2024年01月

死生観

「夫と妻の死生観  作家 小池真理子
夫が肺がんを宣告され、69歳で逝ってから丸4年が過ぎた。まだ元気だったころ、彼が口癖のように言っていた言葉が忘れられない。‟おれは、発見された時はすでに手遅れという病気で死にたい” 15のころからのヘビースモーカーだった。亡くなる数年前まで、ハイライトを煙突のごとく吹かし続けた。丈夫だったせいもあるが、医療機関を受診することを毛嫌いし、血液以外のあらゆる検査を拒否していた。検査すれば何かが見つかる。不安だらけの治療だの手術だのを受ける羽目になる。それがいやなのだ、という。そのことで私たちはよく喧嘩をした。末期の肺がんであることを告げられた時、絶望し、混乱をきわめた複雑な感情の中にありながらも、彼がどこかほっとしていたことを私は知っている。概ね理想通りの最期になる、と思ったに違いないのである。あれだけ彼の病との向き合い方を真向から否定し、言い争いのタネを作っていた私だが、今頃になって、彼は正しかったのかもしれない、と思うようになった。彼のような考え方は、時に人生の残り時間を安楽なものにしてくれることがある。なぜ、当時彼の考え方を認めることができなかったのか。多分、私の中にも彼と似たようなものがあるからだ。だからいやだったのだ。ということに、最近、ようやく気づいた。 」

バレエのストレッチをしている時、境先生はひとりひとりの生徒をまわりながら、からだの細部にわたって指導する。
私のところにまわってきた境先生は、私の背中をなでながら耳もとで ‟末ちゃんって本当に健康だね〜” と言った。境先生のレッスンを受けるようになって20年以上の歳月が流れていた。
たしかにそのあいだに、私のからだは細胞分裂を続けて、以前のからだから今のものへと入れ替わっていた。
しかも、その当時からいっしょにバレエを始めた人たちもほとんど・・・かわってしまった。
そういえば、私より絶対年上だろうと考えていた千秋先生も、実は7歳も年下だった。先生という指導する立場の人は、どうしても生徒より上に感じる。
そうか、バレエの先生は私より若い人達だったんだあ。
平均寿命は伸びている。だけど健康年齢との差は10歳くらい離れていて、寝たきり状態を10年は覚悟しないといけないらしい。
一生元気で働いて、ポックリいけるとしたら、最高の幸せだ。
できれば、私はそれを目指したい!!
ピンピンコロリ!! そのためには、いつも全力で、今日を生きよう。ということかナあ。

吉兆

「色鮮やか 節分縁起物 (列島ライトアップ)
 2月3日の節分を前に和歌山県新宮市の世界遺産・熊野速玉大社で、柳の小枝に色とりどりの飾りを付けた縁起物の‟吉兆‟作りが最盛期を迎えた。
 巫女が‟もち花‟と呼ばれるピンクや黄・白などの小さな球や小判・サイコロ・大福帳の飾りを小枝に取り付けて仕上げだ。吉兆は‟良い事の兆し‟の意味。大社によると柳の枝には生命力があり、福の神が宿ると伝えられ、節分の日に家に飾ると幸福が訪れると信仰されてきた。」

1週間のメンテナンスにでかけた。
本日は台湾式、足の先も手先も冷たい朝早く自由が丘を小走りで、かけぬけると、マンションの3階の鉄の扉をガチャリと開けて入る。用意されている薄いTシャツとショートパンツに着替えてうつぶせで、施術を受ける。背中に漢方のドロドロの熱いものがあパックされてゆく。
‟あっちぃちぃーイティ∼∼‟熱さか痛さかは、肌感覚で同じだ。ちょっとの間我慢していると、今度は背中全体がジーンとあったまってゆく。1時間後、すっかり元気になった私は、弾むように歩いている。背中をほぐすということは、そこにはりついている内臓器官にいい刺激を与えるんだろうナあ・・・
と私は自分なりに納得している。内臓の働きは、免疫系統や消化吸収、生命体を維持するのに大切な
働きを、いつももくもくと行っている。漢方の海藻パックは、そこに効果があるんじゃないかナあ
・・・。私は、健康診断こそ受けないが、からだが資本なので、すっごい健康おたくでもある。
ま、私のやり方で、吉兆を願い、頑張っている。








たった一つのことでいい

「こころの玉手箱 中尾ミエ  素晴らしい先輩たちに感謝
‟たった一つのことでいい
納得することをしろ
或(あるい)は読め
或は 歌え
或は 聞け”
森繁久彌さんが書いてくださった言葉だ。森繁劇団の舞台に出演した時、楽屋に伺って何か書いて下さいとお願いしたのだと思う。ありがたくて、貴重で、大切に額装して飾っている。今、読み返しても背筋が伸びる。自分は毎日、本当に納得することをしているだろうか。振り返ると、実に多くの素晴らしい先輩に出会い、色々なことを教えてもらってきた。幸せだった。どうして多くの方にかわいがってもらえたのか。この人と思ったら自分から押しかける私の積極性が強みだったのかもしれない。でも、ダメで元々。チャンスがあったら迷っている暇なんてない。自分の勘を信じて、取り繕わずに相手に近づいていく。自分に残されている時間が決して多くないと分かっているから、一日一日がとても大事。楽しまないともったいない。2月には、有楽町で喜寿記念ライブを開く。尾藤イサオ、庄司花江、モト冬樹、光枝明彦、全員を足したら400歳だ!出かける場所がないと嘆く同世代の人にも楽しんでほしいし、若い人たちには年をとっても楽しそうな私たちの姿を見せたい。 」

久しぶりに徳、桃、さくらとバーバで自由ヶ丘に繰り出した。
3匹は次々とインフルエンザにやられたので、お出かけは、特に銭湯へは行けなかった。
南口改札から出て、人人人、自転車、車をぬけて、おもちゃのマ三―にまず顔をだす。
桃はとうと、‟ お風呂には入りたいけど、おもちゃは選ぶのが大変だから、おもちゃ屋へは行きたくナイ ” としぶる。
消費社会に取り込まれるのは、桃はすでに感じ取った。‟ いいぞお!!” おもちゃに遊ばれるカラクリに気付いた!!
だから、桃はおもちゃやに行く前から、‟ しょうがないからエロエロサプライズにする!!” と決めていた。それはマミーの売れ残りコーナーで安く売られている。何が出てくるかわからない人形のおもちゃだ。
次はとうと待ちに待った銭湯。桃、さく いわく温泉にたどり着く。温泉をあがってオロナミンCを飲む!! という最高のシチュエーションをイメージして。
まず、からだを洗って、熱ーいお湯につかる。足先から徐々にたっぷりのお湯がヒタヒタと浸透する。
‟ウィー” っと桃とさくらは、まるでおやじのように声を出して首もとまでつかる。
‟カァッー” と、熱さが喉まで染みわたる。‟アッーゥ”。銭湯をこよなく愛する教育、おもちゃに遊ばれない教育は、三歳にして成功した!!
これが大人になっていく過程で、孫たちの幸せの原点となってくれるだろう!!
よかった。
‟ たった一つのことでいい
納得することをしろ
或は 読め
或は 歌え
或は 聞け 
そしてたのしめ ”
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振れ幅の大きい人生

「こころの玉手箱
 ”振れ幅の大きい”人生に学ぶ
                               レノバ名誉会長 千本 倖生

 2度目の起業は1999年。ASDL回線サービスを提供する。
イー・アクセス(現ソフトバンク)。このころ台頭したインターネットに私は無限の可能性を感じた。
同時に私の起業家精神が再び目覚めた。
日米の通信環境の差に目を付け、日本を世界のトップクラスの通信環境にしたいと立ち上がった。
博報堂代表取締だった近藤道生さんは、いつも私の決断を”闇夜の嵐に小舟で漕ぎ出すようなもの”
と言いながら応援してくれた。
近藤さんは東京帝大から大蔵省(現財務省)に入ったが、第2次世界大戦の現地で筆舌に尽くせない
苦難を経験された。
上官や級友を戦場で亡くし、自身も常に死と隣り合わせの生活だったという。
国税庁長官を退官した後は内紛で混乱していた博報堂の社長に転じ、同社の立て直しに力を尽くさ
れた。
 私も半分役人のようなNTT社員というキャリアを捨て、ベンチャー経営に身を投じた。
イー・アクセスでも資金調達に苦心したが、苦難と未知の体験が人を成長させる。
振れ幅の大きい人生を選択する近藤さんに自分も励まされた。
 彼は”不期明日”という本を出した。
”不期明日とは明日があるなどとは思わず今日を精一杯生きること”
私は70歳を過ぎていたが、自分の経験と情熱を注ぎこみ、この会社を確かな成長軌道に乗せようと
決めた。人は運命という大きな流れの中で生きている。
その中で何をどう決断し、実行するかは自分次第だ。
迷ったときは前に進むことで新たな道が拓けることは、近藤さんの生き方から学んだ。」
 
 大蔵省という言葉があったナあ、それがいつの間にか財務省になっていたんだ。
そして第2次世界大戦、私は戦争を知らない子供だったが、父や母、祖父や祖母、おばさんやおじさんは戦争を体験していた。それにしても人の記憶はあっという間に消えていくんだナあ。
‟振れ幅の大きい人生‟魅力的だ。だけど、すっごくいい時と悪い時の落差が大きいということだから。
死ぬほど辛く、大変な時期それは真逆の大きな幸せをつかんだ時を体験する人生だから・・・。
どうだろうか、今は安心安全でリスクを取らない生き方がおすすめな時だ。だから、私たちは全ての
ことに保険をかけている。リスクから遠ざかろうとあがいている。
いや待てよ、リスクとは危険じゃない。リスクとは結果がみえない、不確実性の度合いのこと。
ということは、リスクを危険と考えて、リスクから逃げれば逃げるほど、不確実性は少なくなって
ゆくから・・・。振れ幅の小さい人生ということになる。
だとすると私は、リスクをとろう‼やっぱりワクワクとして生きてゆきたい。
だって、一度きりの人生だから。




Dream of Earth project 非武装地帯DMZ

「文化往来 自然と共存探る  崔在銀の個展
白い石山のように見えるが、実は沖縄から借りた10トンの白化したサンゴだ。アーティストの崔在銀(チェ・ジェウン)の新作 ‟White Death  白い死” は、はかなく美しいが、恐ろしい。‟ 沖縄の海と言ったらきれいな海を思い浮べる人がほとんど。死の海になっていると認識している人はどれくらいいるんだろうか ”  サンゴの山に置かれた割れた鏡から怒りや悲しみが感じとれる。地球の環境問題は緊急事態だ。科学や哲学よりも、アートは一番早く同時多発的にメッセージを発信でき、違う形で見る人に訴えかけられる。これまでも自然との共存を探ってきた。朝鮮半島の非武装地帯(DMZ) の自然を再生するプロジェクト ‟自然国家” も進めており、国境を示すコンクリートの上をアリやチョウが行き来するのをかつて見て、自然は人間のルールに縛られないと再認識したという。緊急事態の地球環境に対し‟ 間に合うだろうか ” でも ‟ 自然回復力を信じたい ” と言い 制作を続ける。 日経新聞 夕刊 2024年1月23日 」

「※DMZ(Dreaming of Earth Project)
今なお休戦状態にあり朝鮮半島を南北に隔てる非武装地帯DMZでは数十年におよぶ無人状態と約200万個の大量な地雷によって、結果的に動植物を巡る自然環境が回復したと考えられていた。
それにしても、終わらない戦争と無数の地雷によって自然が取り戻されたのだとしたら、なんという皮肉だろう。 人は自然の主権を回復しうるのか 2023年12月1日(金) 東京新聞 」

非武装地帯DMZは、韓国のちょっと前にすごい人気だった愛のパラシュートでみていた。
その時は意味がわからずに、主人公がその中を走り抜けるシーンだけが、私に残像として残っている。
200万個の地雷が埋まっている自然環境をとりもどした地域だったんだあ・・・。
そして今また韓国ドラマにはまっているのは、原作は韓国で日本でリメイクされた ‟六本木クラス” だ。
この場所は以前オフィスと住居棟があった場所でストーリーが展開している。
‟あーなつかしい” という風に、全てのロケーションが目に飛び込んでくる。
それにしても、どんなにか美しく、どんなにかゴージャスに、ましてや手に届かないほどにきらびやかなものでも・・・、実は虚構に満ちた恐ろしい人間の欲でできているとしたら・・・。
もっとしっかりと地に足をつけて、地面を踏みしめないと、惑わされてしまう。
真実の光は、消えていこうとしている自然の中にある。
残り90秒となった。
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