a2ca30ac.jpg 現在、日本では秋葉原で無差別に7人を殺害した事件はニュース、ワイドショーの話題を独占しており、25歳の容疑者の生い立ち、人柄などが詳細に報じられつつある。小中学校時代の卒業文集から高校時代の同級生など次々に登場。まだ、事件発生から2日だが、ほとんど狂乱状態の報道体制になっている。

 マスコミが津波のように押し寄せる行為、メディアスクラムが青森市の実家に今も暮らしている両親に対して発生。本人たちは望んでもいないだろうに、夜中、多くのフラッシュ、カメラの前に引っ張り出されて玄関の扉前で

「記者会見」
 
 がなされたばかり。夜の7時半、住民や報道陣がぞろぞろと100人もとり囲む異様な風景であった。

 「事件を防げなかったのか」

 「社会的責任をどう考えるか」

 父親は当たり障りなくただ謝罪の言葉をいうしかないが、しかし、何に対してだれに謝るべきことがらだろうか。容疑者は未成年の中高生ではない。25歳にもなった息子の所業について、この状況で今この事件と全く無関係の親にいったい、何を言えと

 53歳になる母親は白いハンカチを口に当てて唇をかみしめていたが、途中で地面に膝から崩れ落ち、突っ伏したまま手で顔を覆い泣き崩れた。両手をついたまま立ち上がれず、夫の手を借りて地面を這うようにわずか2メートルしか離れていない玄関へ向かっていった。このまま両親は自殺してしまわないかどうか、急激に体調を崩して衰弱、死亡ということにならないだろうか、強く懸念される。
 
 社会の木鐸、主権者たる国民の知る権利に奉仕するための報道機関、言論の自由の守護者、真実を追うジャーナリスト、とされているマスコミュニケーション業の方々。何のことはない、秋葉原の魔物と同じくあなたたちの人格も魔物であった。
 
 これはリンチである。

 2000年前にもゴルゴダの丘で、ある男を引きずり出しそこに丸太を立て、太い釘で両手足を打ち付けてなぶり殺しにした律法主義者たちがいた。

 マスコミの連中は両親が死んだら、責任をとれるのか?からっきしそのつもりはない卑劣な人々の群れに他ならない。