うとうとしかけていた。ブルールー 携帯が鳴っている。
“もしもし私よ。ヘルパーの私よ。”
“あー 洋子さん”
“今 どこ”
“あれから、ぜんそくがでて、一日おきに入院して、点滴してたの。今よくなったわ”
“病院にいる間、生まれてくるお子さんのおくるみと社長のガウン編んだのよ”
“だからマンションの玄関まで持っていくわ”
“え、近くにいるの”
“今は鶴見よ”
“長ーいピンクのガウン似合うわよ。それに赤ちゃんにはフワフワのおくるみよ”
フーっと、洋子さんと一緒に暮らした40日がよみがえってきた。ふっと気づくと、洋子さんはいつもそばにいた。
“昨日も洋子さんのこと思いだしてたのよ・・・・”
そうか、洋子さんもせっせと私たちのために、かぎ針をあやつり編み物を・・・・。
“私の30年のヘルパー人生で、あんな優しくして下さったのは初めてなの。”
そうだ。洋子さんも裸族ファミリーの一員になってたんだ。そう言えば、すぐ仕事に行くって言ってたけど・・・・。
“断ったのよ。風邪じゃないから人にうつらないんだけど、喘息で咳をすると、やっぱりいやがられるでしょう”
“でも、点滴して、もう治ったから”
洋子さんは、父の痰、オムツ、胃ろうと、ひと時も休めない。私はせめて、朝のトーストとコーヒー、そして夕食を11階に届けていた。父が亡くなってからは、家族でも夕食をともにしていた。けっこう好き嫌いがあって、食が細かった。
“それじゃあ身体が持たないよ。少しずつでもいいから、たくさんの種類を食べてネ” 
喘息の薬がはなせないのも知ってたし、何かの拍子に咳き込んで息も苦しそうだった。その洋子さんがヘルパーとして人の世話をして、知らない家に仕事にまわっている・・・・。落ち着く家は・・・・、戻る家族は・・・・。
“私 編み物をしていると、落ち着くのよ。肩がこらない?っていわれるけど、ぜんぜん!!”

「歌人の馬場あき子さん(90)が終戦の1945年大みそかの夜に何を食べたか思いだせない。と、書いておられた。それほどまでに終戦直後の食糧事情は厳しかった。2018年今は大みそかの夜に何を食べるのかはさほど問題ではない。食べる物は豊かでぜいたくにもなっているだろう。だとすれば、昨今の大みそかの気掛かりは、“何を食べるか”というよりも“誰とたべるか”ということかもしれぬ。少子高齢化、晩婚化によって、単独世帯は増え続け、すでに全体の三割を超える。好むと好まざるとにかかわらず、大みそかも一人で食べるという家だろう。サザエさんの大家族は遠い昔。夫婦に子供二人のクレヨンしんちゃんの4人の家族さえ単独世帯の数を下回る。ちゃぶ台から一人欠け、二人欠け、大みそかの寂しい移ろいを想像する。
“テレビ消しひとりだったおおみそか” 渥美清さんの句。
食に不自由はなけれども、おひとりさま。ほどよき大みそかが恋しい。」

ぎゅいーんと、去年 じいちゃんが東京に来て、毎日チラシ配りをして、爪先立って、ギューギューにつまったあの3か月。記憶は舞い戻れても、時は戻すことはできない。
年は2019年 新しい年だ。久しぶりに北千住へ行こう。チラシを配りに。