「おとといの晩ご飯のおかず、憶えていますか?」
というテレビCMがあった。記憶力を防ぐドリルのCMだ。しかし、これは記憶の穴ぼこを狙ったトリックだ。おとといの晩ご飯のおかずなんて、もともと誰も覚えてないのだ。おとといというのは、近いようで遠い。昨日と明日は今の自分と地続きだけど、おとといとあさっては、一カ月前と同じくらい遠い。最近記憶力がだいぶあやしくなった母は、89歳。冷蔵庫にある総菜は、1週間前も10日前も全部おとといだ。人は、時間を、川の流れのように、途切れなく、ずーっと続いているようにイメージしている。が、過去の時間は番号のない紙芝居のように一枚一枚バラバラだ。過去がバラバラの紙芝居で繋がってないと、とりとめもない。だから、人は前後にかってに繋げるわけだが、繋がりかたは思い出すたびに変わる。実感として過去は歳月の遠さに関係なく、リアルなものは近い。そして関心のないものは遠い。近いものは昨日のように近く、遠いものは遥か彼方に・・・・。時間を川の流れに喩えるなら、変化の多い流れに目をつぶって手を入れるようなもの。手の感触が急に温かくなったり冷たくなったり・・・・、突然コツンと何かにあたったり・・・・。ぬるりとしたものが巻きついたり・・・・、予想なんて全然できない。もちろん下さぐりで全体は見えない。どうしてああいうことになったんだろうと思うことばかりだ。
時間の流れ  過去はバラバラの紙芝居  保坂和志  」

東京新聞の夕刊に載っていたコラム。
おもしろそうだから、切り抜いておいた。さらりと読んで線を引いたり、あとで書き写してみると、も少し深く脳に記憶が刻まれる。だけど、体験を伴わない記憶は、ふーん、そういうものかあと、やはりさらりと消えていく。生々しい身体で覚えた記憶は、抜けにくい。
そしてそれが繰り替えされると、脳を通過し、一人でに・・・・ え、どうして、私、こんなことやってんの? となる。
頭の、脳の記憶は、薄くて、バラバラで、勝手に自分の思い通り変換されて、適当に変わる。が、身体はうそをつかない。だから、頭よりも身体を使って、記憶し考える。
そうすると、きちんとものごとをシミュレーションし、何度も何度も推考してから、行動しないと!!という考えよりも、まず動いて試して、試行錯誤を実際にやることで、成功に一歩一歩そしてジャンプすることができる。
「君の馬車を星につなげ」 ラルフ・クルド・エマーソン
理想は高く、そして、馬にムチを打ち、アクションだ!!