2011年10月

2011年10月29日

なぜサッカーにはドラフトがないか

最近、ドラフトでのゴタゴタがあったことから、
なぜ(多くの)サッカーにはドラフトがないかも注目されている。
その背景にはサッカーと野球の運営目的の違いがある。

野球は商売である。
野球団が野球をやる理由は儲けるためだ。
儲けるのに最も手っ取り早い方法は独占である。
野球は球団数が限定されていて、
サッカーでみられるような昇格・降格がない。
昇格・降格がないから、放っておくと大きな実力差がついてしまう。
大きな実力差は結果の予測性を上げて娯楽性を下げるため、
全体の利益を考えて実力が均衡するような制度が導入されるが、
ドラフトもその一つというわけである。

日本の野球は赤字で商売になっていないと反論があるが、幾つか再反論がある。
まず、それは単純に野球の人気が無い(下がった)からだ。
本来なら運営側は市場規模に合わせて球団数を削減したいわけで、
近鉄・楽天のときにはそれが大問題になった。
次に、トータルで本当に赤字かは分からない。
鉄道会社の電車賃や球場周辺での娯楽施設、
そして所有球団の宣伝効果を考えると黒字かもしれない。
もちろん球団側には選手の年俸を抑制する誘因があるので、
赤字だと主張して年俸を抑える言い訳にする傾向がある。

サッカーは商売ではない。
チーム数を制限して利益を独占しない。
参入は自由で、誰でも頑張れば下位リーグから昇格していくことができる。
昇格・降格があるので放っておいても試合の質は維持される。
例外はKリーグやMLSで、そこにはドラフトがあるが、
それは昇格・降格がないことが原因になっている。
最近、プレミアリーグの外国人オーナーたちが、
昇格・降格システムの廃止を訴えたが、
利益を優先する人たちからすれば当然の発想だろう。

長友がインテルに移籍したときの給料が2億そこらで、
野球選手に比べて安いことが話題になった。
もちろん試合数や選手数など競技性の違いもあるが、
野球とサッカーの営業目的の違いも大きい。
野球は利益を独占する商売なので、選手に高給を払う余裕がある。
独占利益を球団と選手が分け合っているわけだ。
一方のサッカーは、一流選手の給料は野球より低いが、
すそ野が広いため選手の数が多くなる。

最近の欧州サッカーの各国リーグでは、
優勝の可能性があるチームがかなり限られており、
実力均衡が達成されていないと思われるかもしれない。
その最大の原因はCLが大きな収益を生み出しているからである。
しかし、CLの中では自由参入と戦力均衡が維持されている。
CLの優越という現実を認めてこれまでのやり方を貫徹するなら、
欧州の各国リーグの上にCLというリーグを作り、
各国リーグを2部扱いすれば各リーグ内の戦力不均衡は低下する。
現状は1部(CL)のチームが2部(各国リーグ)に参加させられているので、
当然のように1部のチームが勝つ、ということになってしまっている。


追)日本のように参入規制のある野球とそれがないサッカーが
共に人気競技として両立している例は世界的にもあまり例がなく、
その関係がどうなっていくかは興味深い。

追2)しかし、CLやELには各国のリーグの後半戦を盛り上げるという役割もある。
降格争いと優勝争い以外はCL等がなければ終盤戦がだれてしまう。
しかし、優勝争いを面白くなくしている原因もCLであり、
このあたりはなんとも微妙なところだ。(12/12/19)

meitei2005 at 13:04|PermalinkComments(0)TrackBack(1) スポーツ | サッカー文化

2011年10月18日

早生まれ

誕生日と学業成績・最終学歴

スポーツで早生まれが不利という話は良くあるが、
冷静に考えてみたら勉強にも似たような問題はあるはず。
そう思って検索してみたら、ばっちり結果が出てました・・・
他にも欧州でも似たようなことが起きているようです。

細かいことを言えば、早生まれが不利、ということはよく知られていて、
それを回避するような計画的な親の子供はもともと優秀な可能性もありますが。

ほぼ早生まれの自分としては、
体育で同級生にかなわなかったのはこれが原因の一つだと後で気づきましたが、
まさか勉強の方でまで不利な状況に置かれていたとは思いませんでした。

meitei2005 at 13:30|PermalinkComments(22)TrackBack(0) 社会 

2011年10月16日

タマホーム

キムタクのタマホームのCMが面白いんですが、

35年ローンって払い終わったときお前73じゃんwwwww
そんなん絶対ローン組めないだろwwwwww

っていうのはナシなんでしょうか?
それとも、それを踏まえた上でのネタなんでしょうか?

meitei2005 at 13:50|PermalinkComments(11)TrackBack(0) TV 

2011年10月14日

『ダーウィン文化論』

おそらく、訳があまりよくないこともあって、読みにくい章がある(3章は科学哲学者の文章だからしょうがない)

8-10「文系」側の反論はありふれている。
文化の反要素還元論(統合論)、「ミーム」概念の不明確さ、従来の文系の研究に対して加える知見がないこと、など。
特に8章の「自己を標準化する」に関する議論は、
ウィトゲンシュタインのパラドックス「ルール(規則)を学べない」を思いださせるものだった。

たしかに、
ミーム概念提唱者の方にもアラがあるのは否めない。
そもそも、
6章「動物の社会的学習」で指摘されているように、
なんでブラックモアがこれほど「模倣」に拘るかは分かりにくいし(これは後で議論する)、
既存の文系に敬意がないのは間違いない(10章)。

このあたり、
ある意味中間的な進化(動物)心理学者(4章、6章)、人工知能研究者(5章)、生物人類学者(7章)の議論が参考になる。
例えば、
日本人なら日本のサル学を思い出して人間以外の生物の社会性を思い出したりするが、
7章「文化は由来する」にもこの紹介がある。
確かに、
現在の人間の文化を1つ1つのミームの模倣に還元することは無理があるように思えるが、
例えばサルが仲間に餌を分けるというtit-for-tatであれば十分成立しているように思われる(
アクセルロッドへのリファーがないのも、この分野の人たちの了見の狭さを感じさせる。)。
こうした、
単純なものが積み重なってとても要素に還元できなさそうな複雑なメカニズムを構築することは、
他にいくらでもある。


模倣と知性・ニューラルネットワーク

ここで、
特になぜブラックモアが「模倣」に拘ったのか考えてみよう。
おそらく、
動作の模倣であれば「学習」という知的な要素を排除できるからではないか。
「ただの模倣」であれば、
学ぶ側のめんどくさいメカニズムの話をスキップして、
単純なダーウィン的な選択メカニズムに乗せることができる。
しかし、
8章の著者が(おそらく)議論しているように、
知的な要素を抜きにした単純な動作の模倣というのはありえないか、
あるいはあったとしてもその動作の「意図」が伝わらないので文化的な意味を持たなくなってしまう。
例えば、
ドーキンスはブラックモアの本(『ミーム・マシーンとしての私』)の序文で折り紙の折り方が模倣されていく例を挙げているが、
そこでは「正方形」「中心点」「左右対称」「(完成形としての)船」といった知的な概念が「指示のコピー」に必要であることを示している。
もちろん、
こうした知的な概念が既に共有されていれば、
折り紙の折り方を正確に伝達するのは比較的容易だろう。
しかし、
その概念自体はいったいどこから来たのだろうか。

ちなみに、
先ほど私が挙げたtit-for-tatの例であれば、
個体の識別、その個体の過去の行動ぐらいの情報しか必要ないので、
「知的」な能力がなくても模倣できるように思われるかもしれない。
しかし、
それを模倣するためには、
身近な個体(例えば親)が仲間にエサを分けているだけではなく、
時にはそれを行わない場合があり、
それが過去のエサを分けてもらわなかった個体の行動に依るのだ、
ということを理解する必要がある。
ここまでくると「心の理論」が必要かもしれず、
このようなもっとも単純な利他的な行動すら単純な模倣と言えるかどうか怪しくなってくる。
もちろん、
ある程度サルに知性があれば、
tit-for-tatを親が子供に教えればことが足りる。
この場合、
tit-for-tatだけではなく、
それを子供に教えるということもセットになったミームが継承されていくことになる。

こうしてみると、
やはりブラックモアが狙った分析対象を模倣に限定することで、
めんどくさい人間の心理・知能の分析をスキップするという戦略が失敗していることが分かる。
分析対象を単純な模倣に限定してしまうと、
少なくとも多くの文系研究者が重視するもののほとんどが抜け落ちてしまう。
4章の著者も言うように、
「自然科学による文化理解は、「文化の伝達に関する研究が基盤となしえるような確固とした心理学的理論なしには」成立しない」という
「キャッチャーのルール」が正しいように思われる。

しかし、
人間の知的な側面を理解することは非常に難しい。
要は、
ニューラルネットワークはブラックボックスだ、ということだ。
例えば我々は有限の経験から無限に表現可能な言語を学ぶが、
それがどのような機構になっているのか簡単に説明することはできない。
ただ、
ある程度の知性を前提にしてしまえば、
例えば簡単な協力的な行動の原因となるミーム(この場合はtit-for-tat)を議論することは可能かもしれない。
このあたりは、
何が前提にされているか、自分が何を前提にしているのか、注意しなければならない点だろう。
あるいは、
「ミーム」といっても何層もの階層があると考えた方が良いのかもしれない。\\


既存の社会・人文科学:書かれたもの

ブラックモアらがミームを模倣によって学ばれるものに限定したせいで扱われなくなってしまったが、
もっとも分かりやすいミームは「書かれたもの」だろう。
聖書、法律、文学、論文(特許)などなど。
これらはそれぞれ、
宗教学、法学、文学、計量書誌学といったものの分析対象になっているが、
それぞれ宗教ミーム学、法律ミーム学、文学ミーム学等と言い換えても問題ない。
制度化された宗教がない社会でも言葉で伝承される神話や規範の分析は可能だ(人類学)。
ミームという観点はこれらの学問にあまり影響を持たないような気がするが、
それらが繰り返し個体によって学びなおされているというのは重要な視点かもしれない。


meitei2005 at 13:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) Book 

2011年10月12日

日本対タジキスタン

WCアジア3次予選、8−0

わざわざスポーツバーまで見に行った自分は負け組です。


・日本のスタメン

ハーフナー
香川、憲剛、岡崎
遠藤、長谷部
長友、今野、吉田、駒野
川島


◆対アジア

相手がアレ過ぎたので、憲剛トップ下のテストにはならず。
セル爺が途中から相手にキレ始めたのが面白かったが。

最大のポイントはハーフナーのスタメン。
引いて守ってくる格下のアジアの国は身長が低いことが多く、
前線に高さのある選手を入れると点を取りやすい。
理屈ではそうなのだが、実際にいきなりスタメンで使うのは勇気がいる。
特にこれまでに起用時間が短かった選手ならなおさら。

そのハーフナーを後半の立ち上がりで交代させたのは謎。
ひょっとしたら情報戦かもしれないが、
もっと点を取らせて価値を上げて、
海外移籍をさせやすい環境を作ってもよかった。

後の交代は自然な流れ。
阿部の調子が怪しいし、細貝は試しておきたい選手。
技術のあるSHが少ないので、藤本も場馴れさせておきたい。

こうやって理屈通りに楽勝できてしまうと、
アジアで苦労していたころが懐かしくなってくる。
しかし、このレベルで苦労することにはプラスの要素は何もない。
選手が無駄に疲れるだけだし、余計な不協和音が響くだけだ。
もはや日本はアジアの3次予選でぐだぐだやってる立場ではない。
このあたりを何の感慨もなく、大して注目もされず、
さらっと通過できるのが強国だと思う。


◆個々人

・香川。二点目のゴールも含めてミスタッチばかり、相変わらず不調
・岡崎。少しスピードがない気がしたが、負傷の影響か
・遠藤。こちらも無理はしてない感じ
・川島。今回の最大の課題は風邪をひかないこと


◆憲剛のトップ下

本田のようにバイタルで仕事をするのは難しい。
しかし、下がったり開いたりしてのチャンスメイクができるので、
SHとポジションチェンジがスムーズにできれば機能する可能性がある。
ザックの求める約束事とどれだけ上手くやれるか。
もちろん、ミドルシュートの能力も高い。

meitei2005 at 10:54|PermalinkComments(3)TrackBack(0) ザック・ジャパン 

2011年10月08日

OFFSIDE METAL

meitei2005 at 13:38|PermalinkComments(2)TrackBack(0) net A