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 日本にキリスト教が伝来したのは1549年。ポルトガルからイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルによって伝えられた。これはアメリカ大陸に英国からピューリタンたちがメイフラワー号でボストン近くのプリマスにたどり着いた1620年よりもずっと前のことである。

 http://www.vivonet.co.jp/rekisi/e01_america/america1.html

 当時のキリスト教はカトリックであった。また、ザビエルは十分な教養、学問を修めた学者的な宣教師ではなかったため、その宣教はシンプルで情熱的なものであったといわれ、瞬く間に日本に広まっていった。多くのキリシタン大名が次々に輩出されている。時の関白、豊臣秀吉はこの信徒の急増に脅威を感じ、また、外国人宣教師を用いた日本への侵略の先鞭が付けられると考え、禁教令を発してこれを弾圧するに転じた。身内の親族さえ豪華絢爛な聚楽第の徹底的な取り壊しと合わせて数十人単位で一族もろとも惨殺する秀吉の禁教令は苛烈を極め、残虐極まりない取り締まりが行われていった。


 およそ半世紀、48年が経過した時、長崎で大きな事件が起こる。1597年2月5日。秀吉の命によって、長崎で26人のキリスト教徒が磔で処刑されたのであった。日本で信徒に対するこうした処刑は初のことであった。さらに秀吉は宣教師だけでなく国内の全キリシタンを処刑するよう考えた。

 しかし、キリシタンの数を数え始めてから秀吉は絶句する。その人口はすでに30万人を超えていた。当時の日本の総人口は2000万人前後であった。人口比から見てこの数は驚異的な数であった。ちなみに現在の日本国内のキリスト教信徒数は90万人に満たず、カトリックが50万人弱、プロテスタントなどそれ以外が30万人前後と推定されている。


 すでに手遅れだと悟った秀吉は方法を変え、宣教師と日本人信者を何人か捕らえて処刑し、他の信徒達への見せしめの効果を広めようとした。力で強引に信仰を捨てさせようと弾圧するに至った。当初は伝道を許していたはずの秀吉だったが、禁教へ舵を切ったのは慶長元年にあたる1596年。12月8日、「キリシタン逮捕令」を発布したのが始まりであった。京都で24名のキリシタンが捕らえられ、その目的は民への見せしめであったため、彼らは鼻と耳を削ぎ落とされ、京都の目抜き通りを牛車に乗せて引き回しされている。その姿を多くの民が見て震え上がった。その24人はさらに京都から堺・大阪へ、最後は長崎の処刑場まで歩かされることになる。道沿いの人々の目に晒され、恐怖政治の材料にされている。


 しかし、さらに2人が途中で自分から願い出て殉教者の隊列に加わり26人となる。それがペトロ助四郎とフランシスコ吉の2人であった。フランシスコ吉は7ヵ月前に信徒になったばかりの大工。彼らを含めた26人は一カ月以上素足で歩かされ、処刑場の長崎に連行された。12月から2月の真冬にこの距離を歩くことが想像を絶する苦痛であったことは言うまでもなく、真冬の2月5日、西坂の丘で全員が磔となった。賛美歌を歌い、聖書の言葉を話しながら殺されていったと伝えられている。日本人20名、スペイン人5名、ポルトガル人1名、計26名であった。


 それゆえ、この西坂の丘は、キリシタン処刑の地として石碑が建てられ今に伝えられている。この後、ここで処刑された当時のキリシタン信徒はおよそ600人と言われている。10年ほど前に逝去したローマ教皇、ヨハネ・パウロ二世は、生涯を振り返って最も印象的だった海外訪問は、この長崎・西坂の丘であったと後に述懐している。

  
 ヨハネ・パウロ二世は晩年、神経の病気、パーキンソン病に罹患し、発音や体の自由が利かなくなっていったが、最後の気力を振り絞り、イラク戦争開戦の直前、アッシジに各国の外交担当者たちを集め、真剣に戦争を回避しようと奮闘していた姿があまりに印象的であった。NHKスペシャルでも「バチカン、動く」としてドキュメンタリーでその詳細が放映された。
 

 スンニ派のサウジアラビア大富豪だったウサマ・ビン・ラディンとは何の関係もない戦争が続いた今世紀。アフガニスタン戦争に続きイラク戦争が、そして、現在へ連なるシリア内戦。全てはブッシュ政権の軍事侵攻に始まっている。アルカイダからISへ。地上戦から無人機を含めた空爆へ。ゲリラ兵との戦闘から民間人を無差別に巻き込んだ攻撃へ。そして、その行きついた先がプーチン・ロシアとトランプ・アメリカという世界の二大軍事大国に独裁指導者が並び立つ現代の風景である。これまでにイラク開戦、シリア空爆を支持した政治家や外交官、国際政治学者らには微塵の信頼も置きようがない。


 ヨハネ・パウロ二世の示した平和の訴えを、より忠実に継承しているのが現在のフランシスコ教皇であるが、その声がロシア、アメリカに届くことはない。強大な軍事大国の前に宗教の力はあまりに弱いが、それはバチカンが「世俗化」したことの帰結ではない。「世俗化」したと蔑み、嘲笑う批判を繰り返すだけの便りなど、現代のメッセージとして何も意味がない。
 
 
 2月5日、26人の殉教の日、改めて現在の荒れ狂う世界を絶望的に思う。