ギリシャ
2021年05月31日
続・5月のアテネで
前回の記事では、アテネで一番高い場所にあるリカヴィドスの丘から坂道を下って、シンタグマ広場に着きました。
シンタグマとは憲法を指す言葉ですが、この広場は、ギリシャの歴史において深い意味を持つ場所でもあります。
ギリシャは長らくオスマン帝国の支配下にありました。近代以降も列強国からの支配が続いていましたが、1830年にようやく独立を果たし、1834年に憲法が発布されたことがこの広場の由来のようです。
国会議事堂の前には、1823年の独立戦争以来亡くなった無名戦士の墓があり、民族衣装に身を包んだ二名の衛兵が墓を守っています。
30分に1回、まるで時計仕掛けのようにぴったりシンクロした動作で持ち場を交代するのが見られます。
シンタグマ広場を後にして、目抜き通りのエルムー通りに向かいました。
こちらはカジュアルなお店が軒を連ねていますが、祝日のためか人通りは少なかったです。
途中で左折すると、ミトロポレオス大聖堂がある広場に出ます。
こちらはアテネで最も大きい聖堂で、大統領の宣誓式もここで行われるのだそうです。
それとは対照的に、隣にあるアギオス・エレフテリオス聖堂は、小さくて可愛らしい教会です。
建造されたのは12世紀で、もう1,000年近く前になりますね。
教会の周りでかくれんぼをしている少年たちを見かけました。
12世紀の建造物でも、アテネでは新しいほうで、日常生活の中に溶け込んでいるようです。
アクロポリスの麓にあるプラカ地区へ向かいます。
ディナーはこの辺りのタベルナでいただく予定なのですが、果たしてメーデーでもレストランは開いているのでしょうか。
プラカ地区には狭い通りの両側にレストランが連なっています。
階段上の道の両側にもレストランのテラス席が並び、ワインを楽しむ人たちの姿が見えてきました。
行きたかった老舗のタベルナは階段の一番上にありました。
幸いまだ席もあり、テラス席に腰を落ち着けました。
春の夜風が心地よかったです。
お米をブドウの葉で包んだドルマーデス、焼きナスのディップが美味しいメリジャノサラダ、ナス、ポテト、ひき肉を重ね焼きにしたムサカなど、本場のギリシャ料理を味わいました。
帰り道にタクシーの窓越しに見えた、ライトアップされたアクロポリスが幻想的でした。
目いっぱい動いた夜はぐっすり眠り、
翌朝はパルテノン神殿の見えるテラスで朝食をいただきました。
朝食ビュッフェは種類も豊富で、爽やかなアテネの空の下で、とても美味しくいただくことができました。
ホテルのすぐ目の前にはゼウス神殿の遺跡が広がっていて、古代ギリシャの雰囲気を満喫できるホテルを選んでよかったと思いました。
出発が名残り惜しく感じられましたが、またいつかきっとアテネを訪れて、パルテノン神殿に祈りを捧げようと心に誓いました。
エーゲ海を渡るにふさわしい名の、エーゲアン航空でクレタ島に向かいます。
アテネを発ち50分ほどすると、エーゲ海で一番大きな島、クレタ島の姿が見えてきます。
クレタ島のイラクリオン空港に到着です。
豊饒な大地に恵まれたクレタ島はギリシャ文明発祥の地であり、ここで栄えたミノア文明は当時でも最高水準であったとされています。また、ここは最高神ゼウスの生まれた島ともいわれます。
その栄華を象徴するのがクノッソス宮殿です。
次回はクノッソス宮殿を訪れます。
お楽しみに!
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2021年05月03日
5月のアテネで
前回の記事から大分時間が経ち、もう5月になってしまいました。
5月は私の誕生月でもあり、大好きな季節です。
5月1日は労働者の祭典メーデーで、またスズランの日でもありますね。
私には5月1日にもう一つ思い出があります。
それは私が初めてギリシャを訪れた時のことです。
ローマのフィウミチーノ空港から飛び立ち、2時間のフライトでアテネの空港に降り立ちました。
5月のアテネはまだハイシーズンというわけではないようで、ホテルのロビーには人影もまばらでしたが、
とても暖かくて、ホテルのプールサイドでくつろぐ人たちもいました。
私もプールサイドでフェタチーズたっぷりのパニーノで軽いランチをした後、
ひとまず荷物をお部屋に置いて、街の探索に出かけました。
アテネで最初に目指すのは、もちろんパルテノン神殿です。
アテナイの守護神アテネを祀った神殿の遺跡です。
ホテルからは徒歩圏にあったので、爽やかな5月の空の下、ワクワクしながら並木道を歩いて行きました。
ところが、チケット売り場に着いてみると、張り紙が目に入りました。
なんと、5月1日はお休み! 目の前にパルテノン神殿は高くそびえているのに入れません。
この時は、翌日にアテネからクレタ島に行く予定だったので、がっかりしてしまいました。
仕方なく、パルテノン神殿の下にある音楽堂を柵越しに見てから、地下鉄のアクロポリ駅までパルテノンの下の道を歩きはじめました。
5月の陽を浴びて白く輝くパルテノン神殿は下から見上げても美しく、遺跡を眺めながら、駅への下り坂の道を歩いて行きました。
遺跡を巡る可愛いバスもこの日はお休み。
アクロポリの駅にようやくたどりつくと、
なんと、地下鉄も動いていなかったのです!!
ヨーロッパではどの国でもメーデーは盛大に祝われますが、ギリシャはここまで徹底しているなんて知らなかった。
労働者の祭典ですから仕方ないなと思いながらも、
ただ、今日一日しかないのにどうしようと、途方に暮れました。
しかし国有遺跡ではないところなら開いているのではと思い、気を取り直して、アテネの街を見下ろす一番高い場所、リカヴィドスの丘に行こうと思いつきました。
運良く、駅近くのカフェの前に一台のタクシーが止まっていました。
運転手のおじさんに、リカヴィドスは今日も開いているかを聞いてみたところ、
「開いていると思うよ」との答えが返って来たので、その言葉を信じて早速向かうことにしました。
開いていて良かった!
ケーブルカーで頂上に向かいます。
たくさんの人たちがいたので、皆さん同じことを考えたのでしょう。
ここは標高273m、アテネ市街で一番高いこの丘からは、切り立った崖の上に立つパルテノン全景が眺望できます。
普通は下から見上げることが多いと思いますが、ここからは上から見下ろす感じになり、近くで見るのとはまた別の視点で一望できます。
ここに来て良かったなと思いました。
次の写真の左の方に見える白っぽい長方形は、1896年に第1回近代オリンピックが開かれたパナティナイコ・スタジアムです。
ここは紀元前331年にパン・アテナ大祭の競技場として造られたのが起源です。
大理石で造られた観客席には6万8000人収容可能な大競技場です。
丁度今、東京オリンピックの開催の可否が問われていますが、肥大化し商業化したオリンピックはもうそろそろギリシャに返すべき時ではないかなと思っています。
もっと簡素な形にして恒久的にギリシャで開催し、その費用は参加国が分担するというのが理想的なあり方なのでは、と思っています。
頂上にあるカフェで、パルテノンを眺めながら一休み。
そして帰りはケーブルカーを降りてから、長~く続く階段を下り、アテネの中心街に戻りました。
この辺りは閑静な高級住宅街のようです。
オレンジの木の並木道、瀟洒な高級アパートメント、素敵なジュエリーショップのウィンドウを眺めたりしながら(残念ながらお店もお休み)、しばらく歩いて行くと、シンタグマ広場が見えてきました。
広場には無名戦士の墓があり、衛兵の交代儀式が有名ですね。
ちなみに今日5月3日は日本では憲法記念日ですが、
「シンタグマ」とは、ギリシャ語で憲法を意味します。
長くなってしまうので、この続きは次回の記事で。
是非またお読みくださいね。
ここに来て良かったなと思いました。
次の写真の左の方に見える白っぽい長方形は、1896年に第1回近代オリンピックが開かれたパナティナイコ・スタジアムです。
ここは紀元前331年にパン・アテナ大祭の競技場として造られたのが起源です。
大理石で造られた観客席には6万8000人収容可能な大競技場です。
丁度今、東京オリンピックの開催の可否が問われていますが、肥大化し商業化したオリンピックはもうそろそろギリシャに返すべき時ではないかなと思っています。
もっと簡素な形にして恒久的にギリシャで開催し、その費用は参加国が分担するというのが理想的なあり方なのでは、と思っています。
頂上にあるカフェで、パルテノンを眺めながら一休み。
そして帰りはケーブルカーを降りてから、長~く続く階段を下り、アテネの中心街に戻りました。
この辺りは閑静な高級住宅街のようです。
オレンジの木の並木道、瀟洒な高級アパートメント、素敵なジュエリーショップのウィンドウを眺めたりしながら(残念ながらお店もお休み)、しばらく歩いて行くと、シンタグマ広場が見えてきました。
広場には無名戦士の墓があり、衛兵の交代儀式が有名ですね。
ちなみに今日5月3日は日本では憲法記念日ですが、
「シンタグマ」とは、ギリシャ語で憲法を意味します。
長くなってしまうので、この続きは次回の記事で。
是非またお読みくださいね。
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