どれほど優れた牧師であっても月日がたち、年齢を重ね、多くの経験を重なるうちに途中から狂ってくることがある。


 兵庫県に鳴尾キリスト教会という教会がある。ここは津村昭二郎(すでに引退)という牧師が担当していたが、その後、現在の山田牧師に交代している。山田牧師夫妻は現在、欧州からもたらされたシュタイナーの汎神論的な考えによる異端の教えを取り込んでいる。信徒や教団も山田牧師を問題があるとしている。夫人として自身も牧師をしている山田晃美は元々は文鮮明の下、統一協会のメンバーだった。

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団には統一協会から改宗した人物が多い。京都のグローリーチャーチなどとかかわっている松山神愛教会の五島靖子牧師もその一人である。

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 山田夫妻の鳴尾教会は独立した宗教法人として営まれている教会であり、むきになった牧師が教団から離脱して単立教会に変更することも可能性がないとはいえない。もし、山田夫妻が自身の異端的な観念や信念を基礎に活動したいのであれば、教団を退いて自分たちで作れば良いのであって、そうでない限り教団に留まったまま「キリスト教の教会」としての活動は不可能である。宗教法人は非課税扱い、安い税率などで税法上も特別な扱いを受けている特権的な法人であり、恣意的な売買や変更は問題が大きい。



 日本基督教団・高砂教会の主任牧師、手束正昭についても同じことが言えるが、公然と教団の公式な声明、信条の内容を無視し開きなおる人物はいったい、どうしたことだろうか。この手束について見れば、堂々と教団の戦争責任告白について否定、かつての大戦は大東亜戦争として評価されるべきだと言う。正統キリスト教の枠であるニケーア・コンスタンチノープル信条、あるいは使徒信条に定められた「三位一体」の枠をはみ出して「ネストリウス派」の観念を公然と取り入れ、あの菅野直基(新宿福興教会)や奥山実(宣教師訓練センター)とともに「日本民族総福音化運動協議会」などを運営する。ちなみにこの奥山実は、千田次郎とともに榊山清志(ハレルヤコミュニティチャーチ浜松教会)と親交を持っていた人物。正統と異端の判断基準も含め、何から何まで見る目がない人物であることがわかる。


 http://www.christiantoday.co.jp/main/mission-news-1078.html
 http://www.christiantoday.co.jp/main/mission-news-879.html


 「牧師」や「司祭」は一般人よりもはるかに高い倫理基準を持たなければならない立場にある。自分の好みで何をやっても許されるわけではない。プロテスタント牧師は、通常、従順、清貧、貞潔という誓約を立てることがないが、これが自分勝手な振る舞いを開き直る「牧師」を大量発生させているような印象がある。信条や教団に対して「従順」であることも、信徒の財産を裁判づくで収奪するような拝金を許さぬ「清貧」も、女性信徒にセクハラを働いたり、一線を踏み越えた関係にならないように律する「貞潔」も、持ち合わせていない牧師がいる。


 道を外れたものは留まる資格はない。まして、法を犯したもの、倫理を踏み越えたものが混じりこんだならば、それらは「牧師」を続ける資格は一切ない。たとえ一般社会では曖昧に玉虫色の処分が許されることであっても、それは通らないはずのものである。その当たり前のことができていない。