2016年10月

2016年10月15日

オーストラリア対日本

ロシアW杯最終予選、第4戦、1−1

気温は15度程度とかなり涼しい模様。


・日本のスタメン

本田
原口、香川、小林
長谷部、山口
槙野、森重、吉田、酒井高徳
西川


・オーストラリアのスタメン

ユリッチ9
ロギッチ23
ルオンゴ21、ジュディナク15、ムーイ13、ジアンヌ17
スミス13、スピラノビッチ6、セインズベリー20、マクガワン19
ライアン1

中盤13番のスキンヘッドのムーイがブレシアーノに見えるオールドファン。


◆アジアの戦いは難しい

これまでと戦術も選手起用もかなり変えてきた日本。
両サイドにスピードのある選手を起用し、槙野をSBにして、
最近ボールをつないでくる豪国相手に守りを固めてきた。
いろいろ意見はあるだろうが、「この時点での」最前手だったと思う。
トップ下が清武ではなく香川だったこと、
浅野と交替したのが本田だったことも、
コンディションということを考えたのだろう。

もちろん「中長期的な」チーム作りには課題も多い。
こうした戦術を起用するのであれば、
特にそれに相応しいSHの準備がおろそかになっていて、
彼らの動きが悪くなった後半には押し込まれてしまった。
前線も本田と香川の起用がベストだったのかは微妙だ。
日本の攻撃的な選手が守備に走り回る姿は確かに違和感がある。
ただ、武藤の負傷というアンラッキーがあったことや、
これまで日本相手にボールを持ってくる相手とやっていないこと、
これらを考えると仕方ないのかもしれない。

だから、現時点での最大の問題はUAEに勝てなかったことなのだろう。
このあたり、考えたら分かりそうなものなのだが、
やはりアフリカやフランスでの経験が多い監督だと、
チームに守備や規律を求めることが優先されて、
下手でもべたべた守ってくる相手をいかに崩すか、
という点についてはなかなか上手い答えを出せないのだろう。
おそらく、その答えが宇佐美へのこだわりだったのだろうが、
彼の個人技で崩せるほどアジアは甘くはない。
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meitei2005 at 18:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ハリルホジッチ・ジャパン 

2016年10月12日

日本対イラク

WCアジア最終予選、第3戦、2−1。審判団は韓国

オーストラリア戦後で完全周回遅れです。。。
(追)酒井宏樹はこの試合のイエローで豪国戦は出場停止です。


・日本のスタメン

岡崎
原口、清武、本田
柏木、長谷部
酒井高徳、森重、吉田、酒井宏樹
西川


◆豪国戦の選手起用から振り返るイラク戦

この試合、勝つには勝ったが後半ロスタイムの決勝点で、
とても褒められた試合内容ではなかった。

この試合については選手や監督について多くの言及がされているが、
それぞれそれなりに正しいと思うので、細かくは繰り返さない。
(おそらく)あまり言われていない点としては、
審判団が韓国だったので笛がまともで、
先制点も含めて日本に非友好的ではなかったことは大きかった。

この次の豪国戦は、もちろん負傷した岡崎は別だが、
それ以外も大きく選手が入れ替わっていて、
豪国対策ということの他に、
イラク戦で監督が良く思わなかった選手が代えられたのだろう。

清武は前半こそ良かったが後半には消えてしまい、
柏木も得意の良いパスを見せる機会はなかった。
地味に深刻なのは酒井宏樹で、
特に攻撃面で本田と連係が取れないことが痛い。

おそらく、この試合の監督の意図した攻撃パターンは、
原口のいる左サイドからしかけ、
本田が第二のストライカーとしてゴール前につめるもの。
シンガポール戦で武藤を左SHにしたのと逆の発想で、
本田は最初から中に入っていることが多かった。

問題だったのは、組み立ての段階でイラクの守備に対応できず、
同点になるまでこのパターンをほとんど使えなかったこと。
イラクは4−4−2にして2トップが日本のボランチをケアして、
日本のCBへのプレッシャーは比較的緩かった。
日本のCBのフィードがイマイチなことを見透かしていた。
ボランチが下がって組み立てを助けようとするが、
他の選手が連動しないのでパスがつながらない。
結局CBに戻して適当なフィードを弾き返されてしまった。

上手くいかなかった原因は色々あると思う。
選手が監督の言うことを聞きすぎることや、
余裕がなくリードした後に落ち着いてボールを回せないこと、
ここに酒井宏樹の組み立てのセンスのなさが加わるが、
内田がいないのが地味に響いている。
また、柏木も良いパサーだが、
遠藤にようにゲームをコントロールする力はないので、
組み立てが単調になってしまうのも辛い。

リードした時間帯のもう1つの問題はカウンターがとれないことで、
これは日本が格下相手の試合を強いられていて、
こうした展開にならないことが痛い。




meitei2005 at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ハリルホジッチ・ジャパン 

2016年10月08日

入山章栄著『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』

著者にとってこの本は『世界の経営学者はいま何を考えているのか』に続く2冊目。
この2冊は内容がかなり被っているので、両方買うと損した気分になるかもしれない。

この著者が書いていることは次のように大きく2つに分類できる。


A、最先端の経営学の紹介(経営学の内容)

B、世間の人が経営学(者)に抱いているイメージと実際の違い(メタ的な話)


本書の挑発的なタイトルは、
Aの部分で「世界最先端の経営学」を教えますよ、ということと共に、
Bの部分で、なぜ「学べない」のかを説明する、ということを意味している。

Aの部分は、内容の選択の偏りはあるのかもしれないが、
普通に勉強になるような内容だと思う。

Bの部分での著者の主張は次のようなものである。

1、経営学は科学である(経営学者は科学者である)

2、経営学を学べば儲かるというのは短絡的な考え方である。
  経営学は「思考の軸」を提供するものであり、その意味で「役に立つ」

3、しかし、現状のMBA(経営学)の教育は2の意味で不十分である。
  その理由の1つが最先端の経営学が「ツール化」されていないことである。
  ツール化されない理由は、それが経営学者の研究業績にならないからだ。

1の点については「何が科学か」とかいう議論をし始めたらきりがないが、
とりあえずデータを使った定量的な分析をしている、というところだろうか(*)
だから経営学は「居酒屋トーク」とは違うし、経営学者はドラッカーを読まなくてもよいし、
経営学者は自然科学と同じように主にデータを使った研究で評価されるし、
ハーバードのようにケース分析をしているのはむしろ少数派だ、ということになる。
これに関することだが、本書の最終章(26章)で、MBAと経営学Ph.Dは全く違い、
後者では科学者を育成するための教育が行われていることを伝えている。

(*)「科学」についての議論は多いが、
   データや実験でだけなく、ある程度まとまった理論体系がある、
       というのも科学の条件に挙げられることが多い。
   その意味では経営学は未だ科学として不十分だ、という議論はありえる。


議論を呼ぶのは3の部分だろう。
現役の経営学者が、いくら所属先と異なる国での出版とはいえ、
経営学の教育が全体的にイマイチだと言うのは度胸がいる。
ただ、これは別に経営学に限らず経済学なんかも同じだと思うが、
外部から見てそうなんじゃないかと思うことで、違和感はない人が多いと思う。
このあたりが、MBAはまだ大丈夫なのかもしれないが、
近年の旧国立大学の文系解体論に繋がっていると思う。

(経営学でも会計等の制度的な知識は使えるが、
 法学でも憲法関係なんかは使えない。
 最初から短期的な利益を放棄している文学・哲学は関係ない)

ただ、疑問なのは3の後半の部分だ。
もし本当に最先端の経営学が「役に立つ」ものであるなら、
なぜそれを「ツール化」する人が現れないのだろうか。

例えば近年「ビッグ・データ」という言葉が盛んに使われている。
そこではSTATA, SPSS, SASという統計パッケージが用意されている。
これらは、本来プログラミングで実装するのが面倒な手法を
予め用意してくれているという、まさに「ツール化」されたものだ。
これらは別に統計学者が研究業績になるから作ったのではなく、
お金になるから会社や専門家が用意したものだ。

なぜ同じようなことが「最先端の経営学」では起こらないのだろうか。
確かに統計的手法と異なり統計パッケージとして売ることはできなくても、
本にして売れれば、その後の講演生活も含めて、著者として十分に割に合うはずだ。

1つの考えられる理由は、そもそも「ツール化」が難しい、というものだ。
これは、問題がそもそも難しいのだから、それを解けないのは恥ずかしいことではない。

しかし、これは現行のMBAの存在自体を否定するものである。
冷静に考えてみれば、たった2年間の教育で高度に専門的な技能が身につくはずもない。
自然科学は「最先端の経営学」よりも遥かに勉強することが多いと思うが、
それは小学校からコツコツと理科等で知識を積み上げて来ているのが大きい。
それでも最近では、それこそ最先端の分野では修士では対抗できなくなって、
博士でなければ待遇が悪くなる分野なども出てきている。
法学でもロー・スクールは通常3年だし、
それもそれまでに社会科学系の大学教育を受けてきていることが前提になっている。
「最先端の経営学」では、自然科学ほどではないにせよ統計や数学の知識がいるし、
実際にデータを回すとなると最低限のプログラミングの知識もいる。
また、本書でも挙げられている「リアル・オプション」や、
前著で議論された「内生性」の問題など、社会科学独自の考え方も必要だ。
文系で楽しい学生生活を送り、社会人になって非知的な環境で過ごした人間が、
こうした知識を習得するのにはいったい何年かかるのだろうか。
日本人には、さらにこれに英語という足枷が加わることになる。

更に問題になってくるのは、
ツール化の難しい最先端の経営学がそんなに役に立つのなら、
なぜそれを身に着けた最先端の経営学者を企業が雇わないのか、という点だ。
自然科学系を考えたらこれは明らかで、
自然科学の知識は役には立つが、簡単なマニュアルに落とし込むことは難しいので、
企業は修士や博士を持った人間を好待遇で採用している。
最先端の経営学を学んだ人間が同じ扱いを受けないのは、
そもそも最先端の経営学がやっぱり役に立たないのか、
世界中の企業経営者が揃いも揃ってバカだ、ということを意味している。

結論をまとめると、「最先端の経営学」は「役に立たない」し、
それをMBAで2年で学ぶというのも無理だろう、というものだ。
念のために書いておくと、アカデミックな意味で経営学が無意味とは限らない。

しかし、こうなると最後に疑問になってくるのは、
「役に立たない」経営学がなぜこれほど世間でもてはやされているかだ。
1つは、ケースなど古典的な学習法は役に立つ、というものだろう。
また、これも従来からよく言われることだが、
MBAはそこで学んだことにほとんど意味はなく、
そこで得られる人脈が重要であり、
あるいは高い授業料を払い、厳しい環境を潜り抜けてきたという
シグナルに意味があるのだ、という意見も多い。
特に大学が大衆化した現代では、シグナルは重要になっていると思われる。

meitei2005 at 14:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) Book