扁桃腺をやられた。涙がでるくらい咳込みそうになる。
キンカンのど飴を買った。
バレエもペロペロなめながら・・・・。眠る時にはペロペロといかないから、咳込んで何度か目を覚ます。12時30分から4時まで、繰り返しているうちに起きた。たまに体調を崩す時もある。季節の変わり目。バレエのお姉さんも発表会依頼きてないなあ・・・・・。心配だ。

「子どもの時から、人が祈ることに非常に興味があった。神社仏閣で手を合わせる、仏壇に手を合わせる、その行為に何があるのか。大人が祈る姿を不思議な思いでみていた。それが影響したのか、幼稚園の頃には、布団の中で手を合わせながら寝るのが習慣となった。眠る前に、手を合わせながら、自分の中にあるもの(神様というべきか、もう一人の自分といっていいのか定かではない)と対話する。そんな感覚とともに大人になった。そして偶然、縄文時代の“祈りの道具”とされる土偶に出会う。知れば知るほど、子どもの頃に考えた”人が祈る”ことの意味がそこにあるような気がした。とはいえ いつも言うが、真実はわからない。ただ、縄文人の暮らしに祈りが強く関わっていたことは疑う余地がない。人間の力など到底及ばない自然環境で生きる彼らは、私たち以上に祈りを必要とした。それは人間という非力な動物として、とても素直に自然なことに思われる。
祈りの気持ちを込めて縄文人は土をこね、形をつくる。だから土偶には“無垢の力”がある。人種や性別、年齢を問わず、その力はじわじわと見る人の心に染み入る気がするのは、わたしだけではないはずだ。今、国内外の現実に目をやると、祈るだけではどうにもならない状況が、ものすごいスピードで起きている。どこもかしこも“自分たちさえ良ければ”という狭い世界に逃げ込もうとしている。そんなことをしても、ろくなことはないのは自明の理なのに。今は祈りよりも断固とした行動が必要なのはわかっているけれど、それでも祈りの力を信じずにはいられない。 土偶に宿る力 心に染みて こんだ あきこ 」
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今日も千佳さんからいただいたコーヒーをご先祖様にお供えして、手と手を合わせる。仕事から帰り、コーヒーをさげ、手と手を合わせる。今日一日の夜のご飯をいただく時、お酒をガラス細工のチョコに入れて、お供えして、手と手を合わせる。
祈りは私にとって、大切な儀式でもあり、感謝の気持と、これから私がやっていくことへの誓いでもある。
手と手を合わせ、自分の心が見えない世界としっかりつながっている私のネットワークスマフォかな。
みなさんも、祈りの会員になりませんか? 
充電いらず、通信費0円。手と手を合わせて祈りさえすれば・・・・・。

運勢26日(大安) 松風庵主
とり年 自分一人が本当に救われれば万人救済となる。

※よし 祈ろう!!