本日は、いつに無く、真面目な日記でございます。

メケメケが、満州から引き揚げてこられた御夫婦のお家であることは、
既にご存知だと思います。

中国東北地方に 13年間だけ存在した幻の国「満州国」 
ここに 日本から27万人の農業移民が、夢の新天地と信じ、
地主になれると信じて渡っていきました。

しかも 国策であり、 教師や地域の組長さんは
 一人でも多くの、 若者、家族を送り出す為の説得と斡旋をノルマ化されていました。
 
1945年 不可侵条約にも関わらず、 突然のソ連侵攻で、
満州は戦場と化し、開拓団の人たちは、地獄の日々を送りました。

命を落とした方々、自ら命を絶ったり、我が子を殺さなければならなかった人たち、 
終戦後も 帰国できず、中国残留孤児として生きた数多くの日本人。
彼等の悲痛な叫びと苦難の歴史が、語り継がれるために、
昨年阿智に出来たのが、「満蒙開拓平和記念館」です。

メケメケのお家の持ち主であった、城田さん夫妻は、
満州で二人のお子さんを亡くされ、
しかも 何度も入水自殺を図るという、痛々しい想いを背負いながら、
引き揚げ船で帰国し、この地  増野に入植し、開拓した方です。

増野は今でこそ、林檎や梨やサクランボのなる、果物王国、素敵な場所ですが、
実はこんな 歴史があること、 メケメケを始めるまで、
恥ずかしながら何も知りませんでした。

増野で唯一、残っている当時の家で、私はメケメケを始めたのです。

この6年間、満蒙開拓について、本を読んだり テレビをみたり、
満州に行っていた増野の方々に話を聞いたりしているうちに、  
今まで知り得なかった、いえ、知ろうともしなかった事を知るにつけ、
私が出来ることは、少しでも この様な事実があったという事を 
語り続けることだと思いました。
 
記念館のお休みがメケメケの休みと重なっていたため、
行けずじまいでしたが、むちうち休業のお陰で、やっと行くことが出来ました。

長野県は日本全国で 開拓団として満州に渡った人の数が最も多い県です。


お時間のある方は、是非足を運んでいただけたらと思います。

戦争や、国が仕立てたマインドコントロールで、人の命が軽んじられたり、
国の犠牲になる事が二度とないように、
未来の子供達が平和で安らかな社会で暮らせるように、
過ちを二度と繰り返さないように、
過去を知る事、語り継ぐことは大人の責任だと思います。
  
メケメケにも 増野開拓団組合というのが今もあります。
そして 当時の悲惨な体験を綴った本もあります。
城田さんの手記も載っています。

私は戦争を知らない時代に生まれたのですが、
メケメケで頂いた、一つの縁をきっかけに、
出来る事をしていきたいと思います。

ここ数年は、当時、満州にいかれた方、視察に来る方、
満蒙開拓の本を書いてらっしゃる作家の方もいらしてくださるようになり、
不思議な縁を感じます。

メケメケに足を運んでくださるお客様、
どうか、ただのボロ家には、こんな歴史があることを、
ほんの少しでいいですから思い出してくださいね。       
城田さんの仏壇も大切にお預かりしているお店です。


  満蒙開拓記念館          長野県下伊那郡阿智村駒場711番地10
    0265ー43ー5580