2023年02月

桃の節句に

ザバーン、銭湯は最高!!
富士山の絵をみながら、たっぷりの湯舟につかる。43℃は私にとって熱めだけれど、冷えた体が一気に血が巡り出す。
あーなににも変えられない幸せな時。
自宅から一駅のオアシスをみつけた仕事帰りに銭湯。いい習慣、くせになる。

「くらし歳時記  桃の花 広田千悦子
花屋さんに桃の花が並び始めました。今はまだ、春のような日だなとほっと緩んでいると、最後の力を振り絞るのかのような寒気に驚かされる不安定な陽気です。そんな中でも店先で凜と咲いているのを見かけては、花はもちろん、育てている方のお仕事も見事だなあと眺めています。桃の花を一枝飾るだけで、なんとなく家の中が桃の節句の雰囲気になってきますが、古くから力があると信じられてきたのは、果実、枝、種などでもあり、花だけではありません。現在でも、葉を湯に入れた桃湯は肌荒れに、種の中の核はせき止めの生薬にと活躍しています。私の場合、桃と聞いて真っ先に思い浮かぶのはみずみずしい実と子どもの頃大好きだった缶詰。今年の桃の節供は花を飾り懐かしい桃缶を開けて、甘い呪力をいただこうと考えています。」

仕事、おどり、生活を毎日毎日、彩ろうと常に考えている。
そうしないと、いいニュースは少なく、つらく、苦しいこともたくさんある。自分から率先して楽しいこと、ウキウキすること、気持が良いこと・・・などなどをまわりに引き入れるようにして!! とくに体を動かす、つとめて行動する、頭で考えるより体で感じる。そうすると、ぐっすり眠れて、次の日がやってくる。
新しい一日だ!!
お風呂はいい。とくに銭湯は、私にとって最高のごちそう!! を近くにみつけた。
桃ちゃんも、あつーいお風呂にカピバラのように、ただただじーっとつかっている。
今度いっしょにみどり湯に行こうか!!

オーパ! 

「オーパ! 開高健
オーパ!は小説家 開高健が1977年ブラジル・アマゾン川流域を65日間にわたって1万6千キロ釣り歩いた記録である。褐色の川とジャングルを怪魚、奇魚、大魚を求めて、小説家のほかカメラマン、編集者、案内役など5人の男たちが釣竿を片手にさまよい歩いた。この大冒険の始まりの場所といえば、神奈川県茅ケ崎市にある開高の屋敷だった。1976年1月、男性月刊誌‟PLAYBOY”の連載が決まった。その時 ‟水がうごきだした。独楽(こま)がまわりはじめた” そうして、勇躍、地球の裏側へと旅立ったのだ。小説家は旅の同行者に3つの条件を求めたという。どこでも寝られる。何でも食べられる。助平である。 ‟ベトナム戦争の取材で命懸けの旅をして以来の哲学だそうです。開高さんの心には生涯、ベトナムがありました” ‟私はナイフの刃についた脂と血を新聞紙でぬぐって皮鞘に納める” これからさき、前途には、故国があるだけである。手錠つきの脱走は終わった。羊群声なく牧舎に帰る。(オーパ!)  竿と筆 坂本 充孝  」

私もオーパは読んだ。原稿用紙そのままが本になっていた記憶がある。
10年いや15年前かなあ。開高健の本は、あまり読書をしない父が好きだった。そして父も仕事の休みは釣りにでかけていた。確かに、‟かかったあ!!”と釣竿をあげ、リールを回し、まっ黒な海から、釣り糸の先に何がおめみえするかは、最後の最後までわからない。おめあての魚か、はたして・・・!?! 私も一時期はまったことがある。今も時々防波堤から釣竿をふる夢をみる。
今日は、熊谷まで店回りに出掛けた。
人身事故で新宿湘南ラインは動かず、とりあえず大宮までは埼京線を使った。大宮で、始発の高崎行きが動きだしたのは10時30分すぎ。しかも満員の電車は80%はお年寄りだった。若い人もオーバーのえりをしめて、こくりこくりと揺れている。まるで、敗戦後の日本の列車のような錯覚に陥った。ただ途中富士山がクリアに見えたのが、心を慰めてくれた。4時間かかって着いたお店は、退店が多いのか、エスカレーターにガードマンが立っていた。人が4階上に行かないように片側だけを動かしている。入口も強風のため迂回して、手動で開ける。こんなショッピングセンターは!?! 
からだは冷えに冷えて、早く家へ戻りたくなった。
途中なぜか‟銭湯にはいろう!!と、心がさわぐので、家の近くの自由ヶ丘で見つけたみどり湯へ行ってみた。
‟ハアー、イイナあ”
今日は、いや今日も、魚つりにでかけた一日だった。
そして、2回も富士山を見た。1回目は車中から、そして2回目はお風呂につかりながら。いやあ オーパ!!

※オーパとは、ポルトガル語で軽く驚いたときから心底感嘆したときまで幅広く発せられる言葉。
扉を開けたら向こうに人がいて、ぶつかりそうなときに双方が ‟オーパ” と言って笑う。
ウエーターが皿をガシャーンと割った音がレストラン中に響き渡ったとき、お客も皿を落としたウエーターも ‟オーパ” と言って笑う。それで終わり。割れたものは仕方ない。怒られることもない。
ブラジルでは全てがイベントであり、イベントは常に楽しいのだ。遅刻した人を責めるのは大人のすることではない、とブラジル人の知人に言われたことがある。誰にでも事情があるのだ。ブラジル人は他人に優しいし、自分にも優しい。よって自殺する人が非常に少ない。自殺者の割合は日本1/4以下と聞いたことがある。ここ13年間続いた労働者党の反政府デモが行われている。デモにはしばしば屋台が出て、ビールや焼き鳥が売られている。‟反政府デモのカーニバルだね” (オーパの国 ブラジル 寺本将人) 


感覚が開く瞬間

「養老猛司さん 新刊 ‟ものがわかるということ”
‟物事をわかりたいと思い、一生をかけてきた” 85歳の解剖学者が自らの考え方やものの見方を、新刊にまとめた。(祥伝社) 自分とは何か、他者を理解することはできるのか・・・。‟今は確固たる自分を持てと言われて、みんな困っているのでは” 日本人は従来、自らを移りゆく自然と一体のものとして捉えてきた。だが近代以降、固定的な自己の観念が広がり、個性を求められるようになったと指摘する。自分すら移り変わり、捉え難いものなのだから、‟言っていることが相手に通じるなんて奇跡みたいなもの” 特にSNSやリモート会議といった、場を共有しないコミュニケーションは難しい。同じ人でも見る状況が違えば理解の仕方が違ってくる。ジジイが何かぶつぶつ言っている、ぐらいで聞いてもらえばいいと、割り切る。人や動物と仲良くなるのは理屈ではない。何となく波長が合うということがある。その状況を共鳴と呼ぶ。感覚が開かれていることが重要だが、自然を統御し、排除した都市では鈍ってしまうという。かねて、1年のうちに一定期間を田舎で暮らす ‟現代の参勤交代” を提唱してきた。自身も都会の子供を森に連れ出し、一緒に虫を捕る。‟感覚が開き、鳥が鳴いているな、と気が付くようになる” 場所を問わない働き方が広がり始めた今こそ、好機かもしれない。 (個性確立より自然との共鳴を) 」

場を共有しないコミュニケーションは難しい。
‟4時間かけて車を運転し、父に会いにいったけど、面会できたのはわずか10分だけだった・・・”
と会社の人が話していた。今まだ病院施設はコロナの時のままなんだ・・・いたたまれない気持になった。
港区から、太田区へ住みだして、私の移動時間、移動距離は飛躍的に伸びた。それにつれて体を動かすことも増えた。おかげで、ズックとリュックは完全に必需品。そうなると、ヒールにスカート、パンツスーツといったおしゃれなものは遠い存在になった。‟共鳴”‟感覚を開く”そうしないと、生活は重くなる。なんとなくそんな気がする。
私は、犬の千といっしょにかくれんぼをして、走る。
金魚鉢の中のちんちゃん銀ちゃんを上からじーっとみている。
ハチの毛づくろいをゴリゴリとしてあげて、そうとう鼻を近づけハチの匂いをかいでみる。
そんな、アラジンの魔法のランプをこするような、おかしな習慣が、私の感覚を開く!!
そうすれば、心がストーンと腑に落ちて、幻想が広がる。
口元がゆるみ、フフっとおかしくなる。
今、開いたあ。




piece of junk

「家族 ポンコツだけど家族 お笑い芸人 にしおかすみこ
3年前、コロナで仕事がゼロになって、貯金もなくて引越しを決めたんです。実家はどうしているか気になって様子をみにいったら、床が砂だらけで生ごみ臭くってびっくりしました。実家は両親と姉の3人。母(82)は長く看護師をしていてしっかり者で、働きながらダウン症の姉と私を育ててくれました。父はサラリーマンでしたが、そのお金を飲み代に使ってしまう。母が一家の大黒柱というイメージでした。その母が、散らかった家で ‟頭かち割って死んでやる” とか言うんです。これはおかしい。実家で暮らすことにしました。母を病院に連れて行ったら認知症と診断されました。母は、私が無職で一日中公園に座っていると思っています。今朝も、‟こんな寒い日に見え張って働いているふりをしなくていいんだよ”と言う。おはようと言ったのもすぐ忘れる。ネガティブな話を繰り返す時はちょっとしんどい。姉は私より一つ上で、母が世話をしています。母は現在と過去があいまいな時があるのですが、ぎりぎり現在にとどまることができているのは姉がいるからじゃないかな。姉は母の生命線。だから私は姉の面倒は見ないよと言っています。父は定年した今も、酔っぱらいです。毎日飲みに行く。変わらないけど父も年をとったと感じます。3人のうち誰か倒れて、どんな病気になって・・・ と考えると気がめいります。だから私は、いつの頃からか、今日と明日の朝ご飯までしか考えないようにしています。そこまでなら、私は病まずになんとかなるという感じ。自分が元気じゃないと家族も救えない。自分ファーストでいこうと思っています。そんなポンコツの家族のことをネット上で書いています。始めた理由はいくつかありますが、母と生活していて、‟頭と体と心が全部健康な時期は短いんじゃないか。だったら前からしたかった書く仕事をしよう”と思ったこと。家族を売るという気持や、誰かを傷つけるのではとの想いもあって散々迷いましたが、書いてみたら皆さんの反応がすごく優しかった。すっごくびっくりしたし、ありがたいなと思います。」

家族の単位は、どんどん小さくなっている。お一人様が増えて・・・私は逆にどんどん大家族。まるでホームアローンのように、毎日けんかやら、笑いやら、誰かが大声で泣いたり叫んだり、犬が吠えたり、鳥が騒いだり、金魚がジャンプして水しぶきで床を濡らしたり・・・
すっごく生活にエネルギーを使うから、あっという間に一日が過ぎて、次の日の朝4時がやってくる。
1週間は走馬灯のようにくるくると回る。
そうか。頭と心と体が元気なのは短い!!
そもそも人生は短い。
あっという間に66歳になり、父も母も、おじもおばも、亡くなった。
それでも人生心配や不安がいつも私の心を覆い隠そうとしているが、バイバーイと、楽しいこと、いいことだけをみてゆこう。
そうした人が、そうできる人が、勝ち組だ。
※ポンコツ piece of junk  老朽化したり破損した者。中古品や廃棄物。

ミニマリズムって

「技術に疲れる  小説家 松浦寿輝
CDは増えてゆく一方で、もうラックから溢れそうだ。こういうかさばる代物はそろそろ止めて、音楽はもう配信サービスのサブスクで聞くことにしようと考えていた。大して高くもない料金を払えば、どんな曲でも聞き放題という便利な時代が訪れたというではないか。そう思っていた矢先、LPレコードの需要が高まり始めているというニュースを聞いた。回転するレコード盤のうえに針をそっと乗せると音楽が流れだす。手間暇かかるそんな仕掛けが、私などの世代には懐かしい、またそれを新鮮と感じて面白がる若者も少なくないと言う。ほう、そういうことがあるのかと感じ入っていると、さらに追い打ちをかけるように、アメリカではスマートフォンに倦みはてた若者たちの間でガラケーがもてはやされているというニュースが入ってきた。ガラケーはもちろん日本語で、英語ではフリップフォンつまり折り畳み式携帯電話というわけだが、あまりにも高度な機能がてんこ盛りのスマートフォンにうんざりして、単に通話ができればそれで十分という‟ミニマリズム”の生活感覚が、むしろお洒落で‟イケてる”ということらしい。ガラケー搭載の原始的カメラで撮った粒子の粗い画像のやりとりが、気の利いた遊びとして流行しているという話も聞いた。機能が多ければ多いだけ、それを何とか使いこなさなければと、追い立てられる気持になるのは人情である。進化しすぎたテクロノロジーに遮二無二追いつこうと走り続けることに、われわれはどうやら疲れはじめているようである。 」

※ミニマリズムは、
完成度を追求するために、装飾的趣向を凝らすのではなく、むしろそれらを、必要最小限まで省略する表現スタイル。最小限主義とも。所有するものや家に置くものをできるだけ少なくして、持たないくらし。

木曜日はひろ君の一週間に一回の休日。で、今日はショッピングモールの視察を車で行くことをお願いした。
私も、ハンドルを握りだしたが、一向に車の運転技術は上達しないままで、けっこう運転はストレスだ。
港北ニュータウンまで、とく、もも、さくら、ママ、バーバとヒロ君運転で出かけた。
お店の視察 プラス 1週間の買い出しだ。育ち盛りと、ろく、ハチ、ちんちゃん銀ちゃん、ウメ、柚子、千(せん)と多様性のある大家族。
まずは4日分の食糧を確保する。すさまじい量だ。巻物のように長いレシート。まずホームセンターで、18点8708円。次に激安業務スーパーで、58点16056円 を買った。
これがみんなの胃袋と生活のために、あっという間に消えてゆくことになる。
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