めぐみさんが私のブログを読んでくれていた!!
うれしい。 私のブログは、“すえぐ” とググると(グーグルを検索すると)、末口靜枝とパッとでてくる。 それにフェイスブック、メガブルーバードのホームページにもアップされている。けっこう グダグダと書かれた長い文章も おつきあいして下さってる方が たくさんいる。 私は毎日身のまわりで起こったこと、考えたことを 赤裸々に書いている。 それに加えて、私の生活、家族だけでなく、社長としての経営の学びも入れている。せっかく大切な時間をさいて読んで頂いているので、何か参考になることを!!と  私と一緒に学びましょうと、暑苦しいことも押しつけてますが、縁の糸がつながってほしい。この夏 またバレエに戻ろうかナあと、メールも頂いた。
それにしても、今私の頭の中は発表会。それが終わるまでは気が抜けない。

「フジサンケイグループのいびつな構造 p.111  生涯投資家 村上世彰
信隆氏は、1961年にニッポン放送、1964年にフジテレビ、1968年に産経新聞のそれぞれの社長に就任した。フジサンケイグループでは、産経新聞がフジテレビを引受先とする増資を、フジテレビがニッポン放送を引受先とする増資を行った。そのようにして、ニッポン放送が子会社のフジテレビ、さらにその下にぶら下がる産経新聞の経営を掌握し、支配する構造ができあがった。しかしテレビの飛躍的な発展で、子会社であるフジテレビが圧倒的な資金力を持ち、グループの核となっていく。1985年信孝氏の長男春雄氏が、グループ会議議長の座を世襲した。ところがわずか3年後、42歳の若さで急逝。信隆氏の現場復帰を経て、娘婿の宏明氏がトップの座に就いた。信隆氏は1990年に死去。カリスマ経営者の求心力が失われると、グループ内にクーデターが勃発した。1992年、宏明氏がトップの座を追われ、フジテレビの日枝久社長が 取って代わったのだ。
信隆しが 執念とも呼べる情熱をもって築いた “鹿内王国” はこうして三代で崩壊した。
その後、フジテレビは、お台場の新社屋建設に向けた資金調達の手段として上場を目指した。翌1997年、フジテレビは東証一部に上場を果たす。ここに上場企業として、いびつな資本関係が登場したのだ。」

新聞からラジオ、ラジオからテレビ、そしてインターネットへとメディアの環境は変化していく。もちろんその市場の動きにファイナンスのキャッシュフローの流れも渦を巻いて流れていく。流れが大きければ大きいほど、人々の欲望も膨れていく。権力を握ったとしても、それが幸せな人生だったかどうかは計り知れない。
“ ゆく川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。”
世の中は、常に無常に流れていく。せめて心穏やかに過ごすためには、何事も固執、執着しないことだ。

発表会が終わったら、めぐみさん!! みんなで打ち上げしましょう。
おいしいもの、食べに行きましょう!!