ロールキャベツのスープを作った。だからちょっと豪快に!!
本日のブレックファースト
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カリカリトースト、十勝フラマージュ&フレッシュバター
ハロウィントリックorトリートおかし
コーヒー POWER SPARKLING ROSBACHER

おいしい朝ご飯は、すっごい一日のエネルギー源。コーヒーをご先祖様にあげて、手を合わせる、目をとじて、チーンと鐘を!!
その時急に私は告示を受けた。
私は母や祖母や、祖父や、すべての人たちの最期の時に居合わせることができなかった。やすらかに、その時を終えたご先祖様の死に目に会えなかった。
子供の頃、くつしたを履いて寝ると、親の死に目に会えないと誰かからきいた言葉を、私はしっかり覚えていた。どんなに寒い夜でも、靴下ははいて寝なかったのに・・・・・。
私のルーティーンになった、山王病院へのお見舞いも、日曜日まで。月曜日になると、父を家へ連れて帰れる。
要介護度がまたひとつ上がった父。
山王病院のドクターは、“家へお連れになって大丈夫ですか”と、ちらりと言われた。初めは2週間という限定の入院だったが・・・・。在宅チームのドクターは、“最期はご自宅か病院か、どちらがよろしいですか” と聞かれた。私は病院ではなく、自宅でと伝えた。そういう覚悟も、私は、父をまじかに見ていると、いつでも心をよぎる。だから、病室から出るとき、バイバーイと言う言葉の代りに、ファイトオ ファイトオ にした。
父は、父の息はいつも荒い。
そして、病院では、いつもベッドに横たわっている。 頭の方に寄って、顔や手をなでながら話をすると、うなずく、ハアハアと言いながら少し声が返ってくる。
私の自宅にやってくることになった父。それは、私に、生と死はいつも背中合わせだから・・・・どんなにか、未来を、夢を、不安を、恐れを、希望を思いえがいたとしても・・・・。
荒い息の中で死と戦っている父。いつまでも強く やさしい父は、今ある今日を精一杯生き抜くこと、今を無駄にしないことを、しっかりと私に教えてくれる。


「江戸を読む 塩村 耕
岩瀬文庫で見た、徳川幕府刑事図譜は明治26年(1893年)の刊行で、江戸時代の刑罰の具体的な状況を彩色画で詳細に描写する。刑罰については、タブー視され、記述されることが少ない。文中に、“ 我が輩の祖先が一閃電光の下に、身、首、処を異にせしものは殆んど万以上を以ってこれを数うべし ” とあるからすさまじい。ただし職務としてやむを得ず行ったまでであるから、“曽て(かつて)刑死者の我が家に怨恨を訴えし者なし” という。そして自分も職務として斬首してきたが、“心中顧みて憐憫の情なきを得んや。依って一方に仙薬を製し、罪なくして夭死(若死)する者を救済し来たり” というが、この仙薬こそ、有名な浅井家の人胆丸(じんたんがん)だろう。労咳(肺病)の特効薬とされ、罪人の肝を用い作られたという。
山田家では、実子が相続せず、門人の中で技量の優れた者を選んで跡継ぎとすることが多かった。たとえば、その中の絵図第一の巻には基礎的な修練法である土壇打(どだんうち)(刀で土壇を打ち込む)の所作がある。
これを毎朝300本、昼300本、暮れ500本、稽古しないと、片手打ち(片手で首を斬ること)は出来ないという。江戸期には、復讐権の重視、見せしめのほかに、試すべき刀が大量にあること、斬首技術の発達から、死刑が多く行われた。現代の日本も世界の中で死刑大国というべき状況だが、そんな特殊な経緯と無関係ではあるまい。そのことを認識した上で、死刑を存続すべきか見直す時期にきている。死刑に犯罪抑止効果のない事実は、江戸期の経験で明白だから。  首切り役の家  土壇打毎日1100回の修練 塩村 耕 名古屋大大学院教授 」


超高齢化社会を日本は迎えた。私も含め老人だらけの日本で、死はつねに背中合わせ。私たちはいつか死んでしまうことを、見ないように 考えないように さけて生きている。
死と常に向き合えば、1日1100回の鍛錬ができる。
もし、美しく、意味のある命。命の光を輝かせようと決めて今日をいきるなら・・・・ 意味がある人生になるだろう。