nouu_001
瞑想状態に入れない。瞑想で時間を潰さないために


普段から理性を使う仕事をしていたり、感覚的になれない人ほど、瞑想をやるときに早くにぶち当たります。

・理性と知恵と思考

・感覚

この2つは対極の存在です。

瞑想は上の3つを捨てることが大事です。
さもないと、超瞑想状態どころか、瞑想状態の入り口にも届きません。
イライラ、ソワソワの落ち着きの無さを発生させることでしょう。
そうなったら、焦りが入り、ますます入れなくなっていくのです。
焦りは感覚を鈍らせ、マイナスの感覚を増幅させ、さらに打ち消せないほどの雑念を襲わせてきます。

瞑想は焦りと対極に行くべきものなのに、焦りを呼び込んでしまったら何の意味もありません。
せっかくの素晴らしい瞑想が、逆にあなたを不安と焦燥感に駆り立てる毒となるのです。
だから、瞑想は危険だと私が常々言うのも、そういう罠があるからです。
まして、心の底にずっと抑圧してきて抱えてきたものがある場合(トラウマや悪い感情の塊)、その扉を大きく開いてしまい、日常生活までコンディションが悪化し続ける危険性があるのです。

私も理性を使う部分が多い仕事です。
私にかぎらず、芸術家やスポーツ選手じゃない限り皆さんそうでしょう。
だから、瞑想をする時、いきなり理性を捨てろなんて言われてもやり方がわからないのです。

しかし、感覚の比重が高まれば、理性の比重は少なくなります
今持っている理性なんてすぐには捨てられっこありません。
だから、感覚を大事にする人間になってください。
あとは想像力が大事になります。

しかし常に思考と知恵ばかり脳みそを使っている人ほど、知らず知らず想像力が欠如しています。
また体が固い人ほど、想像力がないのです。
遊びが少ない人ほど、感覚が死んでいっています。
子供の心が無くなっていった人ほど、瞑想ができなくなるということです。
固定観念の塊の人ほど、感じることができなくなっています

そんな人は、当然生きづらさを感じやすいため、瞑想をはじめやすいのです。
だから、瞑想をどんなにやってもうまくいかないのは当たり前です。
必ず理性を使って理性を消そうとしてしまう
感じることが大事だといっても、ピンと来ないのです。
また馬鹿になることがなかなかできないないため、すぐ見返りを求めてしまう。

瞑想は見返りを求めたら、必ず意図とは別の無残な結果に終わります。
瞑想がうまくいかない人は、そういう理由があります。
瞑想をやるってことは、自分の残酷な部分を見つめなくてはいけない。
そして、それを消化したり乗り越えるためにやるものです。
中途半端になって、瞑想をやっただけ苦しむことになったら大変です。
それだけは避けなければなりません。

このジレンマを突破する方法は、とにかく瞑想を行う時間を増やし、知恵と思考に囚われ、雑念に邪魔されながらもやり続けることです。
これによって、いかに邪魔で無駄なものか悟ることです。
食傷気味になるぐらいにです。
ただし、気づかなければ中途半端になって、やっただけ無駄になります。

瞑想においても、より良く生きるためにも、それらが有効ではなく、本当に大切なのは感じること、想像することだとはっきり気づくことができたら、いままでの無駄だと思える瞑想もとても意味があるものに変わります。
そして、無駄をたくさんしてでも瞑想をやるのだ! ということは、すなわち『馬鹿になる』ことです。
つまり、理性を少しは捨てられていることでもあります。

それが感覚としてつかめた人は、超瞑想状態に入れる人でしょう。
私もたくさんのそういう経験をしたからこそ、いまは感覚的になれますし、理性や意図を捨てることができます。
だから、変な思考にとらわれることがなくなりました。

もう一つ、先に圧倒的な感覚体験を脳に味合わせる方法です。
これが一番直接的で、簡単で、最高の方法でした。
これは私の先生の岩波さんしかできないことで、圧倒的な脳の感覚体験=超瞑想状態・脳覚醒状態から、瞑想や呼吸法をやるときに引っ張りだして、自力で瞑想状態に入る方法です。

圧倒的な感覚体験は、どんな人間でも思考で凝り固まっている人でも、思い出すことができます。
再生しやすいため、眼を閉じて、あの時はどんな感覚だったのか、ちょっと想像すると、脳からじわじわとあの時に近い感覚が蘇ってくるのです。
もちろん、体が柔らかく想像力のある人ほど、再生能力が高いわけですが、どんな人でも思い出すことぐらいはできます。
しかし、しっかりと岩波先生から言われる訓練はやっておいたほうがいいです。
やるとやらないとでは大違いですから。

どちらにせよ、自分の思考や理性、意図を、はるかに超えることができないない限り、瞑想は成功しません。
残酷なくらい、自分という存在が壁に感じることでしょう。
しかし、自分を乗り越えられなくして、真の未来はやって来ないと思います。

瞑想に失敗すると、自分の壁を誰よりも高く意識してしまう結果に終わります。
そうなったら、乗り越えることをあきらめるしかありません。
不可能に思ってしまうからです。
それでは、せっかく瞑想をやり続けた意味がありません。