井と村上がかなり親しいことを裏打ちしており、実際、福井は村上の認識や戦略は正しいと評価し、「全面的に応援している」とさえいったことがある。

 だが、もちろん、福井が日銀総裁前に全ての証券を売り払い、全てのファンド投資を解約していれば何の問題も無い。実際、グリーンスパンやバーナンキをはじめとしてあのアメリカでさえ、金融関係の仕事をする公の人間は全てそれを強制される。上下院議員も含めて。日銀はいってみれば、

 「究極の内部者情報の集約地」

 といってよいところでインサイダー取引をやろうと思えばやり放題になるところ。村上のように攻撃的な買収屋グリーンメーラーに投資していれば問題になることなどあまりに明白。

 福井はすでに解約を申し入れているというが、解約を申し入れた時期が量的緩和解除直前の2月だった。その理由が子供だましのばかばかしさで、自分が阪神タイガースファンであることから、その阪神球団の経営に強引に関与しようとした村上の行動に

 「強い違和感を感じた」

 からだという。村上が阪神株を買い占め始めたことがわかったのはもっとずっと前の話。後から作り上げた粗雑な意味の後付にもなっていない。このようなところで引き合いに出される阪神はたまったものではなかろう。竹中平蔵も阪神ファンだというが、金融の専門家で自称、「阪神ファン」の人間にはろくでもないのが揃っているようだ。

 量的緩和を解除すれば、当然、直接金融たる株式市場への資金流入は鈍る。ファンドの資金運用にとって追い風にはなりようがなく、そのタイミングにぴたりとあっている2月に解約を申し入れたという以上、絶好のタイミングで利益を確定させるために売り抜けようとしたと見られても言い訳のしようがない。しかもその解約申し入れが、それまで継続投資していたものを突然解約しようとしているのだから、さらに怪しまれる。

 村上といえば、金融担当大臣の与謝野馨にもパーティ券購入などで完全に表に出て政治資金規正法の報告にも掲載された政治献金があったことがわかっている。メガヘッジファンドの人間が金融担当大臣に合法的に献金できるという仕組み自体があまりにおかしいのである。

 次期首相候補の筆頭、官房長官の安倍晋三は、量的緩和解除を何とか先延ばしさせたい想いがあることから、福井を牽制できる良いカードを持ったと逆にこれを利用している状態で、かくもでたらめの限りがばれた日銀総裁をして

 「十分にご説明いただいたと思う。」
 
 と即座に擁護し辞任要求など全く考えていないとはねつけた。

 もし、これがアメリカならば、辞任要求も何も蜂の巣をつついたような話になり即刻、首が飛ぶという状況。例えば、LTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネージメント)破綻の時、グリーンスパンがこれと何らかの資金的なかかわりを持っていたというようなことがわかれば、どうなっていたか。

 日本の金融など「金融制度」と呼ぶに値しない。19世紀的啓蒙主義がまだ必要とされるほど遅れている。

武蔵野陸上競技場周辺の駐車場

0ce97317.JPG 私たちは武蔵野市役所の前に三鷹通りを挟んでそびえ立つ、武蔵野総合体育館、武蔵野陸上競技場をしばしば利用するが、この場所は三鷹駅北口から歩いて25分前後かかるので、関東バス、ムーバス北西循環路線、あるいは自家用車を利用してやってくる人が多い。バスは三鷹駅、吉祥寺駅、武蔵関駅、西武柳沢駅などから出ているが、土休日は混雑していることと、ダイヤが乏しい路線もあること、210円の運賃はそれほど安くないことなどからマイカーもかなり利用される。私はいつも自転車かホンダカブであるが、マイカー利用者はいつも周辺の有料駐車場にとめることになるが、これがかなり混雑していて入れないことが多い。

 体育館周辺の駐車場はざっと以下の通り。市役所のそれ、総合体育館付属のそれ、市営軟式野球場の横にあるそれ、体育館隣の市営プールおよび武蔵野市立第四中学の目の前にある道路を挟んだところにあるそれ、三鷹通りに面してあるマクドナルドデニーズのそれ、である。

 写真は、市立第四中学の目の前にあるものだが、かなりの収容台数があるのにすぐに満車になる。比較的確実に空いているのはこの駐車場出入口の横にある交差点を北へ曲がるとすぐ出てくるデニーズの駐車場である。

 市役所の駐車場は、土休日、市役所利用者以外使えないこともあるし、総合体育館のそれもグランドなどが専用利用されているとその利用者しか使えないようにされていることもある。なにせ台数が少ない。この第四中のところは一応、体育館利用者しか使えないことになっているが、事実上、だれでも使っている。

守備を知らない監督という悪夢

d8405204.JPG 日本対豪州。ワールドカップのグループ予選の初戦は、日本代表の総指揮官にして「守備を知らない監督」、ジーコという悪夢によってあえなく散った。
 
 予想外の展開として日本が前半の早い段階で先制点をとった。しかもあれは豪州の監督ヒディンクやキャプテンらが猛抗議したようにキーパーへのファールととられて仕方ないもの。豪州GKシュウォーツァーにまず柳沢がぶつかり、その後に高原が押し倒している。普通ならばキーパーチャージとされるプレイだったが、幸運にもこれがそのままゴールとされて前半を終える。

 ここから名将ヒディンクと、守備を軽視し、しかも選手のえこひいき癖が抜けない「未熟者監督」ジーコとの差が鮮明に浮き上がる。だれがどう見ても後半開始時点でサントスを交替させるべきであったろう。彼は暑さにやられたのか、完全にばてばての状態で足が止まってマークを簡単に外してしまい、カバーも遅れるという最悪の状態でろくに守備に参加できていなかった。

 さらに自身のミスから何度と無く緩慢にボールをとられているのに必死にその奪回に走らずたらたら戻ってくる姿には、テレビを見ていた人だけでなく、ピッチで一緒にプレーしていたメンバーも激しい怒りを感じたのではなかろうか。サッカーをやったことがある人にはわかると思うが、あれは一緒にやっていても心底、辟易させられる姿の一つ。全くげんなりさせられるのである。

 「手前がへましたくせに何、歩いてんだ!」

 怒鳴りつけられるのが普通であるが、サントスには必死で懸命な姿が見えない。すぐに猛ダッシュを見せてミスを取り返そうと奮戦しさえすれば、後ろでそれをカバーする人間もそれと連動して動けるし、何より気持ちの緊張感が切れない。だが、露骨に手を抜かれると一瞬、味方のありうべからざる怠慢に目と注意をとられ、気持ちが1,2秒切れてしまう。理不尽な尻拭いをなぜやらされるのか、という不愉快の極みを味合わされることにもなり、これはサッカーで絶対にやってはいけないことである。それがわからないサントスは所詮、ブラジルあがりのわがままサッカーしかできない二流である。

逆サイドの右側でサントスと同じ役割を果たした駒野は守備に必ずがっちり参加しており、何度か攻撃面のセンタリングでもったいないミスをしたが、後半途中まで試合を緊迫した展開で締めくくったと思う。精彩を大きく欠いていたサントスをすぐにでも小野に代えていれば状況はかなり好転していたはずだと思えてならない。サントスは数日前にドイツ入りしてからの練習中、左足のボレーシュートをした時、ボールが爪先部分に引っかかり軽く足を捻り痛めていた。本調子ではなかったのであれば2,3戦目に備えて他のメンバーを出してもらうよう、自ら申し出るべきであった。失敗が許されない試合だったのだから。

 後半、守備に貢献していた坪井が足をつって交代。これも日本にとっては不幸だった。代わりにここに茂庭が入る。考えてみれば、日本のディフェンダーはけが人が出た場合の控えが何とこの茂庭以外にいないという恐るべき手薄な状態。しかも茂庭は昨年の2月以来、日本代表の試合に出た経験がないというのに。いかにジーコが守備を軽視しているかがわかろう。
 
 ところが、この茂庭。守備の専門であり緊急の交替後も堅実な守備を見せてくれたので私はある程度安心して見ていたのだが、後半、豪州のロングスローから同点にされて、その後あっけなく勝ち越されてしまった時、何とジーコはこの茂庭をトップFWの大黒に代えたのだった。

  「ジーコ、頭は大丈夫か???」
 
 こんなめちゃくちゃが考えられるだろうか?もうこれ以上は絶対に失点が許されない局面。しかし、追いつかなければいけない残り数分。交替したばかりでまだ十分に体力が残っている堅実な守備の茂庭を下げ、守備をさらに手薄にしてからトップFWの大黒を入れるという暴挙。正気の沙汰だったとは思われない。

 どう考えてもへばって完全に足が止まっていたサントスを代えた方が得策で、それでもなお攻撃が薄いというのならば右中盤の駒野をFWの玉田か巻に代えるべきであった。茂庭を代えてしまったら守備は宮本と中澤のみ。それにさすがに疲れはじめた駒野と、お約束のようにだらしの無いサントスがおまけでディフェンスを手伝うだけ。巨漢フォワードの突進を止められるはずがない。

 いわんこっちゃない、呆気なく強力な豪州の攻撃陣に切り崩されて3点目をとられ全てはおしまい。あれは宮本や中澤、川口の責任ではない。ジーコの責任、あるいは最後まで足が止まって守備の手抜きをしたサントスの責任である。

 スーパースターチーム、レアル・マドリード監督時に優勝経験もあるヒディンク。さすがに名将はやることが違う。後半途中、危険な賭けに打って出ても追いつかなければならないと早めの決断を下すや、イエローカードをもらっていて退場の危険に瀕していた守備のムーアを下げて194cmの長身、ケネディを入れてから一挙に攻勢に出始めた。

 「どんどん攻撃に参加しろ。何としても追いつけ。」

 というヒディンクの意思はあまりに明快。かつて韓国代表監督だった時、ついに11人中8人まで攻撃の選手に入れ替えて大逆転勝ちに持っていった果断な采配は鈍っていないようである。

 それに比べてジーコ。元々、ブラジルの華やかなスター選手には守備の重要性をわかっていない人間が多いが、ジーコはその典型。ジーコの同期だったトニーニョ・セレーゾ(元鹿島の監督)らは守備を教えるのがうまかったが、ジーコにはまるでその才能が無い。今は帰化して日本国籍になったが、元は同じブラジル人だったというだけで守備がまるでできないサントスを繰り返し重用し続けたことが、最重要ゲームで地雷を踏み抜く結果になった。

 日本はこれで残り2試合に勝たなければならなくなった。3試合全て引き分けでも予選は突破できる可能性があったのだが、負けてはいけない試合で負けたのだから今後はあまりに苦しい。ブラジルには引き分けられても勝てない。クロアチアに勝てるとするならば、驚異の守備力と高い攻撃力を持つ相手に即応できる布陣をとることが最重要であり、そのためにもサントスのスタメン落ちは不可欠だ、と思う。小野、遠藤、稲本、小笠原と持久力がある人材が豊富に揃っているのだから。

中田英のトップFWという選択

 今夜、豪州と日本はワールドカップ初戦を戦う。メンバーはおよそ以下のとおりになるらしい。

FW: 高原、柳沢、
トップ下: 中村俊
MF: サントス、中田英、福西、駒野
DF: 中澤、宮本、坪井、
GK: 川口

 しかし、高原も柳沢も現地に入ってから足を痛めた。元々、柳沢は骨折上がりで調子の維持が厳しい。

 体重が軽く、身長が低い日本代表。世界と戦うには長身でがっちりした守備陣を置くとともに、足元のパス回しが非常にうまい選手でどんどん相手守備を振り回して切り崩していくスタイルが有効だ、とずっと思っていた。例えて言うならばバルセロナのように1タッチ、2タッチでめまぐるしくパスが回るサッカー。
  
 思うに、怪我から復調しないトップや、世界的にも無名で敵のマークを引き付けられない人物ではなく、中田英のようなビッグネームをトップFWに置いたらどうなんだろうか。中田英は非常に正確でパワフルなシュート力がある。体重も重くがっちりしていて競り合いに強い。空中戦にも弱くない。元々、韮崎高校時代などはトップFWもやっている背番号10番だったのである。その点は控えに甘んじている小笠原にも同じことが言える。

 中田英は自分でもはっきり公言しているが、守備は嫌いだという。攻撃が好きだ、と。私の見る限り、日本代表では中田英は守備に向いていない。攻めあがってしまうからである。ASローマでイタリアの”王子様”トッティの後塵を拝した時に守備的ボランチをやらされた時、献身的にがっちりと守備をしていてあれは素晴らしいと思ったことがあるが、そういう役回りを日本代表で彼は演じるつもりがないし、自覚も乏しい。すぐに上がってしまいしかも引きが遅いので守備に穴を開ける。そういう人物は危なっかしくて守備において置けない。

 だったら、中田英を思い切って最前線に持っていけばいいだけの話。高原らの調子が上がらないのならば、小笠原もトップに持って行ったほうが良い。高原と柳沢は病み上がりという点も付け加えると持久力面にも問題があるので後半15分くらいから一挙に前2枚に投入すると効果的ではなかろうか。


   中田英  小笠原

      中村俊

稲本  福西  小野  遠藤
 
 中澤   宮本   坪井

      川口

 現状の日本代表から選ぶとするならば、これが私の考える最も見てみたい先発オーダー。守備がうまい福西、小野、遠藤が中盤にいれば脆弱な3バックでも何とかなる可能性がある。
 
 夢のようなパス回しが展開できる創造性溢れるサッカーは、日本が擁する一流レベルの中盤選手によって十分、期待が出来る。これにル・マンの松井がいればさらに面白かった。

 今夜キックオフの初戦、くれぐれも穴だらけの守備をつかれて先取点を取られるというシナリオだけは避けてほしい。きっちり戻ってこられないのならば無理をして攻めなくても良いからせめて点を取られないでほしい。

 そうすれば、苛立った相手が苦し紛れにファールをしてPKをもらえることもある。ペナルティエリア近くで直接フリーキックがとれれば、日本にはワールドクラスのキッカー、中村俊輔がいる。これまで何回も見てきたように、彼が直接蹴りこむ可能性も高い。

 鮮やかに勝つ方法だけがサッカーではない。

いせやの解体工事、数ヶ月先に順延

f27437f2.JPG 吉祥寺名物の大衆居酒屋「いせや」。この店舗が老朽化のために解体工事となるのだが、これがやや遅れており数ヶ月先に順延されたようだ。店のおばさんから聞いた。

 先日、実践学園高校1,2年生と、吉祥寺北町の武蔵野陸上競技場で3時間半もサッカーの試合をした帰り、チームメートの友人とこのいせやで楽しんだ。相変わらずすごいタバコの煙であれはたまらないものがあるが、カウンター座席は外からの風で煙がかなり吹っ飛ぶのでそれなりに耐えられる。
 
 二人とも三十路半ばを迎えているのに、都代表を狙う有力校の現役高校生と無謀な試合に打ち込んだ結果、彼は全身の筋肉痛に。私も右ひざの疲労がピークに達し、日常生活に支障が出たのは情けない。

人生に幸あれ

232449f8.JPG 「悪人」としての人生をかつて歩いたある人について。私の知り合いで一人驚かされた男性がいる。彼がこれまで何をしてきたのか、彼が語らなかったので私は全く知らなかったのであるが、彼が洗礼を受けてキリスト教徒になるということになった。たった一人の洗礼式。強く本人がそれを望んだので記念にその式に際しみんなで讃美歌を歌って差し上げることになったのだった。

 その式の中で本人の口から、自身がかつてやくざであったこと、しかも実刑判決を受けて4年半の服役をしたことが話された。会衆一同、驚きのあまり言葉を失いしばし固まったものである。しかし、彼の意思、思いは堅固なものであり人生の再出発を期する決意が良く伺われたのであった。式を終えると拍手で迎えられ、皆に囲まれ、花束をもらって喜んでいて言葉にならぬ喜びを感じたそうだ。

 私は彼と特に親しいわけではない。むしろ肌合いは全然合わないので、無視しない程度に敢えて会話したりしないようにしていた。今考えてみれば、なるほど彼が持っていた、私とはまるで馴染めないあの雰囲気というものはそういう背景をくぐったからこそ醸し出されたものだったのか、と得心する。
  
 式が終わってから後、彼は花束を片手に私に右手を差し出した。
 
 「隠しておくこともできたことを敢えて口にされたということは、何かお考えがあったのだと思いますけれども、説得力があると思いますよ。どん底の人生からでも再出発ができると。感動しました。おめでとうございます。」

 静かに握手して確かそのようなことを彼に申し上げたと記憶している。実際、私は感動したのである。

 福音主義的プロテスタント系で、ミッションバラバという元暴力団員だったキリスト教徒だけで構成される牧師や信徒のグループがある。あのアーサー・ホーランド牧師らとともに全国を巡って巡回講演したりしたことも多い。

 「親分はイエス様」

 という合言葉で活動しており、同じ名前の映画を製作したり、音楽アルバムを作ったりもしている。日本キャンパスクルセード・フォー・クライストなどのイベントでもしばしば活動している。

 アーサー・ホーランドを尊敬と信頼に値する人物と思わないということや、今もって「Crusade」、「十字軍」という言葉を用いる神経にはまるで賛成できないということについては何度か書いてきたし、間違っても彼ら「ミッションバラバ」の人たちが打ち出す様式性、考え、考え方などに深く共感することはできない。

 だが、彼らが堅気の真人間として人生を完全にやり直すことに成功したことは確かで、心も人格も全て昔のそれを捨てることができたことも事実。これは極めて珍しいことである。暴力団として生きた過去を持つ人間がやくざ道と絶縁して人生の再出発を図ることは想像以上に困難であり、それに挑戦した多くの人が失敗している。まして服役したことがある人間のそれはさらに難しい。それをとにもかくにも達成しただけでたいへん喜ばしい。

 かつて、関西で博打を中心に荒んだ愚連の道を歩んだやくざ、鈴木啓之(シロアムキリスト教会牧師)の話を聞いたことがある。今は人の良いたこ焼き屋のおじさんのような雰囲気であるが、かつては全く違っていたはずである。運悪く幸福な生い立ちを送ることができず、人生の序盤の段階で「冬の時代」を経験した人たちには同情するべき点も多いが、だからといって無法の道を歩く理由に一切ならないことは言うまでもない。しかし、例え一度はそうした転落を経験してもそこから脱け出す努力を途中で止めなかった人は、その点についてだけは光が当たって良いと思う。

 花束を抱えて喜んでいた彼であるが、しかし、実際、大変なのはこれからだと思う。世の中はそれほど温かくはない。事情を知っている人が、直接口にこそ出さないだろうがどうしても彼と距離をとりたがるであろうし、よそよそしい態度をとられるであろうこと、容易に予測できる。無意識のうちにそういう態度をとられることも多かろう。

 もっとひどい場合はより直接的に、必ず自分の過去を引きずっているがゆえに煮え湯を飲まされることが多くあるはず。

 「やっぱり、やくざもんだっただけはある。」
 
 「まあ、あいつは極道だったからね。しょうがない。」

 将来、そう言われる時に忍の一字で耐えられるか。つらいであろうが耐えてほしいと思う。彼はまだ若く、これからの人生の方が長いのだから。「悪人正機」を他の人よりも深く理解できる人間として。

 「人生に幸あれ」

 と記念寄せ書きの色紙に私は書いた。

悪人正機

 鎌倉時代、「新仏教」といわれる多くの仏教の流派が生まれた。鎌倉新仏教という。疫病、天災、戦乱など人々の不安に呼応して一挙に続出した宗派のことで、法然、親鸞、一遍らの浄土宗系列(浄土宗、浄土真宗、時宗)、座禅を重要視する栄西、道元の禅宗系列(臨済宗、曹洞宗)、激しい他宗排撃を旨とした日蓮を開祖にする日蓮宗系列(法華宗)など。今日に至るまで日本国内の仏教世界に対しては、怪しげな新興勢力も含めてこれら新仏教がもたらした仏法の教えは大きな影響を残している。

 この中で、今なお親鸞聖人が開祖となった浄土真宗は人気を失わない僧侶の一人。彼の主著、「歎異抄」で述べられたように

 「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや

 の悪人正機(あくにんしょうき)説であまりに有名である。

 仏教とキリスト教とは似ても似つかぬ性質、内容であるかのごとく思われることが多いが、私の見る限り、この「悪人正機」はキリスト教の教えとほぼ完全に一致する面がある。悪人正機とは、浄土真宗の教義の中で最重要ポイント。
 
 「悪人こそが、帰依、信仰すべきご本尊の阿弥陀仏が救済を願っている対象の人間である」

 というもの。罪が深い人間こそ救済対象として鮮明に意識する考えはキリスト教と全く同じである。キリスト教も福音書においてイエス・キリストは正しい人間のためではなく罪が深い人間を救うために遣わされた、とある。

 キリスト教における究極の教えのポイントは、

 「人間は生まれながらにして罪が深い存在であり、それは自分自身ではどうすることもできない。」

 というもの。これを原罪というが、親鸞の説く仏法もこれと同じく自分が罪深い悪人であることに気がつくことが信仰の出発点だ、としている。

 浄土真宗でいうところの悪人というのは、生きている人間のほぼ全てといってよく、これら人間が自分が悪人であるということに気がつき、そして、自分では、自己努力ではこれをどうしようもないから、阿弥陀如来様におすがりして救ってもらうしかない、ということになる。「阿弥陀仏」を「イエス・キリスト」に置き換えれば完全に互換できる概念に他ならない。

 しかも、この「悪人=罪深い者」とは、いわゆる法を犯した犯罪者をいうのではなく、それよりもはるかに広く深い意味を持つ。例えば、男が女の人をして自己の情欲の対象として見たとするとそれだけで姦淫の罪になる、という教えはイエスのものであるが、ほとんど同じことを親鸞も説いている。実際にやることだけではなく、思いを持つことそれ自体が罪であり不浄なことであるのだ、と。

「真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」

和讃の中で親鸞はこう自分自身を嘆く。
 
「地獄は一定すみかぞかし」

 このような自分は地獄をすみかとするより他にない身であるという深い原罪意識の自覚を持っている。

 親鸞が福音書の教えを知っていて悪人正機を唱えたとは到底思われない。不思議なつながりを感じる共通点である。

 ある仏教徒の知り合いから教えてもらったのであるが、仏教は小乗仏教と大乗仏教とで、また、各々の宗派が異なるとほとんど別の宗教だといっても過言ではないほど異なっているという。例えば、信仰対象一つとっても、

 浄土系 →     阿弥陀如来
 禅宗  →     釈迦如来
 日蓮宗・法華宗 → 法華経(妙法蓮華経)

 となっている。一つの教義を選び、ただひたすらにそれに集中することによって必ず救済される、と説明する点では同じである。少なくも親鸞の悪人正機の考えは、信仰対象が違うだけで、骨格はキリスト教の考えそのものと言ってよい。

 
 * 悪人正機 (歎異抄から)

 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、
 
 「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」
 
 この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。
 
 煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。


 
 善人であってさえ極楽浄土に往生することができる。そうであればまして悪人はいうまでもない。しかし、世の人々は普通
 
 「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない。」

 という。なるほどたしかにこれはもっともな理由があるように聞こえるが、本願他力という救済の本質に反している。その理由は、自力で善を為すことよって往生しようとする人は、一重に本願の救いの力、働きを頼み、信じる心が欠けており、それゆえ、阿弥陀仏の本願にかなっているとはいえない。

 しかし、そうした人であっても、自力で救われようという観念にとらわれた心を翻し、仏の本願の力ただ一つに頼ろうと全てをゆだねるならば、真実の極楽浄土に往生することがかなえられる。

 あらゆる煩悩を抱えている私たち人間は、いかなる修行によってもこの世界における生死を決めることはできない。阿弥陀仏は、こうした私たち人間を哀れんでくださり、それゆえ救いの本願を起こされた。その本意とは、つまり、救いがたい悪人をこそ救い、極楽へと往生させるため。仏への他力本願に全てをゆだねた悪人こそ、往生を遂げさせていただける立場にあるといって良い。

 聖人が、善人でさえ往生することができるのだから、まして悪人はいうまでもないと(逆説的に)仰せになったのはそういう理由である。

カテケージス

8112ca96.JPG キリスト教の神学的専門用語として「カテケージス」という言葉がある。「カテケーシス」ともいう。要するに「信仰」の養成、教育、育成のことを意味しており「要理教育」とも訳されることがある。

 対象は児童や青少年だけでない。むしろ大人へのそれも含む。キリスト教徒になった人、あるいはまさになろうとしている人をキリスト教的な生活に導くため、古今東西の教会が工夫と改良を重ねて組織的、体系的に作ってきた方法論である。カトリックでは要理のことを「カテキズム」ということがあるが、それも同じ語源。

 私は以前にキリスト教徒になるということは、登山口から山登りを始めるようなものだ、と書いたが、非常に多くのキリスト教徒が登山口はくぐったものの、その後に登山道を歩かなくなる。ある人は立ち止まり、ある人はへたり込んで動かなくなる。脇道にそれて完全に違う領域へ進んでしまう人もいるし、樹海に迷い込んで抜けられなくなったり、引き返して登山口から再び外へ出る人もいる。たいへん残念なことであるとは思うが、しかし、もちろん、内発的に考え抜いた末での決断であれば、それらが一概に責められるべきものだと断定はできない。

 キリスト教世界は、この世的な観点からだけで観察すれば、嬉しく、明るく、楽しく、幸せな、恵みばかりではない。つらく、苦しく、惨めで悲しい、重荷を背負った茨の道でもある。世が世ならキリスト教徒だったというただそれだけで弾圧、投獄されたり、処刑されたりした時代、国もすぐ最近まであった。実際、制約は多く増えると思って間違いない。肯定的でハッピーな良いことばかりしか言わないキリスト教徒はあまり信用しないほうが良い。

 さて、カテケージスとは、このようなキリスト教徒としての「心」を保ち、維持し、育て、滋養するためのものである。カトリック、プロテスタントなど諸宗派を問わず存在する。

 私が尊敬してやまないマザー・テレサが生前、インタビューでこういうことを言っていて非常に記憶に残っている。

Faith is like a seed. It should be nourished.

 「信仰心とは種のようなもの。栄養を与えてあげなければいけない。」

 とでも訳しえようか。種をまけばそれでよいわけではなく、その後に手をかけねばならないことは多くある、ということをあの驚異的に深い信仰心を持ったテレサですら言っていたので驚いたのである。

 何が人間にとっての水やり、肥料まきになるのかは明確にはわからないが、多くの試みが可能であろう。少なくとも私にとって、書くことと歌うこと、はそれらの一つである。これらなしには当の昔に干上がっていたかもしれない。描くこと、舞うこと、作ること、演じること、など他にも多くの方法がありうると思う。
 
 6月18日(Sun)13時から19時までイグナチオ教会で行われるカトリックのYGTでもカテケージスがある。

 明日、プロテスタントのカテケージス研究を専門にしているトーマス・ヘイスティングス牧師が、カテケージスについて説教、説明、交流会を行う。日本基督教団・吉祥寺教会の青年会修養会として行われる。ヘイスティングス氏は東京神学大学の教授で、実践神学を担当している。元はアメリカ長老教会(PCUSA)派遣の宣教師であった。

 6月10日(Sun) 11時から
 日本基督教団・吉祥寺教会
 3F集会室にて
 

法政一高グランド 移転予定

6a709c81.jpg 吉祥寺東町のはずれ、杉並区善福寺と練馬区立野町との境界線のところに関東バスの停留所、「南善福寺」がある。ターンテーブルがあってここで関東バスは西荻窪や荻窪の方向へ戻っていく。このターンテーブルのまさに隣が法政大学付属第一中学・高校のグランド。硬式野球部、ラグビーやサッカー部、アメフトなどが日夜練習している。どの運動部も強豪であるので夜遅く、かなり暗くなってもやっている。

 この法政一高グランドだが、まもなく取り壊し予定。後にはマンションができるといわれている。数少ない硬式野球ができる環境なのだから、自治体が買い取って公営野球場にすれば良いのにと思うが、優先交渉権は自治体にあっても買取金額がまるで違うらしい。今、吉祥寺東町にある法政一高の校舎キャンパス地も同じように開発業者、長谷川工務店に売却された。長谷川工務店は地元住民との軋轢を嫌ったのか、さらに転売したと聞く。

 このグランドは校舎と一緒に再来年にはみな、三鷹市牟礼の旧東京女子大学牟礼キャンパス跡地に丸ごと移転する。私個人としても小さい頃からよく眺めたグランドであり、無くなるのは忍びないが。

Youth gathering in Tokyo ( YGT )

首都圏のカトリック教会では、主に18歳以上の若い世代を中心にして毎年2回、春と秋に東京教区主催で青年の集いを開催している。Youth gathering in Tokyo という頭文字からYGTという。多くは目白の東京カテドラルか、四ツ谷のイグナチオ教会のどちらかで開催されるが、他の場所で行うこともある。すでに14回開催されている。

 今月18日に第15回が四ツ谷で開催予定。テーマは『祈りの力−私たちをつなぐもの』。クーデターによって暴力的に政権が略奪されて以来、軍事独裁政権が続くビルマ=ミャンマー人のジョン司教がゲスト講演を行う。その後、テーマに沿ったカテケージスがある。分かち合い、ミサ、その後の食事会・交流会などを含めると5時間ちょっとになる。

最後にいつも驚異的な熱狂をもたらすマイムマイムがあるとかないとか・・・。転倒して膝や脛に青あざをつくる人もいるのにこれが恒例になりつつあるらしい。なぜそこまで燃えるのか、私にはわからん。

 このように若い世代だけが、若い世代の切り盛りで、ある程度の人数が集まってちょっとした催しがなされるのは、ユースキャンプなど泊りがけのものは別としてプロテスタントではそれほど多くない。

 今、とにかく日本のキリスト教教会では人が減っている。とりわけ若い世代が激減。目も当てられない壊滅状態に近い。日本最大の宗派であるカトリック、その首都圏版の集まりであるYGTであっても200人にも達しない。今後とも人口減は避けようのない傾向である。将来は移民の受け入れが不可避になってくる可能性が濃厚であるが、そうなるとラテン系の国を中心に若い世代のカトリック教徒は逆に増えることも予想される。彼らが日本人と結婚して子どもをもうけていくようになれば子どもは自動的に国籍を取得するし、配偶者も永住権を得たり帰化したりということも増える。そうなった時、かなり目に見えて日本には人口分布の変化が見えてくるだろうと思う。

 第15回 Youth Gathering in Tokyo 
 
 日: 2006年6月18日(日) 
ところ: 麹町教会(聖イグナチオ教会)
      千代田区麹町6-5 四ツ谷駅下車 歩1分 上智大前

 予定:
 13:00 開始  ジョン司教によるカテケージス
 16:00 青年と共に捧げるミサ
 17:30 交流会
 19:00 終了

 問い合わせ:
 世話人 五関宏之くん 
 Y.G.T.メールアドレス: ygt_oideyo@yahoo.co.jp
 加藤豊神父(多摩教会)  TEL:0423-74-8668

ミゼット

5b60cccb.jpg 昔、前の部分の車輪が一つしかない三輪車仕様でミゼットMPという車があった。商用車として多くの配達需要に答えたものであった。この現代版、ミゼットというモデルが10年くらい前に新しく開発され売り出された。

 「すいすい、くるくるミゼット供

 というテレビCMで覚えておられる方も多いと思う。思ったより売れなくて今は製造中止になっている。

 基本的に一人乗り。実際に一人しか乗れないモデルが多い。二人乗りのそれもあるが、「1.5人乗り」というにふさわしく大人二人が乗ると非常に狭い。長時間乗るのは無理がある。空調のボックスが足元左にあるため、二人乗ったとき特に足元が狭い。元々設計の段階で二人が長時間乗るということを想定していないと言ってよい。

 エンジンも脆弱。この車は4速までしかなくちょっとスピードが上がるとエンジン音がかなりのものになる。静粛性など考えていないので発進時のエンジン音が妙に目立ち耳ざわりでもある。高速道路で走るのもきついと思われ、実際、80km程度しか出ないらしい。無理をすれば100km出せるが考えないほうが良い。車体があまりに小さくて軽いので、幹線道路でさえ轍がきついといわれる。
 
 基本的に町を乗るための車である。だから、普通の人のセカンドカーや宅配用のものとしてよく使われている。すかいらーくの宅配もこれ。ここ吉祥寺にもミゼット兇鯊霰曠皀妊襪箸靴道箸辰討い覿伴錣呂舛蕕曚藐かける。写真は吉祥寺東町にある非常に小さなお米屋、小美濃米店のミゼット。ちょうど本宿小学校角を曲がるところである。

 道路が狭いところへどんどん入っていけるし、荷物の積み下ろしが歩道からでも楽である。荷室は思ったよりは広いらしい。さらに、運転席が高く設定されているので視界がよく車体が小さくても劣等感がないという。衝突安全性はまるで期待できないが。

 軽自動車全般に言えることであるが、燃費は思ったより良くない。このミゼットも実際、日常生活ベースで燃費計測すると8kmから10km程度。とても20km近くの燃費は出ない。燃費の経済性はあるとはいえない。

思うに、軽自動車はギヤ(変速機)の数が少なすぎる。オートマだと多くが3速までしかないし、マニュアルでも4速止まりのものが多い。ちょっとスピードが上がるとすぐに回転数がとんでもなく上がってしまい、燃費を悪化させる。同じ超小型軽自動車としてSmart(スマート)があるが、あれはギヤが6速まである。さすがにおしゃれな外車はエンジンもちゃちには作らない。お陰で燃費が20km前後に達するようである。いつかスマートには乗ってみても良いかな、と思っている。

 日本の街中をどでかい車が入ってくると非常に鬱陶しい。超高齢化社会を踏まえ老人にとっては自動車をよけながら歩かねばならない社会作りは望ましくない。ドライバーのマナーなど悪化する一方で何ら期待できない。

 ミゼットやスマートのようにさりげなく控えめに街中に入っていく車はいじらしくて良い。

6d23213b.bmp

陶芸教室むさしの

fefe24ae.jpg なぜか年をとるとろくろを廻して焼き物をしてみたいと思う人が増えるようである。野球選手もベテランの域に入ってくると多くがキャンプ序盤にろくろを回したりして精神統一のコツを体得しようとする。土を水で練ってそれを焼く。太古から人類が行ってきた生活行為であるがゆえに、歴史的記憶になっているのかもしれない。

 吉祥寺には都内でも比較的珍しい本格焼成ができる釜を持った陶芸教室がある。陶芸教室むさしのである。ちょうど吉祥寺駅と西荻窪駅との中間点、電車から北側に見える。武蔵野自動車学校跡地の横、本宿小学校のそばである。

 初心者を多く扱っている。9割が初心者としてはじめるそうで、老若男女を問わない。陶芸の知識、技術を学ぶことが出来る。間口が狭いが内部は比較的広い。個人として釜を借りて存分に焼くこともできる。ブログも開設

 陶芸教室むさしの
 〒180-0002 
 東京都 武蔵野市 吉祥寺東町 3-23-21
TEL & FAX 0422-20-4881
午前10時〜夜20時
(日、祝は夕方18時まで、月曜休み)
 mail :  hiro-musashino@fire.nifty.jp
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
タグクラウド
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

 元ホーリネス平塚教会牧師、「星の子どもたち」 小松栄治郎事件の手記、
 「性暴力被害の家族として」  以下で販売しています。 
 http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/52128088.html
「Amazonライブリンク」は提供を終了しました。
 






カスタム検索