「あすへの話題 作家 江波戸 哲夫 リーマンショックの記憶
リーマンショックから10年が経つ。ショックは大津波のごとく世界中を飲み込み、日本も目を覆う惨状を呈した。印象的なのは2つのできごとである。1つは、突如生産を大幅に縮小せざるをえなくなった企業が 雇い止めをしたことで、街に大量のホームレスが溢れ出たことである。それまでは こうした多くの人は雇用を切られれば故郷に戻るものだと思っていた。しかし彼らは雇用を切られ寮を追い出されれば、帰る場所がない人たちだった。“ 無縁社会 ”は、この時代もうすでに日本に根を張っていたのだ。 2つめは、こうである。ショックはまず大企業を襲い、玉突きのように中企業、小企業へと波及し、日本中に失業者があふれた。目の前で日本経済が親亀の背中に乗っている光景をまざまざと見せられた。」

世界はいまや遠くても、すぐ近くでつながっている。それがグローバル&ネット社会。GDP2位から中国に追い越され3位に。そして少子高齢化で、パイは市場は縮んでいくから・・・・。まあこれから先の日本では、リーマンショックのようなことが起こらなくても、徐々に外国人に最後の糧を浸食されていくか、自分から縮小への道へと進んでいく。だけど私はそれも時代の流れだから、悲観したり暗くなったり嘆いたり助けを求めたり卑屈になったりと、開かれたパンドラの箱から飛び出す災いに 立ちすくんではいけない と考える。箱の底には希望がいる。
今日も北千住でチラシを配る。
あー、顔みしりのママがパパを連れてやってきた!!たくさんのお客様に声をかけ、8月11日から休みなしで40日が過ぎた。
そう、この子は2才で、ママが幼稚園や保育園には入れずに親のもとで過ごさせたいという子育てママの方だった。そこで気がかりは、人見知りとお友達と遊ぶ環境。そこで少人数のMBBから、お友達とケンカをしたり!? 遊んだり、ママのもとを少しずつ離れ、先生とリズム遊びや言葉、身体を動かしたり・・・・と、トレーニングを考えておられた。だからピッタリ。パパにも説明して、ご入会!!
次に6ヶ月の女の子。あーこのママも覚えている。あの時は忙しくてベビーカーを押しながら、チラシだけを受け取って、簡単に説明を、立ったままで2〜3分お話した!! あとで電話で予約して下さり今日体験に来られた。
6ヶ月のお子様は、キャンペーン会場のテーブルにかじりついて、フラッシュカードのカラフルな色に目をパチクリ!! ママが赤ちゃんの手をとってハンマーチャンツ。 “ だんなが3連休だから今日OKをもらいまーす ” と仮予約!!
私が仕事を始めたのは、まどかが3才。主人の会社は破産し、お金はほとんどなし!! 義理の両親の家の応接室に間借りをした。何とかして仕事を見つけ、子供を預ってもらって、学研の訪問販売のドアツードアセールスを始めた。学研のおばちゃんたちが、そんな私を見て“娘のおふるなんだけど” と言って、まどかにビロードにレースフリフリのドレスやらハラペコ青虫風ニットワンピースをプレゼントしてくれた。土曜日はかきいれどきで夜遅くまで仕事をするために、週末には実家にもどり、父と母に。 3才になっても母乳が恋しいまどかを、義理の父がオフィスまで連れてきてくれる。私はこっそり、おっぱいを飲ませる。 1$は360円。日本の円の力は限りなく低く、必死で仕事をしても、給料は8万円。義理の父が新聞の切り抜きを差し出す。ここだと、5千円か1万円くらい多いよ。私は、一度始めたことは、やり続ける性格だった。まあ、そのうち、私の働きによって、給料も上がるでしょうからと、強気で断った。あれから31年。ありとあらゆるショックが振りかかり襲ってきたけど、今を生きる。そしてこれからも、またいろんなことがあるんだろうな。でも一番恐いことは、無縁社会。人とつながらなくなったら・・・・。やっぱりどんなに苦しくても、どんなに恐ろしいショックがやってきても、愛を希望に生きていれば、愛を与え、愛でつながっていく。命綱が人と人を結び、その時その時を助け合っていけるだろう。