株式会社memorialnet

私どもは「最後の手紙」生前予約、「オリジナル会葬礼状」を扱っている会社です。

仙台

あれから

3月11日14時46分私はその時美容院にいました。
短くカットした髪も結えるようになり、改めて月日の経つのは早いものだと感じます。

震災から一年…

未だ3000人近い方々が行方不明です。
お盆前に一人でも多くの方を見つけてあげたい一心で、
猛暑の中捜索に懸命な方々がいました。

仙台市内は見る限り震災前と何ら変わりません。
それに比べ沿岸部には未だくっきりと傷痕が残されています。
自分以外の家族が流され家もなく途方に暮れる人、いっそのこと自分も流されれば…

ある被災者はこう言いました。
テレビの中の被災者は復興に向けて前向きな様子を見せ、カメラに笑顔を向ける。
でもカメラがないところでは違うんだと・・・
視聴者はもう亡くなった人がいたことを忘れているのではないかと・・・
確かに気丈だった叔母もここのところ元気がないと聞いています。
湾に流れ込む津波が渦を巻いて、
村ごとのみ込んでいった様子を目の当たりにしたのだから・・・
 

仙台で一人暮らしの女性は、気仙沼で父を亡くしました。

同じく被災した職場の人達とは悲しみを共有できないと話しています。

震災後三度宮城県に入った私も感じていた、この温度差。
悲しみに大きい小さいはないけれど…家族も家も流され、
職も失った方々の悲しみは計り知れないものでしょう。
あの日以来故郷が恋しく、遠くなってしまったような気もします。

NHKの震災に関する特集番組を見る度

この人達の代弁などできない、ましてや会葬礼状も書けない。

とうてい彼等の気持ちを言葉に表すなど私には出来そうにない。
言葉の限界を感じつつ、間もなくあの日から一年を迎えます。

全てに感謝する時

昨日、やっとドコモがつながるようになったそうで
何人かの友人の安否を確認することができた。

松島在住の高橋さん。
仙台駅ビルで勤務中に被災しました。
その夜は途中の避難所で夜を明かし
歩きとヒッチハイクをして松島にたどり着いたそうです。
途中の多賀城や塩釜もひどい状況。
家は高台にあったので無事でした。
現在ライフラインは壊滅状態。
「東京も大変だったんでしょ」と
一人暮らしの私や海外にいる友達を心配していた。

仙台市内在住の雄二くん。
実家は松島ですが、家も無事だそうです。
市内に住む私の両親を心配してくれて
「欲しいものあったら調達してけっから」と
これまた優しいお言葉。

などなど、大変な状況の中でも周囲を心配し
感謝の気持ちを忘れない
心温まる人々がたくさんいる、わが故郷宮城県。

都内でも少なからずこの精神に感銘を受けた方がいるのでしょう。
何となく違うんです。
譲り合いや感謝の気持ちを表す人々が増えているような気がします。

薄暗い町の中、混み混みの駅構内や通勤途中
この様な光景が見かけられます。

私の両親は、常日頃から
電気を使用しない時はコンセントを抜き
ガスの元栓も、その都度閉める。
実家に帰ると不自由で、口喧嘩ばかりしていたけど
正しかったんだなと反省してます。

家があって灯りがついていて
温かい料理が食べれて
安心してお風呂に入れて
布団に寝れる
時間通りに来る電車
物があふれるコンビニエンスストア
当たり前の日常がどれだけありがたかった事か・・・

この震災の報道が少なくなっても
今の気持ちを忘れることなく
過ごしたいと思います。



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