「木の根と幹 パリ近郊 ゴッホ最後の絵(場所特定)
オーペールシュルオワーズ=共同
フランスのバン・ゴッホ研究所は28日、オランダ出身の画家ビンセント・バン・ゴッホ(1853〜90)の最後の作品とされる‟木の根と幹”で描かれた場所を特定したと発表。パリ近郊オーベールシュルオワーズにあり、古い絵はがきの写真が手掛かりとなった偶然の発見だった。作品を所蔵するオランダアムステルダムのゴッホ美術館の専門家も、信ぴょう性が極めて高いと判断した。この作品を描いた日に自殺を図ったとされ、最晩年の行動に関して理解を深める発見と評価されている。

場所を見つけたのは、バン・ゴッホ研究所のバウター・バンデアベーン研究部長。
コロナで外出が制限された今春、自宅で資料を整理した際に、20世紀初の絵はがきの写真にゴッホの作品に似た木の根と幹が写っていることに気づいた。場所はゴッホが滞在していた宿からわずか数百メートルの道沿いと分かり、現在も木の根と幹が残っているのが見つかった。
バンデアベーン氏は、弟テオ らへの ‟絵による別れの手紙” だったのではないかと指摘。自らの命は終わっても、新たな命が生まれるとの希望を伝えたと解釈している。ゴッホの命日の前日に当たる28日、場所のお披露目が行われ、テオのひ孫ビンセントウィレムさんは、‟とても感動している。ゴッホが最後に何を書いたか良くわかる” と話した。 」
絵による別れの手紙。
再び芽が出る切り株を描き、自らの命は終わっても、新たな命が生まれると希望を伝えた、ビンセント・ゴッホの 木の根と幹。
まさに今、私は切り株を見つけた。
その切り株は、新しい芽を吹きだしてくれるだろうか。はたまた、私の手にその切り株は、やってきてくれるだろうか。裏山には竹藪が広がっていた。
地面は雨が降っていないにもかかわらず、じとじとと濡れている。
やぶ蚊が足や肩にまとわりつく。
ただ、この季節に、ホーホケキョと鶯が鳴いた。
私も、‟ケキョケキョケキョ”と鶯の山渡りを口笛で吹いてみる。またほどなくして、ホーホケキョと声がかえる。あー自然が、いい空気が、たっぷりある。
18年前、東京の街に降り立った私は、カラスと人、人、人の渋谷宮益坂で、‟なんでこんな遠くまでやってきたんだろう”と、自分の運命に違和感を感じた。
そしてまた今、面接の時の女の子の涙が、ここに私を導いた人生の不思議に、自分を納得させることができないでいる。
オーペールシュルオワーズ=共同
フランスのバン・ゴッホ研究所は28日、オランダ出身の画家ビンセント・バン・ゴッホ(1853〜90)の最後の作品とされる‟木の根と幹”で描かれた場所を特定したと発表。パリ近郊オーベールシュルオワーズにあり、古い絵はがきの写真が手掛かりとなった偶然の発見だった。作品を所蔵するオランダアムステルダムのゴッホ美術館の専門家も、信ぴょう性が極めて高いと判断した。この作品を描いた日に自殺を図ったとされ、最晩年の行動に関して理解を深める発見と評価されている。

場所を見つけたのは、バン・ゴッホ研究所のバウター・バンデアベーン研究部長。
コロナで外出が制限された今春、自宅で資料を整理した際に、20世紀初の絵はがきの写真にゴッホの作品に似た木の根と幹が写っていることに気づいた。場所はゴッホが滞在していた宿からわずか数百メートルの道沿いと分かり、現在も木の根と幹が残っているのが見つかった。
バンデアベーン氏は、弟テオ らへの ‟絵による別れの手紙” だったのではないかと指摘。自らの命は終わっても、新たな命が生まれるとの希望を伝えたと解釈している。ゴッホの命日の前日に当たる28日、場所のお披露目が行われ、テオのひ孫ビンセントウィレムさんは、‟とても感動している。ゴッホが最後に何を書いたか良くわかる” と話した。 」
絵による別れの手紙。
再び芽が出る切り株を描き、自らの命は終わっても、新たな命が生まれると希望を伝えた、ビンセント・ゴッホの 木の根と幹。
まさに今、私は切り株を見つけた。
その切り株は、新しい芽を吹きだしてくれるだろうか。はたまた、私の手にその切り株は、やってきてくれるだろうか。裏山には竹藪が広がっていた。
地面は雨が降っていないにもかかわらず、じとじとと濡れている。
やぶ蚊が足や肩にまとわりつく。
ただ、この季節に、ホーホケキョと鶯が鳴いた。
私も、‟ケキョケキョケキョ”と鶯の山渡りを口笛で吹いてみる。またほどなくして、ホーホケキョと声がかえる。あー自然が、いい空気が、たっぷりある。
18年前、東京の街に降り立った私は、カラスと人、人、人の渋谷宮益坂で、‟なんでこんな遠くまでやってきたんだろう”と、自分の運命に違和感を感じた。
そしてまた今、面接の時の女の子の涙が、ここに私を導いた人生の不思議に、自分を納得させることができないでいる。