「私の東京物語り  伊藤銀次

笹塚

笹塚のランドマーク、笹塚ボウル。そのビルに1970年代、シュガー・ベイブの所属事務所があった。
PAエンジニア・矢崎芳博さんのお家で、あのシュガー・ベイブのDOWN TOWNが作られたのだった。
サビのDOWN TOWNへ繰り出そうの詞とメロディは浮かんだもののその先が進まず、同じく依頼されていた山下達郎君と連絡をとり一緒に作ろうとなった。録音機材を持っていた矢崎さんの家に集まり、僕のアイデアをもとに山下君がどんどんメロディーとアレンジしを考えていき、僕はそれを聴きながらさくさくと詞を書いていった。
この時2人で3曲作ってキングトーンズ側に提出したが、なんとその企画が没となり曲が僕たちの元に戻ってきてしまった。
この時はシュガー・ベイブのデビューアルバムのレコーディングが始まる直前で、山下君は3曲のうちDOWN TOWNをレコーディングすることになった。
意気揚々としてリリースされたこの曲は、期待外れで鳴かず飛ばずだったが、80年代に入ってEPOさんがカバー、オレたちひょうきん族のテーマに使われ世に知られるようになった。
まだメジャー経験のない若き2人が夢中で作ったこの曲が現在も愛され続けるシティポップスの古典的存在になるとは、あの時は想像もできなかった。(ミュージシャン)」

この時の占いが
"千里の行も足元から始まるもの  ただ今の仕事に力を尽くして大行成就" とあった。
世の中は本当にどこでどうなるか、わからないものだ。
だから、物事に一喜一憂するとも、歩き続けること!!
歩き続ければ何とかなるもんだ。
トゥシューズの注文が殺到している。
良い事だけど、すべて一足一足、手作りで在庫なしの受注生産だから、ラ・トミオカと、
ラ・ニタの靴職人たちは大わらわだ。
新しい人材も入ってはいるものの、戦力になるには時間がかかる。
今年1月もそんなことがあった。そしてまた今も・・・。
職人さんたちは、力を合わせて助け合い、対応してくれるようだ。
8月の発表会ピークにあわせて、新しいトゥーシューズをならしておかないといけない。
バレリーナの工場が復活した時、こんな注文が入ってくるとは、想像もできなかった。