「時は1996年。自由化から7年がたっていたけれど、EU加盟はまだ先です。私は、18年勤めた出版社を辞めて数年。フリーのライターで生計を立てつつ、プラハへ向かったのは、ライターとして、“世界の学校”シリーズの取材で、プラハ美術工芸大学のガラス芸術科を訪ねたのです。均質化という加速度の働く日本では、・・・・・。学校といってもバリエーションに限りがあります。対して、世界には実にさまざまな学校がります。サーカスの学校があり、キュレーターの学校があり、乳母(ナニー)の学校があります。いろいろな学校があるということは、いろいろな人生の選択肢があるということです。私は日本の中学生高校生に、そういう豊かなオプションを提示したいと思いました。存在感を示す学校には、必ずその学校が生まれてきた必然があります。UKは、サザンプトンの沿岸警備の学校が生まれた背景には、産業革命の果実である蒸気船による大西洋横断がもたらした穀物取引の大変革があり、あのストラディバリウスの名を冠したクレモナのバイオリン製作学校誕生の背景にはムッソリーニの文化政策があったようです。私はさまざまな学校に対して、なぜを積み重ね、その国のその都市の必然を学んでいきました。特段の当てもなく定職を離れた私にとって、本当にありがたい仕事でした。が、しかし、それ以上に、自分の内に自分で描いた世界地図が点線ながらも植わっていたのが、文字通り、有り、難かった。
二十数回の取材が終わる頃には、世界をみやる座標らしきものが確かに生まれた。私にとって最高の学校になったのです。  こころの玉手箱  小説家 青山文平 」

幼稚園や保育園に行かないとく、ももにとっての、学校の一つがオフィスだ!!
給食タイム
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私は窓際族
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赤坂見付東急ホテルの中にあるオフィスを、自由自在に仕事をしているみんなに交じって、会議やらコピー機から流れてくる書類やら、かかってくる電話などを観察して、いろいろとしかけてくる。真剣な顔で電話を握っている矢先に、プチンと電話を指で切るのは、もう飽きちゃった。
少しでもお手伝いしようと、“シィー、大切なお手紙だよ。”っと流れてきたコピー機の紙をデスクまで運ぶとく。
私は学校が好きだったナあ。新しいこと、知らないこと、できないことを学べる場。
考えてみれば、すべては、学校のような場。
もし、自分の中に、学びや発見や成長への躍動があれば!!