歪んだ世界 A Distorted World
5つの感覚、救いがたいほど抽象的な知性、好き勝手に選び取る記憶、そして先入観や思い込みはあまりにも数が多くて、ごく一部を除けば吟味できない・・・すべてを意識することなど到底できない。この程度の装置しかもたない我々はいったい現実をどれほど見過ごしているのだろう。 C.Sルイス(1898-1963)
私はこれまで人間の視覚とコンピューターの画像認識システムとを比べてきた。この二つには乗り越え難い違いがあることを忘れてはならない。最高級デジタルカメラでも人間の視覚には到底太刀打ちできるものではない。事実何かを一瞥するだけでも、人間の脳はその能力の半分近く使用するのだが、地球上のすべてのスーパーコンピューターを合わせた処理能力を超えるものだという。私たちの脳は目に映るものについて、独立した思慮深い判断を下す。必要なものは目を見開くことだけだ。1本の木を見ながら、それを何か別のものとして見るということは不可能に近い。脳には、筋の通った意味のある映像を作り出すための配線が内臓されている。そうでなければ、私たちは幻覚に支配されてしまうだろう。だがみているものが、ときに現実に目の前にあるものと食い違うことがあるのも事実だ。言いかえると、現実がどうであるかにかかわらず、私たちは脳が見るべきだと判断したものを見るのだ。・・・何でも疑ってみる。というのは大切な習慣だ。 錯視の不思議 ロバート・オズボーン著 」
ラ・トミオカ、ラ・ニタはすごく寒かった。
空気は乾燥し、曇った空から時おり雨粒が落ちてくる。それでも雪じゃなくてよかった。遠くの白い山肌を見て思う。
コートをぬがないまま、部屋に入る。ブルブルと震えがでてくる。
“ 聖子さんは雨女だったんです ”
と千佳さんがポツリとつぶやいた。
‟ 寒いねー、聖子さんは私と同じ68歳なのよ ” と答えた。
‟ 12月27日誕生日だったんです ”
そこからみんなで下仁田へ出かけた。
行きは山道をくねくねと、帰りは違う道で帰るという。
直接、ラ・トミオカには帰らないで、途中みんなで小さなレストランへ立ち寄った。
ラ・トミオカとラ・ニタの靴職人達と、高橋さんたちも同行した。
それでも仕事の話はしなかった。
12月にうりぼうを連れたいのししが、ラ・トミオカの竹林から現れた などと、当り障りのない話と食事と飲み物のあと、私たちは三々五々と戻っていった。
今日は仕事始め。‟ こんなに冷えると、動いていないとこごえそう ”
また仕事に戻れる、そして普通の生活が送れる。
しみじみと感じる。残された私たちは、また何とかして、仲間の分まで、仕事を分け合って、歩いていけると思う。
5つの感覚、救いがたいほど抽象的な知性、好き勝手に選び取る記憶、そして先入観や思い込みはあまりにも数が多くて、ごく一部を除けば吟味できない・・・すべてを意識することなど到底できない。この程度の装置しかもたない我々はいったい現実をどれほど見過ごしているのだろう。 C.Sルイス(1898-1963)
私はこれまで人間の視覚とコンピューターの画像認識システムとを比べてきた。この二つには乗り越え難い違いがあることを忘れてはならない。最高級デジタルカメラでも人間の視覚には到底太刀打ちできるものではない。事実何かを一瞥するだけでも、人間の脳はその能力の半分近く使用するのだが、地球上のすべてのスーパーコンピューターを合わせた処理能力を超えるものだという。私たちの脳は目に映るものについて、独立した思慮深い判断を下す。必要なものは目を見開くことだけだ。1本の木を見ながら、それを何か別のものとして見るということは不可能に近い。脳には、筋の通った意味のある映像を作り出すための配線が内臓されている。そうでなければ、私たちは幻覚に支配されてしまうだろう。だがみているものが、ときに現実に目の前にあるものと食い違うことがあるのも事実だ。言いかえると、現実がどうであるかにかかわらず、私たちは脳が見るべきだと判断したものを見るのだ。・・・何でも疑ってみる。というのは大切な習慣だ。 錯視の不思議 ロバート・オズボーン著 」
ラ・トミオカ、ラ・ニタはすごく寒かった。
空気は乾燥し、曇った空から時おり雨粒が落ちてくる。それでも雪じゃなくてよかった。遠くの白い山肌を見て思う。
コートをぬがないまま、部屋に入る。ブルブルと震えがでてくる。
“ 聖子さんは雨女だったんです ”
と千佳さんがポツリとつぶやいた。
‟ 寒いねー、聖子さんは私と同じ68歳なのよ ” と答えた。
‟ 12月27日誕生日だったんです ”
そこからみんなで下仁田へ出かけた。
行きは山道をくねくねと、帰りは違う道で帰るという。
直接、ラ・トミオカには帰らないで、途中みんなで小さなレストランへ立ち寄った。
ラ・トミオカとラ・ニタの靴職人達と、高橋さんたちも同行した。
それでも仕事の話はしなかった。
12月にうりぼうを連れたいのししが、ラ・トミオカの竹林から現れた などと、当り障りのない話と食事と飲み物のあと、私たちは三々五々と戻っていった。
今日は仕事始め。‟ こんなに冷えると、動いていないとこごえそう ”
また仕事に戻れる、そして普通の生活が送れる。
しみじみと感じる。残された私たちは、また何とかして、仲間の分まで、仕事を分け合って、歩いていけると思う。
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