青山の家に戻り、コーヒーをたてる。 あー ほっとするナあ。
名古屋は雪が降って駅前の高層ビルの地面には、冷風の嵐が吹き荒れて、すっごく寒かった!!
上田先生が、“私今でも霜焼けになる”って話して、リフレッシュルームにあったセラミック足湯で暖を取った。すると、中田先生が、“社長何飲む?” この自販機、50円ですよ!! 私おごってあげまーす” “やったあ”
名古屋での関西・東海会議、楽しかった。
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山脇さんもいいお話をしてくれた。太田さんもテンション上がって、さすがリーダー。私はみんなに、内転筋筋力アップのウォーキングレッスンをした。先生たちに、太ももにセーターを挟んで落とさずに歩く!!
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“ワァーみんな素敵にモデルに変身” 私は先生たちが大好き。いろんなことを話すけど、それでもすっごくかわいい。みんな一生懸命に、子供達、夫達のことを考えているのが伝わってくる。一人一人個性があって、壇に並んだ雛人形をみているようだ。同じ女性なのに、私に似て短気な先生、すっごくおっとりとして目が小さい先生、髪が少しボサボサでイタズラな先生、・・・・。見ているだけで、クスッと笑みがこぼれてくる。みんなと一緒になって あーだこーだと 仕事をする。 寒ーい中に、あったかーい。

「父は80歳を過ぎて体を壊し、一度寝たきりの状態になったときがあった。そんな父を見たくなかったのかもしれない。なかなか見舞いにも行かずにいると、“ 駄目かもしれないから帰ってこい ” と手紙が届いた。それでも行きたくなかったが、故郷で私を取材したいという記者と一緒に 仕事の一環として帰ることにした。我々が泊まったのは、ふすま一枚隔てて隣に父が眠っている大広間。一切気にせず、“ まあ 飲め飲め ” と記者と夜更けまで大宴会を繰り広げた。大好きな酒を飲めずにいる自分の隣で宴会されたからか、せっかく帰ってきた息子が自分を心配している様子を見せないからかは 分からないが、父は当然、大激怒した。薄情な息子に何か言ってやろうと思ったのだろう。部屋の明りをつけようと動きだした。蛍光灯からぶら下がっている紐をつかむため、立ち上がろうと悪戦苦闘している。気付いた記者が手を貸そうとしたが、私は “放っておけ” と制止し、それでも心配だったので陰からこっそり見ていた。父は長い間 時間をかけて立ち上がり、明りをつけることができた。信じられないかもしれないが、それからまた動けるようになり、病状が持ち直したのだ。怒りは人に力を与える。私はその効果を狙った。数年後、父が米寿を迎えたのを機に手形を取った。額に入れ今でも大切に飾っている。意外と小さな手だなあ、と感じるのは、やはり私にとって父の存在が大きかったからだろう。 画家を目指す私を後押ししてくれた父は、結局96歳で他界した。  洋画家 奥谷博  父の手形 」

さあ、今週は寒い。気合を入れて、仕事をしよう。