d141acfc.jpg 近時、日本の伝統芸能、工芸、文化の継承者は国内の日本人若手では足りず、高齢から第一人者が引退すると同時にそのまま廃業したりと、技能継承が途絶える領域も珍しくない。それゆえ、以前には考えにくかったことだが、外国人の希望者を弟子入りさせる世界が出始めた。歌舞伎や能、狂言のように今も堅く扉を閉じているところもあるが、広くだれでも受け入れてくれる世界もある。特にやや庶民的な芸能、工芸の領域でそうした国際性が広がりつつある。

 鹿児島県に「薩摩琵琶」という楽器がある。淵源を辿ると元々は、遠く奈良時代、大陸中国から雅楽琵琶盲僧琵琶という2種の琵琶が別々に日本にもたらされた。雅楽琵琶は文字通り、宮中の伝統音楽、雅楽の合奏に用いられる。かなり大きいものであり、それゆえ、後に扱いやすく持ち運びにも優れた独奏用の小琵琶も作られるようになる。

 他方、盲僧琵琶は仏教世界における祈祷、法要に用いられる宗教楽器。雅楽琵琶に比較するとかなり小さく素朴に作られている。外形が笹の葉っぱに似ていて別名、「笹琵琶」といわれることもある。時代が下って平安から鎌倉期に視力を失った僧侶たちが北九州から都(京都)へ出かけたが、その一部がその後、四百年以上の間、京都にそのまま留まることになる。その過程で京都の様々な都文化を吸収することになる。そして、この過程において、彼らが用いていた盲僧琵琶が宮中楽器の雅楽小琵琶に似たの形として変化し、その後、九州へ逆輸入される。薩摩(今の鹿児島県など)にもたらされ、さらにこれが薩摩盲僧琵琶となって発展していく。大きく時代が下って戦国時代、薩摩藩の島津忠良が藩士のたしなみのため盲僧琵琶を改良して薩摩琵琶となっていった。

 京都から九州へ逆輸入されず、そのまま京の都に残ったもう一方の盲僧たちがあの源平合戦を語った「平家物語」を雅楽小琵琶の奏楽をつけながら歌われるようになったものを平家琵琶と呼び、その演奏者たち僧侶を琵琶法師と呼ぶのはあまりに有名である。彼らは多くの平曲を創作し平家琵琶を今に伝える。

 この薩摩琵琶も日本の伝統音楽の一つだが、直面する問題は同じで、この世界も人手不足が深刻。この楽器は珍しい楽器であり担い手も楽器の制作者も少ない。楽器制作者として有名なのは、歌手、小椋佳の息子、神田宏司。他方で、演奏者として日本で研鑽を積み、楽器の教師役を務めるに至ったアイルランド人がいる。名をトーマス・マーシャルという。本名、Thomas Charles Marshall。1972年生まれ。

 アイリッシュの彼はカトリック信徒。幼少時からピアノとフルートを習い、さらにパイプオルガンも手がけるようになる。やがて天性の才能を開花させ、英国のケンブリッジ大にオルガン専攻学生として奨学金を得て入学する。ピーター・ハーフォード(Peter Hurford)らに師事。卒業後、なぜか日本に興味を持った彼は1994年8月、JETプログラム英語指導助手(ALT)として来日。群馬県多野郡吉井町で働いた。ここで邦楽の世界に見せられ、1994年10月から若林舜童(故人)について琴古流尺八を学び始め、さらに翌年12月、普門義則(故人)について薩摩琵琶を学び始めた。これがご縁で彼は薩摩琵琶にのめり込んでいくことになる。演奏者としての日本名は「蘭杖(らんじょう)」。

 途中の経歴を大きく省略するが、並々ならぬ情熱と努力で演奏の技術を磨き、ついに昨年度から群馬県の創造学園大・創造芸術学部音楽学科に常勤講師として着任。この薩摩琵琶を学生に教えるようになった。今年の5月27日、NHKの衛星放送BS-11、「大人の自由時間」に出演したのでご存じの方もいらっしゃるかも知れない。

 彼はここ吉祥寺と縁があり、日本有数の信徒数を誇るカトリック吉祥寺教会のミサにてオルガン奏楽奉仕を担当することがあるからである。主に日曜の18時ミサでしばしばその姿を見ることができるらしい。頭髪をそり上げている男性であるのですぐにわかる。

 ミサが終わった後、後奏として一曲演奏するが、これがすごい。通常のオルガニストは単純で簡単な、短い曲をさらっと演奏して終えるが、彼の場合、それはコンサートの一曲と変わらない。聞いたことがないような難解で高度な技巧を要求される曲をすらすらと鮮やかに弾きこなし、時にそれは10分前後の演奏時間になることもある。楽譜を脇でめくる人がつかなければ演奏できないこともあり、気持ちの入り方が並ではない。ミサが終われば信徒たちは普通、長い人でもそのまま2,3分沈黙の後で聖堂を後にすることが多いが、彼が後奏を担当する場合、見事な演奏に聴き惚れてしまい、そのまましばし時を忘れて聴き入っていく人が少なからずいる。

 ところが、彼はオルガンをおよそ15年間、ほとんど弾いていなかったというから驚かされる。というのも、ケンブリッジの卒業直前、利き手の右手が原因不明で動かなくなる悲惨な過去があり、15年間の長きに渡りオルガンを離れていた。しかし、昨年から徐々に回復しはじめやや痛みは残っているが、リハビリも兼ねて高崎教会(日本基督教団)で日4時間練習し、カトリック吉祥寺教会などで奏楽も担当するようになった。

 残念ながら、来月末で母国へ帰国予定。昨年、脳梗塞で倒れた父、ジョーさん(67)の介護に専念し、最後の時間を一緒に過ごすと決めたかららしい。その別れの意味もこめ、昨日、高崎教会で被災者支援のチャリティとして募金コンサートが開催された。

 オルガン 「トッカータとフーガ ニ短調」
 薩摩琵琶 「那須与一」

 演奏の様子を動画でご覧いただくのはこちら。→ http://jp.youtube.com/watch?v=8_3bjBJqVSw