March 2004

March 31, 2004

レコーディングとプロモーション

の日でした。

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March 30, 2004

JTBと面談

してきました。しかし、担当者Jはヨーロッパ出張中だという ことで欠席。出張なんてさせて大丈夫なのでしょうか? 自分の飛行機は取れるのか? 乗れるのか?  とこちらが心配してみたり。
だってもう、凄いわけです。日本に帰ってから、あらためて彼が送っ てきたメールをチェックしたら。2/16に「これで手配します」 と送られてきた行程表をデフォルトにして、僕はすべてを組み 立てていたわけですが、それが手配出来ませんでした、という ことは一言もなしに違う行程で2/26にチケットを手配。成田の出発時間 も違っていたので、僕は出発の4時間前に成田に行ってしま いました。しかし、後ろにズレていたからそれだけで済んだわけ ですが、逆だったら、もちろん飛行機を乗り逃がしています。
普通、飛行機の予約を取る場合、この便はウェイティングかけ ていますが難しいです、とか、かわりにこの便はどうでしょうか? とか途中経過の報告があるものです。が、Jの場合は10日間何の連絡もなく、いきなり 「手配いたしました」というメール。が、手配したのは申し込んだのとは、まったく違う行程。 たぶん、僕が予想するには彼は予約自体、入れ忘れていて、2/26になって、苦し紛れに取れる予約を取って、事を 済まそうとしたのではないかと思われます。
ところが、その2/26に送ってきた行程表も、メールと添付のPDFファイルでは、 内容が違っている(PDFファイルは帰国日すら 間違っていた)。その他、ちゃんと見てみると、あちらこちら にミスだらけ。間違い探しでもさせてるのか?と思うくらい、すべての メールにどこかミスがある。 リミエキ一行の行程表などは成田に戻らず、またオースティンに戻ることになっているし。デンバーと シアトルの2トランジットだったのに、シアトルのシの字もないし。 彼らが帰りにデンバーでトランジットができず、帰国が一日遅れたのも、 大量の荷物を持っての飛行機乗りかえなど、そもそも無理な 55分間のトランジットが組んであったせいでした。
ここまで無能な部下を持ったJの上司には同情もしたくなり ますが、しかし、彼に仕事を任せてしまった責任は重大です。 僕達は観光旅行に行ったのではなく、半年以上かけて準備を して、100万円以上のお金を費やして、アメリカ進出の足 がかりを作りにいったのですから。僕がほぼ丸一日を失った 損失は金には換算出来ません。
が、出来ないからといって、申し訳ありませんで済まされたの ではたまらない。誠意は金で、と強調して、面談終了。 慰謝料を取るなんてつもりはないですが、少なくとも、明らかに JTB側のミスでこちらが負担することになった諸経費分は 返してしてもらいましょう。

夜はスタジオ作業など。ひとりで黙々。

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March 29, 2004

昨日の

ショックから立ち直れず。オレは打たれ強いので、あんまり ないんだけれどな、こんなこと。あるいは、ただ単に 疲れがどっと出たのかもしれないが(今月はハードな引っ越し と海外旅行を続けてやっちゃったし)、ちょっと今日は自分に 優しく、物事は小休止。さかなのライヴにも行けませんでした。

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March 28, 2004

死にかけました

今もまだゾ〜ッとするというか、胃のあたりからイヤ〜な感じが昇ってきて、物が食べられ なかったりする。本当に死んでいてもおかしくなかった、と右側の首に手をやりながら思います。

今日の午前中。時差のせいで、ゆうべは明け方に寝たにもかかわらず、早起きしてしま った僕は思いついたことを実行することにした。それは今、寝ている二階の部屋のカーペット をはがすこと。部屋の物(といってもベッド以外はほとんど段ボール)を外に出して、 カーペットをくるくると巻いて・・・しかし、6畳間大の厚手のカーペットというのはかなりの大 きさ&重量で、これを階段から下ろすのはひとりでは困難だということに思い当たった。 じゃあ、屋根に出して、転がして落してしまおう。そう考えて実行。カーペットは勝手口の脇 の物置の横にどさっと落ちた。
落ちたカーペットを拾いに外に出ると、母親が庭仕事をしていた。カーペットは物置の軒下に 入れておいて欲しい、ということだったので移動する。そこで、予定にないことを始めてし まったのが、事の始まりだった。物置の戸を開けてしまったのだ、僕は。

物置には祖父の書物と父のガラクタが詰まっている。未整理でめちゃめちゃな状態なので、 そのうち整理して、自分の物も保管できるスペースを作りたいと僕は考えていたのだが、 やり出したら大変だからまだやらないでくれ、と母親から釘をさされていた。が、どういう 状態なのか見たくて、何となく、戸を開けた。すると、母親が後ろからガラクタの一部を 不燃ゴミと一緒に捨てるから外に出してくれ、と言った。
じゃあ、やりましょうか、ということで何となく、手前のものから外に出す。が、こういう ことは始めるとすぐにキリがなくなる。これを出すには、これをどかして、だったら、いっそ のこと、ここを整理して、といつのまにか大仕事になってしまった。

祖父の書物は見てみると、価値のありそうなものだ。たぶん、大正時代のものだろう 世界美術全集がある。フランス語の本がある!と思ってみたら、どうやら、外遊した時に ルーブル美術館で買った美術書のようだった。「コレは売れるかもね」などと母親と話す。
一方、父親の残したものは正真正銘のガラクタだ。彼は物を拾ってくるのが好きだった。 この性癖は僕にも引き継がれているが、父親が拾ってくるのは、何に使うでもない巨大な ガラクタが多かった。物置で一番スペースを占有しているのは、どこかの商店からもらって きたと思われる円形の商品陳列棚だ。これを家族は何度も捨てようと試みた。十年くらい前 に僕が物置から出して、捨てることに成功しかけたのだが、帰ってきた父親に見つかって、 結局、物置に戻さねばならなかった。

その陳列棚を今日こそはと外に出す。「一体、何のためにこんなものを大事に持っていたんだろう?」と 悪態などもつきながら。他には巨大な大理石の板があったりもする。そのへんも全部、整理する。 整理したら、畳ニ畳分くらいのスペースができた。これでオレのボックスが置けるぞ。
そこで終りにしようと思ったら、後ろから母親が奥の壁に立てかけてあった、僕の背丈くらいある 金属の板も外に出せ、と言う。これは不燃 ゴミにも出せそうにないので、僕はそのままにしようと思って手を触れずにいたのだが、じゃあ、やります か。と、それに手を触れた瞬間にガツンとショック。何が起こったのが、すぐには分からなかった。 たいして痛くはなかったが、右側の首の頚動脈のあたりに、硬いものが当たったようだ。 何だか分かってから怖くなった。右側の壁に立てかけてあった、これまた僕の背丈くらいある ガラス板が途中で割れて、倒れてきたのだった。
「切れてないよね」。母親に見てもらう。幸い切れてはいなかった。 しかし、見る間にミミズ腫れにはなっていく。怖くて怖くて仕方なくなって、家に入った。 鏡を見ると、頚動脈の上に赤い筋がついている。僕の髪が伸びていて、首のあたり までかかっていたから、助かったのかもしれない。でも、当たったガラスがもうちょっとだけ 鋭利だったら、スパッと切れていただろう。
母親も動転していた。「こういう旧い場所を触る時は私はいつもは仏壇に行ってからやるのに、 今日はあなたとなんとなく始めちゃった」。その通りだと思った。

仏壇にお線香あげて、コーヒー飲んで、気分を変えるために買い物に。ホームセンターでインスタント・ モルタルを買って、昨日、見つけた壁の穴を自分で修復することにした。これが結構、大変かつ面白い 作業で、普段だったら、このネタだけで長い日誌が書けただろう。一仕事終えて、時差で眠くなってきた ので昼寝・・・しようかと思ったが、寝ようとすると、いや〜な感じが戻ってくる。首はずっとヒリヒリ しているし、「ドニー・ダーコ」じゃないけれど、違う結果だった方のストーリーが物凄くリアルに思い 浮かんだりする。本当はあそこでオレは死んでいて、その後、壁を埋める夢を見ていたんじゃないか、とか。
なことを思うと、怖くて眠れなくなって、もう一仕事。二階の部屋の壁の浮きをなおすことにした。 電動ドリルでがんがんなおす。本当は今日はこんな予定じゃなかったのだが、そんなことでも しないと気が紛れない感じだったので。
思ったけれども、墓荒しとかが祟られて事故死するというのは、こういう感じなのかもしれないですね。 なんで、あの瞬間にガラス板が途中で割れて(というか、そもそも割れ目があって、テープで留めてあったようだ)、 僕の首に落ちてきたのか、考えても賦に落ちないし。

皆様も先祖の霊は大事にしましょう。そして、旧い場所に入る時、先祖の物を処分したりする時はくれぐれも ご注意を。

memorylab at 21:41|Permalink

日付変更線

を越えたりしたので、ちょっとタイムラグが。
え〜と、帰国便は何もありませんでした(当たり前だ!)。JTBとは来週面談です。

日本には帰りたくないなあ、と思っていたのは、帰ったらどういう状態か、分かっていたから ですが、なにしろ、我が家はまだ段ボールの山。それでも、ようやく考えをまとめて、レコー ド棚の組み立てなどしようと思ったら、今まで家具の背後で見えなかった壁に穴が開いて、 ボロボロ崩れていることが発覚。30年くらい前に増築したところの継ぎ目で、まずはこの補修 から始めないと駄目なようだ。
その一方で、渡航直前のハードディスク・クラッシュのおかげで、コンピューターの中は ぐちゃぐちゃ。破損ファイルや見つからないファイル多数で、システムも完璧には動いて くれない。もとの環境に戻すのに、どれだけかかるのか。
そんな中でやらねばならないこと山積み。それを書き始めると、あっちこっちから、 え、出来てないの?という声が飛んでくるので書くことすら出来ません。なわけで、しばらく 日誌はお休みかも。

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March 23, 2004

SF WEEKLY

を見たら、RECORD NERDの特集があって、面白く読む。シスコはホント、レコード・オタクの街。数年前に来た時は、 もう買い荒らされて何もない感じだなあとも思ったのですが、今回はみんなが行くAMOEBAなどは避けて、今まで行ったことのない 小さめの店を回ったら、かなりの収穫。行きはスーツケースの中に200枚くらいCDが入っていたので、帰りはガラガラだったんだけ れども、結局、LPでパンパンにしてしまいました。ヴィンテージ・ニーヴ用のラックなど作ってもらっているオーディオ・ラブ にも行きたかったんだけれど、そこまでは果たせず。

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March 22, 2004

オースティンからサンフランシスコ

へ久々の貧乏旅行。タクシーならぬバートに乗ってダウンタウンまで。宿泊はチャイナタウンの安ホテル。オースティンで適当 にネット予約したら、これが過去、泊まった中でも三番目にひどい安ホテルでした。数年前、チベタン・フリーダム・コンサートを 観に来た時は、ノブ・ヒルの高級ホテルに泊まったのになあ。
でも、サンフランシスコの気候ならば、ノーエア・コンディショニングでもOK。ともかく疲れが抜けないので、ベッドがあればOK。 本当は今日はEXPERIMENTAL DENTAL SCHOOLのライアンと会うはずだったのですが、夕方まで待って、結局、会えないことに。 なので、ひとりでイタリア料理など食べに行く。オースティンから来たら、シスコの食事は天国ですね。

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March 21, 2004

SXSW 3/21

一夜開けて、喧噪が去ったオースティンの街。リミエキ一行は早朝の飛行機で帰国(と思いきや、実は翌日、僕とサンフランシスコ で交錯していたのが、後で分かるのだが)。
僕はといえば、疲れ果てて、ベッドと仲良し。遅い午後にようやく起き出て、昨日、チェックできなかったウォータールー・レコードへ。 このレコ屋は品揃え良いです。見たこともないアメリカン・インディーものが沢山あって、思わず、散財してしまった。SXSWで気になって はいたが見逃したアーティストのCDも幾つか。
そういえば、金曜日の昼にタクシーを待っていたら、若い女の子がやはりタクシー待ちしていたので、シェアしたのです。 僕も使っているテイラーのギター・ケースを持っているので、ミュージシャンだろうと思って話したら、彼女はイギリスのオックスフォード からやってきたシンガー・ソングライターで、KTBという名前でやっているそう。ニック・ドレイクが好きだというので、ライヴ観てみた かったのですが、会場がダウンタウンの外だったので無理でした。リミエキも会場のロケーションには泣きましたが、イギリスからやって きて、あれは可哀想だなあ。なので、彼女のCDなどもゲット。
リミエキのCDはどうだろう?と思って、Lのところを見ると、なんとコーナーが出来ていました。「KANFU GIRL」も「EEE」も売っています。 ここは木曜日にコウチャンが委託販売を頼みに行ったのですが、ちゃんとコーナーまで出来ているとは。エンジニアの宮川さんを含めて、 僕達はオースティンに着いてから一分一秒を惜しんで働いたわけですが、その結果がこういうところにも残っているわけでちょっと感動。 さあ、これからアメリカ中のレコ屋にこのコーナーを作らなくちゃ。
一応、SXSWは今日までショーがあるのですが、ほとんどオースティンの地元のバンドだけです。街に行けば、めちゃ上手いブルーズ・ロックや テックス・メックスのバンドが見れたに違いないですが、テレビでスティーヴィー・レイ・ヴォーンの特集番組をやっていたので、そっちを 取ってしまった(地元ではしょっちゅうやっているんでしょうか?)。さらに「ロックンロール・ホール・オブ・フェイム2004」をやっていました。 ジョージ・ハリスン、プリンス、ボブ・シーガー、ジャクソン・ブラウンらが殿堂入り。ジョージの曲をトム・ペティらが演奏していたのですが、 「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」で長いギター・ソロを弾いていたのは、よく見たらプリンスでした。

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March 20, 2004

SXSW 3/20

昨夜はビッグ・スターを見ることが出来ず。理由はカメラ・チェックではねられたからでした。仕方なく、 メインストリートのハコを幾つか覗くが、たいした収穫はなし。ジャパン・ナイトも覗いてみたが、予想された光景があるだけだった。

一夜明けて、今日はリミエキ一行もオフ。飯田くんとユカリちゃんと昼に会って、街の外に。オースティンのダウンタウンは本当にライヴハウス(というか、普段はパブといった方が正しいだろう)しかなく、食事したり、ショッピングしたりする場所はほとんどない。といっても、街の外にもたいしたものがあるわけではないのだが、家族経営の食堂みたいなメキシコ料理屋でランチをして、古着屋など見る。でも、誰も何も買わず。ウォータールー・レコードというなかなかな品揃えのレコ屋に行ってみるものの、そこではジョス・ストーンのインストア・ライヴが行われていて、大変な人。入場制限で店にも入れない。仕方なく、フード・マーケットでお買い物。僕は茹でたザリガニとビールを買う。
土曜日のオースティンはSXSWとは関係ない地元のバンドがあちこちで演奏していて、この街のミュージック・タウンぶりを窺わせる。街の外にあるレストランや店の駐車場や、ともかく至るところにバンドがいて演奏しているのだ。しかも、どのバンドも上手い。オーセンティックなカントリーやブルーズ・ロックが多いが、スティーヴィー・レイヴォーンみたいなギタリストがゴロゴロいる。スライドが弾けないギタリストなんて、この街にはいないんじゃないか、と思うくらい。ダウンタウンのSXSWのハコから聞こえてくる似たり寄ったりのギター・バンドより、技術的にははるかに上手いな。
でも、ここでは演る人ばかりが多くて、観る人は少ないのだろう。僕は十代の頃にアメリカン・ミュージックに憧れて、ブルーズやカントリーのギターをたくさんコピーしたから、聞こえてくるフレーズのひとつひとつに親近感があるのだが、でも、そういう音がここまで日常なノイズとしてある街に来ると、奇妙な気分にもなってくる。日本人がこういう音楽の真似をすることは滑稽に感じられる(だって、日本のどんなブルーズ・ギタリストもこの街のアマチュアに敵わないだろう)一方で、日本人が誤解したアメリカン・ミュージックの意味あいについて、あらためて考えたり。

ホテルに戻って昼寝して、夕方にザリガニでビール。もう一度、寝てから夜の街に。ANTICONとKILL ROCKSTARのショーケースを覗く。ANTICONのバックステージではWHY?のヨニに会えた。彼は最近の僕の一番の愛聴盤であるHYMIE'S BASEMENTの片割れでもある。嬉しくて、MEMORY LABのCDをどかっと渡した。すると、彼はなんとリミエキを知っていた。「昨日、友達が観に行って、凄い良かったって言っていたよ」。ちゃんと噂は街を駆けめぐっていたのだ。
さらには、バーで昨日、名刺を残してくれたブッキング・エージェンシーの人間から声をかけられた。「オマエラはサイコ〜だ!」。CDを手渡そうとすると「ああ、もう全部持っているよ」。昨夜はバタバタしていて、誰が彼だかよく分からないうちに名刺が残されていたのだが、すでに持っていたTZADIK盤以外、全部買ってくれたのだそうだ。
しばらく彼と話して、いろんなアドバイスをもらう。このSXSWで僕達は少なくとも最もコンタクトしたい人間にはコンタクトができた。後はコンタクトを絶やさず、少しづつ前に進むだけだ。
深夜、一番大きいヴェニューのオースティン・ミュージック・ホールでN.E.R.D.。ニュー・アルバム発表後のお披露目的ライヴ。スパイモブという全員がバークリー音楽院みたいな、かなりアカデミックな演奏をするバンドをバックにして、本人達はヴォーカルだけのパフォーマンスだ。う〜ん、ロックでもヒップホップでもない、微妙な位置にある音楽なので、観客の反応も微妙。ネプチューンズとしての大成功ですでにセレブの仲間入りしている彼らだけに、開演前は会場も凄いテンションだったのだが、演奏が始まると戸惑いも流れ始める。3曲くらいで帰っていく人も結構いた。もっとパーティーを期待していたのかな。でも、彼らはN.E.R.D.(オタクの英訳? ちなみにナードとは読まないように)なのだ。
他に見かけて面白かったのはエリン・マッケオンという女性シンガー。ドラムだけをバックにした演奏だったが、本人が弾く変則チューニングのギターが秀逸。浮遊感のあるサウンドとヴォーカルはちょっとさかなみたいでもある。CD買わなくちゃ。

というわけで、すべて終わりました。リミエキ一行とは街で会うかと思ったが会えなかった。彼らは早朝には飛行機に乗る。三週間近い過酷なツアー、お疲れ様。でも、SXSWに来て、あらためて思ったけれど、You guys are great!

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March 19, 2004

SXSW 3/19

リミエキのライヴ当日。十時間以上は寝て、体力は回復。しかし、この街は食べ物がない のが辛いね。バーベキューかメキシコ料理か。基本的に肉をガシガシ食べるしかない。
昼過ぎに、僕の古い友人でもある某社の洋楽A&Rとお茶。いろいろ情報交換。しかし、日本の洋楽A&Rはあまりいないなあ。アメリカも含め、今の音楽業界の状況はかなり厳しい。売りこみばかりは多いが、買い手の 側の資金力がなくなってしまったので、SXSWのような場でも活発にビジネスが進んでいる ようには全然見えない。
あと、それ以前に、ここに来ても面白い音楽がほとんど見当たらないという 淋しい現実もある。昨夜もいろいろなハコを覗いたが、聞こえてくるバンド・サウンドの ほとんどは、10年、20年前にもあったようなロック、単調なエイトビートとパワーコード ばかりなのだ。オレが面白いと思うような音楽はここにはないかもしれない。二日目には そんな気持ちになったくらい。僕の到着前にHER SPACE HOLIDAYがやったそう だが、本当にそれくらいかな、ここまでで見逃して悔しいと思ったのは。
今日は昼間にもたくさんのライヴがあったが(SXSWとは無関係のパーティーだが、出演者 のほとんどはSXSWでも演奏するバンド)、それらを覗くうちに正直、思いました。 オリジナルであることやフレッシュであることに対する意識は、今や日本の音楽シーンの方が はるかに高いんじゃないか。 リミエキに限らず、さかなでも朝日美穂でも藤原大輔でも誰でも、僕が関わっているミュージシャン をここに連れてきたら、アメリカ人に受けるかどうかは別としても、音楽的にはもうぶっちぎってい るなと。
夕方、くるりの演奏するハコに。並んでいるお客さんにフライヤー蒔き。結局、くるりのライヴ は見なかったのだが、8時の開演前に並んでいたのは七十人くらい。三分の一くらいは日本人だったか。 でも、SXSWの現実の中では、十分な成功のはず。もちろん、彼らも音楽的にはぶっちぎりだろう。

リミエキのライヴは10時から。その前にふたつだけライヴを見る。ひとつはジョリー・ホーランド。 これはサイコ〜でした。この人は音楽をやるべき人だ、というオーラを感じる。 ともかく、声が素晴らしい。アコギをつまびきながら、ブルーズを歌う様はちょっとPOCOPENを 連想したりもする。場所が街外れだったこともあり、観客は数十人ほど。しかし、聞けば彼女は エピタフと契約したそうだ。
続いて、日本でもすでに話題になっているジョス・ストーン。これがまたサイコ〜。 1000人くらいいる野外のフリー・コンサートだったのだが、デビューして一年足らずとは思えない貫禄 のパフォーマンス。ジャニス・ジョップリンが出てきた時はこんなだったのかもしれない、とも 思った。だって、イギリスの17歳の女の子が完璧なシックスティーズ〜セヴンティーズのR&Bマナーで 歌うのだ。ブルー・アイド・ソウルなんてものじゃない。目をつぶって聞いていたら、 ミリー・ジャクソンみたいな黒人のオバチャンが歌っているのかと思うくらいの爆発力。 バンドがまた素晴らしくて、今のアメリカでは誰も演奏しなくなってしまったオーガニックなR&B、 オレが大好きな70年代のマイアミやマッスルショールズの柔らかなグルーヴをイギリス人達が奏でるのだ。3曲目くらいで涙が出てきた。これだけ見に来たのでも、オースティンに来た甲斐はあったかも。

2時間ほどジャーナリスト・モードだったが、急いでタクシー飛ばし、リミエキのライヴ会場へ。着くと、前のバンドの演奏中。メタリックなパンクで、聞いているのも辛い。客は15人くらいか。演奏前のハコ のムードとしては最悪。なんで、こんなブッキングなのだろうか。ジョス・ストーンの祝福されたステージ とのあまりの対象に、一気に気分が暗くなる。
開演15分前はみんな言葉少な。こんな空虚な場所で演奏して、日本に帰るだけなのか。前のバンドと リミエキの客が重なるはずもないので、セットアップを始めた時には本当にフロアには客はひとりもいなかった。
だが、セットアップをしている10分くらいの間に、気がつくと、フロアは埋まっていた。一体、いつ現れたのか、大柄なアメリカ人達がそこにいたのだ。我が目を疑っている暇はない。もうユカリちゃんはベースのリフを弾き続けている。こういう時の彼女の気合いは凄いな。フォーク・インプロージョンとディアフーフのオープニングでリミエキを始めて見た時のことを思い出した。
狭いハコなので人数としては60人くらい。ライヴの途中で三分の一くらいは入れ替わったので、 のべでは80人くらいかもしれない。しかし、次のバンドのライヴにはそれこそ数人のお客さん(身内?) しかいなかったので、全員がLimited Express (has gone?)を見るために、ここまで歩いてきた人々だった のは確かだ。
他の日本のバンドのライヴと違って、日本人はほとんどいない。くるりとポリシックスのメンバーが来てくれた くらい。そして、アメリカ人達は本当に熱烈な反応をくれた。ステージから降りてベースを弾くユカリちゃんを取り囲んで、大柄のアメリカ人達がグワングワン揺れている。曲が終わる度に大歓声。というより、それはよく来たな、お前達、という歓迎の声に聞こえた。バッジをつけた音楽業界人が多いにもかかわらず、ものすごくハッピーな反応のライヴだった。他のバンドの機材を借りての演奏で、日本で演奏する時のようなサウンドは望むべくもないのだが、でも、僕の厳しい目から見ても、最初の3曲くらいの会場を巻き込んだグルーヴは凄かった。二週間、アメリカをツアーしてきた3人のたくましさを感じた。

途中で痛恨の機材トラブル発生。後半はちょっとバタついたライヴになってしまったのを飯田くんは悔しがっていたが、手応えはバッチリあった。SXSWのスタッフのひとりが「今日まで25アーティストを見てきたが、オマエラがサイコーだ」と言い残してくれた。ヴィデオ撮影していた地元テレビ局の人も今日まで撮影した中でサイコ〜だと言っていた。
メーリング・リストに記帳してくれた人々はアメリカの様々な土地から来ていた。アセンズのカレッジ・ラジオ のDJがいたり、サンフランシスコのバンド・メンバーがいたり、ニュージーランド人までいた。 TZADIKからのUSリリースがあることの強さを実感した。しかし、それでも日本のバンドがここで観客を 集めるのは、こんなに大変なのだ。いや、それは日本のバンドだからではないな。このハコでは間違いなく、 リミエキはSXSW期間中で一番の動員を記録したはずだから。
もっとも、本当に重要なのは客の数ではない。ビール飲んで喋っている客が、うしろに百人、二百人いたところで同じことなのだ。メンバーと僕が何よりも「ヤッタ!」と喜んだのは、残された一枚の名刺だった。7000人の中で一番来て欲しかった、とあるブッキング・エージェンシーの人が足を運び、最後まで見てくれていたのだ。
楽しかった、で終わってはいけない。僕達は現実主義者だ。客の半数以上が日本人のハコで、日本語でMC をするようなライヴをやって、アメリカ公演大成功なんて話にするつもりもない。次のUSリリースやUSツアーに繋がるものが得られなければ、ここまで来た意味はないのだから。大成功とは言わない。一発でドアを蹴破ることはできないのも分かった。だが、少なくともドアをノックする音は響いたはず。あしたには噂が街を駆けめぐるだろう。僕達は僕達でもう次に進んでいる。手応えを感じつつも、終わった後もみんなはクール。楽しく打ち上げしたりはしなかった。

SXSW自体はまだまだ続く。僕はBIG STAR(オリジナル・メンバー?)を見るために、またひとりで深夜の街に。

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