「ノ・モア             写真家 大石芳野
‟芸は身を助ける”という言葉がある。絵の好きな少年が、その芸によって ‟いのちを助けられた” 体験を語ってくれた。ポーランドのワピンスキーさん。彼は森の別荘で妻と愛犬とで過ごしながら、スケッチブックを手に散歩をし、木切れや落葉を拾うのも楽しみのひとつらしい。彼は戦時中、ナチスに捕らえられシュトゥトホフ強制収容所に送られた。絵が描けたのでペンキ塗装の仕事を得て、屋外の厳し重労働を逃れた。囚人の似顔絵も描き、炊事当番からは皿に大盛りだった。一晩に1000人以上がガス室に送られる日も続き、全収容所の7割以上が殺された。そうした地獄から開放された朝、‟ 誰からも起こされない。誰からも脅かされない、と実感した”。 ワピンスキーさんは散歩中に森の中に落ちていた木切れを目にした。‟ これを見つけたとたん、no more と聞こえた ” 燃え上がる炎のような形を生かした芸術作品にした。まるで強制収容所で犠牲になった大勢の炎のようだ。彼や多くの人々の残酷な体験を歴史の彼方に葬らないために、わたしたちはどう生きたらいいのか。‟ no more” を。 」

‟ えんとつ町のプペル ”  ゲネを見に、めぐろパーシモンホールへ向かう。
バレリーナの職人スタッフと別れて、ユザワヤさん7号館がある蒲田から電車に乗る。
それにしても今日は不思議な出会いの日だ。商談のユザワヤさんとは、20年ぶりに岡田屋さんの総会へ出かけて、たまたま私のテーブルに常務が来られて、骨折したぎこちない右手でビールをおつぎしたことから端を発した。それまでも流山や富士見では、隣同志に出店させて頂いていたが、思いもかけずにつながった。
そして、プペルのゲネを見ることになったのも、たまたまコンクールに審査員としてお願いした先生方からのご紹介で、総監督である社長さんに出会うこととなった。
しかももっともっと不思議な出会いは、バレリーナを引き継ぐことになった馴れ初めだ。
しかも、ラ・トミオカの徳留さん、以前英語の先生だった彼女は、ポツリと言った。
‟ 私、子どもたちに物語の読み聞かせをしていたんです。そのときに、読んでいる私が涙があふれだして、初めて最後まで読めなかった絵本が、えんとつ町のプペルです ” と話した。
ヘエー!!
不思議なことは世の中に星のように散らばっているのかもしれない。
ただ、その星は見ようとしないと、輝いて見えないのかもしれない。
その星を一つ一つ集めて、今 私の朝が始まっている。
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