武蔵野市にはいうまでもなく、市の行政を司る市役所があるが、それ以外に、市役所ではないが、市が設立した公的な法人である外郭団体がいくつもある。武蔵野水道局、武蔵野市土地開発公社、武蔵野福祉公社、武蔵野文化事業団など。駅ビルのロンロンも株式会社ではあるが、市が出資して作ったもので市から年輩になった役人が所属したりしている。

 直接、市民の目に強くさらされる市役所の職員にはそれほどひどいケースを見たことが少ないが、これら公社、外郭団体、特殊法人の職員には、時に信じられないような傲岸不遜な連中が混じる。電話のかけ方、窓口での対応、口の利き方、何から何まで全くひどいと呆れ、頭に来たことが何度あるだろうか。これは前市長の土屋正忠市政でも、現在の邑上市政でも全然変わらないので、どちらの市長もそうした公的奉仕機関の人材を教育する指導性がなく無能だった、であるということであろう。ことはひどいのである。
  
 電話のかけ方がひどいのは問題ある人間に共通の要素。電話のかけ方だけは素晴らしいという問題職員はいない。電話は人となりをかなり正確に表す。また、実際上の振る舞いとしても窓口越しに用件を質問を受ける時、昼休み時間帯でもなかったのに椅子の背もたれに反っくり返ったまま体を回し、突き出した腹を相手に向けるかのような態度をとった中年男もいた。市から出向している立場の人のようであった。

 逆に外郭団体から発注を受けて派遣されている立場の職員は正規職員ではなく、他の企業所属のスタッフだったり、あるいは嘱託職員だったりするので平身低頭、実に丁寧で誠意ある対応であるが、問題は責任者的立場にある人物。残念なことに女性の職員であってもこれが当てはまる。同じ色の同じ制服を着ていても口の利き方でどちらがどちらかすぐにわかる。

 地元の人間はそういうことをしっかり見ている。この程度の現実に最低限度の解決さえもたらしえないあの邑上という市長は、この点、ひどく愚鈍で無能だと目についてしかたない。いたずらに評価できない市長ではなかろうかと思う。