東久留米へマーケティング。
六本木まず大江戸線と日比谷線を乗り間違え、そこから、各停&乗り換え乗り換えで、とぼとぼと辿りついた。小旅行だ。
すっかり街には小さな秋が来ている。金木犀の甘―い香りが雨あがりの歩道に広がる。初めての所、モールを旅するのもいいもんだ。そして、帰りは一発で池袋、渋谷にひとっとび。
もう一つのマーケティング、渋谷。
もしここに、メゾン赤坂を移転できれば、すっごくおしゃれなテナントになる。イメージがモクモクと湧いてくる。洗練されること間違いない。
出すお店、マーケットによって、ボンジュ・バレリーナがブラッシュアップしてくる。まずは秋10月23日プレオープン。紀尾井本店。弁慶橋を渡り、紀伊藩、井伊藩、尾張藩の、城跡のお堀の上にそびえ立つ高貴な場所へ!! うれしいなあ。東京ど真ん中でも、水も緑も自然もある。空気が澄み渡っている。ラッキー!! どんな時にも動いていれば、道は少しづつ少しづつ広がってゆく。ありがとうございます。

「無限の可能性
‟ 君たちには無限の可能性がある ” そんな言葉をみなさんこれまで耳にしたことはありはしないか。学校の入学式や卒業式などで校長先生あたりが口にしがちなこのフレーズ。‟ あーまた調子のいいこと言って。そんなわけない。現実はシビアですって ” と聞き流していたが、近頃この言葉について考えることが多い。それは、以前は頻繁に出会っていたはずの感情とずいぶん疎遠になってしまったことに気づいたからだ。たとえば、友だちのバンドの発表会、プロの見事なライブ。‟ いいなあ、音楽!! 自分もバンドやってみたい!!” という会場からの帰り道 急に湧き上がってくるあの感情。たとえば、スタジアムにサッカーを見に行くと、自分も選手になってプレーをしたくなる。小さな喫茶店で豊かな時間を過ごしたあとは、自分も喫茶店を開いてみたくなる。大モンゴルのシリーズを見たあとは、モンゴル人になって遊牧民生活を送りたくなる。いずれも10代20代のときに衝動的に抱いた、実際は行動に移すことのないその場限りの軽率な思いつきである。だが、この ‟ やろうと思えばできるかも ” という不遜な勘違いこそが、‟ 無限の可能性 ” の正体だったのではないかと、近頃考えるのだ。というのも、この感情が最近めっきり訪れなくなった。なんて無謀な想像を広げたものだ・・・。今はまったく違く世界だと、はっきり自覚できる。きっとサッカーは少し走るだけで息が切れるだろうと容易に予想ができて、それだけで苦しい気持になる。同様にライブに行っても、自分が音楽をしたいと思わなくなった。喫茶店もしかり。ただそれを愛でるだけで、じゅうぶん満足だ。もう、私には可能性が囁く声は聞こえない。 ー現実を知ると人は賢くなるー  賢くなると勘違いの回数が減る。だが人間の可能性は案外賢さよりも勘違いのなかに潜んでいるのではないか。‟ 君たちには無限の可能性がある ” 確かに選択肢は無限かもしれない。でも可能性を保持できる時間は有限だ。私は20代の頃よりも賢くなった。勘違いもしなくなった。そのかわりに、‟ これ、自分でもできるかも ” という無邪気な思いつきは消えた。自分の能力に対する客観性が備わり、勘違いの勘違いのチャンス自体を失ったのだ。 万城目 学     」

もうおわかりでしょうか?
強欲の私は、バーバの年になっても勘違いの自己中で毎日毎日転び、ぬかるみにとらわれ、ボロボロになりながら、ころがり続けている。
ローリングストーンだ!! 転がる石に苔はつかず、よりスムーズさを増す。