「働くことの意味」を問う

 

最近、「働き方改革」の議論が盛んであるが、いかに残業時間を低く抑えるかに力点が置かれているように、国民には伝わってくる。その背景には、働くことは苦役であり、その時間を最小限にすることが善である、という暗黙の意識共有があるのではなかろうか。

そこで、改めて「働くことの意味」について、3人の識者の考えを紹介し考察したい。

 

1.人間は生来仕事が嫌いではない

ダグラス・マグレガーは、50年以上前には、「人は生まれながらにして仕事が嫌いである」という考え(X理論)(マグレガー(1960p.38)が支配していたが、1960年にこの考えを覆す理論(Y理論)を発表して注目を浴びた。それによれば、「普通の人間は生来仕事が嫌いだということはない。仕事で心身を使うのはごく当たり前のことであり、遊びや休憩の場合と変わらない。責任回避や野心のなさは、人間本来の性質ではない。企業内の人間がうまく協調できないのは、人間性に問題があるのではなく、人間の能力を引き出す手腕が経営者にないからである。」(Y理論)(マグレガー(1960pp.54-55)と言うものである。

 

昨今、働き方改革で問題視される長時間労働による過労死は、正にマグレガーの指摘する経営者の「人間の能力を引き出す手腕」の問題と言える。更にこの問題は、労働時間の長さだけではなく、仕事を与える環境(働かせ方)についても検討されるべきと考える。なぜなら、たとえ残業がなくても、過度なプレッシャーをかけたりパワハラを働かせれば、勤労者を苦しめることには変わらないからである。

 

更に、マグレガーは以下の指摘をする(マグレガー(1960pp.54-55

・人は自分が進んで身を委ねた目標のためには自ら自分にムチ打って働くものである

・献身的に目標達成につくすかどうかは、それを達成して得る報酬次第である。報酬の最も重要なものは、自我の欲求や自己実現の欲求の満足であるが、企業目標に向かって努力すれば直ちにこの最も重要な報酬にありつけることになりうる

・普通の人間は条件次第では責任を引き受けるばかりか、自らすすんで責任を取ろうとする

・企業内の問題を解決しようと比較的高度の想像力を駆使し、手練をつくし、創意工夫をこらす能力は大抵の人に備わっている

・現代の企業においては、日常、従業員の知的能力はほんの一部しか生かされていない

 

以上で、報酬の最も重要なものとして指摘された「自我の欲求や自己実現の欲求の満足」の観点に立てば、労働時間を一律に制限することは、人間を過剰な苦役から解放するというプラス効果の反面、人間の仕事に対する意欲や達成感、満足という人間が持つ崇高な営みの機会に制限を与えかねない、というマイナス効果も同時に考えなければならない。

 

 

2.換金できない<働く>

MITメディアラボ所長伊藤穣一の近著によれば、働くことの意義はお金に換算できるものから、お金に換算できないものへと価値感の変化が起こりつつある。

 

元々、英語では働く目的により、言葉を使い分けている。即ち、お金のために働くことをワークと言い、お金のため、経済効率だけでは測れない職業としての政治家や軍人が働くことは、ワークとは言わずにサービスという。

 

(1)お金に換算できない活動の指標が必要

GDPは産業革命以降の経済発展には役立ってきたが、情報技術などあらゆるテクノロジーが社会を抜本的に変えつつある現在、どこまでこの指標が重要かは議論が必要。さもなければ、お金に換算できないボランティアや遊び、家事や子育てと言った活動が軽視されやすい社会になってしまう。

 

(2)お金に換算できない価値

(a)「アテンション・エコノミー(関心経済)」:人々の「アテンション(注目や関心)」がお金ではない1つの価値の蓄積として機能する

 

(b)学位はアテンションのようにお金に換えられないが、学術の世界では価値がある。そのため、学者はアカデミズムでの評判や地位を上げるため一生懸命<働く>。

 

(c) 「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」

お金のため、生活のためだけではない、本来の人間のあるべき姿として<働く>、「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」が重要である。

 

戦後の日本では、「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」は、経済を立て直して生産性を上げるという、目的が明確で誰にとっても分かりやすいものであった。

ところが、今後求められる「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」とは、「自分の生き方の価値を高めるためにどう働けばよいか」、という新しい感性が必要になってきた。

 

このため、有意義な仕事を得るための教育やトレーニングを受け、より良い仕事へ従事しようというマインドが生まれ、ひいては国の経済が活性化する、という考えにより、すべての国民に政府が生活費として一定額を支給するユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)という制度が生まれてきた。

当然、UBIでお金をもらえたら、仕事に何の意義も見いだせず単純な労働に従事している人は、すぐにでも<働く>ことをやめるかもしれないし、カウチポテトで自堕落なライフスタイルを送る者がでてくることは、覚悟の上である。

 

 

3.傍の人を楽にする

江戸時代には、現代を先取りするような新しい働き方があった。

NPO法人 江戸しぐさの土門道典 理事長の話を紹介する。

 

江戸しぐさには「傍楽(はたらく)」という言葉があって、文字どおり、傍の人を楽にするということです。江戸時代の人はよく「朝飯前」と言っていましたが、朝飯前に身だしなみを整えてからあたりをひと巡りしてどぶ板の壊れや用水桶の水の減少などにすぐに対処します。地域のことを率先してやってしまうのです。

 

そして朝御飯を食べて、午前中は生活のために働く、要するに生活費を稼ぐ。午後からは、傍を楽にする働き、つまり、ボランティアをするのです。

 

夕方は、「明日備(あすび)」。明日に備えリフレッシュするために「あそぶ」リフレッシュ、リクリエーションの時間です。人の評価は地位や財産ではなく、午後の「傍を楽にする」働きの多寡で決まる、それが江戸っ子の1日でした。その話を聞いた時に今もビジネスマンが会社の帰りに一杯飲むのは大事なことなのだなと勝手に解釈して、そうすると気も楽になる(笑)。

 

以上から、江戸時代では、「働く」とは、周囲の人(傍)を楽にする働き、つまり、ボランティアを意味していたことになる。それにしても、「朝飯前」に地域の困りごとを片付け、午前中に生活費を稼ぎ、午後はボランティア、夕方からはリフレッシュ、リクリエーション、(おそらく、習い事、教養のための学問も含まれたと思われる)という、江戸時代の生活風習は、個人と社会が見事に調和し、安定した社会を構築していたものと考えられる。

 

 

4.考察

1960年に発表されたマグレガーのY理論、本年(2018年)に出版されたMITメディアラボ所長伊藤穣一による「換金できない<働く>」、そして江戸時代の生活風習から共通して言えることは、働くことは単にお金のためだけではない、人間としての崇高な営みであることが読み解ける。

一方、昨今の「働き方改革」に関するメディア報道は、残業時間の短縮が強調され過ぎているのではないか。むしろ、本来人間が果たすべき崇高な営みはいかにして促進し「自我の欲求や自己実現の欲求の満足」を実現するか、そしてそれを阻害する要因として、もし上司が部下に与える仕事のやり方に拙さがあればそれをいかに改善するか、そのためのリーダーシップのありかたなどに対する幅広い観点に立った国民的議論が望まれる。

 

5.参考文献

ダグラス・マグレガー(1960年)『企業の人間的側面』(東京:産能大学出版部)

伊藤穣一(2018.3)『教養人としてのテクノロジー』(東京:NHK出版)

新しい働き方が江戸時代にあった!

https://toyokeizai.net/articles/-/21209