ビジネスをやっていると、考えないといけないことが山ほどやってくる。
そして、考えて 考えて、しかもいったいどうするのか? やるのかやらないのか、どちらを選ぶのか、決めていかないといけない。だけど先のことはわからないし、何の保証もない手探りの状態で・・・・・。今まで経験してきた勘と学びと情報と社会の流れをみて。
自分はそれがやりたいのか、それなりの代償を払い、成功できるのか? みんなを路頭に迷わすようなことにならないか? ひとつの決断が、大きく波紋を広げていく。だけど、もたもたしていたら、何も変化が起こらないまま、時間だけが過ぎていく。私にとって一番貴重なものは時間。時間だけは、全ての人に平等に与えられた、今日一日がある。これをどう使うかで、1年後、3年後、5年後と、大きく膨らんでいくかしぼんでいくか、ビジネスとは投資の世界。立ち止まることは許されない。常に前に進むか、じりじりと後ずさりしていくか。ただ前も後も、どちらに崖があるかは?

「私と仕事、どっちが大事? 経済学者 松井彰彦
経済学の教科書を紐解くと、りんごとみかんの話が出てくる。りんごとみかんとどちらが好きか? と聞かれても、りんご!みかん!とは答えられない。りんごばかり食べていると、みかんが食べたくなるし、みかんばかり食べていると、りんごが食べたくなる。だから答えは、りんご1個食べた今なら、“りんご1個とみかん2個は同じくらい好き” などとなる。りんごとみかんならそれでよい。しかしこの話を社会生活に安易に応用してはならない。しかしよくある例は、りんごを恋心や子ども、みかんを仕事と置き換えてしまうものだ。相手に私と仕事のどっちが大事なの? と聞かれたとしよう。こんな時、間違っても、“君との1時間は仕事の2時間と同じくらい大事だよ。” などと答えてはいけない。相手も経済学徒でないかぎり、そんな理論は通用しない。そしてその質問を発した時点で、相手は間違いなく経済学徒ではない。そもそもこれは質問ではない。質問文の体裁を採った不満の表明なのだ。よくある模範解答に、“そんな質問をさせてごめんな” というものがあるが、これも“ちゃんと答えろ” と切れられる可能性もある。“君のことが大事だから仕事をしているんだよ” という答もあるが、“りんごが好きだからみかんを食べているんだよ” という答えと五十歩百歩だ。
要はこの質問は、された時点でアウトなのだ。経済学は人間の行動に様々な論理的知見を与えてくれるが、生兵法は怪我のもと。論理言語と日常言語は違うのだ。経済学徒はこのことをゆめ忘れてはならない。」

で、また1週間が終わろうとしている。
土曜日、電池が残り少ない。さあ、今日はどの学校を視察しようか? 計画では、教室ができあがった熊谷。けっこう遠いぞお。