「貧困と聞いて頭に浮かぶのは飢餓だ。だから日本に貧困があると聞いても にわかには信じがたい。日本の貧困は様相が違う。食べることは何とかでき、着る物もこざっぱりしている。スーパーでは安い食材を陳列しているし、廉価でおしゃれな衣料量販店もたくさんあるからだ。スマホも持っている。これなくしては人との連絡に困るので持たざるを得ないのだ。つまり外見からはほとんどわからない。しかしこれが子どもだと、塾に行けない、部活動に入れない、修学旅行にいけない、などとなる。ひとつひとつは小さなことことかもしれないが、積もっていけば、友達と話しが合わなくなり、疎外されていく。場合によっては不登校への道を進む。親が忙しくて一家のだんらんを経験していない子ども、動物園に連れて行ってもらったことのない子ども・・・・。これでは自分の豊かな将来のイメージが湧きにくい。貧困が次世代に引き継がれる負の連鎖が危惧される。日本のような先進国の貧困は今日明日の生死が問題になるわけではないが、長期にじわじわと人間をむしばむ可能性を秘めている。そしてその数は決して少なくない。子どもの7人に1人。母子家庭に至っては2人に1人が貧困に位置づけられているのだ。日本は資本主義を追求するなかで自己責任を基軸に物事を考えてきた。しかし多くの連鎖性を持った貧困を生んだとすれば問題だ。自己責任だけでは這い上がれない環境を何とかすべきだ。  関西経済同友会常任理事 広麑佗廖 ―住路 深刻な子どもの貧困問題  」

おしんの時代の日本は、もっと厳しい目に見える貧しさの時代。食事は大根めし。私の家も、父 母は朝から晩まで働いた。ちょうど高度成長期だったから、給料も少しずつ上がっていき、こたつにストーブに、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、ステレオと車と、快適なものが増えて生活は便利で楽になった。だけどお金はいつも、右から左に消えてなくなり、蓄えはできない。でも、仕事をしていれば、生活のエネルギーとなる分のお金は稼げた。思えば、父も母も生きている間はずーっと働いていた。定年の悠々自適なんかは考えられない。ちょっと待てよ。ハアっと気づいた。お金がなくても、心は貧しくなかった。ずーっと働き続けることも、幸せで健康の証だった。そういう父と母と、経済的には貧しい中で育った私はどうかというと、人よりも物欲が強い子供として育った。いつも頭に欲しいものが次々と浮かんでくる。そして我慢するということができない性格が完成した。
あれから60年たった今でも、次の獲物が私の目の前にぶら下がっていて、私は子供から老人になった今でも、猪突猛進している。