「仲よくネェ」
社交ダンスのスタンダードレッスン終了後のカップルに、フラビオ先生は声をかけていた。
早めに来た私は、二人のワルツステップの練習風景をストレッチの横でかいまみていた。
回転、二人は一つの駒のようになって、くるくる回る。けど、バランスを崩す。その時、フラビオ先生のピリピリした声の注意がとぶ。
“僕はきちんとやっているのに” “君がついてこれないからだ” ・・・・・とかなんとか、相手をののしる声が。
フラビオは審判のように、動きを解説し指導する。
この風景、前の教室でも、よく見た。社交ダンスは、二人の力が絶妙に合わさった時、すっごい力を発揮する。男が上でもなく女が言われるままでもなく、お互いの能力や力がピタッときた時。でも、意外とそうはいかない。
とくも、6月から社交ダンスを始める。とくの場合、ももやさくらとパートナーで!! 兄弟げんかはしょっちゅうだから・・・・。けんか慣れしてるなんて考えると・・・・。 
“相手のせいにしない!!” とフラビオ先生の声が聞こえた。

「縄文世界についての私の想像の話になることをまずはお許しいただきたい。考古学では解明できない『子育て』の話である。古人骨の研究者が世界の狩猟民族の事例から割り出した数字によれば、縄文時代に生まれた子の半数近くが、15歳までになくなっていたのではないか、という衝撃の数字である。だからだろうか。乳幼児の亡き骸は、土器の中に入れて埋葬されることが多い。土器を母胎に見立て、『再びうまれてくるように』と周囲の人々が祈りを込めたのかもしれないし、小さな亡き骸を直接土に埋めるのが忍びなかったのかもしれない。気を抜くと一瞬にして、命を持っていかれてしまう状況を生き抜く子どもたちは、両親はもとより集落にとっても『宝』であったことだろう。当時、女性が一生に産む子どもは4人〜6人と言われている。タイミングによっては集落に子どもがたくさんいることもあったはず。数人の母親が同時に乳飲み子を抱えていたら、乳の出が悪い人がいれば別の母親が乳を分け、生まれてきた命を皆で必死に守ったんじゃないかと想像する。
ところで子どもは集落の宝だと書いたが、彼らが無事に育つことは、同時に集落の継続も意味する。人手が多い方が狩猟の時にも食糧採集の時にも何かと都合がいい。共に暮らす人数を維持するのは、何をおいても重要な事柄だったはずだ。それだけではない。これは今の日本にもつながる話であるが、子どもがいなくなれば、蓄積した文化や生きていく知恵は途絶え、現実の暮らしはままならなくなり、集落が消滅する。だとしたら、自分の子どもだろうが、隣の家の子どもだろうが、分け隔てなく何とか無事に育て上げたい。縄文文化の母親たちはそう思ったのではないだろうか。
保育園建設に住民が反対するニュースなどを聞くと、老いも若きも、他者に寛容であることは、実は自分の存在を守ることではないかと感じる。子どもの泣き声が聞こえなくなったら、社会は衰退するかもしれない。写真は、母親が子どもをおぶっている土偶と考えられているが、いつの時代も変わらない姿に胸が熱くなる。
子どもは宝 こんだ あき 文筆家  」
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日本という国は、世界でも一番古い文化と歴史がある国。
今、少子化と高齢化の危機が進行中だ。
みんな仲よくネェ!!