2007年08月17日

代表なんて見なけりゃいいじゃん

◆オシムの「問題」の根源
◆代表は誰のものか
◆「日本代表」の現実と理想
◆では、なぜ代表を見るのか

◆オシムの「問題」の根源

 オシムのマスコミやファンへの対応が問題視されることが多い。
曰く、難解そうなことを言ってまともに答えない。
曰く、偉そうで上から目線なのが気に入らない。
曰く、外人だから日本人の心が分からない。

 こう批判しながらも、ケット・シーさんやアトさん(前編後編)など
(一応)この問題を監督の能力と切り離して考えられている人もいるのだが、
ただ単にオシムの物言いや立ち振る舞いが気に入らないというだけで、
感情的にサッカーの内容にまで文句をつける輩が後を絶たない。

 オシムのファン・マスコミ対応はそんなに拙いのだろうか?
確かにオシムが彼らに対して皮肉めいたことを言うこともあるのだが、
私にはどう考えてもファン・マスコミの側に問題があるとしか思えない。
基本的には彼らが無知蒙昧な点に問題がある。

 もちろん、そうではないという議論もありえる。
これについてはこれまでに何度も論じてきたし、
この点はこの文章で注目したい論点ではない。
論点は、なぜ上記のような「問題」が「問題化」するか、ということだ。

 私は全く同意しないが、仮に上記の「問題」がオシムにあったとしよう。
それに対する私の答えは単純なものだ。


 それが何か問題なの? 監督業と関係あるの?


 オシムがどうしても嫌いな人もいるだろう。
だったら話は単純だ。彼を見なければいい。
誰もあなたに代表を見てなんて頼んでない。
オシムを見るのが嫌ならば避けて通ればいい。

 それなのに、彼らはなぜ代表にまとわりつくのだろうか。
有名人にケチをつけたい品性の卑しい人間が多いのだろうか。
もちろんそれも1つの原因だが、より根本的な問題が隠されていると思われる。

◆代表は誰のものか

 問題の根底にあるのは代表と観戦者との関係に関する認識のズレだと思う。
私には理解不能なのだが、日本代表は「我々の代表」らしい。
もし日本代表が「我々の代表」なら「我々」には代表に対して責任があるし、
代表を率いる監督も「我々」の代表でなくてはならない。
彼は「我々」のことをよく知り、その心が分かる人でなくてはならない。

 日本代表が「我々の代表」であるとすれば、多くのことが理解できる。
上記のケット・シーさんの感傷的な文章も理解できるし、
アトさんが「空気を読め」というのも至極ごもっとも。


 しかし「我々」っていったい誰だ?


 サッカーに限らず、国を代表するものには無条件で人気が出やすい。
しかし冷静に考えると、そこに「我々」が成立していることはほとんどない。
サッカー日本代表においても、このことは事実である。
ニワカとJリーグのサポーターと海外サッカーのファンとでは、
自ずと代表に求めるものも違ってくるだろうし、
そもそも前提となる知識や考え方も違う。
そこにおいて「我々」は成立していない。
もし「我々」があると考えるなら、それは幻想に過ぎない。

 私は上記のアトさんの議論とは多くの点で意見を異にするが、
下記の点については同意できると思う。

だからむしろジーコやオシム(ファルカンも一応そうか)のようなのが、
そういう意味では標準で、現在感じているような違和感・距離感に、
僕は慣れなくてはいけないのかなと思います。
今思うと幸せでしたねえ。オフトやトルシエのような、
「友人」や「同志」と共に戦えた時代は。経験出来なかった人はご愁傷様。(笑)


 本当にオフトやトルシエが「友人」や「同士」だったのかはさておき、
少なくとも当時ならばそういう感覚にも正当性がありえた。
しかし、残念ながら今はそういう時代ではない。
日本代表は立派な商品として多様な支持基盤を持っている。
代表が皆のものであろうとすればするほど、誰のものでもなくなってしまい、
誰もが「距離感」を感じずにはいられないだろう。

◆「日本代表」の現実と理想

 では日本代表とは何なのだろうか。
一言で言えば、幻想に基づいた協会のドル箱・広告塔ということだろう。
だからといって協会の活動を否定しているわけではない。
金を集めてサッカーの普及・発展に使うのは決して悪いことではない。
川淵=ジーコの際にはそのバランスが大きく崩れただけだ。

 最近の代表がらみの話題で最も違和感を持ったのが、
オシムをどう評価するか、結果か内容か、という論点だった。
私も少し議論したのだが、どうも上滑りだった。
本当に言いたかったのはこういうことだ。


 別に君らが代表を評価してもしょうがないだろ


 オシムを評価するのは協会の仕事だ。
外野があれこれ言っても仕方がない。
我々にできることは、サッカーの内容について
あーだこーだと言うことだけだ。

 もちろん、ファンに影響力が全く無いわけではない。
しかしWC後の川淵解任デモが全く力を持たなかったように、
一部の人間が騒いだからといって何が変わるわけでもなかった。。

 理想を言えば、代表に関わる多くの人がきちんとした見識を持つことだ。
そうなれば、少なくともジーコのような極端な状況は生まれないだろう。
しかし仮にそんな事態が生じたとしても、
代表が真の意味で「我々の代表」になることはあるのだろうか。
人々の多様性を考えると、否定的にならざるをえない。

◆では、なぜ代表を見るのか

 それは単純にオシムのサッカーが好きだから。
面白いからそれをより深く理解したいと思っているだけだ。
オシムへの批判として「よく分からない」というものが多い。
己の無能を晒すこんな情けない批判も無いが、分からないなら見ない方がいい。
難しいことをやっているから、おそらく一生分からない。
そういうものとは距離をとった方が精神衛生上望ましい。

 確かにオシムのサッカーはマニアックだ。
これを代表という最も注目される舞台でやるのも変な話だ。
それは選んだ協会の問題と言わざるを得ない。
あと3年は一部のコア層だけが喜ぶ期間が続くわけだ(笑)

 「有力なオシム擁護者の1人(笑)」とアトさんに評されたが、
別にオシムへの批判を認めていないわけではない。
むしろ、理解の進みそうな建設的な批判は大歓迎。
現実にはそんなものにお目にかかったことはほとんどありませんが。
(あったら教えてください)

meitei2005 at 06:41│Comments(21)TrackBack(1)オシム・ジャパン | サッカー文化

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1. タイトル浮かばない  [ みどりのろうごくblog ]   2007年08月19日 09:32
例の「オシムとメディアリテラシー」の話その後。 題材は一応僕のTBを承けて書かれた形の、酩酊さんの『代表なんて見なけりゃいいじゃん』。 そもそも僕のあれは酩酊さんに向けて書いたものではない(コメント欄のやむ

この記事へのコメント

1. Posted by NL   2007年08月17日 20:19
5 オシムは結果伴ってないからね。代表は頭でっかちのマニアを楽しませるものではないし。

ずいぶんと批判がトラウマになっているようだけど
今の状況じゃあなたの擁護論の方が全く説得力がない。
2. Posted by 酩酊   2007年08月17日 20:32
コメントありがとうございます。

おっしゃる通りで、代表はマニアを楽しませるものではないかもしれません。
それについては協会の方に抗議されてはいかがですか?
ということを本文に書いてあります。
(下から2つ目の段落です)








3. Posted by 通行人   2007年08月17日 21:25
建設的な批判って、全然ないっすね。酩酊さんの言う「結果しかない論者」が大勢で、根本的にサッカーの質を解決できる批判が見当たらない。代表中毒症候群の連中だからしょうがないけど。あと、これは個人的に思ったんですけどアジア杯の敗因として引いた相手を崩せないってあるんですけど、それってトルシエ政権終了時の課題だったのに、ジーコすっ飛ばしてオシムに批判が来るのってどうなでんしょうかね。
4. Posted by 酩酊   2007年08月17日 21:45
コメントどうもです。

代表のサッカーについて下らない文句が多いですが、
これは「頭が悪い」の一言なんじゃないでしょうか。
考えて走る代表、考えも走りもせず文句を言うだけのファン。

引いて守る相手をどう崩すかですが、
これをやれるのは世界でも一握りの国だけです。
これについては以前データから確認しておきました。
おそらくアジア相手にこの問題が深刻になると思うのですが、
高さで押し切るのか、別の手段を講じるのかは注目です。
これが代表の質の1つの試金石になるのではないかと思います。
http://blog.livedoor.jp/meitei2005/archives/51034350.html






5. Posted by nettaro   2007年08月18日 23:46
こんにちは。デモ参加者(企画・運営した訳ではなく当日参加しただけですが)としては、川淵を辞任に追い込めなかったことは非常に残念に思っています。が、ネット上では多くの議論がなされ「会長」のあり方として、いろんな人々が認識(いろんな認識があるのでしょうが)を深めたことは意味があったと思っています(また少しは、その後の川淵の行動に抑止力が働いたのではないかとも思ってます)。
あと総合格闘技の分野ですが、大晦日に起きた「秋山成勲問題」に関しては、主催者側は「なあなあ」で済まそうとしました。ネットの力により、主催者側を動かすことができました(もちろん、それに伴うネット「炎上」の怖い面も感じることができましたが)。まあ、なんにせよ、ファンの立場としてはネットというものでもリアルな行動でも、声を上げ続けていくことが重要ではないかと思います。
6. Posted by nettaro   2007年08月18日 23:47
上の続きです。(長文で引っかかりましたので)

また一番、引っかかってるのは「君らが代表を評価してもしょうがないだろ」という部分です。その「評価」の内容に深い浅いは当然あります。しかし、無関心であるよりは全然いいのではないかと。議論が起きないよりは数倍マシのような気がします。あとは酩酊さんのネットでの力が向上すれば、これらの人たちの中でも認識を改める人が少しでも出てくるかもしれませんし...。酩酊さんの「いらだち」は理解できますが、少しでも声を上げ続けることが日本サッカーの成熟につながるんじゃないでしょうか...。
7. Posted by 酩酊   2007年08月19日 02:41
livedoorの仕様で長文コメントができないようです。申し訳ありません。

1点目のネットやデモの影響力とその意味について。
本文でも書いてますが、影響がないわけではないと思います。
むしろ本質的な問題は、nettaroさんも書いているように
「いろんな認識がある」という点です。

現在、実に「いろんな認識」を持った人が代表に関心を持っています。
このような状況でデモやネットが影響力を持つとはどういうことなのでしょうか?
それは一部の騒がしい連中のゴリ押しがまかり通っている、という可能性があります。
私はジーコの解任や川淵の責任については広汎な支持があると思いますが、
ネットを見てもジーコ信者がいまだに存在する始末です。
そういう人に言わせれば、解任デモも一部の極端な人たちの集まりに過ぎないでしょう。
こういう状況でデモやネットが影響力を持つことが果たして望ましいのでしょうか?

例えば世の中にはアンチ・オシムな連中というのが一定数います。
彼らの大半はオシムの千葉時代のサッカーもろくに見たことが無く、
サッカーの内容について理解できない悲しい人たちです。
こういった人たちにnettaroさんたちの様な熱意や行動力があるとは思えませんが、
もし彼らが「オシム解任」とデモをやって本当に解任されたらどうでしょうか?
そして「ジーコ再任」や「松木監督就任」とかが実現したらどうでしょうか?
8. Posted by 酩酊   2007年08月19日 02:50
2つ目の「評価」について。

これも本文で書いていることですが、
「君らが代表を評価してもしょうがないだろ」という部分のすぐ下に
「我々にできることは、サッカーの内容についてあーだこーだと言うことだけだ」
と書いています。

ここは、アジア杯においてオシムを評価する基準は結果か内容か、
という議論をおさえてないと分かりにくいと思います。
これについては後藤健生さんが良い文章を書いています。
http://www.jsports.co.jp/press/column/article/N2007070610224702.html

私の主張を繰り返しますと、結果であれ内容であれ、
代表を「評価」するのは協会の仕事だ、という点です。
基本的にはサポーターやファンが評価しても影響力は大きくないし、
もし影響があるのだとしたら問題が大きい、というのが1点目の論点でした。

もちろん、内容について議論することには意味があります。
それで人々の理解力が深まればいいと思いますし、
「日本サッカーの成熟」につながるかもしれません。
ですので、サッカーの内容に関する議論は否定していませんし、むしろ肯定的です。
これは声を上げることで協会に直接影響を及ぼそうとすることとは全く別の事です。
9. Posted by 酩酊   2007年08月19日 03:14
あと、私のネットでの力が向上すれば…、という話もありますが(笑)
残念ながら、これについては私自身がかなり否定的です。
これは、もちろん私の資質や能力に問題があるわけですが、
私の知る良質なブログや雑誌が広範な支持を得られておらず、
むしろネットのゴミが持てはやされている状況からすると、
そんなことは近い将来には起こらないと思います。

それに「サッカーの成熟」はネットで起きても意義が薄いですからね。
選手や育成者、監督やコーチのレベルが上がるのが大事で。
もちろん、彼らにも子供の時代があるわけで、
親兄弟のレベルってのは重要なのかもしれませんが。
なかなか気の長いはなしですね(笑)







10. Posted by nettaro   2007年08月19日 13:28
こんにちは。ご丁寧なレスありがとうございます。
デモやネットの影響力ですが、ある「言説」が力を持つ、影響力を持つのは、あくまで「かなり多くの人々」が賛同した場合のみだと思います。自分は「川淵デモ問題」と「秋山成勲問題」の2つしか関わってないですが、あの時、多くの人々を駆り立てたものは「怒り」と言ってもいいような感情でした。逆の言えば、よっぽど問題がない限りデモやネットの影響力は非常に少ないと言っていいでしょう。現時点(あくまで現時点)のアンチ・オシム派には、そこまでの熱意と行動力はないと思いますし、そんなに数は多くないような気がします。「ジーコ解任デモ」や「川淵解任デモ」では、短期的・直接的な影響を及ぼすことはできませんでした。もし及ぼす場合は、あくまで「協会」がその気になっていて、それを利用した場合のみでしょう。
11. Posted by nettaro   2007年08月19日 13:30
ということで、現在ではネットやデモの及ぼす影響力の大きさがもたらす弊害については、そんなに心配してません。 逆にTVや新聞の流す浅い考察(特にドイツW杯前の楽観論の蔓延など)の悪影響の方が大きいでしょう。 そういう意味でネットの影響力はまだまだ小さいと思います。熱意のある人はネットで深い所の知識まで得ようとしますが、そうでない人はTV・新聞止まりですからねえ。
12. Posted by nettaro   2007年08月19日 13:30
カエサルの言葉に「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人々は見たいと欲する現実しか見ない」というのがありますが、「ネットのゴミ」がもてはやされている状況は、日本サッカーと、それを取り巻く人々が成熟していないことの何よりの証拠かもしれません。ドイツW杯で大きな代償を払ったように、これからも日本サッカーは多くの失敗をおかしながら、人々は少しずつ成長し成熟していくのでしょう。
確かに気の長い話ですが、酩酊さんが書き続けることが「ネット上での成熟」につながり、それが徐々にリアル世界に浸透していくと思います。もちろんすぐには変わらないでしょう。しかし10年書き続ければ、今より少しは進化・成熟してると思います。
13. Posted by 酩酊   2007年08月20日 15:09
励ましていただいているようで、どうもありがとうございます。

マスコミの酷さというのは言うまでもないですが、
ネットもどうかと言われたら微妙なところです。
もちろん、ネットの上質な部分はいいんでしょうが、
下を見たらこれまた底なしといった感じで…
http://ameblo.jp/redond/entry-10039409023.html

私もネット上であれこれ書いてるわけですが、
「ネットの成熟」がどれだけ日本サッカーのためになるかと言われると、
正直なところかなり限定的ではないかと思います。
例えば文学の様に生産者と消費者の垣根が低かったり、
映画の様に集客数によって評価がはっきり出るものはいいですが、
代表のサッカーだとかなりプレーヤーとサポーターの距離が遠いですから。

これがJリーグだと、集客力が露骨に影響するわけですが。
むしろ「日本サッカーの成熟」ということを考えるなら、
Jリーグに集中した方がいいのかもしれません。
でも代表の方がどうしても人気がでるんですけどね…





14. Posted by ぽん太   2007年08月21日 15:21
酩酊さん、初めまして。
私は酩酊さんが完全否定されるジーコがそう嫌いではない、日本サッカーの将来にとっては唾棄すべきかもしれない、存在が許されないかもしれないバカなミーハーファンですが、こちらのブログは面白く拝見しています。
アジア杯で負けたのって、「ちゃんとしたサッカーファン」にとって大きかったんでしょうか?
いつも冷静な分析をなさるのに、「愚民は代表に一切関わるな」といわんばかりの厳しさに、正直驚いています。

オシム代表がマニア向けコンテンツというのは、なんとなく理解できます。
でも、それに不満を感じる人がいてもいいでしょう。ジーコ代表が素人向けコンテンツだったとして、そのジーコをさんざん批判したり文句を言っていた人もいました。
こればかりはしょうがありません…
代表に何を求めるか以前に、サッカーに何を求めるか?は、人それぞれですから。
15. Posted by ぽん太   2007年08月21日 15:27
また、高度な内容が理解できないから結果だけを求めるいうアホは黙ってろ、代表にも関わるな、というスタンスは一国の代表が絡む勝負事の評価として「正解」じゃないと思います。
ジーコにしてもW杯GL突破すれば、うさんくさいと言われようがその結果が評価されていたでしょう、要は、結果でしか監督業ははかれない、そのような側面がサッカーにもあるだけのこと。勝ったチームを監督含めて「なんの意味もなかった」などと言う人はいません。

ところで、先のアジア杯のチームづくりは道半ば。
決して負けないチームが世の中に存在しない以上、誰が監督だろうと選手だろうと、負けることはありますし、W杯出場を目指している日本にとってすべてはこれからですよね。「正しくサッカーを理解しているこちら」と「無知蒙昧愚民のあちら」といった風に、強いてカテゴライズする必要はないのでは?、と感じました。
16. Posted by 酩酊   2007年08月21日 17:05
ぽん太さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

えーとですね、若干食い違いを感じるんですが…
おそらく最後の節に反応されてると思うのですが、
この文章の基本的な主張は下の2点です。

1.日本代表への関心はまさに「人それぞれ」であること
2.オシム個人や彼のサッカーが嫌いなら見る必要はないこと

ぽん太さんが「愚民」と呼ぶ人たちが代表に関心を持っていいと思うし、
現状、協会の顧客の大半が彼らと言うのも事実です。
彼らは金を落としてくれるわけですから、一概に否定することもできないでしょう。
おっしゃる通りジーコは彼ら向けのサッカーをやったわけで、
そこで「祭り」が起こるのもまた必然でした。

もちろん、私はそれを苦々しく思っていたわけで、
ジーコのサッカー自体にもそれほど関心がありませんでした。
もちろんある種の誠実さをもって
「そのサッカーでは勝てませんよ」とは言っておきましたし、
世論の悪影響については散々書いてきたと思います。
むしろ「愚民は代表に一切関わるな」的なことは
場の勢いもあってWC前後の方が露骨に言っていたと思います。

時は移って今はオシムの時代です。
ぽん太さんも認めるように「マニア向けコンテンツ」です。
だから基本的に喜ぶのはマニアだけでしょう。
ですので、面白くないようでしたら見なければいいのでは?
というのがこの文章の主張です。
オシムが辞めて面白い監督になってから見ればいいのではないでしょうか。

タイトルで示唆してますが、より根本的なメッセージは
「代表のサッカーはどうしても見なければいけないものではない」ということです。
面白ければ見ればいいし、つまらなければ見なければいい。
これは普通の人の行動様式ではないでしょうか。
ところが代表だけはそうなっていないようです。

代表の「評価」も同じ文脈です。
まず評価法は「人それぞれ」であること。
「結果」が大事だと言う人もいるでしょうし、そうでない人もいる。
ジーコのときは「結果」が全てだったのかもしれません。
しかし、今はそういう時代ではありません。
監督が、本心かどうかは別にして、「内容を見てくれ」と言っています。
協会もアジア杯の結果はノルマにしないと明言しています。
そもそも、代表を評価するのは協会の仕事で、
彼らが「問題ない」と言った時点で、この問題は終わっています。
それが気に入らなければ、見なければいいだけの話です。

例としてが適切かは分かりませんが、安保闘争時の国際政治論争を思い出しました。
当時の日本が国際政治に持つ影響力は非常に小さなものでしたが、
それとは不釣合いな熱意でもって議論がなされました。
その様な無駄なことはやめればいいのに、と思います。
17. Posted by 酩酊   2007年08月22日 15:49
ちなみに、「結果でしか監督業ははかれない」とありますが、
まさにその基準で評価したジーコがWCで見るも無残な惨敗。
まさに「結果」によって裏切られたわけです。
「結果」から言えば、

ジーコはWCで惨敗した。
ジーコはWCで勝てない無能な監督だった。
ジーコで勝てると思っていたバカなファンがいた。

ジーコはコンフェデで負けた、だから駄目だ。
ジーコはアジア杯で勝った、だからいい。
ジーコはWC予選で勝った、だからいい。
ジーコはコンフェデで負けた、だから駄目だ。
ジーコはWCで惨敗した、だから駄目だ、ということがようやく分かった。
(ただし「なぜ」駄目だったかは一生分からない)

つまり「結果が全て」という評価基準には根本的な欠陥・内部矛盾があるわけです。
それについてはこれまでにも何度か書いてますので、繰り返しません。
また、欠陥が自明な評価基準を主張する人がいまだに多い理由については、
敢えて口にするまでもないと思います。

本文でも書きましたが、評価基準も「人それぞれ」とはいえ、
ジーコのケースは例外的に酷いものだったと思います。
それは彼の志向するサッカーのスタイルそれ自体というより、
選手交代に象徴されるディテイルの欠如です。
要するに、ジーコは素人だった、ということです。
もちろん、それも評価基準の違いに過ぎない、と言う余地は常に残りますが。

また「勝ったチームを監督含めて「なんの意味もなかった」などと言う人はいません」
これも事実に反します。
少数ですが、勝った後に何も残さなかった、と批判される監督がいます。
ヒディングやボラ・ミルティノビッチなんかはこう言われることもあります。
ここにおいてもぽん太さん御自身の「人それぞれ」という原則は貫かれています。
もう少し、御自身の主張に自信を持たれてはいかがでしょうか?






18. Posted by イワンのばか   2007年08月25日 18:39
言いたいことはよく分かる
でも初コメントのポン太さんがかわいそう
これじゃ誰もコメントできないよ

で、「結果と内容」どちらが大事?の話ですが
選手たちの間でも意見が分かれているようです
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200708/at00014363.html
監督も気にしているようで
「われわれは残念ながら、攻撃的なグループ、守備的なグループに分かれてしまっている。」と言ってますね
19. Posted by 酩酊   2007年08月26日 05:24
確かに厳しいことを言い過ぎたかもしれません。
「結果か内容か」というのは前から私が何度も議論していたので、
そこに敢えて反論してくるのはよほど覚悟があるんだと思ってましたが、
一見さんだったのかもしれませんね。
今後はもう少し丁寧にやりたいと思います。

「攻撃的・守備的なグループ」に分断していたのは、
それぞれがいいプレーをしようとするあまり、
全体のコーディネーションがなかったのが原因でしょうか。
久しぶりと始めてのメンバーが多かったですし、
特にそれが前線に集中していたこともありました。
モチベーションも統一できてなかっただろうし。
前日練習は守備練習ばかりやったそうですが、
まずは守備力のテストが最優先だったんでしょうね。
そういう意味では、前半から前目の選手の守備はイマイチだったかもしれません。







20. Posted by ぽん太   2007年08月28日 10:24
酩酊さん、イワンさん、お騒がせしてすみません。

私は酩酊さんの趣旨をはき違えていないと思います。
「嫌ならみるな」も「嫌でもみる」も、日本代表戦にはアリと考えているだけです。

ジーコの代表でも、ジーコ憎しで代表が負けると力を得る方々がいたように、オシムの代表でも一定数いることでしょう。
自分が嫌いもしくは評価していない監督を否定するために、チームの「負け」を望むという心情は、私には多分にイデオロギッシュに思われますが、これまで頻繁にみられたことです。

マニアックな視点から揚げ足をとるためだけにジーコの代表戦をみていた方がかなりおいでになったのですから、オシムにだっていていい、と思っています。
マニアだからサッカーのすべてがわかっているということもないですしね。
21. Posted by 酩酊   2007年08月28日 17:53
ぽん太さん、イワンさんにも指摘されたのですが、
前のコメントで言い過ぎた部分がありました。
お詫びすると同時に、それでもコメントしてくれたことに感謝します。

「嫌でもみる」ということ自体は確かにアリだと思います。
ただジーコでもオシムでも「負けて喜ぶ」というのはあまり健全だとは思えません。
また動機はどうであれ、それで有意義な議論ができるのならいいですが、
特に代表に関してその可能性が低いこと、
そしてそれが非常に不愉快なものであることは、
下の文章で議論しました。
http://blog.livedoor.jp/meitei2005/archives/51047274.html

もちろん「マニア」がサッカーの全てを知っているわけはありません。
そんなものを知っている人間は皆無でしょう。
むしろそれが、意思決定をする多数の主体の調整、という
サッカーにおいて面白くかつ難しい現象を生じさせていると思います。
問題なのは、その難しい現象を理解しようという気があるかどうかです。
現状では代表に関する多くの議論がそれを欠いているため、
無意味でかつ非常に不愉快なものになっています。








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