2023年01月04日
Buon Anno Nuovo!
新しい年が明けましたね。
私は好きな音楽を聴いたり、ピアノを弾いたりしながら、家でのんびりと過ごしていました。
今日は、ちょっと外に出てみました。
日差しがさんさんと降り注ぐカフェテラスに座っていると、
ふと、アナカプリの大好きなホテルのテラスカフェを思い出しました。
目を閉じて、目の前に広がる美しいティレニア海をイメージしながら。

今年はどういう年になるでしょうか。
周りの状況を見ると、いまだにコロナは収束せず、
ウクライナ戦争は終わらず、国内も戦前を彷彿とさせるような動きがあります。
不穏な空気に流されず、平和に一歩でも近づけることを願って。
ブログも、もう少し頻度を上げて更新したいなと思っています。
イタリアの友達にも、そろそろ会いに行けたらいいな。
Speriamo che quest' anno sia un anno migliore!
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2022年10月30日
サントリーニ島 イアの街へ
サントリー二島のフィラについて書いてから、もう8か月余りが経ってしまいました。
その間、新型コロナも戦争も終わることなく現在に至っています。
どうにも気が重く、また今年の夏は猛暑でかなりバテていたこともあり、
なかなかブログを書く気持ちになれずにいました。
世界では徐々に新型コロナによる渡航制限も緩んできているようですが、戦争による重圧感もあり、飛行機は燃料サーチャージも相当な負担になっていて、まだ今は新たに旅行に出かけるのも躊躇してしまいます。
しかし、いつまでもそんなことを理由にしていたらブログを続けられなくなってしまいます。
そこで、今日は前回のサントリーニ島の続きを少し書き足してみようと思います。
フィラに次いで大きな街が、フィラからバスで20分ほど北にあるイアという街です。
小さな町ですが、美しい夕日が見られることで人気の街です。

フィラと同様に断崖に沿って白い町並みが広がっています。


絵葉書などで見るままのブルーのダブルドーム。
空の青、海の青、ドームの青と、青の三重奏を奏でています。

こちらはイアの街の中心となる広場に立つ教会です。
6つの鐘が付いた鐘楼と青いドームが美しい。
まるで童話の中に出てくるような風景です。

教会前の広場のモザイクには可愛いイルカが描かれていました。
2007とありますから、何かの記念なのでしょうか。
ギリシャ語が読めないのが残念です。

イアの街はフィラほどの賑わいはありませんが、高級リゾートホテルがたくさんあり、フィラよりも観光地化しているように思えました。
メインストリートには観光客のための宝石店やお土産屋さんが軒を連ねていますが、

少し外れると、真っ白な建物の間を縫うように細い道が続いています。

こちらは小学校のようです。門扉が可愛い。

海を見渡すカフェで一休み。

そして夕方になると、どこからともなく人が集まってきて、夕日が海に沈む時を待ちます。
イアの夕暮れ時は、世界有数の美しさとして有名なのです。
フィラに向かってカーブする海岸線に夕日が沈んでいく様子は幻想的です。

こんなイメージです。

夕日が沈んだ後の夜景もまた綺麗です。

サントリーニの後はミコノス島やロードス島のことも書きたかったのですが、
しばらくギリシャ旅行のことが続いたので、次回からはまた一旦イタリアに戻ろうと思っています。
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2022年02月28日
Bandiera della pace 平和の旗を掲げて
予定ではサントリーニの続きを書こうと思っていましたが、ロシアによるウクライナ侵攻が危機的状況になっているため、今回は急遽内容を変えて書くことにしました。
ウクライナとロシアに限らず、ある国に対して、圧倒的軍事力を持つ国が一方的に侵攻や破壊を行う。このような暴挙が許されてよいはずがありません。
東京・渋谷でもありましたが、世界各国で反戦デモが行われており、イタリアでも同様に戦争反対の声が沢山上がっています。
ミラノでは、Paceの旗を長くつなげたデモがあり、まるで平和を祈る波のようでした。
また、歌手のジャンニ・モランディも、2/25(金)のボローニャでの反戦集会で、平和を願い、市民とともに歌っていました。
”C'era un ragazzo” これは彼がかつてベトナム戦争の時、反戦歌として歌っていたものです。
”Un Mondo D’Amore”というアルバムに入っています。
集会の様子はこちらから↓
一方、ロシアのサンクトぺテルスブルグでも逮捕される危険を顧みず、市民による反戦デモが行われています。
今日にもウクライナとロシアの間で交渉が行われるということですが、厳しい交渉になることが予測されており、予断を許さない状況のようです。
現在、トルコ、スイス等近隣諸国も交渉役を名乗り出ているようです。
中でもトルコは、黒海入り口のボスポラス海峡を持っているという、ロシアにとって地政学上重要な位置にあるので影響力は大きいかもしれません。平和的解決に向け、日本も含め、各国が最大限できることをするべき時です。
下記のサイトではイタリア語で、Raiの24時間リアルタイムニュースを聞くことができます。ウクライナ情勢、それに対するイタリアの姿勢、世論、EUの動向についての報道を聞けます。
一刻も早い平和的解決を願っています。
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2022年01月06日
サントリー二ブルー
Buon Anno Nuovo!
新年おめでとうございます。
今年が皆様にとって良い一年でありますように。
昨年は仕事が多忙のため、ブログを書くことが全くできませんでした。
今年は時間を確保し、素敵な地中海の国や島についてもっとお伝えしたいと思っています。
さて、前回の続きになりますが、クレタ島から大型フェリーに乗り、サントリーニ島に向かいました。
サファイア色のエーゲ海・・・
いよいよサントリーニに到着です。
三日月のような形をしていますが、これは紀元前1628年ごろに起きたミノア噴火によって陸地が陥没し、現在の姿になったといわれています。
このことからサントリーニ島は、プラトンがその著作の中に書いた、沈んでしまった幻の大陸アトランティスではないかと考える説が生まれました。
三日月形の島の壁面は削り取られたような茶色の地層が露出し、その上に重なる白い街と紺碧の海との美しいコントラストが見られます。
ドラマチックで幻想的な光景に一目で魅了されてしまいました。確かに、沈没してしまった幻の島にふさわしい場所のように思われます。
フェリーから降りると、団体の観光客には送迎バスが出迎えにきています。でも私達は個人旅行だったので、ぽつんとその場にとり残されてしまいました。
港の周辺にはタクシーの姿もなく、どうしようかと途方にくれましたが、運転手らしき男性から声を掛けられフィラまで50ユーロで乗せていってくれるということでした。
これを逃すと10キロ近い道のりをスーツケースと共に歩くことになってしまうため、やむなく乗ってホテルに向かいました。
今回滞在したのは、島の中心にあるフィラの町の中のリゾートタイプのホテル、アリア・スイーツです。
お部屋の窓や壁は、淡いブルーで統一されています。
後で地元のペンキ屋さんの店先で教えていただき知ったのですが、この色はサントリーニ・ブルーというそうです。島ごとに異なる名前のブルーの色があり、少しずつ違うようなのです。ギリシャには好きな島がたくさんあるので興味深いです。
広々としたお部屋は真っ白な壁にブルーのプリントのソファーが置かれ、装飾が施されています。
テーブルには赤いバラの花束と共に、ウェルカムワインとフルーツがセットされ、私たちを迎えてくれました。
ホテルの中庭にはプライベートプールがあり、バカンス気分が盛り上がります!
私は、憧れていた島にようやく来られた嬉しさでいっぱいでした。
まだ海に入るには早い5月でしたから、プールサイドのデッキチェアで日光浴をしました。
燦燦と降り注ぐ日差しの下で青と白の景色を眺めていると、日常の仕事や喧噪から解き放たれてリラックスできます。
プールサイドでサントリーニの空気に浸った後は、フィラの街の散策に出かけました。
サントリーニの中心にある広場には白亜の大きな教会があります。
そこを中心に、たくさんの小さなお店や、見晴らしの良いカフェが狭い道幅の道路に沿って並んでいます。
町を散策しながら見つけたカフェ・ザフォラはフィラで一番といっていいほどお勧めしたいカフェです。
一番海に近い席に座れば、遮るもののない美しいエーゲ海を眺めることができるのです。
高台の上にあるサントリーニの街にはしばしば強い風が吹きますが、ここには透明な風よけがあるので、ゆっくりと過ごすことができます。滞在中頻繁に立ち寄ってはカフェ・フラッペで一休みをする憩いの場所になりました。
マネージャーの方もとても親切で、何度か行くうちにすっかり仲良くなりました。
濃くて冷たいカフェ・フラッペで一息入れてから、街の散策を続けます。
道沿いには、様々な店が立ち並んでいます。ギリシャ特有のレースのドレスを売るお店もあります。
ギリシャの女神が身にまとうような、優雅な白いドレスが並んでいます。
ウインドーショッピングをしながら歩いていると、小さなアクセサリーショップに目が留まりました。手作り感を残しながらもモダンなデザインの素敵なブレスレットやイヤリングがキラキラと輝いています。中に入ると、素敵なマダムが出迎えてくれます。私はこのお店でオリーヴの葉をモチーフにしたゴールドのアクセサリーを購入しました。
サントリーニ初訪問の記念と同時に、また訪れることができますようにとの願いを込めて。
フィラの中心の広場には夕暮れ時になると大勢の人が集まってきて、海を茜色に染めて沈んでゆく太陽と、キラキラと光る海をただ黙って見つめていました。
それは、アルチュール・ランボーが詩に詠んだ通りの光景でした。
永遠。それは太陽に溶け込む海だ。
太陽が水平線に消えていくと、今度はゆっくりと月が現れ、高台の街を照らし始めました。
ディナーのためのお店を探しながら歩いていきます。沢山のレストランがあり決めがたいのですが、弾き語りを聴きながらお料理をいただけるレストランを見つけて、入ってみることにしました。
少しメランコリックなメロディーをギターで響かせながら、若い男性が歌っていました。
ギリシャ語の歌詞の意味は残念ながら分かりませんが、おそらく昔から伝わる曲を歌ってくれているのではないでしょうか。歌に包まれながら郷土料理をいただき、ギリシャに来た気分が一層高まりました。
素敵な歌と美味しいお食事を満喫して、ホテルに戻りました。
今回はサントリーニ島の中心フィラの魅力あふれる景観や街をご紹介しましたが、
次回はイアの町や島の歴史も辿ってみたいと思います。
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2021年07月25日
クレタ島のラビリンス
前回のブログから、またまた時間が大分経ってしまいました。
リモートワークはことのほか忙しく、なかなか落ち着いてブログに向かう時間が取れません。
4連休のお陰で、ようやくクレタ島にたどり着きました。



詩人ホメロスが詠んだクレタ島に到着しました。
ヨーロッパ最古といわれるミノア文明の発祥地です。
ここに来た目的は、ミノア文明最大の遺跡であるクノッソス宮殿を訪れるためです。
3700年ほど前に建設されたこの宮殿には、敷地内に宮殿や神殿、住居等があり、政治や宗教行事など、様々なことが執り行われてきたそうです。
ギリシア神話では、ミノタウロスという怪物を閉じ込めていた迷宮とも言い伝えられています。
そして現在も、その一部が、当時を彷彿とさせるような素晴らしい状態で残っているのです。
当時最も優れた文明であったといわれるミノア文明を後世に伝える貴重な遺跡です。
ホテルは海の近くだったので、窓からはイラクリオン港が見えました。

ロビーもお部屋もモダンデザインで統一されていました。


1泊だけの滞在だったので、ホテル到着後、荷物を置いてすぐに遺跡に向かおうとしました。
ただその日はメーデーの翌日だったため、ホテルの受付で「今日はクノッソス宮殿は開いているでしょうか」と念のために聞いてみました。
返ってきた答えは、
「私達は分かりません。でも多分休みかも。遺跡事務所に電話しても誰もいないようです」と言われてしまいました。
クノッソス宮殿が目的で来たのに、もし休みだったら、はるばるここまで来た意味が無くなってしまいます。
世界的遺跡のある街の、一応5つ星ホテルの受付にしてはいい加減な対応にちょっと憤慨しましたが、とにかく現地に向かうことにしました。
こういう時は自分で確かめるのが一番です!
クノッソス宮殿は比較的市街から近いところにあり、広場からバスで30分ほどです。
港の近くにあるバスターミナルで、クノッソス行きのバスの運転手さんに、
「今日は遺跡は開いていますか?」と、恐る恐る聞いてみると、
「開いてるよ」と、あっさり答えてくれました。
ダメ元で来てよかった!
バスの乗客は私たちの他に数名しかいなくて、ほぼ貸切のような状態でクノッソス宮殿に向かいました。
車窓から初めて見るクレタ島の景色を眺めながら、しばらくバスに揺られていきます。

30分ほどで到着。
遺跡はとても広いので、入る前にちょっとコーヒーブレイク。
入り口の向かい側に、お馴染みのセガフレードの看板を見つけたのです。

ギリシャのアイスコーヒーは「フラッペ」と呼ばれています。
ふわふわの泡がアイスシェケラートのようで、とても美味しかった。
ここがクノッソス宮殿の入り口です。
ギリシャ国旗が無ければ、ここが世界一有名なラビリンスの入り口とは分からないような素朴なエントランスです。

いよいよラビリンスの中に足を踏み入れます。

遺跡は丘の斜面に造営されていたので、結構階段での上り下りがあり、複雑な構造になっています。
そんな分かりにくさからも、ラビリンス・迷宮と呼ばれているのでしょう。


宮殿は周りを丘に囲まれた広大な敷地に広がっています。
遺跡の中の様々なところに、聖なる牛の角と呼ばれるの形状の建造物が見られます。
ミノア文明では牛が神を象徴していたのでしょうか。

ゼウスが牡牛に変身してフェニキアの王女エウロペをクレタ島に連れ去ったというギリシャ神話を思い出しました。
クノッソス宮殿は、鮮やかな色使いが特徴的です。
現存する建物の立派な大きい柱に使われている赤や黒の色も特徴的です。
クノッソスの柱の形状は、下から上に行くにしたがって太くなっています。
アテネのアクロポリスは、エンタシスといって、上部が下部より細くなる形状なので、
その逆の形です。



今でもこれだけインパクトがあるのですから、当時はかなり華やかで迫力のある宮殿だったのだろうと想像します。
また1200もあったと言われる部屋の壁面に描かれている見事なフレスコ画はレプリカですが、
当時の華やかな生活を想像させます。
(本物は全てイラクリオン考古学博物館に収容されています。)
これから、残っている貴重な部屋を見て行きましょう。

こちらは王座の間。
王座の右横に、グリフィンという想像上の動物が描かれています。


玉座の前に置かれた水盤は何のために使われたのでしょうか。
身を清めるためなのでしょうか。
想像が膨らみます。
奥の木の扉の中は宝物庫だったところと言われています。
王座の間の隣にある、こちらのお部屋は王妃の間ということです。
イルカの描写がなんとも可愛いですね。

そしてこちらが、「青の貴婦人たち」と呼ばれる3人の美女の壁画です。
女神や、神殿に使える巫女を描いているとも考えられています。
豊かなウェーヴした黒髪や、大きなアーモンドアイが魅力的ですね。
こちらもレプリカで、本物はイラクリオンの考古学博物館の中にあります。
今回は博物館を訪ねる時間がなかったのですが、是非いつか、本物も見てみたいと思います。

次の壁画は、「百合の王子」と呼ばれています。
言われてみると、丸い形にデフォルメして描かれたお花は、確かに百合のように見えます。
フィレンツェのシンボルである百合のマークにもちょっと似ていますね。
長く伸ばした髪に孔雀の羽根の飾りがついた帽子をかぶり、
黄金のネックレスとブレスレットを身に着けた、かなりお洒落な王子様です。

宮殿というよりは、ひとつの町のように広いクノッソス宮殿を隈なく見ていると、
あっというまに時間が過ぎて行きます。

だんだん日も暮れて、夕陽が差してきました。

すると、前方にふっと、長い尾の動物が現れました。

目を凝らしてみると、目の覚めるような鮮やかなエーゲ海ブルーの首に、グリーンとブルーの長い尾を持つ、見事な孔雀だったのです。
まさか、こんな場所に??と一瞬目を疑いました。
遺跡を歩く姿は堂々として威厳すらあり、大変優雅でした。
まるで宮殿の主のようです。


私には、この孔雀が百合の王子の化身のように思えて、
「遠くからよく来たね」と歓迎してくれているように感じました。
クノッソス宮殿訪問に加えて、思いがけない素敵な孔雀からの歓迎を受け、
とても満たされた気持ちでホテルへの帰路につきました。
今回クレタ島に1泊しかしなかったのは本当に残念でした。
博物館で本物を見れなかったことも、またクレタ島に来る理由が見つかったと思うことにしました。
翌朝にはイラクリオンの港からフェリーでサントリーニに向かいました。

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