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きれいなお花が赤坂に届いた!!
長崎のちかさんが、私のブログを読んでくれてるんだ。 うれしい。
松山バレエ赤坂校、博多、北千住のしわせのダンスダンスダンス&メガブルーバード・・・
お祝いの言葉も添えられていた。
細かい心遣い、それに思えば、もものお誕生日のお祝いも、ちかさんや親戚の人がお祝いしてくれた。
ももは二人目なので、私たちは、けっこう・・・・・ ほったらかして、そう言えば何もやっていなかった!?!?
それなのに、遠く離れている親戚のみんなが、心を寄せて下さる。感謝がいっぱいと、ビジネスの街 東京で右往左往しながら見失いそうなもの・・・・ 何がなくても一番大切なものは、人の愛情だと、おかげで私は自分をしっかりと真っ直ぐに立つことができる。

「料理研究家を志したきっかけは? 100年使えるレシピを〜 料理家、伊藤華づ枝さんに聞く
私がうまれて3ヶ月後に父が亡くなり、主婦だった母は、三重県の農家の実家にもどり、姉と私を育てました。母は口癖のように、 “だれかに寄り掛かって生きてる人生を 送らないで。手に職をつけて” と言っていました。だから私は、私にできることをめざして料理研究家になりました。母はカレーのルーも小麦粉から炒めて手作りしていました。父が薬を調合し販売する薬種商をしていた影響で医薬品にも用いられる香辛料を上手に使い、本格的でした。 小学校の運動会でも 張り切ってお弁当を作ってくれ、一人親でも寂しいとは思わなかったです。一生懸命な母を思い出し、連載でも、おにぎり弁当のレシピを載せました。私の原点もお弁当です。結婚、出産後もずっと働いていたので、子供の面倒を十分にみられないとの負い目がありました。だから、娘が中学校から高校まで、毎日しっかり弁当は作ろうと、ご飯のほかに、肉や魚、野菜など、おかず5品、フルーツかデザートを必ず入れていました。そのおかげか、娘は高校卒業まで一日も休むことはありませんでした。料理は、身体だけでなく、心も作ると実感しました。親から料理を習っていない人が多くなった一方、梅干やら保存食を作る講座が人気です。私が漬けた梅干を食べることで、正しい味が分かり、感動する人もいます。なくなりつつある家庭の味を広めたいと思います。」 東京新聞

9日に父は、東京の山王病院へ、JALで介護士さんといっしょに移る。車いすで、ストレッチャーじゃなくてもOKと、ドクターの診察もでた。よかった。東京でリハビリしっかり頑張ってもらって、また、親戚&ファミリー旅行が復活できれば、うれしい。 そのころには、グレムリンは3匹に!!

ところで、ちかさん、私の晴れ舞台、みにきませんか?
10月28日渋谷セレリアンホテルです!!

“末口さんが貸してくれた2冊の本。まず赤い表紙の本を早速読んで、ペーパーアセット始めました!!”
さすが若い男(ひと)は 行動が早い。ちょっと待って。まずせめて10冊くらい読んでから・・・・。まず手元を貯めましょう!!
私が大学院でマスターからドクターに進んだ時、学長でもある佐護教授は、“君は何をやりたいのかな?”  とうずたかく積まれた本の中から にょきっと顔を出した。
“え 先生、経営学のドクターでは何を教えてくれるんですか?”
私は逆にきりかえした。
“僕は何も教えないよ。君は、自分が切りひらきたい分野の文献を まず100冊読みたまえ”
まあ、これが私がマスター2年、それからドクター3年、大学院に5年通って、行き着いた教えだった。
で、私は今でも夢でうなされる。
論文を書かずに、卒業できない。 苦しい夢を!! においたつ研究室のカビでもない埃でもない、本、本、本のパピルスの重い紙の匂いも!!