「 くらし歳時記  
         柑橘の実り   広田千悦子

今年は柑橘類の色づきが早いようです。
先人が残してくれたのは蜜柑、柚子、金柑など。交わした言葉を懐かしく思い出しながら眺めています。

柚子を眺める時間が多くなるのは、油断するとリスがあっという間に持っていってしまうから。ほぼ1日で全ての実を取っていく素早さに感服しつつそうされないよう用心しています。

蜜柑はほそぼそと数個実るだけだったので、鳥たちがついばむに任せていた木です。ところが前年の秋、強めに剪定すると本領発揮とばかりに今年はたわわに実をつけてくれました。

もいで皮をはぎ、口に入れるとほっとする甘さ。もう一つと手をだすと今度はすっぱさ全開。よしと慎重にさわり柔らかいもの、枝からすっと離れるものをと頬張るとまたすっぱい!
皮が固いからすっぱいに違いないとふんだものがびっくりするほど甘かったり。予想はなかなか当たりません。それが自然の木の面白いところです。

蜜柑とのかけひきを楽しんだらむいた皮は乾かしてお屠蘇の材料に、実はシロップ漬けにと考えています。」


庭の果林はたわわに実った。だけど、雨や、強い風におちるのを任せている。はじめて、こんな大きな果林の実!!と、うれしくなった2年前の秋。果林酒にしたり、シロップ漬けにしたり、ご近所に配ったりと楽しかった。ぜいたくになったのか、自然の恵みをあたりまえに感じているのか、感覚がおかしくなっている。

そういえば、すっぱいみかんを食べた記憶は、すっごくすっごく昔のことだ。
全てが規格され商品化したみかんやイチゴ、フルーツ類は、甘くてほどよい形でおいしいものばかりだ。ただ、香りも、個性も、季節もなくなった分、感動も弱まり、あたりまえとなった。

お金さえ払えば、いつでも、好きな時に、好きなだけ欲しいもの、美味しいものが手にはいる東京。

何かが、置き去りにされている。そのことに気付かない鈍感な人間になろうとしている私。
ますます無感動で、鈍感になり、老婆化していく可能性が恐い。


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