2024年09月

エレメント

「文学周遊 岩田宏 ‟神田神保町”
ただ、詩人の岩田宏は人と容易に交わらない自我を感じさせる作風で、いくらでも書けただろう口当たりのよいものを書かなかった。‟神田神保町”(59年の詩集 ‟いやな唄” 所収 )もそんな詩だ。何か強い失意が伝わってくるが、視線は社長と高利貸、昼休みのバドミントン、ほそい指の少女、ラジオ、レコードと次々と飛んで、一読、よく分からない。・・・・。そう思ってもう一度神保町の古書店街を歩くと、世の中には本当に様々な本があり、焦燥を覚えた若い頃を思い出した。駿河台の下の神保町は様々なエレメントが流れ込んでよどみ、しかし発光もしている場所のように思われた。 (編集委員 深田武志)」
神保町の路地にはレトロな喫茶店が並び、昭和の面影が今も残る。
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「筆洗
詩人の谷川俊太郎さんが書いた “生きる” にこんなくだりがある。
‟生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべて美しきものに出会うということ
そしてかくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ”  」


そう言えば、先週ふいに途中下車して神保町へ初めていってみた。
そして今日は、内幸町のイイノホールで6ヵ月ぶりに副島氏の講演を聞く。
帰りは自由ヶ丘のみどり湯で、とく もも さくら&ママと待ち合わせ。
夕方になって、からだは冷えてきたから、あったかい銭湯は、とても気持ちがいい。
みんなお腹がペコペコになった。帰り道の中華料理屋で、食事をする。
‟しまったあ” たたき胡瓜の横っちょの白い野菜をガリガリと食べた。
‟ニンニクだあ!” これで明日の会議はみんなに迷惑をかけるナあ・・・。

※エレメント element  ‟元素”を意味します。
科学的にそれ以上分解することのできない純粋な物質を指します。
物質の基本的な構成単位であり、全ての物質はこれらの元素から成り立っています。


お引越し

「こころの玉手箱 
編曲家 船山基紀     忙しくも充実したあのころ
これまでの仕事から、代表作を1曲あげるなら五輪真弓さんの‟恋人よ”である。自分で編曲したものを聴き返すことはほとんどないが、この曲だけは繰り返し聴いている。イントロ48秒と、テレビ番組に合わせてイントロを短くするのが当然の時代にあって異例の長さ。当初B面曲の予定だったので、気負わずスケールの大きいバラードの魅力を生かそうと考えたのは覚えている。編曲の仕事は、作曲家、プロデューサー、ディレクターの注文に応えること。しかし、私にとって大事な曲を挙げていくと、自由につくらせてくれたものばかり。この曲もその一つだ。ヒットの定型に逆らって時代を超えるスタンダード・ナンバーにできたのを誇りに思う。当時は1日で4曲仕上げるような、むちゃくちゃに多忙は日々。CBS・ソニーの音楽ディレクターの中曽根さんと二人で戦場から逃れるように箱根などへ釣りに行った。忙しかったとはいっても、私が一番気楽なのは、結局仕事をしている時間である。頭の中に鳴っている音に従って五線譜におたまじゃくしを載せていく。思い返すと、中学生のころからできもしないのにそんな遊びに興じていた。何より大好きなことを通じて、多くの人を喜ばせることができたのだから、これ以上の幸せなない。 」

今日は津田沼へ出かけた。
超久しぶりで、道に迷うかもしれないから、前もって先生に教室への行き方を聞いていた。
‟ペデストリアンデッキをまっすぐに歩いていくと、オフィス棟がありますから” 
たしかに、英会話の看板が3つ並んでいて、遠くからでもわかる!! 
実はここは、再開発で商業施設なども含めて2025年の3月で全てが終了する。あと6ヵ月で移動先を探さなければならない。生徒さんもたくさんいて、IPC(Intenational performance contest)でも優勝して、またベテランの先生方がいる素晴らしい学校なので、いい場所を探したい!!
そういえば、東京で独立して会社をつくってから、オフィスは渋谷、六本木ヒルズ、赤坂東急、紀尾井町と4回引越しをした。
その中で、その環境やら会社をいかすために、それなりにいいところへと移ることができた。
自分の住まいにしても、まずは目白に住みたいと考えたのだが、一番最初は高円寺。そして田町、曙橋、六本木ファーストビル、泉ガーデン(六本木一丁目)、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズ、青山一丁目、麻布、田園調布三丁目と、引越し貧乏だ!!
だけど、必ず捨てる神と拾う神が私にはついてくれていて守って下さる。
津田沼もそうなると信じている。

幸運を

「こころの玉手箱 
編曲家 船山基紀   最新の音 歌謡曲に持ち込む
1982年、多忙な日々を送っていた私は一度日本を離れ、本場のアレンジを勉強するためアメリカへ旅立った。現地のスタジオのミュージシャンの自宅で出会ったのが、最先端のシンセサイザー‟フェアライトCMI”だった。(これがあれば自宅がスタジオになるのでは)朝から晩までスタジオに詰める仕事に疲れていた私はそう思いつき、帰国後に当時の価格で1000万円を超えるフェアライトCMIを購入した。結局、仕事で使うには他にもたくさんの機材が必要で思い描いた通り仕事がすべて自宅で完結するようになるのはパソコンのDTMが普及する20年以上先のことなのだが・・・。フェアライトは今まで聴いたことのないような音、人間では演奏できない音など新鮮な音色を出すことができた。こうした成果を詰め込んだのが1980年代の終わりに手がけたWinkだ。フェアライト導入前と後。私の仕事は大きく2つの時代に分けられる。初めて商業作品のアレンジを手がけた1974年から今年で50年。今も現場にいられるのは、幸運にも音楽の製作環境が根本的に変わる時代の節目に最先端の技術と出会えたこと。その出会いによって仕事のスタイルを変えることができたからだと思っている。 」

定年80歳まで!! などと言っても、
仕事の環境は変わってゆくので、それに合わせて私たちもうまく波乗りをしながら、変化していかねばならない。
そう言えば、紀尾井に移ってきて、知らない間に前のチョコレート屋さんと隣の和菓子屋さんがなくなった。コロナからの空き区画、10店舗はまだ空床のままだ。コロナで働き方改革が進み、自宅オフィスの人も増えて、都内のビルも様変わりしつつある。
自宅オフィスといっても、トイレ前に並んだ椅子や、ちょっとした休憩の場所で、お弁当を食べたり、パソコンを開いて耳にイヤホンをつけ、ひとり言のように電話で仕事の話をしている人をけっこう見かける。
今は、サバイバルの時代。あちこちでM&Aの嵐が吹き荒れている。
次の20年しっかりと残れて仕事をすることができる、には 運にかかっているのかもしれない。
そのためには、自分を信じて絶対やるよお!!と、今日も気合いをいれて、出かけよう。


大切なこと

「韓国研修医スト半年超  患者犠牲 強まる不安
識者‟政府譲歩し、医師側受け入れを”
医師偏在を解消するため韓国政府が医学部の定員増を打ち出し、研修医が医療ストを始めてから、半年以上が過ぎた。救急搬送拒否などが増え、治療への不安を訴える重症患者の声が強まっているにもかかわらず、政府・研修医側ともに妥協の姿勢を示さないままだ。対立が1年以上続くとの悲観論も出ている。(ソウル・上野実輝彦) 
‟これ以上治療はできないから退院しろと言われました”
‟緊急の患者しか診てもらえないそうです”
‟もう医者は信じられない・・・”
韓国の食道がん患者や家族ら400人が集まるチャットでは、最近こうした声が飛び交う。
この半年で末期患者の治療をあきらめる医療機関が増えたという。ストの影響で病院が‟心のケア”をする余裕がなくなった。定員数を巡る政府と医師側の支持は拮抗。医療の空白に患者が最も犠牲になっている。医療問題を政争の具にしてはいけない”と訴えている。 」

5時過ぎても外は暗い。すっかり季節は変わった。
‟僕はもう40年、この業界にいましたから・・・”
‟え!? 私もいっしょよ”
‟70歳です” 髪は少し白っぽくなっていたようだけど、20年前にお会いした時とほとんど変わらない。それでも、そうか。私も66歳だから変わらないんだ。40年前、私は25歳で学研という会社で、英会話スクールアンクルサムにたずさわっていた。それからあっという間に本当にあっという間に66歳になった。ただ20年、20年ごとに節目があって、人生の方向が変わってきた。そして今次の20年に向かって動き出したやさき。
本日は、英語の先生たちの会議の日。
社長の挨拶で、ぐだぐだ話したあとに、‟みなさん覚えていますか、大切なこと? 何だこうだいろいろ言ったけど、私が言いたいことは、一つです。それはずーっとコロナ前からも伝えていることです。定年は80歳です!! 私といっしょにがんばりましょう。いや、もしか85歳までになるかもしれませんので、よろしく!!”




既得権

「選挙負ければ仕事減る  東京新聞社会部‟医療の値段”  日医連、既得権維持へ躍起
(日本医師連盟)
都道府県の医師連盟(医連)から毎年、10億円近い寄付を集めて運営し、3〜5憶円を政界に提供している。パーティ券を含む献金先のほとんどが自民党の資金団体と議員、候補者ら側で、会員の医師が納める会費が原資となっている。参院の組織内議員への支援が最も厚く、2022年は自見英子議員の側に、関連団体や地方の医連を含めた献金額は2億3千万円に上った。
(日医連、既得権維持へ躍起)
7月下旬、東京内幸町のホテルの大宴会場で開かれた日本医師会の役員就任披露パーティ。
首相の岸田文雄が姿を見せると、全国から集まった800人の医療関係者らから大きな拍手が起こった。
‟国民の日本医師会の先生方に対する期待、ますます大きくなっています”と持ち上げた。官房長官や外相、厚生労働相、自民党幹事長らも次々と登壇して祝辞を述べ、日医の政治力を見せつけた。‟選挙になると総務省データを手に全国の医連を回り、前回こちらの市町村では日本医連推薦の〇〇さんに、これだけしか票が入っていない” とハッパをかけるローラー作戦や電話作戦。関係づくりの有力な手段が票とカネ。‟生活習慣病の患者のナースプラクティショナーが診療所をつくれば、内科医の仕事の半分くらいはなくなる。内科の先生方はそれで大丈夫ですか” 選挙で負ければ既得権を失うぞと危機感をあおる作戦だ・・・。患者のためか、既得権維持のためか、票とカネによる医政活動の実態を見分ける必要がある。(杉谷剛) 」

前回のお絵描き教室には、スーツ姿で出かけた。
いつもと違ういでたちに、‟え!? なにか雰囲気違うね” と言われ、‟そうなんです。今日は仕事帰りなので” と答えた。
実際に大手のフォーランド社と、フィリピンの物件のことで打ち合わせをした後に、銀座の教室に直行したから。
‟え、仕事してんの!?!” とまわりはビックリ。
この教室は、私を含めて高齢者がほとんど。私の推測では、年とって銀座まで出かけて絵を習う余裕がある人たちなので、以前はお医者さん!?大手企業役員!?そういう人たちじゃないかナあ。話し方や立ち振る舞い、上から目線などなどで、マウンティングしている。
そんな人たちの中で、私は、話題をふるのを警戒して、おそるおそる話しているのだが、ペットの話、奥様の話、旅行の話、ゴルフの話、人間ドッグの話などなどで、会話ははずまない。
それにしても、今のオフィスは永田町に移ってから、そんなこんなで知らない世界に、私はいつのまにか放り込まれたようだ。
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