2002年に (えっもう10年前なの) ノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さん. 田中さんの研究が基盤となっている高分子質量測定技術 MALDI-TOF/MS(まるぢ・とふます) は世界中の研究室で使われており, 僕も学部生時代に液クロで分離したペプチドの測定で利用させて頂きました (連日深夜までドモホルンリンクルよろしくポタポタ垂れる液を見つめ続けた液クロが辛かった思い出はあるがMALDI-TOF/MSの記憶はあまりない. セットしてスイッチ押すだけの簡単操作だったから印象が弱いのだろうか).
そんな田中さんの自叙伝は素朴で誠実, 正座して読みたくなるような魅力がある.

生涯最高の失敗 (朝日選書) [単行本]
書籍としては最後のほうになるんだけど, 田中さんが測定を可能にした"高分子"そして"タンパク質"について噛み砕いて説明していく記者(山根氏)と田中さんの対話が良い味だったのでまずはここを引用する. というかこの記者さんしっかり下調べしててすげえ(『メタルカラーの時代』という雑誌連載でエンジニアたちと何百回も話している作家さんらしい).
山根「...地球上の生き物はすべて遺伝子を持っていますが, いったい遺伝子って, どこにあるのでしょう」田中「身体の中のいたるところ, 細胞のあるところには必ずあります. ただし, 血液の中には, そんなに含まれていませんが.」
山根「人間の大人では, 身体を作っている細部の数は60兆個といいますね. そのひとつを取り出すと, 中心に"核"という梅干しの種みたいなものがある. それを割ってみると, なかに遺伝子をつなげたひもが入っている. これをDNA, "デオキシリボ核酸"と言います.」
田中「はい」
山根「そのひもの長さは, だいたい2メートルある. どうして2メートルのひもが, 60兆個もある小さな小さな細胞のひとつひとつに入ることが出来るかというと, ごくごく細いものが, ぐるぐる巻きのコイル状になっているからです.」
田中「有名な"二重らせん"が, びっしり糸巻き状に巻いているのですね」
山根「身体の中ではふだんコイル状になっていますが, それをほどくと, このひも, じつは貨物列車のようなものです. そのひとつの車両を"遺伝子"と言います.」
山根「(中略) 本物の列車は車両と車両のあいだがぴったりとくっついていますが, 遺伝子列車の場合には, 車両と車両のあいだが非常に長いケースがある. 遺伝子列車では多くの場合, 車両自体よりも, むしろ車両と車両のあいだの方が長い. 車両, つまり遺伝子と, 車両と車両のあいだ, つまり遺伝子ではない部分, それをすべてあわせたものがDNAです.」
山根「もっとも専門家に聞くと, なにをもって遺伝子とするのかの定義は, 非常にあいまいなのだそうです. でも, 私はいま言ったように考えています. ここまでは, これでいいでしょうか」
(中略)
山根「細胞の中にある向上で目のレンズをつくるときには, 三万両の中から"目のレンズの設計図"を載せた車両が, 工場に送られてくる. そして, 工場では, たとえば"目のレンズのタンパク質"が作られる(後略).」
田中「非常に不思議なことで, たぶん, まだ解明されていないと思うのですが, ひとつひとつの細胞に含まれている遺伝子は, 100%近く同じらしいんです. それなのになぜ, ある細胞は皮膚になり, ある細胞は内蔵になり, 別の細胞は目になるのか. (中略)」
田中「遺伝子の働きは, さまざまなタンパク質やリン酸, 糖鎖などの複雑な作用によって, 厳密に制御されているのです. 余談になりますが, その制御が崩れてしまったのが, 勝手な場所で無限に増殖する, がん細胞です.」
田中「体内で働いているタンパク質は, 毛玉のようにくしゃくしゃに丸まっていたり, 樽のような形をしていたり, 様々な立体構造を指定ます. そんなタンパク質を調べるために体外に取り出し, 立体構造をほぐしていくと, 高分子は, ものすごく縦に長い, 1本のぶどうの房みたいな構造をしているんです.」
田中「大雑把に言うと, いちばん小さい水素原子の重さを1とした場合, 重さがその何倍あるかが, 分子や原子の重さを考えるときの単位になります. 分子量, つまり分子の質量は, その単位で表すことが出来ます. だいたい分子量が1万かそれ以上のものを, 高分子と言っていいのではないでしょうか.」
田中「高分子はタンパク質だけではありません. 糖が何百個もつながってできたでんぷんも高分子ですし, たとえばプラスチックのような人工的に作りだした化合物も, 高分子の仲間です.」
適切にdetailをそぎ落とし, 身近な例で例えて頭に染み込ませていく. 自分のやってることをこういう素晴らしい噛み砕きっぷりで専門外の人に語りたいなあ.
はい. ブログっぽい体裁を整えたのはここまでで, 以下, 読書メモです.
読書メモ
- 1985年"高分子のソフトレーザー脱離イオン化法"を開発, 2002年にノーベル化学賞受賞.
- 島津製作所の中央研究所にて, 入社2年目の1985年2月にノーベル賞対象の研究. p.43
- "Protein and Polymer Analyses up to m/z 100000 by Laser Ionization Time-of-Flight Mass Spectrometry"
- レーザーイオン化飛行時間型質量分析法による質量数十万までのタンパク質およびポリマー分析
- ヒーレンカンプ, カラス両氏は田中氏の論文発表以前にMALDI(Matrix Assisted Laser Desorption Ionization)法を命名, 提唱していた.
- しかし提唱当時, 計れる分子量2000程度, タンパク質には届かなかった. 田中氏の方法はそれより大きな資料まで測定できた. p.60-62
生体巨大分子(macro molecules)の性質を調べるには
- 質量分析 -- 質量を測る Mass Spectrometry
- 構造解析 -- 形を調べる Structure Analysis
の2つの方法がある. 2002年ノーベル化学賞の他の受賞者も構造解析の研究である. p.96-98
- 分子のイオン化は, 分子の質量を量る"質量分析"の1手法. 1900年ごろから知られていた. 高分子のイオン化ができるようになったのは1980年代
- まずイオン化質量分析手法を開発し, その後高分子の測定にターゲットを絞る. 製薬会社に売れるのではという狙い.
- 化学の専門家でなかったから, 当時は野心的過ぎる分子量1万以上の分子のイオン化という課題に挑戦できた.
- ふつうにやると試料にレーザー当てた時点で高分子は壊れる. が, "急速加熱"によってそれを解決できた.
- 簡単な原理: アレニウスの式はある温度での化学反応を予測する式. "分解"と"分解せず気化"する反応頻度を温度に対してプロットした2本のグラフ. なるべく速く温度を上げれば, 低温時の分解/生成比率のまま気化できる割合が多くなる.
- Matrix-Associated のmatrixはレーザーの衝撃を和らげることが主目的だが, "光を効率的に熱エネルギーに変換する"という視点も加えて「コバルト金属微粒粉末」を選択. 金属の塊より粉末のほうが反射が少なく効率的に熱を吸収する.
- 保持材にはアセトンを使っていたが, 間違って金属粉末にグリセリンを混ぜてしまった. この間違いと, 間違ったけどもったいないから使ってみた偶然がノーベル賞の発見につながる.
- 発見そのものは偶然かもしれないが, 毎日コツコツ実験で失敗を重ねてきたから発見を見逃さないカンが冴えていた.
- また, 化学の専門家ではないので失敗して当然, という空気が社内にあった.
将来の計画
- 質量分析装置を改良し病気の早期診断に役立てる計画. Surface Enhanced Laser Desorption/Ionization: SELDI
- 質量分析に必要だった試料調整がいらなくなる. そのまま血液をチップに1的たらして結合を見る





