2013年09月

2013年09月11日

日本対ガーナ

親善試合、3−1


・日本のスタメン

柿谷
香川、本田、清武
遠藤、長谷部
長友、今野、吉田、内田
川島


◆簡単な感想

一方的な試合だった直前のグアテマラ戦と同様、
前線からの守備が大分改善されていた。
これは特に戦術・選手起用がどうこうというよりも、
単純に監督と選手の心理的な問題だと思われる。
また、4日前にグアテマラ戦をやっていて、
練習も含めてそれなりに時間を取れたこともあったのだろう。
相変わらずゴール前に人数をかけることが多いため、
被カウンター時にはピンチになりやすいのだが、
ボール近くの選手が頑張ることでその回数を減らせていた。
ガーナの前線・中盤の有名な選手がいなかったので、
本番ならばもう少し危ない場面は増えたかもしれない。
ただ、失点の場面は長友の不用意なクリア?が最大の問題で、
相変わらず自ゴール前での不用意なプレーだった。
また、グアテマラ戦では4バックで森重右CB、吉田左CB。
酒井高徳が右SBだったことと関係があるかもしれない。
ガーナ戦では吉田右、今野左に戻していた。

3−4−3の運用方針は謎。
攻撃的なシステムだと言われていたのだが、
この2試合はリードした後半に用いられている。
試合展開の中での特徴というよりも、
単純に試合の中で複数のパターンを使ったということのようだ。
ただ、試合展開に応じたプレーの変化は大きな課題で、
これが放置されているのは大きな問題。
また、グアテマラ戦では森重をスイーパーにして吉田右、
ガーナ戦では吉田をスイーパーにして森重右と、
4バック時と同様に微調整を行っている模様。

安定して得点が取れているのは評価できる。
6日にW杯最終予選の大一番をこなしたガーナは運動量が少なかったが、
少なくとも守備陣は多くがスタメンだった。
この試合でこそセットプレーに合わせるプレーで得点できたが、
CKも含めて非直接のセットプレーであまり得点できない中で、
流れの中で相手を崩せているのは素晴らしい。
香川・本田・遠藤・長友が出ている間はなんとかなりそうだ。


・柿谷

守備の改善と柿谷の起用でカウンターも改善されつつある。
ただ、柿谷は何度もオフサイドに引っかかっており、
連携の問題なのか柿谷個人の問題なのかは不明。
その他のポストプレーも含めて柿谷には連携のための調整が必要で、
個人としての適応も含めて時間を与えているのは理解できる。
東アジア時には高く評価していた豊田については、
それほど調整に時間がかからないという判断だろう。

ただ、ストライカーとして柿谷がどれだけ評価できるかは微妙。
点を取れていないのは結果論だが、点が取れそうなプレーも少ない。
次の清武とも関係するがクロスが少ないのはチームとの兼ね合いもあるが、
こぼれ球への反応もあまり良くない。


・本田

守備を頑張ってイエローまでもらう奮闘ぶりだが、
今度は後半途中から息切れしてしまった。
運動量が減るだけなら周りの選手がカバーできるのだが、
プレーの精度も落ちてボールを奪われるのが痛い。
相手SBへの対応をする3−4−3のWGとしては、
通常でも不適当な上に、リードした後半では最悪の起用。

本田にバテられてプレー精度が落ちるのは交代策にも悪影響。
4−2−3−1だと1トップとSHを交代させるパターンが多い。
柿谷も香川も体力があるタイプでもないのだが、
本田まで交代させるとなると岡崎(右SH)を交代させられない。
次でみるように岡崎の代わりもまだ確立されておらず、
試合によって選手を変えることも難しい。
また、本田を交代させるにしても2列目は選手不足で交代要員も少ない。


・清武

離脱した岡崎の代わりには清武が起用された。
これまで何度も書いてきたように、
香川・本田と併用すると清武はあまり機能しない。
また、清武個人のコンディションもあまり良くない。
周りとの兼ね合いで言えば、清武も役割を理解していて、
パスの受け手・フィニッシャーとしてのプレーをしていたが、
やはりあまり得意でないのかあまり上手くいかなかった。
岡崎も怪我を繰り返していてW杯に出られない可能性もあるが、
その際にどう対応するかは難しいところだ。
また、清武個人についても得意のクロスを披露する場面がない。

meitei2005 at 18:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ザック・ジャパン 

2013年09月05日

なぜ宮崎駿の映画は面白くなくなったか

(おそらく)偶然だと思うんですが、
宮崎駿引退と時期が重なってしまいました。
わがことながら「思う」と書いたのは、
単純にアトさんの文章を見て『宮崎駿の時代』という本を手にして、
それで自分の頭の整理がついたから文章をまとめてみたんですが、
そもそもアトさんが本の紹介をしたのが、
『風立ちぬ』公開と関係があるのかどうか分からないからで。


◆謎ぁ解けたぜ!!

なんで宮崎駿の映画は面白くなくなったのか、
というのは私の長年の疑問でした。
「文芸評論」的なセンスも技術もないので漠然と感じていましたが、
なんとなく完成度が下がっていて、それが原因だと思っていました。

しかし、最近になってようやく気がついたんですが、
単純に宮崎駿のアクションが好きなだけで、
年々アクション比率が下がっていることが原因のようです。
初期宮崎作品が好きになって15年は経っているのですが、
それにようやく気がついたというザマです。

アクション映画としては『カリオストロの城』が最高で、
あとTVアニメですが『未来少年コナン』も良いと思います。
『風の谷のナウシカ』はマンガの方が好きですが、
映画ではメーヴェで飛ぶシーンが好きで、
特に腐海でヘビゲラに襲われて間一髪メーヴェを倒してかわすシーンは最高。
『ラピュタ』もパズーの飛んだり跳ねたりが素晴らしい。
この後は段々アクションの比率が下がってくるのですが、
『トトロ』でも空を飛んだり猫バスが電線の上を走ったり、
『魔女宅』でも風に吹っ飛ばされたりラストで上手く飛べなかったり、
『紅の豚』も飛行シーンや機関銃が楽しい。
あんなぐだぐだな『もののけ姫』でも、
アシタカとモロの子が崖を滑走していくシーンだけは好きです。
ところが最近のやつだとほとんどアクションが無いので、
映画館はおろかTVでもほとんど見ていません。
『ポニョ』はポニョが海の上を走るシーンだけが好き。

本当はもう1つあって、それは音楽が良いから。
特に『カリ城』はルパンのテーマも使われているので、
1つぶで2つおいしいお得な映画です。


◆『宮崎駿の時代』

上の『宮崎駿の時代』ですが、アクションの解説はあまりありません。
p.75−77に『カリ城』の分析があるぐらいでしょうか。
まあ、宮崎駿の映画自体がアクションではなくなっていくので、
これも自然な分析対象の選択なのかもしれません。
むしろアクションでは、第13講義の漫画版ナウシカの分析が充実しています。
ただ、著者が繰り返し宮崎アニメの「画面のパワー」に触れている割には、
どうしてそのパワーが生じているかの分析は少ない気がします(*)
まあ、説明不要だということかもしれません。

宮崎アニメの完成度が年々下がっていると書きましたが、
アクションの多寡とは別に間違いなくそれもあって、
この本ではその説明がされています。
宮崎駿を分析した本を全て見たわけではないですが、
私が知る範囲では最も良い本です。

ナウシカ等の共同体・ふるさと論は説得的です。
ただ『千と千尋』がそうかは、ラストの解釈も含めて、分かりません。

(*)これは前著の『宮崎駿の仕事』の方にあるのかもしれませんが、
入手できていないので未読です。
『宮崎駿の時代』というタイトル通り、時代や個人の背景が中心なので、
技術的な話は『仕事』の方を読まないといけないようです。


・性の話

「性」の話ですが、これは全く私の理解の外でした。
特にラピュタを見てセックスを想像するというのは、
とんでもない変態だとしか思えない。
ただ、宮崎アニメを性の観点から分析する話は多くて、
この本の説明は時代背景をちゃんと説明しているし論理も破綻していません。

違和感の原因の1つは、私が日本のマンガ・アニメにどっぶりなので、
(オタクという意味じゃなくて自然に受け入れているという意味で)
全く批判的に見れなくなっている気はします。
また、単純に私の読解力が低いのかもしれません。
一方で、フロイド以降伝統の何かといえば性の話を持ち出す知的な風潮と、
特に著者が女性であり海外の視点を持ち合わせていることもある気がします。

このあたりは話がこんがらがるんですが、
宮崎駿以外の日本のマンガ・アニメに性的な要素が強いのは本当ですし、
ナウシカが戦闘美少女のハシリだったり、
ラナやシータが伝説のロリコン美少女(p.132)になって、
その後の本当に性的なものに影響を与えたんでしょうし、
シータが「魔女っ子ガールフレンド」ものの先駆だったのかもしれませんが、
だからご本尊がやらしいかといえば違う気がします。

『ラピュタ』が嘘くさいというのは理解できますが、
それを言ったら世の中のお話全てが嘘くさい、というか嘘なわけで。
特に児童文学、というか少年冒険ものにリアリティを求められても。
ただ、本来の『少年パズー・飛行石の謎』通りの完全な少年ものだったら、
アクション・アニメとして何の問題もなかったんでしょうが、
(実際、私はシータを無視してそう観ていたわけですが)
シータとW主役にしたせいで、主役の動機づけが弱くなっている気はします。

シータのうそ臭さに関して、ラピュタがエロいと言う話で、
唯一思い当たる節があるのがシータの声がやたら大人びていること。
前半はまだ気にならないんですが、
ラストのムスカとの墓所での長台詞が特にそうで。
シータ(とパズー)は13歳の設定だそうですが、
とてもそうは思えないしっかりした声でお話になる。

ただ、少なくともラピュタに関しては、
単純に声優の年齢と台詞の問題だと思います。
声優のよこざわけい子さんは当時30代半ばで、
しかも長台詞のところは一番の見せ場なので気合も入ったでしょうし。
クラリス・ナウシカ・フィオはもう少し年齢がいってるし、
(クシャナ17歳には今でもビビる)
キキは声優が20代半ばなのでまだまし。
(ラナの声優さんは30ぐらいだったようですが)

確かに声優の声を真剣に聞けば、
「おばさん」が若作りをしているわけで、
その意味では不自然ですし、
風俗を連想させる部分はあります。
女声優が少年をやる分には「中性的」で済むんですが、
少女をやる場合にはどうしても避けられない部分で。
ただ、それを言ったらこの手の話はどうしょうもなくて、
例えば実写ドラマで高校生を20過ぎがやってるなんてザラで、
リアル高校生を見るとあまりにガキなんでびっくりしたり。
この辺は「お約束」としてスルーするしかない。
そこをリアル年齢に合わせにいって、
石田ゆり子(サン・カヤ)や柊瑠美(千尋)でエライ目にあってるわけで。


◆(追)『宮崎駿の仕事』を読んで

内容は『時代』と重複することが多く、
『時代』を読んだ人は読む必要は低いと思います。
実際、私もこの本の半分ぐらいは読んでません。
『時代』はそのタイトルの通り時代背景を重視するのは理解できますが、
『仕事』と書くからにはもう少しその「仕事」に関しての情報が欲しいところ。
なんで同じような本を2冊書いたのか理解不能です。

meitei2005 at 15:33|PermalinkComments(15)TrackBack(0) 社会 | A画